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『青の姫君の森暮らし 〜化け物と恐れられた公爵令嬢は、今日も畑を耕します〜』  作者: 伊佐波瑞樹


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84/101

第84話 青の姫君、母と四半刻だけ同じ部屋にいる


 翌朝、フローラが目を覚ました時、王宮の窓には細かな雨粒がついていた。


 強い雨ではない。


 空を覆う灰色の雲から、音を立てないほど細い雨が降り続いている。窓硝子を伝う雫は、途中で別の雫と重なり、少しだけ速さを増して下へ流れていった。


 王都の屋根は、雨の向こうで色を薄くしている。


 遠くの塔も、普段より輪郭が曖昧だった。


 森で見る雨とは違う。


 森では、雨が葉を叩く音が最初に聞こえる。高い枝から低い草へ、何度も雫が落ち、土の匂いがゆっくり濃くなっていく。


 王宮では、雨より先に石が目に入る。


 濡れた石畳。


 黒く色を変えた外壁。


 雨水を流すために作られた細い溝。


 違う場所。


 違う雨。


 けれど。


「今日は、母様へ会うかもしれません」


 フローラは寝台の上で、ゆっくりと言った。


 机の上には、二通の手紙がある。


 途中まで読んだ母様の手紙。


 そして。


『あなたが決めた約束を、すべて守ります。』


 その一文だけが書かれた返事。


 昨日、フローラは母様へ会う前の約束を六つ決めた。


 ミナとリオが同席する。


 最初は四半刻だけ。


 延長するかどうかは、フローラが決める。


 許可なく身体へ触れない。


 森へ戻るよう求めない。


 婚姻や今後の住まいを決める話をしない。


 謝罪への返事や許しを求めない。


 フローラが終わりたいと言ったら、話の途中でも終える。


 母様は、そのすべてを守ると答えた。


 会うための境界。


 母様を罰するためではない。


 今のフローラが自分の言葉を失わず、同じ部屋へ入るために必要なもの。


「今日は」


 胸へ手を置く。


 心臓は、まだ速くない。


 けれど、母様を思い浮かべると、少しずつ音が大きくなる。


「会いたいでしょうか」


 自分へ尋ねる。


 母様へ会いたい。


 そうはっきり言うのは、まだ怖い。


 会いたくない。


 それだけでもない。


 手紙の続きが気になる。


 声を聞きたい気持ちがある。


 母様がどのような顔で、自分の名前を呼ぶのか知りたい。


 でも。


 昔のような顔だったら。


 公爵夫人として整った、何も揺れない顔だったら。


 優しい言葉のあとに、屋敷へ戻りなさいと言われたら。


 泣かれたら。


 許してと頼まれたら。


 抱きしめられたら。


 いくつもの怖さが、会いたい気持ちの周りへ集まっている。


「分かりません」


 答えは、まだそれだった。


 けれど。


 昨日までの「分かりません」と、少し違う。


 会うことを全く考えられないわけではない。


 条件を整えた。


 母様は守ると答えた。


 四半刻。


 ミナとリオもいる。


 途中で終わっていい。


 そこまでなら。


「同じ部屋へ、入ってみてもよいかもしれません」


 口にした瞬間、胸が大きく鳴った。


 会いたい。


 とは、まだ言わない。


 会うと決めた。


 とも、まだ言わない。


 同じ部屋へ入ってみてもよいかもしれない。


 今日の自分には、そのくらいの言葉が合っていた。


     ◇


 フローラは寝台を降り、窓のカーテンを半分まで開けた。


 雨の庭では、庭師たちが頭へ雨除けの布をかぶり、排水路の状態を確認している。昨日、虫を見つけた豆の株には、簡単な雨避けが作られていた。


 濡れすぎないように。


 でも、完全に雨を遮らないように。


 必要な分だけ守る。


「境界です」


 フローラは小さく言った。


 母様との六つの約束も、少し似ている。


 完全に閉じるのではない。


 何もかも受け入れるのでもない。


 今の自分が傷みすぎないように、必要な範囲を守る。


 豆と人は同じではない。


 それでも、考える助けにはなる。


 雨避けの下で、葉は風に揺れている。


 守られていても、動ける。


「私も、動けます」


 約束がある。


 だから、会うことを考えられる。


     ◇


 扉が叩かれた。


「ミナです」


「入ってください」


 ミナは一人で部屋へ入ってきた。


 フローラの顔を見ると、すぐに体調を尋ねるのではなく、窓の外へ一度目を向けた。


「雨ですね」


「はい」


「森の畑が気になりますか」


「少し」


「はい」


「でも、任せました」


「はい」


 何度も繰り返してきた言葉。


 今は、自然に言える。


 ミナは机の上の手紙へ目を向けた。


 フローラも同じ場所を見る。


「今日は」


 声が少し震える。


「母様と、四半刻だけ同じ部屋に入ってみようと思います」


 ミナは驚いた顔をしなかった。


 喜びすぎることも。


 心配を隠すこともない。


「はい」


 ただ、静かに受け取った。


「会いたいと、まだはっきり思っているわけではありません」


「はい」


「でも、会わないと決めたいわけでもありません」


「はい」


「約束が守られるなら、四半刻だけ」


「そのように、お伝えしますか」


 フローラは頷こうとして、止まった。


 いつ。


 どこで。


 誰が先に部屋へ入るのか。


 母様を待つのか。


 母様が待つ部屋へ入るのか。


 細かなことまで考えていなかった。


「少し、決めたいです」


「はい」


「母様が先に部屋へいるのは、怖いです」


 扉を開けた瞬間。


 母様がこちらを見ている。


 逃げ道がなくなるように感じるかもしれない。


「では、フローラ様が先に入り、落ち着いてから公爵夫人をお迎えする形はいかがでしょう」


「それがよいです」


「場所は、昨日の東の小応接室より、もう少し小さな部屋もございます」


「広い部屋は、落ち着きません」


「では、西客室棟の談話室を使えるか確認いたします」


 自分の部屋ではない。


 母様の屋敷でもない。


 どちらの場所でもない。


 王宮の談話室。


「母様と私の、どちらの部屋でもない方がよいです」


「はい」


「扉の近くに、私が座ります」


「はい」


「母様は、向かいです」


「はい」


「机は、間にありますか」


「置けます」


 机。


 物理的な距離。


 それも、今は必要だった。


「四半刻の終わりは、どうやって分かりますか」


「小さな時計を置くことができます」


「音は鳴りますか」


「音の鳴らない砂時計もございます」


 砂時計。


 少しずつ落ちる砂。


 終わりが見える。


「砂時計がよいです」


「承知しました」


 会う前から、細かなことを決めすぎているだろうか。


 でも、決めるたびに胸の怖さが少し形を持つ。


 形が分かれば、備えられる。


「リオにも伝えます」


「はい」


「それから」


 フローラはミナを見る。


「母様が約束を破りそうになった時、私が言えなければ、ミナから止めてください」


「承知しました」


「リオにも、止めてもらいます」


 ミナがほんの少しだけ困ったように笑う。


「リオの場合は、強く止めすぎるかもしれません」


「私も、それは少し心配です」


 想像すると、母様が一歩近づいただけで、リオが間へ入る姿が浮かんだ。


「先に、怒鳴らないよう話します」


「お願いいたします」


 少しだけ笑う。


 母様へ会う話をしているのに。


 笑えた。


 それだけで、胸の緊張が少し緩んだ。


     ◇


 朝の着替えには、昨日選んだものとは違う、落ち着いた灰緑色のドレスを選んだ。


 母様へ会うから、母様が好きだった色を選ぶのではない。


 公爵夫人の娘らしく見える色でもない。


 今日のフローラが、目へ強く入りすぎず、落ち着けると感じた色。


 刺繍も少ない。


 袖口と襟元へ、細い蔦の模様が入っているだけだった。


「こちらにします」


 侍女はいつものように、すぐに頷いた。


「かしこまりました」


 髪は、自分で半分まで編んだ。


 後ろだけ、侍女へ整えてもらう。


「今日は全部自分でなさらないのですか」


 ミナが尋ねる。


「手が少し震えています」


 フローラは正直に答えた。


「全部自分でしなければならないわけではありません」


「はい」


「できるところまで、自分でしました」


 任せる。


 でも、全部を渡すのではない。


 自分でできる部分。


 助けてもらう部分。


 それも、分けていい。


 最後に花守り布を頭へかぶる。


 内側の袋へ触れる。


 六つの言葉。


 木の実。


 そして今日は、母様へ会うための六つの約束を書いた紙も、小さく折って一緒に入れた。


 少し厚くなる。


 それでも、きちんと入った。


「今日は、十二個あります」


 王都へ持ってきた六つの言葉。


 母様へ会うための六つの約束。


 全部、自分で選んだものだった。


     ◇


 朝食の部屋へ入ると、リオはいつもより早く食卓へ着いていた。


 パンには手をつけていない。


 フローラを見ると、すぐに立ち上がる。


「今日、会う?」


 もう聞いたのだろうか。


 ミナが伝えたのか。


「はい」


 フローラは席へ着く前に答えた。


「四半刻だけ、同じ部屋へ入ります」


 リオの顔が少し固くなる。


「母親と?」


「はい」


「俺も?」


「一緒にいてください」


「うん」


 迷いのない返事。


「それから」


 フローラは続ける。


「母様が約束を破りそうでも、最初から怒鳴らないでください」


「……どれくらい?」


「怒鳴ることに、どれくらいもありません」


「近づいたら?」


「私が許可していないなら、まず『止まって』と言ってください」


「触ろうとしたら?」


「同じです」


「戻れって言ったら?」


「話を終わりにします」


「俺が連れ出す?」


「歩けるなら、自分で出ます」


 リオは真剣な顔で、一つずつ覚えようとしている。


「泣いたら?」


 その質問に、フローラの胸が固くなる。


 母様が泣く。


 母様が苦しそうな顔をする。


 そうなれば。


 慰めなければ。


 許さなければ。


 会ってよかったと言わなければ。


 昔の自分なら、そう思っただろう。


「母様が泣いても」


 言葉を探す。


「私が慰めなければならないわけではありません」


 ミナが静かに頷く。


「はい」


「でも、泣かないでとは言いません」


「はい」


「母様が泣くことは、母様のものです」


「はい」


「私がどうするかは、私のものです」


 国王陛下に教えてもらった言葉。


 少しずつ、自分の言葉になっていく。


「じゃあ、泣いても何もしない?」


 リオが尋ねる。


「何もしないかもしれません」


「うん」


「手巾を渡したいと思ったら、渡すかもしれません」


「うん」


「その時の私が決めます」


「分かった」


 リオはようやく席へ座った。


 朝食が始まる。


 けれど、いつものようには食事が進まなかった。


 パンを千切る。


 少し食べる。


 スープを一口飲む。


 母様のことが頭へ浮かぶ。


 匙が止まる。


「食べられませんか」


 ミナが尋ねる。


「少し、喉を通りにくいです」


「無理に全部召し上がらなくても大丈夫です」


「でも、会う前に食べなければ」


「少量でもよいと思います」


 フローラは頷いた。


 パンを半分。


 スープを少し。


 果物を二切れ。


 それだけは食べる。


「これでよいです」


「はい」


 全部食べなくても、会える。


 空腹にならないために必要な分だけ。


     ◇


 朝食後、エドガーが客室を訪れた。


 フローラが今日、母様と会うことを考えていると伝わっている。


「フローラ様。公爵夫人へ、四半刻の面会についてお伝えいたしました」


 胸が強く鳴る。


「母様は?」


「すべて、フローラ様がお決めになった通りにすると仰っております」


「時間は?」


「正午前を希望されておりますが、フローラ様のご都合を優先すると」


 正午前。


 国王陛下へ会った時と同じくらいの時間。


 午前のうちに準備ができる。


 昼食前なら、終わったあとすぐに部屋へ戻れる。


「正午前にします」


「承知いたしました」


「談話室は?」


「西客室棟の小談話室をご用意いたします」


「私が先に入ります」


「はい」


「母様は、私が座ってから」


「そのように整えます」


「砂時計も」


「すでに準備しております」


 一つずつ確認する。


「母様は、一人ですか」


「公爵夫人付きの侍女が一名、廊下まで同行します。室内へは入りません」


「父様は?」


「お越しになりません」


 安心する。


 父様まで同じ場にいれば、受け取るものが多すぎる。


「国王陛下は?」


「同席されません」


「はい」


 母様。


 ミナ。


 リオ。


 エドガー。


 護衛。


 必要な人だけ。


「母様へ会うと決めたことは、父様へ伝わりますか」


「公爵夫人からお伝えになる可能性はございます」


 父様の気持ち。


 それまで背負いそうになり、フローラは止める。


「父様がどう思うかは、父様のものです」


 エドガーが少し目を見開いた。


 それから、静かに頷いた。


「はい」


     ◇


 正午前まで、まだ時間があった。


 何かをしていたい。


 けれど、手紙の続きを読む気持ちにはなれない。


 植物の記録を開いても、文字が目へ入らないかもしれない。


「菜園へは行きません」


 先に決めた。


 外は雨。


 歩けば、身体も疲れる。


「部屋で、何をしましょう」


 リオが窓を見る。


「豆数える?」


「ここからは数えられません」


「じゃあ、縫う?」


「何をですか」


 リオが花守り布を指す。


「袋」


「もうあります」


「増やす」


「これ以上、何を入れるのですか」


「分からない」


 フローラは少し笑った。


 縫い物。


 それなら、手を動かせる。


 母様へ会うための六つの約束を書いた紙は、今の小さな袋へ入っている。


 でも、少し厚くなりすぎている。


「もう一つ、小さな袋をつけてもよいかもしれません」


「本当に増やすのですね」


 ミナが微笑む。


「今の袋には、王都へ持ってきたものを入れます」


「はい」


「新しい袋には、王都で決めたものを入れます」


 六つの約束。


 母様の一文だけの返事。


 これから王都で増える言葉。


「分けたいです」


「よいと思います」


 小さな布を用意してもらう。


 今日は、フローラが最初から最後まで縫う。


 一針。


 二針。


 指先は少し震えている。


 縫い目が曲がる。


 それでも、手を止めない。


「緊張しています」


 フローラが言うと、リオが頷く。


「分かる」


「顔に出ていますか」


「縫い目」


「縫い目に?」


「いつもより曲がってる」


 見ると、確かに曲がっている。


 昨日までなら、ほどいてやり直したかもしれない。


 でも今日は、会う前の緊張も一緒に残してよいと思った。


「このままにします」


「使える?」


「使えます」


「ならいい」


 新しい袋が完成する。


 少し傾いている。


 でも、紙は入る。


 母様へ会うための六つの約束。


 母様からの一文。


 そこへ入れた。


「分けました」


 王都へ持ってきた言葉。


 王都で決めた約束。


 同じ布の内側。


 でも、別の袋。


     ◇


 時間が近づく。


 侍女が髪と服を確認する。


 ミナは、六つの約束を書いた写しを持っている。


 リオは、いつもより落ち着きなく室内を歩いていた。


「リオ」


「何」


「私より緊張していますか」


「してない」


「歩いています」


「座れないだけ」


「それを、緊張していると言うのではありませんか」


 リオは足を止めた。


「母親が、変なこと言ったら嫌」


「はい」


「フローラが、前みたいになったらもっと嫌」


 前みたい。


 自分の言葉を失う。


 何も言えず、ただ頷く。


 リオは、それを心配している。


「その時は、呼んでください」


「何を」


「私の名前です」


「フローラ」


「はい」


「それで戻る?」


「分かりません」


「じゃあ、森も言う」


「はい」


「畑も」


「はい」


「大鍋も」


「最後は、それなのですね」


「大事」


 フローラは笑った。


 その笑いで、胸の奥に少し余白ができる。


「行きます」


     ◇


 西客室棟の小談話室は、本当に小さな部屋だった。


 森の家よりは広い。


 それでも、王宮の他の部屋と比べれば落ち着ける大きさだった。


 窓が一つ。


 暖炉が一つ。


 小さな丸机。


 向かい合う椅子。


 扉に近い側へ、フローラの椅子が置かれている。


 すぐ隣にミナ。


 その少し後ろにリオ。


 母様の椅子は、机の向こう。


 手を伸ばしても届かない距離。


 机の中央には、細い砂時計が置かれていた。


 上の器には白い砂が入っている。


 まだ落ちていない。


「ここでよいですか」


 エドガーが尋ねる。


 フローラは室内を一つずつ見た。


 扉。


 窓。


 机。


 母様との距離。


 ミナ。


 リオ。


 砂時計。


「はい」


 椅子へ座る。


 すぐには母様を呼ばない。


「少し、待ってください」


「はい」


 エドガーは扉の近くで待った。


 フローラは花守り布の内側へ触れる。


 最初の袋。


 森で暮らしたい。


 住む場所は、自分も決める。


 今は婚姻を望まない。


 公爵家をどうするかは、まだ分からない。


 分からないことを、今すぐ決めたことにしない。


 森へ戻る。


 二つ目の袋。


 ミナとリオが同席する。


 四半刻。


 許可なく触れない。


 戻るよう求めない。


 婚姻や住まいを決めない。


 許しを求めない。


 終わりはフローラが決める。


 木の実。


 帰りも持ってきて。


「準備は、全部できています」


 それでも怖い。


 準備をしたから、怖くなくなるわけではない。


「呼んでください」


 フローラは言った。


     ◇


 エドガーが扉を開けた。


 廊下へ一度出る。


 短い言葉を交わす声。


 そして。


 足音が近づく。


 ゆっくり。


 一歩ずつ。


 胸が速くなる。


 指先が冷たくなる。


 まだ、扉の向こう。


 なのに。


 昔の記憶が一度に戻る。


 長い廊下。


 母様の部屋の前。


 呼ばれるまで入れない。


 姿勢を整える。


 笑顔。


 声の高さ。


 公爵令嬢として。


「フローラ」


 リオが小さく呼んだ。


「はい」


「森」


「はい」


「畑」


「はい」


「大鍋」


「はい」


 息が戻る。


 今は、昔の廊下ではない。


 この部屋は、フローラが選んだ。


 母様は、約束を受け入れた。


 扉が開く。


 エドガーが先に入る。


 その後ろ。


 一人の女性が立っていた。


 フローラの記憶の中より、少し痩せている。


 淡い金色の髪には、以前にはなかった白いものが混じっていた。華美な装飾はなく、落ち着いた灰紫色のドレスを着ている。


 姿勢は、昔と同じように真っ直ぐだった。


 けれど。


 顔が違った。


 完璧に整った公爵夫人の顔ではない。


 目元が赤い。


 唇がわずかに震えている。


 フローラを見た瞬間、母様の足が止まった。


 何かを言おうとして。


 言えない。


 フローラも、声が出なかった。


 母様。


 手紙を書いた人。


 自分を見なかった人。


 自分を産んだ人。


 会いたいと願いながら、近づかずに待つと書いた人。


 全部が、目の前にいる。


 母様が一歩、前へ出そうとした。


 けれど。


 すぐに止まった。


 約束を思い出したように。


 机の向こう。


 決められた椅子。


 母様はそこまで歩き、フローラへ触れられない距離で立ち止まった。


「……フローラ」


 名前。


 母様の声で。


 胸が強く痛んだ。


 昔も、名前を呼ばれたことはあった。


 けれど、その多くは姿勢を直すため。


 挨拶を促すため。


 何かを教えるため。


 今の声は、それとは違う。


 弱く。


 震えている。


 母様は椅子へ座らず、フローラを見た。


「座ってください」


 フローラが言う。


 自分でも驚くほど、声は小さかった。


 母様はすぐに頷いた。


「はい」


 母様が敬語を使った。


 娘へ。


 そのことが、胸へ複雑に刺さる。


 距離を守ろうとしている。


 でも、母娘ではなく、他人のようでもある。


 母様が椅子へ座る。


 エドガーが砂時計へ手を伸ばした。


「始めてもよろしいでしょうか」


 フローラは母様を見た。


 母様も、フローラを見ている。


 でも、何も言わない。


 待っている。


「はい」


 砂時計が返される。


 白い砂が、細い道を通って落ち始めた。


     ◇


 誰も、すぐには話さなかった。


 雨が窓へ触れる音。


 暖炉の小さな音。


 砂が落ちる音は、ほとんど聞こえない。


 母様は両手を膝の上へ重ねている。


 指先が、強く握られていた。


 フローラは、母様の顔を見る。


 目が合う。


 母様の瞳に、涙が浮かぶ。


 でも、母様は泣かないようにしているのか、ゆっくり瞬きをした。


「……会いに来てくださって」


 母様が話し始める。


 すぐに言い直した。


「いいえ。会うことを選んでくださって、ありがとうございます」


 戻ってきてくれて、ではない。


 会いに来てくれて、と言いかけた。


 でも、フローラが母様のために来たわけではないと気づいたのだろう。


「今日は、四半刻です」


 フローラは言った。


「はい」


「延ばすかは、まだ分かりません」


「はい」


「母様へ会いたいと、はっきり思えたわけでもありません」


 母様の顔が、わずかに歪んだ。


 痛んだのだと思う。


 それでも。


「はい」


 母様は、それだけ答えた。


「でも」


 フローラは続ける。


「会わないと決めたいわけでもありませんでした」


 母様の目から、涙が一筋落ちた。


 手巾を出す。


 自分で拭う。


 フローラへ慰めを求めない。


「それで、今日は来ました」


「ありがとうございます」


 母様は、また言った。


 その感謝へ、フローラは何と返せばよいか分からない。


 返さなくていい。


 そう思い、黙った。


 沈黙。


 母様も、急いで埋めない。


 以前の母様なら、正しい話題を選び、場を整えただろう。


 今は、フローラが話すのを待っている。


「母様」


「はい」


「手紙は、まだ最後まで読んでいません」


「はい」


「昨日までに、五文だけ読みました」


「はい」


「今日も、続きは読んでいません」


「分かりました」


「悲しいですか」


 なぜ尋ねたのか、自分でも分からなかった。


 母様は、少しだけ俯く。


 すぐには答えない。


「悲しくないと言えば、嘘になります」


 正直な返事。


「でも」


 母様は顔を上げた。


「その悲しさを、あなたに急いで読ませる理由にはしません」


 胸が痛む。


 母様は悲しい。


 でも、フローラへ背負わせない。


「母様は」


 声が震える。


「変わったのですか」


 母様の目が揺れた。


「変わったつもりでいるだけかもしれません」


 予想していなかった答えだった。


「分からないのですか」


「はい」


「母様自身のことなのに?」


「はい」


 母様は両手を膝の上で重ねたまま、ゆっくり言う。


「私は、今まで自分が正しいと思っていたことを、すべて間違いだったと知りました」


 フローラの胸が固くなる。


「すべて?」


「少なくとも、あなたへ向けていたものは」


 母様は目を逸らさない。


「公爵令嬢として守ることが、あなたを守ることだと思っていました」


「はい」


「感情を見せず、誰にも弱みを見せず、正しい言葉と姿勢を身につけさせれば、誰にも傷つけられないと」


「傷つきました」


 フローラはすぐに言った。


 母様の顔が歪む。


「はい」


「母様の言葉で」


「はい」


「母様が、何も言わなかったことで」


「はい」


「私を見ないことで」


「はい」


 母様は否定しない。


 でも、ただ頷くだけなのが、少し腹立たしい。


「はい、と言うだけですか」


 フローラの声が強くなる。


 ミナもリオも動かない。


 母様も、逃げない。


「何を言っても、言い訳になると思っています」


「言い訳でも、聞きたいかもしれません」


 母様の目が見開かれる。


 フローラ自身も、自分の言葉へ驚いた。


 言い訳を聞きたい。


 許すためではない。


 なぜ、そうしたのか知りたい。


「でも、今日は」


 胸が速くなる。


 砂時計を見る。


 半分ほど落ちている。


「全部は聞けません」


「はい」


「一つだけ」


「はい」


「なぜ、私を見なかったのですか」


 母様の息が止まった。


 長い沈黙。


 雨音が、少し大きく聞こえる。


 母様は視線を落とした。


 両手の指が、さらに強く重なる。


「怖かったからです」


 フローラは理解できなかった。


「何がですか」


「あなたを、娘として見ることが」


「どうして?」


 母様は、言葉を探すように唇を動かした。


「私は、公爵夫人としてなら、何をすべきか知っていました」


「はい」


「公爵家の娘を育てる方法も、教えられていました」


「はい」


「でも、母親として娘を愛する方法を、知りませんでした」


 胸へ、何か冷たいものが落ちる。


「知らなかったから、しなかったのですか」


「はい」


「それで、私が傷ついても?」


「その時の私は、あなたが傷ついていることすら、見ようとしませんでした」


 怒りが湧く。


「知らなかったでは、足りません」


「はい」


「母様が知らなかったことで、私は一人でした」


「はい」


「私が悪いと思いました」


「はい」


「化け物だから、愛されないのだと思いました」


 母様の顔が大きく歪む。


 涙が落ちる。


 それでも、フローラへ近づかない。


「違います」


 母様の声が、初めて少し強くなった。


 フローラの身体が固くなる。


 母様はすぐに気づいた。


「……ごめんなさい」


 声を落とす。


「強く言いました」


 約束。


 触れないだけではない。


 フローラを押し込める言葉にしない。


 母様は自分で止まった。


「違う、と言いたかったのです」


 母様はゆっくり言い直す。


「あなたが愛されなかったのは、あなたが化け物だったからではありません」


 フローラの胸が痛む。


「私は、化け物ではありません」


「はい」


「今は、知っています」


「はい」


「森で、名前で呼ばれています」


「はい」


「畑を耕しています」


「はい」


「子どもたちと、植物を見ています」


「はい」


「母様に違うと言われなくても、知っています」


 母様は、涙を拭いながら頷いた。


「はい」


「でも」


 声が震える。


「昔の私には、誰かに言ってほしかったです」


 母様の目から、また涙が落ちた。


「私が言うべきでした」


「はい」


「あなたは化け物ではないと」


「はい」


「あなたは私の娘だと」


「はい」


「大切だと」


 胸が大きく痛む。


 遅い。


 また、その言葉。


「遅いです」


「はい」


「今言われても、昔の私には届きません」


「はい」


「今の私へは」


 フローラは言葉を止めた。


 届くだろうか。


 少しは。


 母様の言葉。


 今の自分へ。


 全部ではない。


 でも。


「少しだけ、届きます」


 母様が息を呑む。


 顔に、喜びが浮かびそうになる。


 けれど、すぐに抑えた。


 フローラへ返事を求めない。


「ありがとうございます」


 それだけ言った。


     ◇


 砂時計の砂が、残り少なくなっていた。


 母様も気づいている。


 何かを言いたそうにする。


 でも、急いで言葉を詰め込まない。


 フローラは、そのことを見ていた。


 四半刻。


 終わりが近い。


 延長するか。


 しないか。


 母様と、まだ話せるだろうか。


 胸は苦しい。


 指先は冷たい。


 涙も出ている。


 でも、言葉の意味は分かる。


 まだ聞きたいことはある。


 なぜ手紙を書いたのか。


 森へ行ったあと、何を思っていたのか。


 今、フローラへ何を望んでいるのか。


 けれど。


 今日、全部聞く必要はない。


「母様」


「はい」


「砂が終わります」


「はい」


 母様は砂時計を見る。


 残りの砂が、細く落ちる。


「延ばしません」


 フローラは言った。


 母様の顔に、ほんの少しだけ寂しさが浮かぶ。


 それでも。


「分かりました」


 すぐに受け入れた。


「まだ、話したいことはあります」


 母様の目が揺れる。


「はい」


「でも、今日はここまでです」


「はい」


 最後の砂が落ちた。


 四半刻。


 終わった。


「今日は、終わりです」


 フローラが言う。


 母様は椅子から立った。


 机の向こう。


 約束された距離を保ったまま。


「会うことを選んでくださって、ありがとうございました」


「はい」


 返せた。


「母様」


 呼び止める。


 母様が立ち止まる。


「手紙の続きは、まだ読みます」


 母様の唇が震える。


「はい」


「いつかは、分かりません」


「はい」


「でも、捨てません」


 母様の目から、大きな涙が落ちた。


 それでも近づかない。


「ありがとうございます」


 母様は深く頭を下げた。


 公爵夫人としての礼ではないように見えた。


 娘に対して。


 一人の人として。


 それから、扉へ向かう。


 フローラは背中を見ていた。


 父様と別れた時とは違う。


 追いたいとは思わない。


 でも、もう二度と会いたくないとも思わない。


 扉の前で、母様が一度だけ止まった。


 振り返らない。


「また会いたいと願っても、よいでしょうか」


 約束を破らないために。


 願いをフローラへ押しつけないために。


 尋ねている。


 フローラはすぐに答えられなかった。


 会いたいと願うことは、母様のもの。


 許可は必要ない。


「それは、母様の気持ちです」


 フローラは言った。


「はい」


「私へ会ってほしいと急がなければ」


「はい」


「願うことまで、止めません」


 母様は、振り返らないまま頭を下げた。


「ありがとうございます」


 扉が開く。


 母様が出ていく。


 閉じる。


 足音が遠ざかる。


     ◇


 母様がいなくなった瞬間、フローラの身体から力が抜けた。


 椅子の背へもたれる。


 呼吸が速い。


 手が冷たい。


 涙も止まらない。


「終わりました」


「はい」


 ミナが隣へ来る。


「触れてもよいですか」


 尋ねる。


 フローラは頷いた。


 ミナが肩へ手を置く。


 温かい。


 リオは机の向こうを睨むように見ていた。


「約束、守った」


「はい」


「全部?」


「はい」


「触らなかった」


「はい」


「戻れって言わなかった」


「はい」


「許しても言わなかった」


「はい」


 全部、守った。


「母様は、泣きました」


「うん」


「でも、慰めませんでした」


「うん」


「悪いことですか」


「悪くない」


 リオはすぐに答えた。


「母親が泣くのは、母親のもの」


 フローラは、涙の中で少し笑った。


「覚えていましたね」


「うん」


「私がどうするかは、私のものです」


「うん」


「今日は、何もしませんでした」


「それでいい」


 ミナも静かに頷く。


「はい」


     ◇


 客室へ戻る途中、廊下の窓から雨の庭が見えた。


 豆の雨避け。


 葉。


 庭師。


 王都は、母様へ会っている間も動いていた。


 森も動いている。


 世界は、あの四半刻だけではない。


「歩けますか」


 ミナが尋ねる。


「ゆっくりなら」


「休みますか」


「部屋まで行きたいです」


「はい」


 一歩ずつ歩く。


 母様へ会った。


 四半刻。


 約束を守った。


 フローラも、自分の言葉を失わなかった。


 怒った。


 遅いと言った。


 少しだけ届くと言った。


 終わりを決めた。


「言えました」


 歩きながら呟く。


「はい」


「全部ではありません」


「はい」


「でも、今日の分は」


「はい」


 今日の分。


 それでいい。


     ◇


 部屋へ戻ると、フローラはすぐに緑のドレスを脱いだ。


 柔らかな室内着へ着替え、村の毛布を長椅子へ持ってきてもらう。


 横になる。


 花守り布は、胸の上へ置いた。


 二つの袋。


 王都へ持ってきた言葉。


 母様へ会うための約束。


「母様は、約束を守りました」


 それは事実。


 だからといって、すべてを信じるわけではない。


 一度守った。


 それだけ。


 でも、その一度はなくならない。


「一度だけです」


 ミナが答える。


「はい」


「次も守るかは、まだ分かりません」


「はい」


「でも、今日は守りました」


「はい」


 分ける。


 一度と、これから全部。


 今日の母様と、昔の母様。


 手紙の母様と、目の前の母様。


 同じ人。


 でも、同じ姿だけではない。


     ◇


 昼食は、部屋へ運んでもらった。


 フローラはほとんど食欲がなかった。


 温かなスープを少し。


 パンを一切れ。


 それだけ。


「食べられません」


「はい」


 ミナは無理に勧めない。


 リオは自分の肉料理を食べながら、時折フローラを見る。


「あとで腹減る」


「はい」


「その時食べる?」


「はい」


 今食べられなくても、あとで食べられる。


 昼食の時間に全部食べる必要はない。


     ◇


 午後。


 フローラは長く眠った。


 目を覚ました時、窓の雨は少し弱くなっていた。


 頭が重い。


 泣いたあとのような感覚。


 実際に泣いた。


「母様へ会いました」


 目を覚ましたあと、最初に確認する。


 夢ではない。


 母様は、思っていたより痩せていた。


 泣いた。


 約束を守った。


 知らなかったから見なかったと言った。


 愛する方法を知らなかった。


 それで、フローラは一人だった。


「知らなかったでは、足りません」


 眠る前にも思った。


 目を覚ましても、同じ。


 母様に事情があった。


 母様も、母親になる方法を知らなかった。


 それを理解できるかもしれない。


 でも。


 理解することと、傷がなくなることは同じではない。


「足りません」


 もう一度言う。


 それでいい。


     ◇


 夕方になり、エドガーが母様からの伝言があると訪れた。


 胸が少し固くなる。


「手紙ですか」


「いいえ。口頭で一言だけでございます」


「何ですか」


「本日は、ありがとうございました、と」


 それだけ。


 また会いたい。


 続きが聞きたい。


 手紙を読んでほしい。


 何もない。


「返事は、必要ですか」


「求められておりません」


「では、今日は返しません」


「承知いたしました」


 母様の感謝を受け取る。


 でも、返さない。


 それも選べる。


     ◇


 夕食には、王宮の菜園で育った濃い色の豆が、少量の塩で煮て添えられていた。


 リオがすぐに気づく。


「昨日の」


「はい」


「種、もらえる?」


 侍女が微笑む。


「庭師へ確認しております」


「森で育てます」


 フローラが言う。


 母様へ会った日。


 それでも、森へ戻ったあとの話をする。


 胸が少し安心する。


 王都へ残る未来だけではない。


「母親にも見せる?」


 リオの問いへ、フローラは少し考えた。


「分かりません」


「うん」


「でも、母様が見たいと言ったら」


 森へ来る。


 そこまで想像し、胸が固くなる。


 今は考えられない。


「まだ、そこまでは考えません」


「うん」


 未来を急がない。


     ◇


 夜。


 フローラは記録紙を広げた。


 今日は、母様へ会った。


 四半刻だけ。


 私が先に部屋へ入った。


 扉の近くに座った。


 ミナとリオも一緒だった。


 机を間へ置いた。


 砂時計を使った。


 母様は、すべての約束を守った。


 触れなかった。


 森へ戻ることを止めなかった。


 婚姻や住む場所の話をしなかった。


 許してほしいと言わなかった。


 私が終わりだと言った時、終わった。


 母様は、私を見なかった理由を話した。


 公爵夫人として娘を育てる方法は知っていた。


 でも、母親として愛する方法を知らなかった。


 だから、娘として見ることが怖かった。


 フローラは筆を止めた。


 もう一度書く。


 知らなかったでは、足りない。


 母様が知らなかったことで、私は一人だった。


 母様に事情があっても、私の傷が消えるわけではない。


 でも。


 母様は、今日、私を見た。


 私の言葉を聞いた。


 遅いと言っても、逃げなかった。


 私は、母様の言葉が今の私へ少しだけ届くと言った。


 全部ではない。


 少しだけ。


 それでよい。


 最後に。


 母様と同じ部屋にいた。


 でも、昔の私には戻らなかった。


 花守り布をかぶっていた。


 森へ持ってきた六つの言葉があった。


 母様へ会うための六つの約束があった。


 ミナとリオがいた。


 そして。


 私自身がいた。


     ◇


 寝台へ入る前、フローラは母様の手紙へ近づいた。


 続きを読む気持ちにはなれない。


 今日は、手紙よりも多くの母様の言葉を直接聞いた。


「今日は、読みません」


 手紙へ向かって言う。


「母様へ会ったから、読む必要はありません」


 会ったことと、手紙を読むことは別。


「また、読みたい時に読みます」


 机の上へ置いたままにする。


「おやすみなさい、母様」


 今日は、同じ部屋で名前を呼ばれた。


「四半刻だけでした」


 短い。


 でも、十分だった。


「また会うかは、まだ決めません」


 母様は願ってよい。


 でも、会うかはフローラが決める。


「おやすみなさい、父様」


 父様とは、まだ二度目に会っていない。


「おやすみなさい、国王陛下」


 今日の面会へは立ち会わなかった。


 でも、安心して会える部屋を用意してくれた。


「おやすみなさい、王宮の豆」


 リオが種を欲しがっている。


 森へ持ち帰るかもしれない。


 最後に、村の毛布を胸まで引き上げる。


「おやすみなさい、森」


 フローラは目を閉じた。


 母様へ会った。


 でも、許したわけではない。


 母様の事情を聞いた。


 でも、納得したわけでもない。


 少しだけ言葉が届いた。


 でも、傷がなくなったわけではない。


 全部、同時にある。


「今日は、ここまでです」


 四半刻を終えた時と同じ言葉。


 一日の終わりも、自分で決める。


 フローラは母様との再会を、和解という名前へ急いで変えなかった。


 ただ、約束に守られた四半刻の中で、自分の言葉を失わずに同じ部屋へいられた。


 その事実だけを静かに胸へ置きながら、フローラは王都で迎える五度目の夜へ、ゆっくりと目を閉じた。

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