歯向かう者の末路
「全隊に告ぐ。要石のハッキングは後回しだ。……まずは、あのネズミどもを殲滅するぞ」
氷室の怒号が響き渡り、Genesisの隊員およそ三十名が一斉に俺たちに向かってレールガンの銃口を向けた。
超音速の電磁投射砲による十字砲火。まともに受ければ、間違いなく致命傷になる。
「ヒナ、俺の背中に隠れろッ!」
「結城さん!」
俺は両腕にドス黒い【暴食の炎】を滾らせ、正面から弾幕を強引に喰い破る覚悟を決めた。
「撃てェェッ!!」
氷室が変異した右腕のレールガンを構え、引き金に指をかけた。
――だが。 その凶弾が放たれることは、なかった。
「……あ、ぐ、ぅぅ……ッ!?」
突如として、氷室の動きがピタッと硬直した。 彼の顔の半分を覆っていた緑色の蛇の鱗が、まるで意志を持っているかのようにボコボコと脈打ち、彼の全身を激しい痙攣が襲ったのだ。
「隊長ッ!? どうされました!」 引き金を引く直前で硬直した指揮官に、隊員たちが困惑の声を上げる。
俺もまた、構えていた拳を下ろさずに氷室の異変を注視した。
「ぐ、あぁぁぁ……! 頭が、割れ……ッ!」
氷室はレールガンを取り落とし、両手で自分の頭を抱え込んだ。
彼の周囲の空間が、緑色の瘴気によって陽炎のようにグニャリと歪む。その濃密な魔力の渦の中から、あの不気味な悪魔の笑い声が響き渡った。
『……ククク。何をそんなに小さな標的にムキになっているのだ、人間よ』
「だ、黙れ……! 私は、神宮寺長官の命令を……ッ」
『神宮寺、神宮寺と。……お前は本当にそれでいいのか? お前はこれほどまでに優秀で、今や我の力(嫉妬)すら手に入れたというのに。なぜ、他人の定めたルールの下で「使い捨ての駒」として働いている?』
リヴァイアサンの囁き。
それは、人間の心の奥底に封じ込めている、最も醜く、最も純粋な欲望をこじ開ける鍵だった。
『神宮寺という男は、お前より優れているのか? 違うだろう。お前の魂の奥底には、あの男の圧倒的なカリスマの影で、常に「ナンバーツー」に甘んじている自分への強烈な劣等感……いや、「嫉妬」が渦巻いているではないか』
「ち、ちが……ッ! 私は……私はGenesisの剣だ! 長官の、理想の……ッ!」
『嘘をつくな。お前は心の底で思っているはずだ。神宮寺の首を刎ね、自分こそがGenesisのトップに立ち、この黒い塔の力で世界の王になりたいと!』
「――ッ!!」
氷室の白銀の瞳孔が、完全に縦に割れた蛇の目へと反転した。 ブワァァァッ! と、彼の全身から緑色の魔力が爆発的に噴き出し、中枢エリアの純白の空間をドス黒く染め上げる。
「氷室隊長……? 一体、何を……」
近くにいた隊員の一人が、恐る恐る彼に近づこうとした。
「……触るな」
氷室は、信じられないほど冷たく、そして傲慢な声で吐き捨てた。 彼はゆっくりと顔を上げる。その表情は、先ほどまでの「任務を遂行する指揮官」の顔ではなかった。
強大な力に酔いしれ、自らが世界の中心であると錯覚した、狂人の顔だ。
「そうだ。……なぜ私が、神宮寺などの命令を聞かねばならない? 今の私には、この圧倒的な悪魔の力がある。私こそが、完璧な存在だ。神宮寺などより遥かに!」
「隊、長……?」
「もはやネズミ(結城たち)などどうでもいい。貴様ら、速やかに要石のハッキングを再開しろ。所有権はGenesisではない。この『私』の個人名義に書き換えろ!」
氷室の信じられない命令に、三十名の隊員たちは完全にフリーズした。
「な、何を言っているんですか隊長! それは神宮寺長官への完全な反逆――」
「黙れッ!! 私の命令が聞けんというのか!」
氷室が右腕を振るうと、目に見えない嫉妬の魔力の波が隊員たちを強打した。
数名の隊員が悲鳴を上げて吹き飛ばされ、床に叩きつけられる。
「(……おいおい。マジかよ)」
俺は、物陰でヒナを庇いながら、目の前で繰り広げられる予期せぬ『仲間割れ』に唖然としていた。
「(悪魔の力に精神を汚染されて、標的がいつのまにか俺たちから神宮寺へ移ったんですね……)」
ヒナもまた、長剣を構え直しながら呆れたように呟いた。
「(【嫉妬】ってのは、自分より上の立場の奴に向くからな。……神宮寺へのコンプレックスが暴走しちまったんだろうかね)」
氷室は、怯える技術兵の胸ぐらを掴み、コンソールへ強引に引きずっていった。
そして、自らの手で強引に通信回線を開く。
「……神宮寺長官。聞こえているか」
数秒のノイズの後、塔のスピーカーから、一切の感情を含まない、氷のように冷徹な声が響き渡った。
『――氷室。予定時刻はとうに過ぎている。要石の所有権書き換えはどうした。結城誠の排除は完了したのか?』
「ククク……ハハハハッ! 結城誠など、もはや私の眼中にない! そして、要石の所有権は貴様には渡さん!」
氷室は、通信機に向かって狂ったように高笑いした。
「神宮寺! 私はお前の犬ではない! この塔の力も、悪魔の力も、全てはこの私のものだ! 貴様は私の足元に這いつくばり、私の創る新しい法に従え!」
通信越しに行われた、堂々たる宣戦布告。 中枢エリアは、水を打ったような静寂に包まれた。隊員たちは恐怖で身を震わせ、俺たちも息を潜めて事の成り行きを見守る。
スピーカーの向こう側からは、しばらくの間、何も聞こえなかった。 怒号も、動揺も、何もない。ただ、絶対的な『静寂』だけが流れていた。
やがて。
『……そうか。私の法に背くか。愚かな』
神宮寺の声は、驚くほど平坦だった。
だが、その声が響いた瞬間、俺はかつてないほどの危機感を感じた。
(何かが来るぞッ!隠れろ!)
俺がヒナを抱き寄せて身を屈めた、次の瞬間。
『――ルールを設定する』
スピーカー越しで、顔も見えない遥か遠くの場所から、神宮寺の声が静かに、だが世界そのものを縛り付けるような絶対的な重圧を伴って響き渡った。
『対象は氷室、お前一人。……内容は――【私に背く者は、自らの罪の重さで地に這いつくばる】』
ズォォォンッ!!
「が、ぁっ……!?」
中枢エリアの空間が、目に見えない巨大なハンマーで叩き潰されたように歪んだ。
そして氷室の身体が、一瞬にして床にめり込んだのだ。
見えない何かに上から押し潰されている。いや、彼自身の身体に、何十トンという異常な重力が『強制的に』発生している。
「あ、ぐ……ぁ……ッ! な、なんだ、これは……ッ!」
氷室は床に這いつくばり、全身から血を噴き出しながら必死に腕を突っ張ろうとする。
彼の全身から嫉妬の緑色の魔力が爆発的に噴出し、その理不尽な重圧に抗おうと足掻く。
『バカな……! 我の、原初の悪魔たる我が力が……ただの人間の定めたルールごときに、押し負けるだと……!?』
リヴァイアサンすらも、驚愕の声を上げた。
「が、あああああああッ!! 長、官……お許、し……ッ!」
ピキィィン、と。 氷室の全身の骨が砕ける悍ましい音が、広大な空間に響き渡った。
原初の悪魔の力の一部とはいえ、神宮寺の【傲慢】が定めた『絶対法則』には、何一つ抗うことができなかったのだ。




