02.小話/バベリー案内
(ダリアとオルガが再会した翌朝にあったできごと)
夜が明けきらぬうちから、宿の廊下に軽い足音が響いていた。
「ダリア、起きてる?起きてー!」
遠慮のない音が扉を叩く。眠りを妨げられたダリアが重い瞼をこすりながら扉を開けると、すでに身支度を終えたオルガが立っていた。窓の外はようやく白み始めたばかりだというのに、彼女の瞳は待ちきれないと言わんばかりに輝いている。
「早くギルド行こうよ!冒険者登録するんでしょ?」
「……オルガ、まだ早すぎます。それに朝一番の冒険者ギルドは、依頼の争奪で逆に混んでるんですよ」
そもそも。年頃の少女が成人男性の部屋にのこのこ押しかけてくるのはいかがなものか。
危機感を持ってほしいが、どうせ昨日の二の舞になるのが目に見えていたので、ダリアは説教を放り投げた。
寝間着のまま欠伸を噛み殺すダリアに、オルガはしゅんと肩を落とす。その様子に、ダリアは小さく息をついて続けた。
「そうですね……せっかくなので、時間を潰しがてらバベリーを案内しましょう。迷子になられても困りますし」
「ほんと!?行く行く!」
たちまち元気を取り戻したオルガを見て、ダリアは苦笑しながら身支度を始めた。
◇
宿を出ると、まだ冷え込む早朝から、東地区の大通りは活気づいていた。
ガタゴトと石畳を鳴らして荷車を引く行商人。店先から香ばしい匂いが漂うパン屋。竿の先で街灯を消していく点灯夫。依頼帰りだろうくたびれた冒険者たち。出発の準備をする乗合馬車に、慌ただしく駆け込む人々。
霧の山の静かな朝しか知らないオルガには、その賑わいがひどく新鮮に映るらしい。きょろきょろとあちこちに視線を泳がせながら、ダリアの後をついてくる。
「わ、わ、こんな朝から人がいっぱい!」
「はぐれると厄介ですから、まずは目印を覚えましょうか」
ダリアはオルガを連れて、バベリーの中央にある広場を目指した。
◇
石畳の広場に出ると、ダリアは足を止め、指差しながら順に説明していく。
「南を見てください。あの突き出た塔が『魔術塔』です。バベリーで最も高い建造物ですから、迷ったらまずあれを探すといいでしょう」
「ほんとだ!すごく高い!」
「西に見える大きな白い建物が『教会』です。北に聳える煉瓦造りの建物が自治を担う『執政院』。……東にはこれといって目立つ建物はありませんね」
オルガは言われるがまま、ぐるりと体を回して四方を見渡した。
「バベリーは大きく四つの区画に分かれています。それぞれ特徴があって、南地区が魔術塔と魔術学園、西地区が教会と関連施設、北地区が執政院や詰所に各職業ギルド、東地区には小規模な店舗や職人街があります。僕たちが泊まる宿は東地区の外門近くですね。どこも大通りから遠ざかるほど物騒になりますから、一人で奥まで入り込まないでください」
「わかった!気をつける!」
素直に頷くオルガの様子に、ダリアは目を細めた。
これで、今後もし離ればなれになったとしても、帰り道の見当はつくだろう。
◇
二人は広場の屋台を回り、薄切り肉とチーズを挟んだトーストを買うと、噴水の縁石に腰を下ろした。
「この大きな噴水も凄いけど、水路が怖いくらい綺麗よね。水草も生えてないんだもん」
広場の中央では、朝日を弾いて澄んだ水が絶え間なく噴き上がっている。都市の四方へ伸びる水路も、同じように透き通っていた。
「バベリー内部の水路は、浄水魔術が使われています。常時効果を発動させるための術式と魔石が、川底のあちこちに仕込まれているんですよ」
「魔術で!?街の水全部!?そんなことまでできるの!?」
目を丸くするオルガに、ダリアは苦笑しながら頷いた。
「魔術というと、絵物語に出てくるような、火炎を放ったり傷を癒すような力を思い浮かべるでしょうが……」
ダリアは袖口から出した杖の先で、オルガの持つトーストの包みに触れると、短い術式を唱えた。
包みがじわりと熱を帯び、挟まれたチーズが溶けていく。
「実際には、こういう暮らしを便利にするための『生活魔術』というものが、たくさんあるんですよ。物を温めたり冷やしたり、衣類の乾燥や、荷物を浮かせて運んだり……習得できれば、それだけで十分に稼げるものなんです」
オルガは初めて間近で見る魔術に、目を輝かせた。
「すごい……こんなに便利なのに、今まで見たことなかったな」
「魔力が多くなければそもそも使えませんし、習得はそれなりに難しくてお金がかかりますから。学べる場所も少ないんですよ」
「そうなんだ?」
「バベリーは、元は魔術師たちが集まってできた街なんです。研究や研鑽のために塔が建ち、学園が作られ、街に発展した。だからどこよりも魔術師の数が多いんですよ」
「じゃあ、ダリアもそのひとりってことね。魔術ってすごいなあ。ダリアもすごいんだ!」
無邪気に褒められて、ダリアは少し顔をしかめた。
「僕は……そこまですごくはありませんよ」
「またまたぁ、謙遜しちゃって」
「本当です。魔術学園はお金さえ払えば誰でも入れますが、その上の魔術塔に行くにはコネと才能が必要なんです。僕にはコネがありませんから。この都市では魔術塔に招聘されなかった魔術師は、大したことない扱いなんですよ」
「えーーー?変よそんなの!」
オルガは首を傾げたが、それ以上は追及せず、温かいうちにトーストにかぶりついた。
◇
二人が朝食を食べながら広場の通りを眺めていると、武器や甲冑の擦れる音を立てながら、何組もの兵士たちが通り過ぎていった。
「……?あの人たち、着ている物がバラバラね。同じ兵士なんじゃないの?」
「よく気づきましたね。あれは、三種類の別々の組織なんです」
ダリアは指折り数えながら続けた。
「白地に聖印が刺繍された外套は聖騎士団。教会が抱える私兵です。それとは別の、揃いの鎧を着ているのが王国軍。各都市に派兵される国の正規軍ですね。そして今そこを歩いている軽装の方々が警備兵。バベリーの執政院が直接雇っている治安部隊で、一番人数が多いですね」
オルガは面食らって目を瞬かせる。
「な、なんでそんなに種類があるの……?」
「バベリーは、複雑な成り立ちの都市ですから」
ダリアは水路の流れに目をやりながら、静かに続けた。
「魔術師の街だったバベリーに、後から教会が勢力を広げました。そして、街の支配権を巡って対立したんです。魔術塔は『魔術こそ尊ばれるべきである』と考え、教会は『人々の信仰は神に向けられるべきだ』と考えた。どちらも譲らなかった結果、最終的に王都が仲裁に入って、中立の自治組織を置くことで決着したんです」
「へえ……?」
「だから今のバベリーは、領主のいない王都の飛地のような扱いなんです。役人はいますが、この街を治める貴族はいません」
オルガは困惑しつつも、こくこくと頷きながら聞いている。ついてこられているかは怪しいところだ。
「そんな状況だから治安維持も、教会の聖騎士団、王都から派遣された王国軍、自治体の警備兵が、それぞれの立場で分担しています。魔術塔だけ兵力がありませんが、魔術師の集団そのものが脅威ですからね。今も魔術塔と教会は険悪ですが、表立って争うことはない、という程度の均衡ですね」
「ふ、複雑……!もう頭がパンクしそう」
素直に吐露するオルガが微笑ましくて、ダリアは少し意地悪く、さらに言葉を重ねた。
「ああ、そういえば。水路や区画が整備されたのは、王都の多額の出資によるものですよ。水路や大通りで区画を切ることで諍いが減りますし、王の目はここまで届いているぞ、という証左にもなります」
「綺麗なのに……大人の事情が理由なんだ……?」
オルガが少し引いたような顔をするので、ダリアは思わず笑ってしまった。
――歴史的なことまで言及するならば、積もる話は様々ある。
大昔、王はバベリーを莫大な金で抱え込み、魔術を戦争に利用したという。戦後は逆に、魔術師の反乱を恐れた王が、牽制のために教会を誘致したとも言われている。都市の自治化や整備、王国軍の派遣も、いざという時に制圧しやすくするための布石だという見方もある。
魔術が普及しすぎないよう、魔術塔が利権で金を得る仕組みを王が作った結果、今の魔術塔は派閥争いに明け暮れる、くだらない組織に成り下がった。そんな話まである。
だが、そんなことは知らずとも、バベリーで生きていくことはできる。
冒険者に憧れてやってきたばかりの少女に、今そこまで話す必要はないはずだ。
――自分も霧の山の出身だが、彼女の世間知らずぶりを見て気づくことがある。
霧の山というのは、この国でも例外的な僻地だった。年中深い霧に包まれたあの山は、戦争で踏み荒らされることもなく、教会の布教も届かず、独自の山信仰と自給自足の暮らしだけで成り立っていた。魔術に触れる機会などあるはずもない。ただ一人、外から流れ着いた自分の父は魔術が使えたが、引きこもって研究に没頭していたため、良くも悪くも山の素朴な生活を荒らすことはなかった。
オルガからすれば、山の外の世界は知らないことばかりだろう。どうせ、一度に詰め込んで覚えられるものでもない。今日のところは、これだけの説明で十分としよう。
日はすっかり高く昇り、春の陽射しが石畳を温めた。広場を行き交う人々の数も増えていた。
「そろそろ、ギルドも空いた頃ですね。行きましょうか」
「うん!」
立ち上がったオルガは、来た時よりもいくらか落ち着いた足取りで、ダリアの隣に並んだ。
今しがた教わったばかりの街並みを、確かめるようにゆっくりと見渡しながら。
資料回的なやつ。覚える必要はないです。後々関連する話が出てきたら見に来るといいかも。




