もう一つの黒の塔では
――同時刻。北海道沖合。
猛吹雪が吹き荒れる極寒の海上にも、関東と同じ巨大な『黒い塔』が隆起していた。
Genesisの完全武装の部隊が塔の周囲を封鎖しているのは関東と同じだが、一つだけ決定的な違いがあった。
この塔の内部には、先遣隊も、制圧部隊も派遣されていない。 無機質で冷たい青白い発光ラインが脈打つ通路を歩いているのは、仕立ての良い漆黒のスーツの上にコートを羽織った男、ただ一人。
Genesis最高司令官の神宮寺であった。
『――警告。警告。未登録のアクセス権限を持つ個体を確認』
通路の奥から、無機質な合成音声が響き渡る。 彼が塔の中層へ足を踏み入れた瞬間、暗闇の中から数十機に及ぶ防衛プログラム『ドミニオン』が姿を現した。
光のエネルギー・ブレードを展開し、一斉に神宮寺へと襲いかかってくる無機質の天使たち。通常の冒険者であれば、一個大隊でも全滅しかねない圧倒的な戦力。
だが、神宮寺はポケットから手を出すことすらなく、冷徹な眼鏡の奥の黄金色の瞳を細めた。
「無駄なことを。……システムが生み出した操り人形ごときが、この私に刃を向けるか」
神宮寺の心臓の奥底で、ドクン、と。
大罪のコア――【傲慢】が脈打った。
「――ルールを設定する」
氷のように冷たく、しかし世界そのものを縛り付ける絶対的な『法』の音声。
「対象は、この塔に存在する全ての防衛プログラム。内容は……【創造主の御前にて、その首を垂れよ】」
ピタッ、と。 神宮寺へと殺到していた数十機のドミニオンの動きが、空中で完全に硬直した。
次の瞬間、彼らは自らの意志とは無関係に、一斉に大理石の床に膝をつき、自らの首を光のブレードで刎ね飛ばした。
ガシャン、ガシャァァァンッ!
青白いスパークを散らし、数十機のスクラップが神宮寺への『忠誠』を示すように床に転がる。
「……造作もないな」
神宮寺は、自ら破壊された残骸を靴の裏で踏み越え、一切の抵抗を受けることなく、最上階への昇降機へと乗り込んだ。
◆
やがて彼が辿り着いたのは、純白に輝くシステムの中枢エリア。
空間の中央に浮かぶ祭壇には、黒曜石のように鈍く光る巨大な菱形のクリスタル――『封印の要石』が安置されていた。
神宮寺は祭壇へと歩み寄り、一切の躊躇なく、素手でその要石に触れた。 その瞬間。
『……ほう。お前が、我を縛るこの楔の一つを解き放ってくれるのか』
要石の奥底から、空間を震わせるような悍ましい声が響いた。 原初の悪魔、リヴァイアサン。
神宮寺は表情一つ変えることなく、要石から流れ込んでくる莫大なデータを、自らの携帯端末へと強制的にダウンロードしていく。
『どうだ、人間よ。チカラが欲しいか? 圧倒的な個の暴力で、全てを蹂躙したくはないか? 我の封印を解けば、お前に【嫉妬】の極上の権能を与えてやろう』
悪魔の甘い誘惑。
関東の塔で、部下の氷室を狂わせた呪いの言葉。 だが、神宮寺はフッと鼻で笑い、冷酷に言い放った。
「不要だ。……地を這う泥臭い蛇の力など、私には相応しくない」
『……なに?』
「私が誰か、気づいていないのか? リヴァイアサン。……いや、下等な悪魔の視座では、理解できぬのも無理はないか」
神宮寺の背後に、一瞬だけ。
純白で、しかしどこまでも冒涜的な六枚の光の翼の幻影が広がった。
「私は【傲慢】。世界を統べる最も気高き光、ルシファーそのものだ。……他者を羨むことでしか己を保てぬ貴様のような力など、私には一切必要ない」
『――ッ! 貴様、ルシファーの器か……ッ!』
リヴァイアサンの声に、明確な驚愕と、本能的な畏怖が混じる。
神宮寺は冷たく微笑みながら、端末を引き抜き、要石のシステムを完全に掌握した。
「これで、一つ目だ」
神宮寺は、要石から手を離し、静かに中枢エリアの空間を見渡した。
「もとより、こんな不完全な世界など、一度完全に壊して再構築するべきなのだ。人間たちは自由という名のエラーを謳歌しすぎた。世界には、絶対的な管理と秩序が必要だ」
神宮寺は、かつてこのシステムを創り上げた『創造主セプテム』と同じ思想に行き着いていた。
いや、彼はセプテムすらも超え、自らが唯一無二の神となることを望んでいるのだ。
「……高次元の『管理者』どもは、実に保守的でやりやすい」
神宮寺の口から、世界の深淵を知る者しか知り得ない単語が漏れる。
「奴らは、世界そのものの危機となる決定的な不具合には過敏に反応するが……システムの『内側』から、合法的なルールに則って権限を書き換えていく私のやり方には、直接手を出すことができない。彼らの行動を縛る『線引き』は、誰よりも私が一番理解している」
管理者が事態の深刻さに気づき、システム権限を行使しようとした時には、もう全てが終わっている。 それが、神宮寺の描く完璧なロードマップだった。
「残る塔は三つ。……解放されたリヴァイアサンの本体を我が手で掌握すれば、こちらの手札は『五つ』となる。そうなれば、高次元の管理者どもを杞憂することなく、この世界を完全にスクラップにし、私の法の下で再構築することが可能となる」
神宮寺は、端末の画面に表示された日本のマップを見下ろした。 関東近郊の海上。もう一つの黒い塔の座標が、赤く点滅している。
「……関東の要石の回収に向かわせた氷室は、リヴァイアサンに魅入られ、私に反逆したようだが」
先ほど、遠隔のルールで氷室を『一度』殺した神宮寺だが、その後、彼が嫉妬の使徒として蘇ったことは、システムのエラーログを通じて把握していた。
「まあよい。あそこの要石を一つ取られたとしても、私の大局になんら問題はない。時が来れば、後から取り返せばいいだけのこと」
神宮寺にとって、あの関東の塔で起きている死闘は、もはや取るに足らない余興に過ぎない。
「むしろ、あそこで結城誠が、リヴァイアサンの使徒に屠られるのであれば好都合だ。あの泥臭いイレギュラーは、私の完璧な数式において唯一のノイズだったからな」
神宮寺は、冷酷な笑みを浮かべたまま、純白の中枢エリアを背にして歩き出した。 彼の背中には、一切の隙も、迷いもない。
全ては己の掌の上。
世界を裏側から侵食する【傲慢】の支配者は、五つの手札を揃えるための次なる一手へと、静かに駒を進めていた。




