膨らんだ蓋
三日後の朝、森の見張り小屋から、二つの瓶を持ち帰った。
瓶蔵の机に並べて、副団長とウルスラさんと、手の空いた兵たちに囲まれながら、一つ目の瓶の蝋を小刀で削った。コルクで栓をした上から、普通の蝋で目止めしただけの瓶だ。
栓を抜くと、焦げたような乾いた匂いが立った。
中の煮込みは、黒かった。砦の倉で見た糧食と同じ黒さで、匙を入れるとぼろりと崩れた。
二つ目の瓶は、私の割封の瓶だ。封蝋を指で割り、栓を抜く。酢の匂い。茶色い肉と、橙色の根菜。三日前に詰めたときのままだった。
兵たちが、二つの瓶を交互に覗き込んだ。
「蝋なら何でもいいわけじゃないんだな」
副団長が、腕を組んで唸った。
「蝋は、空気を止めます。でも森の気は、止められないみたいです」
「じゃあ、お前さんの封は何を止めてるんだ」
「……分かりません。祖母は、封は口を閉じるものだとしか言いませんでした」
副団長は黒い瓶を見下ろして、顎をさすった。
「分からんものに、兵の腹を預けるわけか」
「はい」
私が正直に答えると、副団長は鼻で笑った。笑ったのに、怒っている顔ではなかった。
「いい返事だ。分かったふりをされるより、よほどいい」
◇
それから毎日、砦の台所は朝から晩まで湯気に包まれた。
ウルスラさんが大鍋で肉と根菜を酢と塩で煮る。乾かしたパンと干した果物は、台所の若い者たちが詰める。ヤーナと兵たちが井戸端で空き瓶を洗って湯で煮ておき、詰めた瓶にコルクを打って、瓶ごと大鍋の湯に沈める。煮上がった瓶が瓶蔵に運ばれてきて、私が一つずつ封をする。
蝋を落として、印章を押して、三つ数える。また蝋を落として、印章を押して、三つ数える。
日が暮れるころには、指先が蝋の熱で赤くなって、手首が重くなる。瓶蔵の火鉢は、本当にありがたかった。
一番よく手伝いに来たのは、ティムだった。
「リゼル様、これ全部封するんですか!」
「全部よ」
「俺も手伝います!」
「封は、私にしかできないの。ティムは瓶を運んでくれる?」
ティムは運んだ。何往復も運んだ。そして運びながら、私とウルスラさんの鍋を、熱心に覗き込んでいた。
◇
五日目の夕方、私は瓶蔵の一番奥の棚の隅に、見覚えのない瓶が一つあるのに気づいた。
陶器ではなくガラスの瓶で、栓の上が普通の蝋で目止めしてある。札はない。
手に取ろうとして、私は手を止めた。
コルクの栓が、瓶の口から少し持ち上がっていた。目止めの蝋に、細いひびが入っている。中から何かに押し上げられたように。
背中が、すっと冷たくなった。
「誰か! この瓶、誰が置いたの!」
思っていたより大きな声が出た。瓶蔵の入り口に立っていた見張りの兵が飛び込んできて、すぐ後ろからティムが顔を出した。
ティムは私の手元の瓶を見て、真っ青になった。
「……それ、俺です」
ティムは、自分で考えた煮込みを瓶に詰めたのだと言った。肉だけを、柔らかくなるまでよく煮たもの。酢はすっぱいから少しだけにして、塩も控えめにした。兵のみんなが、そのほうが喜ぶと思った。リゼル様の手を煩わせたくなかったから、封は自分で、普通の蝋でした。
「旨い瓶を作って、驚かせようと思って……」
「誰も、開けていないわね」
「は、はい」
私は瓶を両手で包むように持って、瓶蔵の外へ出た。誰にも触らせなかった。砦の裏の、井戸から離れた空き地まで歩いて、兵に穴を掘ってもらった。深く、と頼んだ。
瓶を穴の底に置いて、土をかけてもらう。開けずに、割らずに、そのまま。
ティムは、穴の縁で泣きそうな顔をしていた。
◇
瓶蔵に戻ると、騒ぎを聞きつけた副団長とウルスラさんと、それに閣下が待っていた。
私は祖母の帳面の、最初の頁を開いた。
「祖母の決まりです。瓶に入れていいのは、酸いもの、塩の強いもの、乾いたものだけ」
細い字で、そう書いてある。その下に、少し乱れた字で、もう一行。
――決まりを守らない瓶は、毒になる。
「酢と塩の足りない肉や豆を、閉じた瓶に入れると、中で毒が生まれることがあります。祖母は『瓶の毒』と呼んでいました。栓が内側から押し上げられて浮いたり、蓋が膨らんだりすることがあります。何も変わらないこともあります」
「毒を食うと、どうなる」
閣下が、静かに聞いた。
「熱は出ません。食べて半日か、一日か、そのくらいで、物が二重に見えるようになって、まぶたが下がってきます。飲み込めなくなって、言葉がもつれて、手足に力が入らなくなります。重いと、息ができなくなります」
瓶蔵が、しんとした。
「治す薬は、祖母も知りませんでした。吐かせて、横にして、息をしているかを見守るしかないって。……祖母は若いころに、それで人が亡くなるのを見たそうです」
「封で、止められないのか」
副団長が言った。
「止められません。森の気は外から来ますけど、瓶の毒は瓶の中で生まれるので。封をすれば、かえって閉じこめてしまいます」
だから祖母は、封の手前の決まりを、帳面の一番初めに書いたのだ。
ティムが、私の前に出て、深く頭を下げた。
「すみませんでした!」
「あなたが誰にも食べさせなかったから、いいのよ。でも、もう二度と、勝手に詰めないで」
「はい……」
ウルスラさんが、太い腕を組んだまま言った。
「三十年飯を作ってて、初めて聞いたよ。煮込めば煮込むほど旨いと思ってたけどね。瓶に入れるなら、話が違うんだね」
私は瓶蔵の机から紙を一枚取り、大きな字で書いた。
――瓶に入れてよいのは、酸いもの、塩の強いもの、乾いたものだけ。
――肉は、帳面の酢煮だけ。豆は、瓶に入れない。
――栓の浮いた瓶、蓋の膨らんだ瓶は、開けずに捨てる。
その紙を、瓶蔵の入り口の壁に貼った。
貼り終えて振り返ると、ティムがまだ入り口に立っていた。目が赤い。
「リゼル様。俺、字はあんまり読めないんです。でも、これは覚えます。一字ずつ」
「じゃあ、明日、一緒に読みましょう」
ティムは鼻をすすって、こくりとうなずいた。
閣下が壁の前に立って、黙って最後まで読んだ。それから、副団長を振り返った。
「兵全員に読ませろ。字の読めない者には、読んで聞かせろ」
「承知しました」
◇
八日目の夕方、六百の瓶が、瓶蔵の棚にずらりと並んだ。
琥珀色の封蝋が、火鉢の明かりを受けて、棚の端から端まで光っている。私は最後の一つに印章を押し、三つ数えて、震える手をそっと火鉢にかざした。
閣下が瓶蔵に入ってきて、棚の列を端から端まで見渡した。
「三十人、十日」
閣下は言った。
「第四哨所跡まで行く」




