城壁の夜
警告は、夜明けまでかかって書き上げた。
王都騎士団第三中隊 御中。
一、書記局の封は、開けたことが分かる封であり、森の気を止めるかどうかは確かめられていない。普通の蝋で閉じた瓶は、森に置いて三日目に中身が黒くなった。
二、酢と塩の足りない肉と豆の瓶には、瓶の毒が生まれることがある。
三、栓が内側から押し上げられて浮いた瓶、蓋の膨らんだ瓶は、開けずに捨てること。見た目の変わらない瓶にも出ることがある。
四、瓶の毒の様子。食べて半日から一日ほどで、物が二重に見える。まぶたが下がる。飲み込めない。言葉がもつれる。手足に、上から順に力が入らなくなる。熱は出ない。森酔いとは違う。
五、治す薬はない。吐かせ、横向きに寝かせ、息を見守ること。
六、辺境騎士団の瓶は、いつでもお分けする。
最後に、日付と、名前を書いた。辺境騎士団糧食係、リゼル・メーレン。
同じものを、もう一通書いた。
◇
朝、王都隊の天幕の前で、副官のハースさんを呼んでもらった。
一通目を、手渡した。封はしなかった。誰でも読めるように。
ハースさんは、紙を広げて、その場で最後まで読んだ。それから丁寧に畳んで、制服の胸の内側にしまった。
「確かに」
それだけ言って、頭を下げた。
二通目は、閣下に渡した。こちらは、畳んで、私の固封をした。
「辺境騎士団の記録としてお持ちください。私が、いつ、何を、誰に伝えたか。誰にも書き換えられないように」
閣下は、琥珀色の封を一度見て、黙って受け取った。
天幕の中から、エーリク様が出てきた。ハースさんが、胸の紙のことを報告しかけた。
「台所の女の手紙か。読んでおけ、ハース。暇なときにな」
エーリク様は私のほうを見もせずに、白馬にまたがった。
◇
王都隊が森へ入っていくのを、私は城壁の上から見送った。
白い制服の列が、北の牧草地を横切っていく。荷車の列が、きしみながら続く。先頭には、閣下が付けた辺境の古参の兵が二人。森の縁の黒い木々の中に、白い列が少しずつ吸い込まれていった。
副団長が、隣で腕を組んでいた。
「どうせ戻ってくる」
副団長は、北を睨んだまま言った。
「三日目か、四日目か。どっちにしても、戻ってくる。戻ってこられればな」
それから、副団長は城壁を下りて、瓶蔵へ向かった。私が後を追うと、副団長は兵を何人か呼んで、棚の瓶を木箱に詰めさせていた。洗いたての包帯の束も、箱に入れさせている。
「副団長、それは」
「救援の荷だ。何もなけりゃ、また棚に戻せばいい」
副団長は、私のほうを見ずに言った。
「お前さんは、いつでも封ができるように、蝋を多めに用意しておいてくれ」
私は、うなずいた。それから、包帯を数え直すのを手伝った。
次の日の昼、ヨストさんが瓶蔵にやって来た。手に、使い込んだ革の鞄を提げている。
「救援の荷に、わしの道具も入れておいてくだされ。針と糸と、洗う酒と、小刀と」
小刀、という言葉に、私は少しだけ手を止めた。黒くなった手足を切るための、小刀だ。
「お嬢さん。森で、黒くなりかけた傷を見たら、すぐにわしを呼んでくだされ。封をする前に、わしが洗います。洗わずに封をしたら、汚れまで閉じこめてしまう」
「分かりました。洗ってから、封を」
「それと」
ヨストさんは、少し言いにくそうに、白い眉を寄せた。
「お嬢さんの言うておった瓶の毒。わしは、見たことがありません。息が止まりかけた者を見たら、何をすればええのか、もう一度、教えてくだされ」
私は祖母の帳面を開いて、ヨストさんと一緒に、最後の頁まで読んだ。横向きに寝かせること。吐いたものが喉に詰まらないように。息が弱くなったら、胸の動きを見て、名を呼び続けること。帳面に書いてあるのは、それだけだった。
ヨストさんは、黙って何度もうなずいていた。
◇
王都隊が森に入って、二日目の夜。
眠れなくて、私は城壁に上った。
北の森は、夜の中で、空よりも黒かった。どこに王都隊がいるのか、明かりひとつ見えない。今ごろ、一日半の深さの、引き返しの岩のあたりにいるはずだった。二日目の夜。いつもの糧食の袋の匂いが、変わりはじめるころだ。
足音がして、振り返ると、閣下が城壁の石段を上ってくるところだった。
「眠れないのか」
「閣下も、ですか」
閣下は答えずに、私の隣に立った。夜風が冷たかった。閣下は今夜も、深い苔色の外套を着ていた。
しばらく、二人で北を見ていた。
「十年前も、こうして見ていた」
閣下が、ぽつりと言った。
「父の隊が森へ入った夜だ。俺は十八で、砦の留守を命じられた。父は、俺を連れていかなかった」
私は黙って、閣下の横顔を見た。
「出発の朝、父は門の前で、俺に一つだけ言った。『三日をどうにかしろ』」
閣下は、城壁の石に手を置いた。
「自分が戻れなかったときのために、言ったんだと思う。父の隊は、岩の先で三日目の朝に、壺の中まで黒くなった。ひと月後、引き返しの岩の少し先で、兵の一人の手帳が見つかった。帰り道で灰牙に襲われて、怪我人を抱えたまま、岩まで戻れなかったと書いてあった」
怪我人を、抱えたまま。
第三哨所跡の手前の焚き火のそばで、閣下が言ったことを思い出した。父の隊にも、怪我人がいたはずだ。
「十年、三日をどうにかしようとした。蝋の壺も、塩の樽も、運び手も試した。毎年王都へ行って、頭を下げた。どうにもならなかった」
閣下は、私のほうを向いた。
「それを、君が、瓶一つでどうにかした」
何と答えればいいのか分からなかった。私は、祖母の帳面どおりに、瓶を詰めて、封をしただけだ。
「……私は、ずっと、自分の封は手紙に蝋を押すだけのものだと思っていました」
気がつくと、私は話していた。
「夜会の夜、婚約を破棄されたとき、悲しいかどうか分からなかったんです。悲しいと思う前に、封をしてしまったから。祖母が、終わったものには封をしなさいって。そうしたら、振り返らずに済むからって」
夜風が、髪を揺らした。
「だから、昨日エーリク様にお会いしても、平気でした。封をしたから。……でも、ヤーナには、封の外に気持ちを置いてきたって、怒られます」
閣下は、しばらく黙っていた。
「置いてきたものは、どこへ行く」
「分かりません。たぶん、封の外に、そのまま」
「なら」
閣下は、北の森に目を戻した。
「封の外のものは、俺が見ておく」
私は、閣下を見た。
閣下も、自分の言ったことに気づいたらしかった。黒い目が、一度だけ、ほんの少し泳いだ。
「……瓶のことだ」
言い直した。
私は、思わず笑ってしまった。声を出して笑ったのは、王都を出てから、初めてだったかもしれない。
閣下は、笑う私を、何も言わずに見ていた。それから、ふいと顔を背けて、また北を見た。夜の暗さで、表情は分からなかった。
北の空は、どこまでも暗かった。
森の奥で、王都隊が、二日目の夜を迎えていた。




