目覚め
「……んがっ、ぁ……」
重い瞼をゆっくりと押し上げると、視界に飛び込んできたのは、無惨に破壊された中枢エリアの天井から覗く夜空だった。
激痛は嘘のように消え去り、代わりに身体の奥底から、静かで力強い力の脈動を感じる。カリタスが繋ぎ止めてくれた命だった。
「んむ……」
身じろぎをすると、俺の頭がひどく柔らかく、そして信じられないほどいい匂いのする『何か』に埋まっていることに気がついた。
(……ん? なんだこれ。俺、どこで……)
焦点の合わない目で現状を把握しようとすると、真上から、クスクスという妖艶な笑い声が降ってきた。
「おはよう、誠。随分と深い眠りだったわね。悪い夢でも見ていたのかしら?」
「……へ?」
見上げると、そこには美しい氷蒼色から艶やかな黒髪へと戻った柊まどかが、聖母のような慈愛に満ちた笑みを浮かべて俺を見下ろしていた。
俺の頭は、彼女の太ももの上――完璧な膝枕に、すっぽりと収められている。
「ま、まどか!? な、なんでお前が俺に膝枕なんか……ッ」
俺が慌てて飛び起きようとした瞬間、今度は右腕にギュッと柔らかい感触がしがみついていることに気づいた。
「うゆぅ……。結城さん、唐揚げは私が揚げますから……一緒に食べましょうね……むにゃ」
俺の右腕を抱き枕のようにホールドし、頬擦りをしながら幸せそうに寝息を立てているのは、ヒナだった。 彼女も限界まで魔力を使い果たし、俺の隣で眠り込んでしまったらしい。
(おいおいおい、どういう状況だこれ!?)
「ちょっと、誠。急に動かないで。せっかく私が膝枕してあげてたのに。……それに、剣士さんが起きちゃうじゃない」
まどかは、しーっ、と人差し指を唇に当ててイタズラっぽくウィンクをした。 その瞳は、狂気に染まっていた先ほどまでの調停者のものではなく、俺が知っていた、あの強かで美しい柊まどかのものだった。
「お前……本当に、大丈夫なのか? 頭の中に変な声が聞こえたりとか」
「ええ。貴方が、あの規格外の力で全部剥がし取ってくれたから。……本当に、昔から無茶ばかりするんだから」
まどかは、俺の前髪を愛おしそうに撫でた。 その温もりは、夢の中で触れたカリタスの手と、不思議と重なるような気がした。
「でも、正義の力は私の中に残ってるわ。……だから、見極めさせてもらうって言ったでしょ? 貴方が本当に、世界にとっての『悪』なのかどうか」
「ってことは、俺たちと一緒に来てくれるのか。そりゃすげえ助かるけど……本当にいいのか? 悪いが、今の俺じゃまどかに払える代価なんて何もないぞ?」
「ふふっ。いいわよ、勝手についていくだけだから。無償の愛で付き合ってあげる」
まどかの冗談めかした言葉に、俺は思わず苦笑を漏らした。
無償の愛、か。俺の【強欲】とは対極にあるようで、実は一番近い場所にあるのかもしれない力かもしれない。
「……結城さん、まどかさん……。抜け駆けは、許しませんからね……むにゃ」
右腕に抱きつくヒナが、寝言で唸りながらさらに強くしがみついてくる。 俺はため息をつきながら、再び瓦礫に背を預けて夜空を見上げた。
これから立ち向かわなければならない理不尽は、山のように積まれている。
だが、俺の胸の中には【慈善】が遺してくれた光があり、隣には、俺が命を懸けて守り抜いた『厄介で騒がしい日常』が確かに息づいていた。
(……見てろよ、神宮寺。俺の全部を懸けて、てめえのルールを叩き潰してやる)
俺は、静かに夜明けの空を力強く見据えた。
♦︎
ピーッ、ピーッ、ピーッ。
瓦礫の散乱する黒の巨塔の最上階。夜明けの冷たい風が吹き込む中、俺の足元で無機質な電子音が鳴り響いていた。
激闘の中で壊れていたと思っていたインカムが、奇跡的に壊れずに床に転がっていたのだ。
「……はい、結城です」
俺はインカムを拾い上げ、耳に当てた。
『……結城、無事か?!状況はどうなっている?』
インカムの向こうから聞こえてきたのは、ギルマスの声だった。
「なんとか無事です。……まあ、実際は『死にかけて生き返った』ところなんですかがね。塔にいたGenesisの部隊はなんとか片付けました。それに要石も無事です」
『……なんとも規格外な男だ。国家の精鋭を相手に、たった2人で制圧してしまうとは』
ギルマスが、呆れたような、それでいてどこか安堵したような息を吐く音が聞こえる。 だが、次の瞬間、彼の声はかつてないほど重く、切羽詰まったものに変わった。
『結城、よく聞け。休んでいる暇はない。……今すぐ、そこから空の様子と眼下の海を見てみろ』
ギルマスのただならぬ声色に、俺は立ち上がり、吹き飛ばされた天井の大穴から身を乗り出して塔の下を見下ろした。 ――そして思わず、顔が引き攣った。
「……おいおい、冗談だろ」
夜明けの薄明かりの中。黒の巨塔を囲む荒れ狂う海上に、無数のサーチライトが交差していた。
一隻や二隻ではない。Genesisの紋章を掲げた最新鋭の大型戦闘艦が、塔を完全に包囲するように十隻以上も展開している。
さらに空には、重火器を積んだ攻撃ヘリが、まるで羽虫の群れのように旋回していた。
『第二陣だ。神宮寺の奴、お前らが塔を制圧する可能性も考慮して、外側に物理的な完全包囲網を敷いていた。……結城、今外に出れば、間違いなく蜂の巣にされるぞ』
「……なるほどな。塔の中は嫉妬の悪魔で、外は国家権力の飽和攻撃ってわけだ。神宮寺の野郎、性格悪すぎだろ」
「ん、ぅ……。結城、さん……?」
俺がインカム越しに悪態をついていると、瓦礫の陰で眠っていたヒナが、目を擦りながらふらふらと立ち上がった。
彼女の顔色はまだ優れない。魔力枯渇のダメージは一朝一夕で回復するものではない。
なんとか動けるようにはなったものの、到底本調子には程遠い状態だった。
「おはよう、ヒナ。気分はどうだ?」
「はい……なんとか。あの、外がすごく騒がしいですけど……」
「ああ。Genesisの軍隊さんに、完全に包囲されちまってるらしい。外に出たら一秒でハチの巣だそうだ」




