2012年7月18日
ときどき、考えた。
例えば、仕事がものすごく忙しくて、午前様の帰り道でコンビニのビニール袋片手に、ふと夜空を見上げたときとか。
例えば、大恋愛で運命の人だと思っていた彼氏と別れたときとか。
例えば、突然おばあちゃんが倒れて、でも仕事で実家に帰れないときとか。
ときどき、考えた。
どうしてあたしは、それでも一人なのか、とか。
例えば、晴れるのか雨が降るのか、それともずっと曇りのままなのかわからない朝とか。
「おはようございます、朱美さん!」
「……おはよう」
ぼんやりと覚醒した眼で、ぼんやりとその輪郭を捉える。
いつの間にかしっかりと開けられたカーテンからは、夢で見たままの曇り空がぼわっとした感じで広がっていた。
「……何だかな」
「どうしました?体調悪いですか?」
「いや……」
確かに何だか体は重いけれど……って。
「何をしてんの」
「何度呼んでも起きなかったんで」
あたしの寝室、あたしのベッドで、寝ていたあたしに馬乗りになった金髪蒼眼サンタクロースは、悪びれもせず無邪気にへらっと笑った。
無邪気過ぎるのもどうだろう。
そして、相変わらずの新妻さながらなフリフリエプロンもどうなんだろう。
……似合うってのもどうなんだ。
「朝ご飯、出来ましたけど」
「……そう。いつも悪いね」
「“それは言わない約束だよ”」
「いや、懐かしのコントのつもりじゃなくて」
よく知ってるな、そんなこと。
どうせまたきっと、吉蔵さん辺りに聞いたに違いない。
未だぼんやりと千尋を眺めたまま、やっぱりどうでもいいかと頭を軽く振る。
やっぱり、何だか体が重い。
「朱美さん?」
「あ、うん……今起き」
「ちょっと待っててください」
退いた千尋に続こうとしたなら、ぐい、と両肩を押さえられて、またベッドにぼすんと沈んだ。
ちらとベッドサイドの時計を見れば、まだ6時15分。
まあ、まだ大丈夫か。
ふう、と一息ついたそれさえも重たい気がして、少しだけ、眉根が寄る。
堂々と開け放たれたドアからは、ああでもないこうでもないここじゃなかったとか何とか言いながら、ばたばたと忙しなく動き回る千尋が見えた。
デリカシーの欠片もないのに、それを見てるだけで、笑えてくるのはどうしてだろう。
「あ、あった!」
何を探していたのかわからないが、どうやら見つけたらしい。
そのまま駆け寄ってきた千尋は、そのままの勢いで──
「わっ!?」
──掛け布団を躊躇なく捲った。
「お熱を計りましょう!」
「あ、ああ……びっくりした」
もう少し普通に出来ないのか。
こんなに捲る必要があったのかどうか、そして、何故にまた馬乗りになったのか。
おかしな点は多々あったけれど、そのときのあたしはぼんやりしていて、言葉にするまでに至らなかった。
おとなしく体温計を挟んで、ついでに額に手をやる。
熱い、かも。
「ああっ」
「え、何?」
馬乗りな千尋が「うわあんっ」と痛恨の一撃を食らったとばかりに崩れ落ちる。
あたしの上に崩れ落ちるな。
「ちょ、重い……」
「僕が、僕がやりたかったのに……っ」
何をだ。
「おでことおでこをくっ付けて、お熱を計りたかったのに……っ」
そんな……語尾が掠れるほどにやりたかったのか。
大丈夫か、こいつ。
何度目か知れないデジャヴに、思わず噴き出す。
崩れ落ちたままの金髪が左の肩口に埋まっていて、ふわふわと擽ったかった。
ピピピ、と鳴ったそれを見れば、37度6分。
微熱というには少し高いが、だからと言って、会社を休むほどかどうか。
と、思ったことを千尋がどれほどに理解したかどうか。
ささっとベッドから降りたかと思えば、きびきびとどこかへ電話を掛け始める。
リビングでは「はい、はい、そうなんです、はい」とか言うのは聞こえるけれど、顔は見えなかった。
「どこへ掛けて……」
「大丈夫ですよ、今日はお休みです」
「どこへ掛けた」
「あ、いつもの朱美さんに戻った」
よかったーとか言いながらへらりと笑った千尋にもう一度問い掛けたなら、これまた悪びれなく、さらりと彼は言った。
「吉蔵さんです」
……会長に、こんな早朝から電話するなよ。
そして出るなよ、吉蔵さん。
「すぐ秘書の方に都合していただいて、朱美さんのお休みを取り付けてもらいました。ほら、今年は七夕も出勤してましたから、代休ですよ。よかったですね!」
その秘書は会長の秘書であって、あたしの秘書でも千尋の秘書でもないはずだ。
「今年も七夕は雨でしたよね。せっかくの土曜日だったのに」
切なげに窓の外を眺めてはいるが、七夕に雨が降るなんてのはザラで、あたしは出勤だったのだから土曜日も何もなかったのだと、今さっき自分で言っていたはずなのだけど。
まあ、吉蔵さんに話が行ってしまった以上、問答するつもりはない。
無駄なことはよくよく理解している。
急な仕事だって入らないようにされるのだろう。
「あんた……も、休むのか。どうせ」
「もちろんです」
「胸を張るとこじゃないからね」
「僕、一週間先までの仕事は終わらせてますから」
「……」
「一週間先までの仕事は終わらせてます」
「……知ってる」
だって千尋は、あたしの直属の後輩なのだ。
こいつがうちに入社して早4年だが、未だに手元を離れない。
寧ろ、周囲はあたしの部下だと認知しつつある。
……部下って。
サンタクロースが部下って。
とにかく、仕事は出来る、しかも早い。
正確で的確で、普段見せる雰囲気や行動とは裏腹に、かなり使えるのは確かだった。
「僕、使える部下じゃないですか?」
「やっぱり部下なんだ……」
「部下以外でもいいんですけどね」
「ああ、同居人だしね」
「そうじゃなくて……」
首を傾げるあたし、と、呆れながらもそもそとベッドに潜り込んでくる千尋。
いや、何故潜り込んでくる。
捲った掛け布団を手繰り寄せるな。
「ちょっと、移るよ」
「朱美さん、いっつもこの時期にお熱出しますよね」
「いや、何で入ってくんの」
「一人だと寂しいじゃないですか」
思い出す、今朝の夢。
ときどき、考えた。
例えば、仕事がものすごく忙しくて、午前様の帰り道でコンビニのビニール袋片手に、ふと夜空を見上げたときとか。
例えば、大恋愛で運命の人だと思っていた彼氏と別れたときとか。
例えば、突然おばあちゃんが倒れて、でも仕事で実家に帰れないときとか。
ときどき、考えた。
どうしてあたしは、それでも一人なのか、とか。
例えば、晴れるのか雨が降るのか、それともずっと曇りのままなのかわからない今日みたいな朝とか。
「……一人って、寂しいのかな」
ぽつりと零れた言葉に、わずか5センチ先の蒼い目が優しく笑う。
「僕は、朱美さんがいないと寂しいです」
「……そっか」
何だか嬉しくて、少しだるい右手で、柔らかい金髪をくしゃくしゃと撫でた。
「朱美さんには僕がいます」
「そうだね」
「……鈍いって言われませんか?」
「は?」
また呆れたみたいに笑った千尋は、「まあ、今日はいいです」と呟いて、あたしの右手を自分の首にするりと回した。
「抱っこしてください」
「あはは、気持ちいい」
「僕、人より体温低いんですよ」
ひんやりと感じるのは、それの所為なのか。
はたまた、あたしの体温が高い所為なのか。
わからないけど、今はただ、このままでいたい。
「……朝ご飯……」
「ラップしてきたから大丈夫です。少し寝てください」
「……ん……」
うとうとと微睡みつつある意識の中で最後に見たのは、雲間から覗いたわずかな青空。
7月18日。
この日、関東は梅雨明けしたのだと、その後の昼のニュースで知ったのだった。
「へえ、明けたんだ」
「でも、今週一杯は降るそうですよ」
「よくわかんないね」
取り敢えずあたしは、今日も明日も、隣にサンタクロースがいるので、一人ではないらしい。
end?