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例の“恋物語”に関する顛末

「レイチェル・マルナンはいるか────っ!!」

 怒号と共に現れた青年に、室内にいる全生徒の視線が集まった。薄い茶色の髪に、群青色の瞳、そして胸元に光る女物のブローチ。その場にいた誰もが、彼が誰かを悟る。

 開口一番名を呼ばれたレイチェルと同期生であり、上位の成績を修める──火の魔術に優れた魔術学院生徒、カルロ。姓がないのは、彼が平民の孤児であるからだ。そのことはとある理由から、学院中の誰もが──特に生徒たちは、よく知っている。

 彼が今怒鳴り込みに来たのは、レイチェル・マルナン個人の研究室だ。魔術学院は、極めて優秀な成績を修める生徒には、専用の研究室を持つことを許可している。

 彼は普段、自身が使用人として雇っているサラ・ツィーゲル元伯爵令嬢をかなり溺愛している点を除けば、礼儀や常識を弁え、レイチェル・マルナンをはじめとする強烈な個性を持つ同級生たちを苦労しながらもまとめている、面倒見の良い比較的まともな生徒だ。そのため、こんな風に激昂している姿を見るのは珍しい。はじめて見る彼の一面に臆している者が多い中、一人の生徒が進み出た。

 生徒の名前は、スフィア・ライグレー。ライグレー伯爵令嬢である彼女は、レイチェルの1学年下で、研究の助手をつとめている。スフィアは怒り心頭な相手をものともせず、口を開いた。

「レイチェル先輩なら、今日は用事があるとかで、こちらにはまだいらっしゃってませんよ」

「そうか」

 カルロはチッと舌打ちする。その堂に入った仕草に近くにいた生徒は震え上がった。ここにカルロと特に親しい生徒の誰かがいれば、“カルロ(君)、地が出てる”等と言って茶化すのだろうが、ここにはそんな勇気のある──いや、命知らずはいない。スフィアは、眼鏡をかけ直しながらたずねる。

「どうなされたんですか、カルロ先輩? レイチェル先輩への伝言なら預かりますが?」

「いや、いい。直接確かめる」

「そうですか」

 スフィアの落ち着いた物言いと、怒りの矛先を向ける当人がいないためか、カルロから溢れていた怒気が一旦鎮まる。ぴりぴりした空気が和らぎ、動向を見守っていた生徒たちはほっと息をついた。

 そのまま踵を返そうとしたカルロに、スフィアの声がかかる。

「ところでカルロ先輩、何でルイスを持ち歩いているんですか?」

 部屋中の気温が一気に下がり、それと反比例するように、カルロからゆらりと怒りの炎が上がった。生徒たちは余計なことを、とスフィアを責める反面、自分たちの失態を悟った。いくら滅多に怒らないカルロが怖いからといって、スフィアに交渉役を任せるべきではなかったのだ。スフィア・ライグレー、“鉄仮面”と称されるほど常に無表情で感情の読めない彼女だが、好奇心は人一倍、いや百倍強く、その好奇心を満たすためなら魔物の尾も躊躇いなく両足で踏むことで有名だ。

「何でこいつを持ち歩いているかって?」

 カルロの口元が笑みを作った。さながら、世界を破滅に陥れようとする魔王のように。カルロは無造作に右手をつき出した。そこには、小柄な少年が襟首を掴まれている。ぐったりと脱力している様から、意識を失っているようだ。全体的に煤けていて焦げ臭いことから、何があったかはおして知るべしである。

 この明らかにカルロにしばかれたであろう少年の名はルイス・バミャル。バミャル侯爵家出身で、カルロより2学年下になる。童顔で人懐っこい性格から女生徒に大変人気であるが、同時にスケコマシとしても名高い。その名に恥じず、使用人として雇われたばかりのサラ・ツィーゲルにも手を出そうとし、カルロに以下略。その後、なぜかカルロの助手になりたいと頼み込み、渋々受け入れたカルロに魔術の実験台としてこき使われている。しかも、もう懲りたかと思いきや相も変わらずサラに粉をかけてはカルロに折檻されている、変なところで根性のある少年だ。彼はお調子者で口が軽いことでも名を馳せており、彼がカルロに引きずられてきた時点で、生徒たちは察した。こいつ、十中八九カルロの怒りに何かしら関わっている、と。だからこそ、スフィア以外は決して触れようとしなかった。

「……これを見ろ」

 カルロは徐にルイスの胸元に手を突っ込み、ポケットから何かを取り出す。その際、ゴッという鈍い音と「ぐふっ」というルイスの呻きが聞こえたような気がしたが、全員何事もなかったかのように流した。何も聞こえなかったことにした。

 カルロが取り出したのは、一冊の本。白地の表紙には、群青の布地の上にブローチが置かれている絵が描かれていた。その金色で印字されたタイトルを見たとき、ついうっかり“あ、その本はレイチェル(先輩)の例の”と言いかけた者は慌てて口をつぐんだ。中には慌てすぎて唇を噛み流血した者もいたが、幸運なことに怒りで頭に血が上りすぎているカルロは気付かなかった。

「その本は?」

 ここでも口を開いたのはスフィアだ。彼女もその本について知っているはずなのに、何食わぬ顔で聞いている。

 こめかみに青筋をたてながら、カルロは説明した。ぐ、と指に力が込められ、本が今にもへしゃげそうになっている。

「この本にはな、主人公の貴族令嬢が没落するんだが、過去に助けた孤児の少年に使用人として雇われ、紆余曲折の末結ばれる──という恋物語が書かれている」

「へえ、カルロ先輩とサラさんみたいですね」

 スフィアがさらっと着実に導火線に火を付けていくものだから、生徒たちは気が気ではない。

 ミシリ、と本が嫌な音をたてた。生徒の一人はぞっとする。嘘だろあれ上製本(ハードカバー)なのに。

「そうだ、…………それを分かっていながらこいつは、俺に本を差し出しながらこう言いやがった」

 カルロはぎろりとルイスを睨んだ。その剣幕に誰かがひっと短く悲鳴を上げる。

「“この本、カルロ先輩方を元にしてるんですよね? 先輩も、こんな風にサラさんに愛をささやいているんですか?”……ってな」

 部屋中の生徒たちは心の中で天を仰いだ。なんかもう、ルイスが馬鹿すぎていっそ勇者に思えてきた。勇者なら、自ら爆誕させた魔王を倒すまでしっかり責任をとってほしかった。

「そんなふざけたことを抜かすから問い詰めてみれば、この本は俺たちの噂話を元にレイチェルがまとめたらしいな」

 魔王と化したカルロは、ぎりぎりと歯軋りする。

「しかもまとめるだけでは飽き足らず、派手に売りさばいているそうじゃないか……」

 まかり間違っても“愛読者です”とは言えない雰囲気に、生徒たちは押し黙る。そのまま沈黙が訪れるかと思いきや、涼やかな声が割って入った。

「あら、よ、う、や、く、気付きましたの」

 一見きついまでに整った美貌に、自信に満ち溢れた笑顔。絶妙なタイミングでの主の帰還に、生徒の誰かが感極まって叫んだ。

「レイチェル先輩!」

「レイチェル……」

 怒りも露なカルロに名を呼ばれても、レイチェルはどこ吹く風とばかりに麗しさに陰りはない。

「ごきげんよう、カルロ。何やらわたくしの研究室の方々が怯えているようですが?」

「しらばっくれるな! この本は何だ!? 人の話を勝手に改造して流しやがって!」

 目と鼻の先にあの本を付き出されても、レイチェルはびくともしない。

「わたくしが、あちらこちらで流れていた噂を集めて、物語になるよう再構成したものですが?」

「お前、いけしゃあしゃあと……分かっててやっただろう!」

 はっとレイチェルは冷笑した。カルロが魔王なら、こちらは氷の女王様である。

「あなた、もしかして、ご自分がその物語のヒーローそっくりだとおっしゃいますの? 乙女の理想を詰め込んだ王子様みたいなのとあなたが? 笑止ですわ! あなた、サラ嬢に距離を置かれた時の数々の醜態、もうお忘れ?」

 ばき、と音がした。あ、表紙折れた、と誰かが呟く。同時にどさっと派手な音を立てて、ルイスの体が床に落ちた。

「……お前とは、一度本気でやらないと駄目みたいだな」

「わたくしには何のことだかよく分かりませんけど、……あなたがそう言うなら、吝かではなくってよ?」

 立ち上る熱気と冷気に、生徒たちは“本気出すなら演習場にでも移動して!”と声を大にして言いたかったが、そんな勇気のある者は誰もいない。固唾を飲んで行方を見守る生徒たちをよそに、カルロとレイチェルは睨み合う。膨大な魔力が熱気と冷気になり、研究室を満たしていった。

「あの……」

 かかった声に、真っ先に鎮まったのは熱気の方だった。その速さに、生徒の一人が「え、怖い」と思わずこぼす。

「サラ!」

「カルロ……様? どうしてここに?」

 レイチェルの背後の扉から現れたのは、金髪に赤い瞳のお仕着せを来た少女だった。その名は、サラ・ツィーゲル。例の本の主人公の元になった人物で、カルロの使用人をしている。元伯爵令嬢であるためか、立ち振舞いはどこか洗練されていた。

 その瞳が、カルロの姿を見て丸くなる。

「俺は……ちょっと野暮用で。サラは?」

 野暮ですむ範囲を楽々乗り越える激怒具合が嘘のように消えているカルロに訊ねられ、サラはああそうそう、と持っていたものをレイチェルに差し出す。

「レイチェル様、お忘れものです。図書館に忘れられていたようで……」

「あら、わたくしとしたことが」

 サラはレイチェルに簡素なメモ帳を渡しながら、部屋の様子を見た。赤い瞳が、カルロ、ルイス、研究室の生徒たちと順繰りに映していく。

「カルロ様、その本は……?」

 そして例の本についてサラが言及しかけた時、本が勢い良く燃えた。なかなかに分厚い本が、一瞬で塵になる。

「ああ、これですか? ルイスの馬鹿がまたアホな理論を書き上げたもので、読むに値しないものです」

 白々しさを一切感じさせない誠実な笑みを浮かべながら、カルロは息をするように嘘をつく。部屋の隅で誰かがぽつりと「過保護かよ……」と呟いた。

「……そうですか」

 サラはやや腑に落ちないながらも、主の言うことを信じることにしたらしい。

「ところでカルロ様、これからレイチェル様とご用事でも「ありませんよ、何かありましたか?」……いえその、アストヴァル教授がこの間の論文のことでお話があるとか」

「わかりました、すぐ向かいます」

 カルロはレイチェルを振り返ると、忌々しげに唸った。

「運が良かったなレイチェル。この件はまた後日決着をつけてやる」

 対するレイチェルも、好戦的な笑みを浮かべる。

「おほほほほ、わたくしはいつでも良くってよ?」

 カルロとサラが立ち去ったあと、徐にレイチェルは先ほどのメモ帳を取り出した。

「さて、材料も揃いましたし、最終巻を一気に書き上げますわよ!」

 満面の笑みで言い放つ部屋の主とは裏腹に、周囲はカルロの怒鳴り込みという修羅場の再来を悟り、恐怖に震え上がった。

 しかし、レイチェルを止める者はいない。

 カルロの激怒と物語の続きを天秤にかけた結果、後者に傾いたからである。ぶっちゃけ、続きが気になる。

「レイチェル先輩、校正は僕に任せてください! あのお二人を一番近くで見てるのはたぶん僕なんで~」

 ボロボロの姿ながらいつの間にか復活し、そう名乗り出たルイスに、皆“こいつは間違いなくもう数回燃やされるな”と確信した。



「カルロも、あの本に気付いたのね?」

 教授の用事を終えてカルロが部屋に戻ると、サラがそう切り出してきた。カルロは一瞬虚をつかれた表情になった後、苦い顔になる。

「……気付いていらっしゃったんですね」

 魔術の発動が遅かったか……と内心カルロは反省した。同時にサラの言葉を反芻して、はっとする。

「サラは、あの本の存在を知っていたんですか」

「ええ」

 驚くカルロに、サラは曖昧に微笑む。こればかりは、元貴族であった感覚を持つサラの方が敏い。サラもあの物語を知っていると分かり、カルロは眉をしかめる。

「なるべく早く根絶やしにしますから、もう少しご辛抱ください」

「私は、あれが広まったままの方がいいと思うわ」

「え? そうなんですか?」

 意外なサラの意見に、カルロは目を見張る。そんなカルロを見ながら、サラは説明する。

「私をあなたが雇った時から、私とあなたの境遇が珍しいのもあって、色々囁かれていたの。あなたの私への接し方を見て、好意的なものが多かったけれど、中にはあなたが私を虐げてるとか、そんな酷い邪推をする人もいたわ。……でも、あの本が広がったおかけで、そういうのはかなり減ったの」

「そうだったんですか……」

 カルロは微妙な表情をしている。間接的にレイチェルに助けられたような形になっているのが、気に食わないのだ。とはいえ、サラが“広まったままの方がいい”というなら、カルロも否やはない。レイチェルとの一騎打ちはまた別だが。

 そういえば、とカルロは何気なく口にする。

「あの物語の元になったのが俺とサラなら、ヒーロー役の性格が俺と違いすぎますよね?」

 レイチェルの趣味ですかねえと笑い飛ばそうとしたカルロは、サラが押し黙っているのに気付いた。

「サラ?」

 不思議に思ってカルロが声をかけると、サラが視線を外した。こちらを向いた頬が、赤くなっている。

「サラ、どうしたんですか?」

 もしや体調が優れないのか、とカルロがサラに近寄ると、サラは顔を上げた。それから、蚊の鳴くような声で告げる。

「……あれは、私がレイチェル様にそう変えていただくようお願いしたの」

「……………………………………………………はい?」

 ぽかんとカルロは口を開けた。想定外過ぎて、内容が上手く頭に入ってこない。

 うまく回転しない頭でカルロは必死に思考する。サラがレイチェルに変えるよう指示したということは、そういう男性像がサラの理想ということだろうか。

 幸いカルロがおかしな結論を口走る前に、サラは口を開いた。

「その、物語になると、それなりに人が読むでしょう? ……私だけのカルロが、他の人に知られてしまうのは、ちょっと……嫌で」

 カルロはかちんと凍り付いた。彼女の言葉がもたらした衝撃が大き過ぎて。

「……サラ」

 カルロは静かに名前を呼んだだけなのに、サラは叱られたかのように首をすくめた。そんなサラを見下ろしながら、カルロは片手で自分の顔を覆う。

「何で、そんな可愛いこと言うんですか……勘弁してください」

 サラが、恐る恐るといった調子再び顔を上げる。宝石のように赤い瞳と群青の瞳が交わった。

「そんなの、俺だってそうですよ」




 世間の話題をさらった例の“恋物語”は、最終巻が異様に手に入らないことでも有名だった。仮に何らかの伝で手に入れても、目を離すと“煙のように”消えてしまうという噂話が出回るほどであったという。

 余談だが、レイチェルの研究室は一度大破し、ルイスは五回ほどこんがり焼かれた。

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