正義2
「これが美徳の権能のコア……?」
俺が手を伸ばそうとした瞬間。
『――やめい、主よッ!! それに触れるな!!』
グリ子が悲痛な絶叫を上げた。
直後、純白だった正義のコアの内部から、コールタールのようにドス黒く、血のように赤い『瘴気』がドクンドクンと脈打ちながら溢れ出してきた。
「……ッ!?」
赤い瘴気が腕に絡みつく。ふと、声が脳内に響き渡った。
『……コワセ……コワセ……コワセ……』
「グッ!?なんだよこれ……」
それは意思のない、ただ純粋な『破壊』だけを求めるノイズが聞こえた。
『主よ、それこそが、セプテムが遺した【思念】じゃ! その美徳のコアは、セプテムの思念によって書き換えられておる!』
「じゃあ、俺の【暴食】でこの瘴気ごと喰っちまえば……!」
『馬鹿者! それを喰えばお主の精神が内側から書き換えられ、セプテムの傀儡と化すぞ!』
「なら、どうすればいいんだよッ!」
俺の目の前で、赤い瘴気がまどかの身体に再び入り込もうと蠢いている。
『――【絶】を使え! 存在剥離の権能で、肉体やコアから瘴気だけを剥がし取るのじゃ!』
「【絶】か! なるほど、それなら……!」
『だが、 通常の【絶】で消せるほどヤワではない。完全に剥離したければ、お主の魂の限界を強制的にこじ開け、出力を限界突破させた『規格外の絶』を撃ち込むしかない!』
「……チッ! でもそんなのどうやれば良いんだ?!グリ子、お前の方で何とか出来るのか!?」
『……無理じゃ、わらわは大罪の悪魔であって、お主の魂そのもののに干渉する権限は持っておらん』
グリ子の言葉に、俺は歯噛みした。
目の前の赤い瘴気は、刻一刻とまどかの身体へと侵食を進めようとしている。
『マスター。……私になら、可能です』
トラ子だ。
『私はエク子先輩より、マスターの魂の結合領域に最も深くアクセスできる権限を譲渡されています。……ただし、階位を強制的に上げるということは、マスターの魂そのものを物理的に焼き切ることを意味します。マスターの肉体が崩壊するリスクが、90%を超えますよ!?』
「……分かった、頼む!トラ子!」
俺は迷うことなく覚悟を決め、両手を正義のコアにかざした。
『……でも、そんなことしたらマスターが消滅してしまいますっ! AIとして……いえ、私はそんな事……出来ません。マスターを失いたくないんです!!』
いつもは冷静なトラ子が、泣き出しそうな声で懇願してきた。それは明確な『感情』の揺らぎだった。
「……大丈夫だ。今までもこんな無茶、たくさんあったけど、何とかなっただろ?」
『で、ですが……っ!』
「構わねえ! やれ、トラ子!! 俺の日常を……こいつを救うんだッ!」
俺の譲らない決意に、数秒の沈黙が落ちた。
そして。
トラ子の声は、一人の少女の祈るような震えた声に変わっていた。
『――【第七階位】へ移行します。お願い、マスター……死なないで』
ドクンッ!! と。
俺の全身の血管が限界を超えて膨張し、目、鼻、口から鮮血が噴き出す。凄まじい激痛が脳を焼き切るが、俺は意識を絶対に手放さず、限界を越えた力を両手に集中させた。
「俺の日常から、出て行きやがれぇぇぇッ!!」
「――限界突破・【存在剥離・絶】ッッ!!」
バチィィィィンッッ!!!
白と黒が反転したような絶対的な無音の閃光が中枢エリアを包み込んだ。 限界を突破した『絶』の力は、まどかの肉体や正義のコアを一切傷つけることなく、そこに寄生していたセプテムの赤い瘴気だけを強引に剥離し、虚無へと消し去った。
「……はぁっ、がはっ……!」
空間から瘴気が完全に消滅したが、俺は強烈な反動で大理石の床に大の字に倒れ込んだ。
全身の骨と筋肉が悲鳴を上げる。 だが、空中に浮かんでいた【正義のコア】は、全ての汚れを落としたように美しく神聖に輝き――俺ではなく、再びまどかの胸の奥へと静かに吸い込まれていった。
「……ん、ぁ……」
氷蒼色から元の艶やかな黒髪へと戻ったまどかが、ゆっくりと目を覚ます。 彼女は自分の両手を見つめ、そして隣でボロボロになって倒れている俺を見た。
「誠……私、なんてことを……」
「よ、よぉ。お目覚めか、眠り姫。……とんでもない力、手に入れちまったな」
俺が血まみれの口元を歪めて笑うと、まどかは胸に手を当てた。そこには、純粋に研ぎ澄まされた『正義』の権能が確かに息づいている。
「さっきみたいな感情はない……。でもこの力は、まだ私の中に残っている」
まどかは立ち上がり、少しだけ寂しそうな、けれど真っ直ぐな瞳で俺を見下ろした。
「狂わされていたとはいえ、私、貴方のことを『世界の秩序を乱す悪』だって本気で思ったの。……でも、今の貴方を見ていたら、貴方が本当に悪なのかどうか、分からなくなっちゃった」
「そりゃどうも」
まどかは、ふわりと微笑んだ。 それは狂気に満ちた調停者のものではなく、かつて俺とバカ話をした、柊まどか本来の美しい笑顔だった。
「だから、私が見極めるわ。貴方が本当にこの世界を壊す悪なのか、それとも……。
私のこの『正義』の力で、貴方の隣で、最後まで見届けさせてもらうわね」
「おいおい……それって」
「同行するってことよ、誠。手加減はしないから、覚悟してね」
ボロボロの俺の前に、新たな、そしてとびきり厄介で美しい正義が、仲間として(監視役として)立ち塞がった。




