7話 侯爵令息との対峙
王都の喧騒から少しだけ離れた、林の中に佇む郊外の別邸。
かつては豪華だったのだろうが、今は手入れもされず寂れた館だ。
開け放たれたままの門をくぐり、玄関の扉を開け、奥の応接室へと進む。
「……来たか、エレナ」
暗がりの中で待ち構えていた男性の姿。
そこにいたのは、かつて社交界で誇り高く振る舞っていたカールではなかった。
目の下には酷いクマが刻まれ、その瞳には血走るような焦燥が宿っていた。
「カール様……。一体何の真似ですか。手紙でいきなり呼び出すなんて……」
「黙れ! お前がいなくなってから、うちの侯爵家も、お前の実家も大変なことになっているんだ!」
カールからは、離れていても分かるほどに酒の匂いが漂っていた。
あえて距離をとっていた私に、彼は大きな足音を立てて歩み寄ってくる。
「帳簿の計算は誰もできず、取引先からは信用を失って次々と契約を打ち切られた! 借金の返済も一気に迫られて……このままでは、我が家もお前の実家も破産だ!」
カールが、私の肩を無遠慮につかもうとしてくる。
私は何とか一歩退いてそれをかわし、恐怖で震えそうになりながらも視線だけで彼を射抜く。
「それが私に何の関係があるのですか?」
「なに……!?」
「お父様方も、カール様も、今まで私が処理していた仕事をあざ笑い、私を追い詰めたではありませんか。自業自得です」
「お、お前……! よくもそんな口を……! お前が戻ってきて仕事をすれば、全部元通りになるんだ! 王太子殿下とのふざけた遊びはもうやめろ! お前みたいな悪女を拾ってやれるのは、俺しかいないんだぞ!」
どこまでも身勝手で、反省の色すらない言葉。
私は呆れと、どこまでも冷めていく感情を込め、はっきりと宣言した。
「お断りいたします。二度と私の前に現れないでください。私から貴方へお渡しする言葉は、これですべてです」
私はスカートをひるがえしながら、玄関へ向かって歩き出そうとした。
「――逃がすと思うか?」
背後から思いきり腕を引かれ、私の体勢は大きく崩れた。
「きゃっ……!?」
視界が反転しながら、私は床に倒れ込んだ。
見上げると、カールが下卑た笑みを浮かべて立っていた。
「くくっ……お前が素直に戻らないなら、力づくで俺のものにするまでだ。この屋敷にお前を閉じ込め、既成事実を作ってしまえば。いくら王太子殿下でも、人妻となったお前を奪うことはできまい!」
「な……何を……っ!?」
彼はギシリと床を軋ませながら、私に向かって腕を伸ばしてくる。
私は床を這うように後退りして、懐に忍ばせていた護身用のナイフをとっさに取り出した。
「来ないで! これ以上近づくのなら……容赦はしません!」
「な、お前……!」
カールの足が止まり、憎々しげに私と刃物を見下ろす。
だが次の瞬間、私の抵抗に逆上した彼の顔が歪んだ。
「女の分際で……俺に歯向かうな!」
怒号とともに、彼はすぐそばの花瓶をつかむと、私めがけて投げつけてきた。
不意を突かれた私は避けることもできず、正面から花瓶にぶつかってしまう。
「あ……!」
その衝撃で、指先から力が抜けた。
手元のナイフが床を転がり、とても手の届かない場所へと離れていく。
「くくっ、ざまあみろ!」
それを見逃さなかったカールが、私を床へ押し倒し、馬乗りになって覆いかぶさってきた。
「や、やめてください! こんなことをして、タダですむと思っているのですか!」
「うるさい! お前は俺の言うことだけを聞いて、泣き叫んでいればいい!」
カールの荒々しい手が、私の胸元に伸びてくる。
暴れて、その手を押し返そうと腕に爪を立てるが、男性の力には到底敵わない。
「ディラン殿下……!」
恐怖のなか、私の頭に浮かんだのは、あの尊い方の笑顔だった。
愛すべき人の名前を読んだ瞬間だった。
ドン――!
轟音とともに扉が砕け散り、木屑と塵を舞い上げながら、勢いよく押し開かれた。





