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『青の姫君の森暮らし 〜化け物と恐れられた公爵令嬢は、今日も畑を耕します〜』  作者: 伊佐波瑞樹


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第7話 青の姫君、村の約束を知る



 翌朝、森は少し霧が出ていた。


 白く薄い霧が木々の間に漂い、畑の葉先には細かな水滴がついている。


 空はまだ淡い灰色で、朝日も弱い。


 鳥の声もいつもより控えめだった。


 私は井戸の水で顔を洗い、しばらく冷たい雫が頬を伝うのを感じていた。


 昨日、リオとミナに自分のことを話した。


 スプリング公爵家の娘であること。


 家から離されたこと。


 捨てられたこと。


 怖がられたこと。


 言葉にしてしまえば短い。


 けれど、その一つ一つは、私の胸の中でずっと重く沈んでいたものだった。


 話したら、何かが壊れると思っていた。


 リオとミナが、私を見る目を変えるかもしれないと思っていた。


 けれど、変わらなかった。


 リオは怒ってくれた。


 ミナは手を握ってくれた。


 公爵令嬢でも、薬師見習いでも、畑の先生でも、フローラはフローラだと言ってくれた。


 その言葉を思い出すたび、胸が少し温かくなる。


 同時に、少し怖くもなる。


 大切なものが増えると、失う怖さも増える。


 昨日まで知らなかった怖さだ。


 私は濡れた手を布で拭き、畑へ向かった。


 霧に濡れた土は柔らかい。


 足元が少し沈む。


 豆の葉を確認し、トマトの実を軽く持ち上げる。


 水滴が指先に落ちる。


 畑は静かだった。


 けれど、私の心は静かではなかった。


 行商人マルク。


 村の外の人。


 青の姫君の噂。


 スプリング公爵家。


 王都。


 それらが、霧のように頭の中に漂っている。


 結界で魔物は防げる。


 毒も薬で中和できる。


 病気も原因が分かれば対処できる。


 でも、噂は難しい。


 どこで生まれ、どこへ流れ、誰の耳に入り、どんな形に変わるのか分からない。


 魔法で口を封じることはできる。


 記憶を消す魔法も、禁術に近いが存在は知っている。


 けれど、それはしてはいけない。


 人を守るために人の心を縛るのは、何かが違う。


 なら、どうすればいいのか。


 分からない。


 分からないことが、こんなに不安なのだと初めて知った。


「……相談する」


 私は小さく呟いた。


 ミナに言われた。


 一人で抱え込まないでください、と。


 村長も、ガルドさんも、相談しながら歩く方法を考えると言ってくれた。


 なら、私は一人で答えを出そうとしなくていい。


 そう思うだけで、少し呼吸が楽になった。


 昼前、結界に複数の人の反応が触れた。


 五人。


 ガルドさん。


 リオ。


 ミナ。


 そして、村長。


 もう一人はバルドさんだ。


 村長が森の家へ来るのは初めてだった。


 私は少し驚き、すぐに手を洗った。


 村長が来るということは、ただの訪問ではない。


 何か話があるのだろう。


 玄関の前に出ると、霧の残る森の道から一行が現れた。


 リオはいつもより静かだった。


 ミナも少し緊張している。


 ガルドさんは周囲を警戒し、バルドさんはいつものように腕を組んで歩いていた。


 村長は杖をついているが、足取りはしっかりしている。


「おはようございます」


 私は礼をした。


 村長は穏やかに頷いた。


「急に来てすまない、フローラ」


「いいえ。どうぞ中へ」


「いや、今日はできれば外で話したい。畑も見たいからな」


「畑を?」


「昨日からバルドがうるさくてな。森の畑を見なければ話にならん、と」


 バルドさんがふんと鼻を鳴らした。


「当然だ。畑を見るなら、作った畑を見なきゃ分からねえ」


 村長が苦笑する。


 少しだけ空気が和らいだ。


 私は庭の木陰に椅子を出すことにした。


 丸太椅子と木の椅子。


 全員分は足りる。


 リオが手伝ってくれた。


「これ、こっちでいいか?」


「はい。ありがとうございます」


「今日は大人の話っぽいな」


「そうですね」


「俺、静かにしてた方がいい?」


 珍しいことを聞く。


 私は少し考えた。


「リオは、いつも通りでいいと思います」


「そうか?」


「はい。静かすぎると、少し不安になります」


 リオは目を丸くした後、にっと笑った。


「じゃあ普通にする」


「はい」


 ミナが横で小さく笑う。


「普通が少し騒がしいけどね」


「ミナまで」


 そのやり取りで、私の緊張も少し解けた。


 全員が座ると、村長はまず深く頭を下げた。


「昨日は、こちらの不注意で不安にさせた。すまなかった」


 私は慌てて首を振った。


「村長さんが謝ることではありません」


「村として君を迎えた以上、村の問題でもある。行商人の件は今後も起こりうる。今日はその話をしに来た」


「はい」


 私は背筋を伸ばした。


 村長はゆっくり話し始めた。


「まず、マルクは今のところ君のことを外に話すつもりはないと言った。だが、完全に信用するわけにはいかない」


「はい」


「そして、王都周辺では青の姫君が表に出なくなったという噂があるそうだ」


 胸が少し冷えた。


 青の姫君。


 久しぶりに聞くと、昔の名前のようだった。


 自分のことなのに、どこか遠い。


 リオが隣で拳を握る気配がした。


 ミナは私の方を見ている。


 私は膝の上で手を重ねた。


「失踪、という扱いですか」


「そこまでは分からん。少なくとも、社交の場に出ていないことは噂になっているらしい」


「そうですか」


 父様は、私をどう説明しているのだろう。


 病気。


 静養。


 修行。


 あるいは、何も説明していないのか。


 母様は知っているのだろうか。


 私がこの森で生きていることを。


 元気に畑を耕して、村の人たちとジャムを作っていることを。


 知ったら、どう思うのだろう。


 胸が痛む。


 けれど、今はそこに沈んでいる場合ではない。


 村長は続けた。


「そこで村として決めたい。君をどう扱うか、だ」


 私は顔を上げた。


「扱う」


「言葉が悪ければ、どう守るか、と言い換えてもいい」


 村長は私を真っ直ぐ見た。


「君はこの村を助けてくれた。薬で命を救い、畑を見てくれた。子供たちも君を慕っている。だから、村は君を余所者として放り出すつもりはない」


 胸の奥が熱くなる。


 余所者ではない。


 その言葉は、思ったより深く響いた。


「ただし、君を村の所有物のように扱うつもりもない。薬が欲しい時だけ呼ぶ、畑が困った時だけ頼る、そういう関係にはしない」


 バルドさんが頷いた。


「そんな真似したら俺が怒鳴る」


 リオもすぐ言った。


「俺も怒る」


「リオ兄さんは先に考えてから怒って」


「考えてから怒る」


「本当かな……」


 ミナの呟きに、少し笑いが起きる。


 村長も口元を緩めたが、すぐに真面目な表情に戻った。


「村の中では、君は『森の薬師見習いフローラ』だ。家名はない。村外の者に尋ねられても、それ以上は話さない」


「はい」


「それから、君が村へ来る日は当面、リオ、ミナ、ガルドの誰かと一緒に来ること。森の家に村人が行く場合も、勝手に押しかけない。村長かバルド、ガルドを通す」


 私は目を瞬いた。


「そこまで決めるのですか」


「決める。そうしないと、皆が善意で押しかける」


 バルドさんが苦い顔で頷く。


「村の連中は悪気なく距離を詰めるからな。薬を教えてくれ、畑を見てくれ、子供に魔法を見せてくれ、ってな。放っておくと嬢ちゃんの暮らしが潰れる」


 暮らしが潰れる。


 私は少し黙った。


 確かに、最近予定が増えていた。


 それは嬉しいことでもある。


 でも、増えすぎると、畑の手入れも、自分の休む時間もなくなる。


 私は頼まれると断るのがまだ苦手だ。


 嫌だと言う練習も始めたばかり。


 村の人たちが悪意なく頼んできたら、私は頑張ってしまうかもしれない。


「……ありがとうございます」


 私は頭を下げた。


「自分では、断る加減がまだ分からないので、助かります」


 村長は少しだけ目を細めた。


「それを分かっているなら十分だ。少しずつ覚えればいい」


 リオが胸を張る。


「嫌だって言う練習なら俺が見てやるぞ」


「何故リオ兄さんが先生みたいになっているの」


「最初に教えたの俺だし」


「それはそうだけど」


 私は小さく笑った。


 村長はさらに続けた。


「もう一つ。君が望むなら、村に小さな部屋を用意する」


「部屋、ですか」


「いつでも泊まれる場所だ。村へ来て疲れた時、天候が悪くなった時、森へ帰るのが危ない時に使えばいい。無理に泊まれとは言わない。ただ、選択肢として持っておきなさい」


 選択肢。


 その言葉に、胸が少し揺れた。


 屋敷を出された時、選択肢はなかった。


 森で生きるしかなかった。


 今、村長は私に選択肢を増やそうとしてくれている。


 森の家。


 村の部屋。


 行く。


 帰る。


 休む。


 断る。


 相談する。


 私が選んでいいものが、少しずつ増えていく。


「……考えてもいいですか」


「もちろんだ」


 村長はすぐに頷いた。


「急がない。君が必要だと思った時に使えばいい」


 ミナがそっと言った。


「村に泊まることになったら、私の家にも来てください。母も歓迎すると思います」


 リオも言う。


「俺の家にも来いよ。まあ同じ家だけど」


「同じ家ですね」


「そうだった」


 そのやり取りにまた笑いが起きた。


 私は胸の緊張が少しずつほどけていくのを感じた。


 守るための話。


 危険の話。


 噂の話。


 怖い話のはずなのに、ここには笑い声がある。


 それが不思議で、ありがたかった。


 その後、村長たちは畑を見て回った。


 バルドさんは土を見るなり、しばらく黙った。


 彼はしゃがみ込み、指で土をつまみ、匂いを嗅ぎ、葉の裏を見る。


 真剣な顔だった。


「……いい土だ」


 やがてそう言った。


 私は少しほっとした。


「まだ改良中です」


「半年でこれか」


「森の腐葉土が良かったので」


「それだけじゃねえ。水の回し方も、支柱の間隔も、葉の落とし方も考えてる。嬢ちゃん、やっぱり畑が好きだな」


「はい」


 今度は迷わず答えられた。


「好きです」


 バルドさんは満足そうに笑った。


「ならいい」


 村長も畑を見て、感心したように息を吐いた。


「森の中に、ここまでの暮らしを作るとはな」


「必要でしたので」


「必要だけでは、花壇までは作らん」


 そう言われ、私は花壇を見た。


 小さな青い花と白い花が咲いている。


 最初は虫を寄せるため、薬草との相性を見るために植えた。


 でも今は、それだけではない。


 見ると少し心が落ち着くから。


 誰かが来た時、綺麗だと言ってくれたから。


 ミナが花を見て笑ったから。


「……そうですね」


 私は頷いた。


「花壇は、必要だけではありません」


 村長は静かに笑った。


「それでいい」


 昼近くになり、私は皆に薬草茶を出した。


 庭の木陰に座り、村から持ってきてもらったパンと、私の畑で採れたトマトを切って並べる。


 バルドさんはトマトを一口食べて目を見開いた。


「甘いな」


「今年はよく育ちました」


「種を村でも試したい」


「はい。前回お渡ししたものより、こちらの方が安定しています」


「今度、詳しく聞く」


「分かりました」


 リオはトマトに塩を振って食べていた。


「うまい! これ、村で売れるぞ!」


 村長がリオを見る。


「すぐ商売にするな」


「でも売れそうだろ?」


「売れるかどうかと、売っていいかは別だ」


 村長の言葉に、私は少し反応した。


「売ってはいけませんか」


「いけないわけではない。だが、君の作ったものが外へ出れば、それも噂になる」


「……そうですね」


 トマト一つでも、噂の種になる。


 甘すぎる実。


 季節外れに育つ野菜。


 見慣れない品種。


 それを誰が作ったのか。


 たどれば私に行き着く。


 私は少し考え込んだ。


 自分の畑のものを村に分けることも、簡単ではないのだ。


 リオが気まずそうに言う。


「ごめん、俺、また考えなしに」


「いいえ。売れると言ってもらえたのは嬉しいです」


「本当か?」


「はい。味を褒められたということなので」


 リオはほっとしたように笑った。


 村長が頷く。


「村の中で食べる分には問題ない。だが、外へ出す時は一度相談しよう」


「分かりました」


 バルドさんがトマトをもう一切れ食べながら言う。


「村の作物として改良するなら、少しずつだな。嬢ちゃんの畑そのままじゃなく、村の土に合わせる」


「はい。その方が自然です」


「よし。今度やるぞ」


 バルドさんの目が輝いている。


 畑の話になると、彼はとても生き生きする。


 私はその様子を見るのが少し好きだった。


 昼食のような軽いお茶の後、村長が改めて言った。


「フローラ。君に頼みたいことがある」


「はい」


「村の子供たちに、薬草と畑の基本を少し教えてやってくれないか」


 私は驚いた。


「私が、子供たちに?」


「もちろん、君が嫌なら断っていい」


 リオがすぐこちらを見る。


 嫌だと言っていい、という顔をしている。


 ミナも静かに見守っていた。


 村長は続ける。


「理由は二つある。一つは、村として知識を持つ者を増やしたいからだ。薬草も畑も、君一人に頼る形は良くない」


「はい」


「もう一つは、君が村にいる理由を自然にするためだ。森の薬師見習いが、村の子供に薬草を教える。そういう関係なら、外から見ても不自然ではない」


 なるほど。


 合理的だ。


 私は考えた。


 子供たちに教える。


 できるだろうか。


 家庭教師から教わったことはある。


 でも、自分が教える側になった経験は少ない。


 畑の説明は村人にした。


 けれど子供相手となると違う。


 難しすぎてはいけない。


 怖がらせてもいけない。


 毒草の扱いは慎重に。


 魔法を見せすぎるのも避ける。


 でも、薬草を知ることは村の役に立つ。


 畑の基本を子供たちが覚えれば、将来きっと助かる。


 そして、私が村に行く理由になる。


 誰かに頼られるだけでなく、村と知識を分け合う形になる。


「……やってみたいです」


 私は言った。


 ミナの顔が明るくなる。


 リオも笑った。


「フローラ先生だ!」


「先生」


 私は少し固まった。


 畑の先生と呼ばれたことはある。


 でも、本当に先生のようなことをするとなると緊張する。


「薬草と畑の基本だけです」


「でも先生だろ」


「見習い先生です」


「森の薬師見習いで、見習い先生か」


 リオが笑う。


 村長も少し笑った。


「最初はそれでいい。子供たちも喜ぶ」


 バルドさんが腕を組む。


「畑の方は俺も見る。嬢ちゃん一人に任せるな」


「助かります」


「薬草はガルドが付き添え。毒草があるからな」


「承知しました」


 ガルドさんが頷く。


 話が少しずつ形になっていく。


 怖い噂への対策だったはずなのに、いつの間にか新しい予定が生まれている。


 子供たちに薬草を教える日。


 畑の基本を教える日。


 私は先生。


 見習い先生。


 胸が少し緊張する。


 でも、嫌ではない。


「では、準備します」


 私が言うと、村長が目を細めた。


「無理をしすぎるな。準備もほどほどでいい」


「……努力します」


 ミナがじっと見る。


 私は言い直した。


「ほどほどにします」


 ミナが満足そうに頷いた。


 リオが小声で言う。


「俺よりミナの方が先生みたいだな」


「聞こえています」


「ごめん」


 夕方前、村長たちは村へ戻ることになった。


 帰り際、村長は私に一枚の木札を渡した。


 小さな札で、村の印が焼き付けられている。


「これは?」


「リーフェ村の客人札だ。正式な身分証ではないが、村の者に見せれば村長が認めた客人だと分かる」


 私はその札を両手で受け取った。


 木の温かみ。


 簡素だけれど、丁寧に削られている。


「私が持っていていいのですか」


「君のために作った」


 村長は静かに言った。


「フローラ。君はこの村の客人で、友人で、助け手だ。だが同時に、守るべき子供でもある」


 守るべき子供。


 その言葉に、胸が強く震えた。


「私は……強いです」


「知っている」


 村長は頷いた。


「それでも子供だ」


 何も言えなかった。


 強いことと、子供であることは、両立する。


 誰かに守られていい。


 そう言われている気がした。


 私は木札を胸に抱いた。


「ありがとうございます」


「困った時は、それを見せなさい。村の者は君を一人にしない」


 私は頷いた。


 喉の奥が少し詰まった。


 泣き方はまだよく分からない。


 でも、目の奥が熱くなる感覚には、だいぶ慣れてきた。


 リオたちを見送った後、私は家に戻り、木札を机の上に置いた。


 村の印。


 リーフェ村の客人札。


 スプリング公爵家の家紋とは比べものにならないほど素朴だ。


 けれど、今の私にはこちらの方が重かった。


 家名は私を守った。


 同時に、私を縛った。


 この木札は、私を縛らない。


 困った時に見せればいい。


 必要な時に頼ればいい。


 それだけ。


 私は指先で木札をなぞった。


「守るべき子供……」


 小さく呟く。


 私はずっと、子供ではいられなかった。


 天才であることを求められた。


 公爵家の後継ぎとして学ばされた。


 自分を守るために武術を覚え、魔法を鍛えた。


 強くなればなるほど、大人たちは私を子供として見なくなった。


 けれど、村長は言った。


 それでも子供だ、と。


 その言葉は、胸の奥の固い場所を少しだけ柔らかくした。


 夜、私は日記帳を開いた。


 今日、村長さんたちが森の家へ来た。


 村は私を「森の薬師見習いフローラ」として守ってくれることになった。


 村外の人には家名を言わない。


 村へ行く時は誰かと一緒に行く。


 森の家へ来る人も、勝手に来ないようにしてくれる。


 村に私の部屋を用意するかもしれない。


 子供たちに薬草と畑を教えることになりそう。


 私は見習い先生になる。


 そこまで書いて、少し笑った。


 見習い先生。


 変な響きだ。


 でも、悪くない。


 さらに書く。


 村長さんに、私は守るべき子供でもあると言われた。


 私は強い。


 でも、子供でもあるらしい。


 まだよく分からない。


 でも、その言葉が嬉しかった。


 最後に、私は少し迷ってから書いた。


 私は、村の人たちに守られている。


 だから私も、村の人たちを守りたい。


 守るというのは、魔物を倒すことだけではないのかもしれない。


 畑を教えること。


 薬草を教えること。


 困った時に相談すること。


 自分を便利な道具にしないこと。


 それも、守ることなのかもしれない。


 ペンを置く。


 暖炉の火が静かに揺れている。


 外では夜の森が深く息をしている。


 私は机の上の木札を見た。


 リーフェ村の客人札。


 それをそっと手に取り、胸元に当てる。


 温かくはない。


 ただの木だ。


 でも、そこには確かに誰かの気持ちがあった。


 家族に捨てられた私が、森で拾った小さな証。


 私はもう、ただ森に隠れているだけの子供ではない。


 村へ続く道がある。


 友達がいる。


 約束がある。


 そして、少し怖いけれど、私にもできることがある。


「薬草の教材を作らないと」


 私は小さく呟いた。


 その瞬間、自分でも分かるくらい声が弾んでいた。


 怖い噂はまだ消えない。


 外の世界は不安なまま。


 でも、明日の準備がある。


 子供たちに見せる薬草を選び、毒草との違いを分かりやすく描き、畑の土を小瓶に分ける。


 やることがある。


 誰かのために。


 自分のために。


 私は立ち上がり、棚から木板を取り出した。


 夜はまだ長い。


 準備はほどほどにすると約束した。


 だから、少しだけ。


 少しだけ教材を作ろう。


 そう思った時点で、ミナに見つかったら注意される気がした。


 私は木板を一枚だけにした。


 一枚だけ。


 たぶん、ほどほどだ。


 暖炉の火のそばで、私は薬草の絵を描き始めた。


 森は静かだった。


 でも、もう寂しいだけの静けさではなかった。


 机の上には村の木札。


 棚にはミナと作ったジャム。


 玄関にはリオが置いていった枝。


 窓辺には少し萎れた白い花。


 私の家には、誰かとのつながりが少しずつ増えている。


 私は薬草の葉脈を丁寧に描きながら、小さく笑った。


 明日もきっと、畑を耕す。


 けれどその前に。


 私は、見習い先生になる準備をするのだ。

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