↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
21/28

門に封を

 門の前は、血と獣の匂いでむせ返っていた。


 閂は、真ん中から割れかけていた。兵が三人、背中で門扉を押さえている。新しい丸太を運んできた兵たちが、それを渡す隙を探していた。けれど、黒顎がぶつかるたびに門扉がたわんで、丸太を金具にはめることができない。


 閣下が、門扉の合わせ目の前に立っていた。


 黒顎の体当たりで合わせ目が開くたびに、灰色の鼻先が突き込まれる。閣下の剣がそれを斬り払う。合わせ目が閉じる。また開く。また斬る。閣下の外套は、もう血で黒く濡れていた。


「閣下!」


 私が叫ぶと、閣下が振り返らずに怒鳴った。


「下がれ、リゼル!」


「門に、封をします!」


 閣下の剣が、一瞬だけ止まった。


「合わせ目は、口です。固封をすれば、門扉は破れません。誓約書の紙が、短剣を通さなかったみたいに」


 どん、と、黒顎がぶつかった。合わせ目が開き、灰牙の牙が、私の目の前で空を噛んだ。閣下の剣が、それを斬り落とした。


 閣下は、私を見た。


 ほんの一瞬だった。


「どこに押す」


「合わせ目の、閂の高さに。三つ数える間、門が閉じていないと」


「閉じさせる」


 閣下は、門扉を押さえる兵たちに怒鳴った。


「次にぶつかってきたら、全員で押し返せ! 合わせ目を閉じて、三つ数える間、離すな!」


 兵たちが、門扉に肩を当て直した。三人、五人、八人。ティムも、その中に飛び込んでいった。


 私は、合わせ目の前に立った。閣下が、私と門の間に半身を入れて、剣を構える。


 どん。


 門扉がたわむ。合わせ目が、口を開ける。


「押せ!」


 兵たちが、うめき声を上げて押し返した。門扉が、外へ戻る。合わせ目が、閉じる。


 私は、鉄鍋を傾けた。


 溶けた蝋が、合わせ目に流れ落ちた。琥珀色の、熱い蝋。閂の高さから、二枚の門扉の継ぎ目を埋めるように、下へ、下へと流れていく。鍋の取っ手が手のひらを焼いた。構わずに、鍋の底が見えるまで流した。


 鍋を足元に落として、印章を、まだ柔らかい蝋の真ん中に押しつけた。


 ひとつ。


 門の向こうで、黒顎が後ずさる音がした。次の体当たりのために、距離を取っている。


 ふたつ。


 指先から、何かが流れ出した。瓶のときとは、比べものにならなかった。包帯のときとも。指先から、手首から、腕から、胸の奥から、身体じゅうのものが、印章を通って、門へ吸い出されていく。膝が、がくりと落ちかけた。


 どん。


 黒顎が、ぶつかった。


 門扉が、たわもうとした。合わせ目の蝋が、引き伸ばされる感触が、印章越しに伝わってきた。


「離すなあっ!」


 閣下の声。兵たちの、獣のような叫び声。


 門扉が、止まった。


 みっつ。


 何かが、ぴたりと、入った。


◇


 印章を、離した。


 合わせ目の真ん中に、琥珀色の大きな封が残っていた。蝋の中に、蜂が一匹。


 門扉を押さえていた兵たちが、一人、また一人と、恐る恐る肩を離していった。


 どん。


 黒顎がぶつかった。


 門扉は、動かなかった。


 たわみもしなかった。きしみもしなかった。丸太の門扉は、石の塀と同じように、そこに立っていた。


 どん。どん。


 黒顎が、狂ったように体当たりを繰り返した。門扉の向こうで、牙が丸太に突き立てられる音がした。がりがりと、爪で引っかく音。


 塀の上から、兵が身を乗り出して叫んだ。


「傷ひとつ、ついてねえ! 牙が、丸太に入らねえ!」


 兵たちが、門扉から一歩、二歩と後ずさった。誰かが、震える手で、門扉に触れた。押してみた。びくともしない。叩いてみた。石を叩いたような、鈍い音がした。


「……動かねえ」


 古参の兵が、かすれた声で言った。


「黒顎が、ぶつかってるのに。門が、動かねえ」


 ティムが、門扉の前にへたり込んで、琥珀色の封を見上げていた。口が開いたままだった。


 兵の一人が、思わず剣の柄で、門扉の合わせ目を叩いた。こつん、と、乾いた音がした。合わせ目は、髪一本ぶんも開かなかった。


 塀の上の兵たちが、門の前を見下ろして、口々に叫んでいた。何を叫んでいたのかは、聞き取れなかった。


 私の耳が、遠くなっていたからだ。


◇


 膝から、力が抜けた。


 地面が、ゆっくりと近づいてくる。冷たい土に頬がつく、と思った瞬間、誰かの腕が、私の身体を受け止めた。


 鉄と、煙と、血の匂い。深い苔色の外套。


「リゼル」


 閣下の声が、すぐ耳元で聞こえた。


 視界が、ぼやけていた。手のひらが、ずきずきと痛んだ。鍋の取っ手で焼いたのだ。けれど、それよりも、身体の中が空っぽになったような寒さのほうが、ずっとつらかった。


「瓶は……」


 自分の声が、ひどく遠かった。


「瓶は、無事ですか。地下の……」


 閣下の腕に、力がこもった。


「瓶も、君もだ」


 閣下は、私を抱き上げた。軽々と、というより、壊れ物を運ぶように、そっと。


「門は持つ。塀は俺たちが守る。君は寝ていろ」


 兵舎へ運ばれていく間、閣下の肩越しに、門が見えた。


 どん、と体当たりの音がするたびに、門扉の向こうで獣が吠えた。


 門扉は、動かなかった。


 琥珀色の蜂が、松明の明かりの中で、静かに光っていた。


◇


 目を覚ましたのは、夜明け前だった。


 兵舎の寝台の上だった。手のひらには、包帯が巻いてあった。誰かが巻いてくれたのだろう。端に、封はなかった。


 包帯の縁から、焼けた手のひらの端が少しのぞいていた。赤い火傷の縁が、ほんのわずか、黒ずみ始めていた。


 ここは、森の四日の深さだ。


 私は、慌てて腰の袋を探った。空だった。封蝋の棒は、一本残らず鍋に放り込んだのだ。


 寝台の脇で、何かが動いた。床に座り込んで、寝台の縁に頭をもたせかけて眠っていたティムが、目をこすりながら顔を上げた。


「リゼル様……起きた……」


 ティムは、ぼんやりした顔のまま、懐から何かを取り出した。


 封蝋の棒だった。一本だけ。


「箱から、一本だけ抜いておきました。リゼル様、いざとなったら全部使っちゃうから」


 私は、何も言えなかった。


 ティムが竈の残り火で蝋を溶かしてくれて、私は左手で、右の手のひらの包帯の端に蝋を落とした。印章を押す。三つ数える。いつもの、割封。門のときのように身体が空っぽになることはなかったけれど、それでも指先が冷えた。


 包帯の端に、小さな琥珀色の蜂が残った。


「一本も、無駄にさせないって言ったでしょう」


 ティムは、得意そうに鼻をこすった。それから、何か思いついたような顔をして、先に兵舎を出ていった。


 外が、静かだった。


 寝台から下りると、足がふらついた。壁に手をついて、兵舎の外へ出る。


 塀の上では、兵たちが槍にもたれて、座り込んでいた。眠っている者もいる。塀の外には、灰牙の死骸がいくつも転がっていた。けれど、生きているものの気配は、なかった。


「夜明け前に、引いていきました」


 塀の上から、古参の兵が教えてくれた。


「門の前で、最後まで暴れてましたがね。門が開かねえと分かったら、森の奥へ。塀も、なんとか持ちました。死んだ者は、いません」


 死んだ者は、いない。


 私は、門のほうを見た。


 東の空が、白み始めていた。最初の光が、塀の上から差し込んで、門扉の合わせ目に届いた。


 琥珀色の封が、朝の光を受けて、光っていた。


 その前に、ティムがしゃがみこんでいた。剣の先で、門の脇の石に、何かを刻んでいる。


 近づくと、ティムは振り返って、照れたように笑った。目の下に、真っ黒な隈ができていた。


 石には、こう刻まれていた。兵舎の奥の、二百年前の落書きの文句の、その続きのように。


 ――群れの夜も、門は持った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
そもそも一体何のために、危険な森の中に人を置くことにしたのかが分からないんですが・・・。
よかった、、、、安心でうるっとなってしまいました。 騎士の皆さまもリゼルさんも頑張っていっしょに乗り越えられてよかった。 素敵なお話をいつもありがとうございます。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。