3話 実家との決別
昨夜の大騒動となった夜会から一夜が明けた。
朝の光が差し込むフォンテーヌ伯爵家の屋敷。
だが、私を待っていたのは祝福ではなく、怒号と罵声だった。
「エレナ! お前、一体夕べの夜会で何をしでかしたのだ!?」
朝食前の食堂で、父が顔を真っ赤にして怒鳴り散らした。
横に立つ継母も、扇子を激しく仰ぎながら鬼の首でも取ったかのように私をにらみつけている。
「カール侯爵令息からお怒りの文が届いたわよ! お前が夜会で身の程知らずな狂言を吐き、侯爵家との縁談を台無しにしたと! おまけに王太子殿下へ不敬を働いたという噂まで流れているじゃないの!」
「どうするつもりだ! 侯爵家からの支援が打ち切られたら、我が家は破産だぞ! だいたい、お前が引き受けている領地の書類も滞っているではないか!」
事態を全く把握していない二人は、ただひたすら私に怒りをぶつけてくる。
今までなら、私は申し訳なさそうに頭を垂れて、言われるがまま書類仕事に取りかかっていただろう。
(……本当に、この人たちは私を道具としか思っていないのね)
私が今までどれだけの睡眠時間を削り、この家を支えてきたかを理解していない。
それを感謝するどころか、自分たちの浪費を棚に上げて責め立てるばかりだ。
「お父様、お義母様。私にお説教なさるのは結構ですが、まずはその書類をご自分で確認されたらいかがですか?」
「な、なんだと……!? 親に向かってその口聞きは!」
父が激昂し、机を叩き割らんばかりに立ち上がった時だった。
屋敷の中が、にわかに騒がしくなる。
屋敷の雑務を任されている執事が、青ざめた顔で飛び込んできた。
「旦那様! お大変です! 王家の馬車が到着いたしました!」
「な、なに……!? 王家……だと!?」
父と継母が顔を見合わせ、言葉を失う。
その驚きが消える前に、食堂の扉が無遠慮に押し開かれる。
そこに立っていた人物を目にした瞬間、館の中の呼吸が凍りついた。
近衛騎士を従え、朝の光を浴びながら立っていたのは、隠せないほどの高貴さをまとうディラン・シュルツ王太子殿下、その人だった。
「お、王太子殿下……!? な、なぜこのような場末の伯爵家に……!?」
父は腰が抜けたように体を震わせ、継母は驚愕の表情のままその場にひざまずいた。
「で、殿下! 娘のエレナが何かご無礼を働きましたでしょうか!? もしそうであれば、このような娘、我が家から勘当いたします! どうか、どうかお許しを――」
「……黙れ」
ディラン殿下の一言で、父の惨めな言い訳が凍りついたように止まった。
殿下は床に平伏する父たちなど視界にも入れず、私のもとへと歩み寄ってくる。
そして、私と目が合った瞬間、優しい笑みをその口元に浮かべた。
「迎えに来たよ、エレナ」
「で……殿下……」
殿下は私の前に美しく膝をつく。
そして私の手を優しく包み込み、その甲に誓いのキスを落とした。
「昨夜の約束通り、君を王宮へ連れて行く。……準備はできているかい?」
「は、はい……。私物の荷物は、この手提げ一つだけですので」
実家で与えられていた服や道具のほとんどは粗末なものだ。未練のあるものなど何一つない。
私と殿下のやり取りを目の当たりにし、父と継母はまともな反応もできずに硬直していた。
「え……? や、約束……? エレナ、お前、王太子殿下とどのようなご関係なんだ……!?」
「どのような関係も何も」
ディラン殿下は立ち上がり、冷ややかなサファイアの瞳で父を見下ろした。
「彼女は昨日、大勢の前で私に愛を告白してくれた。そして私も、彼女を生涯の伴侶として迎える決意をした。……何か文句でも?」
「は……はいいいっ!? は、え、伴侶……!?」
数秒前まで私を追い出そうとしていた継母と父の顔が、一瞬で卑屈な笑みに変わる。
「あ、あら……! まあ! エレナ、お前ったらそんな凄い方と懇意にしていたなんて聞いていないわよ! さすがは私の自慢の娘だわ!」
「そうだとも! エレナ、王宮に行っても我がフォンテーヌ伯爵家のことを忘れずにな! 何かあればいつでも援助を……」
頭が痛いほどに、見事なまでの手のひら返し。
その見苦しさに、私は呆れを通り越して失笑してしまいそうになった。
「お父様。これからは、すべてご自分たちでおやりになってくださいね」
「……は?」
「私、今日限りでフォンテーヌ伯爵家から王宮へと移ります。引き継ぎも一切いたしません。ご優秀なお父様とお義母様なら、きっとお一人で処理できますよ」
「なっ……! お前、何を言っているんだ!? そんな膨大な書類整理、できるわけがないだろう!」
私は返事を待たずに、一度も振り返ることなく二人に背を向けた。
今まで私を縛り付けていた楔が、抜け落ちていく気持ちの良い感覚が胸に去来する。
「行きましょう、ディラン殿下」
「……言われなくても。君をこんな場所に一刻も留めておきたくないからね」
殿下は満足そうに目を細め、私の腰に自然な動作で手を回すと、私をエスコートして屋敷をあとにした。
背後で父の悲痛な叫び声が響いていたが、馬車の扉が閉まると同時に、その声は遮断された。
「……彼らから、決別できたようだね」
向かい側に座ったディラン殿下が、悪戯っぽく微笑みながら私を見つめていた。
「ええ……。殿下を利用するような真似をして、申し訳ありません。」
「謝る必要なんてないさ。むしろ、君の強さを目の前で見られて得をした気分だ」
殿下はそう言うと、私の隣へと席を移動し距離を詰めてきた。
ふわりと漂う、上品で気品のある爽やかな殿下の匂い。
「さあ、これからは王宮での生活となる。……まずは君を、温かい紅茶と最高の部屋で迎えさせてもらうよ」
「は、はい……よろしくお願いいたします……」
あまりの距離の近さに心臓が高鳴る私を乗せて、豪華な馬車は静かに走り出した。
私の新しい人生が、今まさに始まろうとしていた。





