『せーのーで、ハイ」 バーシュウレイン側視点
絶対にあり得ない場所から、突然人の声が聞こえてくる。
そのような、非日常的な状況に遭遇した場合、大抵の人は、何らかの反応を示す。
泣く。叫ぶ。固まる。腰を抜かす。店のスタッフを呼ぶ。警察に通報。あるいは、そのまま耳鼻科に直行……その他諸々。
しかし、ベッキーは極めて冷静だった。鼓動が速くなることもなかった。不思議なことだとも思わなかった。身じろぎひとつしなかった。
これも自分の潜在意識、もしくは深層心理の仕業。それらが直接、わたしの聴力に働きかけただけ。さっきの店長の話だって、簡単に説明できる。
天井を見上げたのは、みなさん同時でした。そんなことをいっていたけど、あれは、わたしの動きに、他の四人が無意識のうちにつられただけ。ある種の群集心理。もし、そうでなかったとしたら、単なる偶然。たぶん、そう。
でもこれだけは、いえる。声を聞いたのは、わたしだけ。その証拠に、カモシンが、全員、聞こえたみたいね、と問いかけたとき、誰も返事をしなかった。
と、そこで疑問が湧いてきた。
なぜ、カモシンは、あんなことをいったのだろう。どうして誰もそのことに突っ込みを入れなかったのだろう。
答えは、ものの数秒で浮かんできた。
この言葉の裏を察してね。
横にいたわたしは気づかなかったが、カモシンはそのような視線を送ってから、全員、聞こえたみたいね、といったはず。
そのセリフの裏にあったもの。それは、こんなものだったのではないだろうか。
ここにいるみんなの共通点を見つけたいの。なんでもいいから、書いてちょうだい。
わたし以外のメンバーには、ベッキーの意図したものが、ストレートに伝わった。だからみんなは、返事を省いた。
実際には聞こえなかったものを、その場で文字にして、といわれた場合、今自分が置かれている状況の中に含まれる言葉を思いつくのが、普通。
人は同じものを見ても、同じ感想を持つとは限らない。当然、みんなが書く言葉は、バラバラ。でも、何らかの共通点はあるはず。
カモシンは、人が見逃すようなものに、独特の解釈をつけるのが上手い。異種類のものを結び付けて、ひとつのストーリーを編み出すのも得意。
カモシンは、今日メンバーに加わったシロワンミ氏のために、異なる五つの言葉を使おうと考えているのだろう。
我々は、あなたを歓迎します。我々一同、末永いお付き合いを望んでいます。
強引なこじ付けを使ってでも、そのような内容に仕上げるはず。
ボールペンの先をポストイットに向けたベッキーの口元に、笑みが浮かんだ。
わたしのこの言葉ひとつだけでも、カモシンの目的を達成できるかもしれない。そうなると、カモシンは、わたしの潜在意識に心から感謝する。絶対に。
ベッキーが、自信を持った背景には、別の理由もある。
天井付近からの声も、彼女の脳裏で閃いた文字も、まったく同じものだったのだ。
ボールペンを動かそうとしたところで、ベッキーは、ふと思った。
漢字で書こうか。
でもやめた。このゲームは、知識をひけらかすのが目的ではない。さらさらさらと、平仮名で書き入れた。
『めいおうせい』
やや右肩上がりの六文字に目を落としながら、ベッキーは苦笑いを浮かべた。
わたしの中で、もう一人のわたしが息づいている。天体望遠鏡を持ったまま行方不明になった娘さんのその後の消息を、無性に知りたがっているわたしの根底にあるのは、執念深さと、あきらめの悪さ。そんなおんなが、いまだに、わたしのどこかに身をひそめている。
あまり思い出したくない記憶がよみがえりそうになったベッキーは、素早くポストイットを裏返しにして、自分の前に置いた。
さて、他の人たちは?
と、顔を上げたベッキーは、テーブルの中央に置いてあった三枚のポストイットが消えていることに気づいた。
「え、どうしたの?」
カモシンに顔を向けると、それを待っていたように、カモシンが質問を投げかけてきた。
「どっちが、いい?」
「はあ?」
意味がわからず、ぽかんとするベッキーの目の前で、カモシンは片手に持ったポストイットを、ひらひらさせた。
「せーのーにする? それとも、一人ずつテーブルに置く?」
そのセリフで状況を悟ったベッキーは、早口で応えた。
「時間を節約しましょう」
「了解」カモシンは、みんなを見回すと、一呼吸おいて、すこし声を張り上げた。
「せーのーで、ハイ」
テーブルに置かれた五枚のポストイットを目にした瞬間、全員、信じられないものでも見たような表情を浮かべた。




