13話 狂愛に染まる檻の中
「どうして……どうしてこんな酷いことをするのですか!? あの夜会で、私がたまたまあなたの腕をつかんだからですか……!?」
嗚咽を漏らす私を見下ろしながら、ディラン殿下は切なげに瞳を震わせ、そっと私の頬の涙をぬぐった。
「……違うよ、エレナ。君は勘違いをしている」
「え……?」
「あの夜会で、君が私の腕をつかんだのは確かに偶然だった。……だけれども、これは運命だったんだよ」
殿下の涼やかな声が、薄暗い部屋に密やかに響く。
「君は知らなかっただろうけれど……私はあの日よりずっと前から、何年も前から……君のことだけを見つめていたんだ」
「……何年も前から……?」
思いもよらない事実に、私は涙を浮かべたまま、重くなる呼吸を繰り返す。
「そうさ。……君は覚えているかい? 三年前、匿名で提出された、地方領地の不正を暴いた密告書を」
「あ…………」
脳裏に、昔の記憶が鮮蘇る。
たまたま目にした地方領主たちの不正を目にした私は、あまりの悪質さに耐えかね、実家に知られないよう匿名で王宮の投書箱へ告発書を投函したことがあった。
「……私は衝撃を受けた。一体誰がこれを提出したのか、影を使って差出人を徹底的に調べさせたんだ。……そうしたら、出てきたのはフォンテーヌ伯爵家の冷遇されている長女、君だった」
ディラン殿下は私の髪を指ですくい、愛撫するように指先をすべらせる。
「私は君のすべてを調べ上げた。……すぐに君が、実家で家族から酷い仕打ちを受け、食事も満足に与えられず、暗い部屋で夜遅くまで膨大な帳簿を付けさせられていると分かったんだ」
殿下のサファイアの瞳は、ほの暗い火が灯ったように、その奥底の闇が揺れ動く。
「私は氷のような孤独の中で生きてきた。……そんな私の前に現れた君は、泥の中に咲く、誰よりも美しく気高くて、圧倒的な輝きを持つ一輪の花だった」
ディラン殿下の顔が、私の至近距離まで近づいてくる。
お互いの吐息が重なり合い、その視線からも逃れることができない。
「不当に虐げられながらも、腐らず、誰にも知られず、ただ黙々と完璧な仕事をこなす、野薔薇のような美しい姿。……一目で君を愛し、君を我が物にしたいと思ったんだ」
殿下は歪んだ笑みを、彫刻のように整った顔立ちに浮かべた。
「私は決めたんだ。数年かけてでも、君の周りの環境を叩き潰すと。カールをそそのかしたのも、君に関わる家を困窮させたのも……すべては君を極限まで追い詰め、最後に私の手で救い出すための準備だった」
「そんな……何年も前から、私を手に入れるために……?」
「あの夜会の日、私がたまたま通りかかったと思うかい? ……違うよ。君がカールに迫られ、限界を迎える瞬間を狙っていたんだ。私が君を助けるためにね。予定とは少し違ったが、結果的には君をこの腕の中に囚えることができた」
事もなげに明かされる衝撃の事実が、頭の中の記憶を砕け散らせる。
偶然だと思っていたあの出会いさえも、すべては蜘蛛の巣上の一幕に過ぎなかったのだ。
「ああ……君が私の腕を掴み、『この人が好きなんです』と叫んでくれた瞬間……私がどれほど歓喜したか分かるかな。自分から私の手の中に舞い降りてきれくれて、本当に嬉しかったんだ……!」
ディラン殿下はうっとりとした瞳のまま、私の首筋に顔をうずめた。
そこから伝わってくるのは、偏執的なまでの熱量と、狂気的なまでの愛の深さに、私は指一つ動かせなくなる。
「もう逃げられないよ、エレナ。君の過去も、自由も、未来も……すべて私のものだ。これからはこの檻の中で、私の愛だけを受けて生きていけばいい」
「殿下……正気に戻ってください……! こんなやり方、間違っています……!」
「私は正気だよ。今だって、腕の中にいる君の体温、鼓動、震え……すべてを記憶に刻んでいるほどに冷静だ」
足首を動かすと、金属の硬質的な音が鼓膜を打つ。
美しく優しかった王太子の素顔は、世界で一番甘く、重い鎖を持った執着の塊だった。
外に出るための扉は固く閉ざされている。
私は王太子宮の奥深くで、ディラン殿下の狂愛の檻へ囚われてしまったのだった。





