『ベッキーの覚醒』 バーシュウレイン側視点
「それでは始めさせていただきます」
シロワンミ氏は、小さなお辞儀のあと、カモシンのポストイットを見つめながら、さらりとした口調で切り出した。
「その四文字が、わたしと同じだった場合、カモシンさんは、黄泉がえり系の人間の可能性があります」
誰も予想していなかったセリフ。場の雰囲気が一気に引き締まる中、ベッキーがカモシンの横顔を伺ったのには、理由がある。
カモシンは、この手の話が苦手。敬遠する傾向があるからだ。でもほとんどの人は、そのことを知らない。だから、亡霊とか幽霊に関する話題を、カモシンの前で披露する人間がたまに現れる。
でもそんなときカモシンは、やめてくださいとか、またの機会に、なんて野暮なことは言わない。笑顔で受け入れる。相手の目をまっすぐ見る。時々相槌も打つ。
しかし相手の声は、カモシンの意識まで届くことはない。鼓膜を震わせるだけ。
なぜなら、無益な話と判断した場合、カモシンは意識を切り替えて、別のことを考えるからだ。
相手から目を離さないのは、それを悟られないため。そのときのカモシンの目は、話が終わったことを感知するセンサーのようなものでしかない。
さて今日は、シロワンミさん相手に、どのような対応を見せてくれるのだろう。
そんなことを考えているベッキーの横で、カモシンがつぶやいた。
「……ヨミガエリケイ?」
あら、珍しい。ベッキーはちょっと目を見開いた。でもそれはカモシンが、黄泉がえりの意味を知らなかったからではない。本気でその意味を解こうとしていることに驚いたのだ。
それと同時に、ベッキーはちょっとした優越感を覚えた。
かってステンレスの女王様と呼ばれていた強靭な精神力の持ち主の中で、あの『目を押せ』が、何らかの重石になっていたことに気づいたからだ。
「あのう」額に小じわを浮かべて考え込んでいるカモシンに、シロワンミ氏が遠慮がちな声をかけた。
「あまりポピュラーじゃなかったみたいですね、黄泉がえり」それからシロワンミ氏は、すこし身を乗り出した。
「輪廻転生だったらご存知ですか? 輪廻転生」
念を押されて、我に返ったような表情になったカモシンは、気を取り直すように、姿勢を正してから軽くうなずいた。
「ええ、言葉だけでしたら」のあとに、きっぱりとした声でつけくわえた。
「でも、わたしは信じません。そのようなもの」
話題を打ち切ろうとするような口調に、シロワンミ氏は、早口で返した。
「黄泉がえりにしても輪廻転生にしても、あくまで世間の人が面白がっていっているだけです。 もちろん科学的根拠はありません。単なる話として聞いてくださればありがたいんですが」
必死さが伝わったのか、カモシンの口元に笑みが浮かんだ。
「ご心配なく。最初から、そのつもりですから」
本心からではなさそうだったが、シロワンミ氏は安堵のため息のようなものをもらした。
「先ほどわたしは、空から聞こえてくる声は、二種類といいましたよね」
「ええ、確か、そのようなことを聞いたような気が……」
気乗りしない口調にもかかわらず、シロワンミ氏は満足そうな表情を浮かべると「では、今からその説明をしますね」といって、自分のポストイット二枚を、カモシンの前に移動させた。
「空から聞こえてくる声は、四文字、もしくは、六文字の、どちらかに限られているようなんです」
ベッキーの頭の中に、閃光のようなものが走ったのは、三角形に並べられた三枚のポストイットを、何気なく眺めていた時だった。
後になって、ベッキーはそのときのことを、こういった。
『わたしの何かが変わったのは、あの瞬間だったのよ』
ベッキーには周囲の音が消え、すべての動きが止まったように見えた。
あれっ? どうしたんだろう。と思った瞬間、彼女の脳裏に、はっきりとした文字が、現れた。
金色で縁取りされた平仮名。まるで電光掲示板の文字を見ているようだった。
初めての体験だったが、動揺はなかった。
これは、わたしの深層心理の中に埋もれていた言葉。カモシンの「目を押せ」と同じようなもの。
冷静な気持ちで、そのように受け取ったからだ。
一秒足らずで消えたが、その文字は、彼女の意識の中にしっかりと刻み込まれていた。
ベッキーは遊び半分で、テーブルの下で指を折ってみた。
六文字。
とたんに、どきりとしたものを感じたベッキーは、改めてポストイットを見つめた。
そういえば、もう一枚のポストイットも、六文字だといっていた。それが今の六文字と同じだったら、みんな驚くだろうな。そうなった場合、このわたしは、何系の人間になるのかしら。もしものことを考えて、メモしておこうかな。
しかしベッキーは、すぐにその考えを打ち消した。
いくらなんでも、それはあり得ない。六文字ことばなんて、星の数ほどある。それにいまそれをやると、場の空気が変わってしまう。
揺れ動く気持ちをなだめながら視線を戻したベッキーの視界の中で、思案顔をつづけていたカモシンが口を開いた。
「文字数の違いは、漢字と平仮名という意味なんでしょ」
勝ち誇ったような口調に、シロワンミ氏は柔らかな笑みを浮かべて応じた。
「そこに気づくとは、さすがですね。でも、人の話によると、そうではないみたいなんです」
考えた末に出した答えを、軽くいなされたと受け取ったのか、カモシンはシロワンミ氏の視線を避けるように、横を向いた。
いつの間にか店の外は、夜の風景になっていた。
「あら、もうこんな……」
カモシンのつぶやきに、自分の腕時計を覗き込んだシロワンミ氏は、時間を気にするような声で正解を口にした。
「不思議なことに、その声は、四文字に聞こえたり、六文字に聞こえたりするらしいんです」
何かに気づいたベッキーが、天井付近に顔を向けたのは、その数秒後のことだった。




