第7話 二夜連続徹夜の限界
私立夢見学園高校の教室。朝の光が眩しく差し込む中、俺、鱈志野淳弥は鉛のように重い足を引きずりながら自分の席へと向かった。
二夜連続の徹夜。強烈なカフェインで無理やり脳を覚醒させているものの、体は悲鳴を上げている。視界の端がチカチカと点滅し、世界がかすかに揺れていた。
ふと視線を斜め前にやると、学級委員長の神薙凛香が、小さくあくびを噛み殺しながら眠たい目をこすっているのが見えた。
普段は姿勢を崩さない彼女の、珍しく気が抜けた姿。それも当然だ。昨夜、俺の監視当番として夜通し起きていたのだから。
俺は鞄を机に置くと、不意に彼女の横顔へ声を掛けた。
「おはよう凛香さん。昨日は、じゃない。今朝まで、どうもでした」
俺の声にビクッと肩を揺らした凛香は、慌てて背筋を伸ばし、こちらを振り向いた。
「お、おはよう、鱈志野くん。こちらこそ」
その声はどこか上ずっていて、いつもの完璧な委員長の仮面が少しだけズレている。
昨夜、深夜の通話で『男の子と電話で話すのが初めて』だと打ち明けてくれた不器用な素顔を思い出し、俺は少しだけ口元を綻ばせた。
「あのさ、今朝のピアノ……」
「しっ!」
凛香が咄嗟に立ち上がり、人差し指を口元に当てて俺を制した。周囲の生徒たちがちらりとこちらを見たが、彼女はすぐに平静を装って咳払いをする。
「……ここでは、私達のやり取りは口にしないで。プライバシーの問題よ」
「あ、ああ、ごめん」
「でも……その、ちゃんと起きて学校に来られたみたいで、安心したわ。さすが、ショートスリーパーね」
凛香は小さく微笑むと、少しだけ頬を赤らめて前を向いた。
どこかぎこちないその反応に、俺も少し照れくさくなりながら自分の席に腰を下ろした。
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「おい淳弥!お前、マジで今朝まで起きてたのかよ!」
休み時間になるや否や、渡大輔を中心とした男子グループが俺の机を囲んできた。
彼らの顔には、信じられないものを見るような驚きと、面白半分に観察するような野次馬根性が入り混じっている。
「まぁな。俺はいつも通り、有意義な夜を過ごしただけだけど?」
「栞の報告で『二夜連続本当に寝ていない』って、さっき聞いたぞ。お前、そろそろ限界で倒れるんじゃないか?」
大輔が俺の肩をバンバンと叩く。その振動だけで吐き気がしそうだが、俺は必死に涼しい顔を作った。
「倒れないさ。言っただろ、俺はショートスリーパーなんだ」
「いやいやいや、いくらなんでも人間やめすぎだろ。なあ、本当は隠れて寝てんだろ?今、目ぇガンギマリだぞ?」
大輔たちがニヤニヤと笑いながらちょっかいを出してくる。
彼らは未だに半信半疑なのだ。俺がいつ限界を迎えてボロを出すか、からかい半分で探りを入れている。
俺は心の中で血の涙を流していた。
(推察の通りだ!助けてくれ、本当は今すぐこの机に突っ伏して気絶したいんだ……!)
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昼休み。
大輔たちの俺への『観察』はさらにエスカレートしていた。
「淳弥、購買行くけど、お前またエナドリか?三本目くらいじゃねえか?」
「だから、眠気覚ましじゃなくて味が好みってだけだって」
「強がるねえ!ほら、もっと素直に『眠いです』って言ってみろよ!」
わははと笑いながら、大輔が俺の背中をバシバシと叩く。限界ギリギリの俺にとっては、ただの拷問でしかない。意識が遠のきかけた、その時だった。
「騒がしいわよ、渡君」
背後から響いた、氷のように冷たく凛とした声。
振り返ると、風紀の腕章を光らせた不動瑞希が、漆黒の髪を揺らして立っていた。
鋭い目つきで見下ろされ、大輔たちは一瞬で黙り込む。
「教室で大声を出すのは風紀の乱れよ。他人の生活実態を無闇にからかう暇があるなら、次の授業の予習でもしたらどう?」
「げっ、不動……。わ、わかったよ、悪かったな」
風紀委員長の威圧感に押され、大輔たちはそそくさと散っていった。
嵐が過ぎ去り、俺は小さく息を吐いた。
「助かったよ、不動さん」
「勘違いしないでちょうだい。僕はただ、風紀委員としての務めを果たしたまでだから」
瑞希は涼しげな顔を崩さず、ぴしゃりと言い放つ。
しかし、彼女が踵を返して立ち去ろうとした瞬間、俺にだけ聞こえるような小さな声が耳に届いた。
「……今夜の監査は、厳しいわよ。覚悟しなさい」
背筋がゾクリと凍った。
今日の夜は、この厳格な風紀委員長が当番なのだ。昨日の凛香よりもさらに容赦のない監視が待っていることを予感させられ、俺の疲労感はさらに倍増した。
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十七時。
なんとか一日の授業を乗り切った俺は、フラフラの状態で家まで辿り着いた。
母屋には目もくれず、真っ直ぐに裏庭のプレハブ小屋へと向かう。
ドアを閉め、鞄を床に放り投げた瞬間、俺の体は重力に引かれるままベッドへとダイブした。
俺の唯一の特技、『秒速入眠』。
ふかふかのマットレスに背中が触れた瞬間、カウントダウンすら必要なく、俺の意識は深いブラックアウトの底へと沈み込んでいった。
……。
…………。
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「淳弥!いつまで寝てるの!夕食よ!」
耳を劈くような母、晴江の怒声で、俺は無理やり現実に引き戻された。
「……ぁ、ん……」
時計を見ると、十九時。
たった二時間の睡眠。焼け石に水どころか、逆に中途半端に寝たせいで体中が鉛のように重い。
「早く来ないと、おじいちゃんにプレハブの電源落としてもらうわよ!」
「……いま、行く」
我が家の絶対の掟『夕食は全員集合』。これに逆らうことは誰にもできない。
俺はゾンビのような足取りで母屋のダイニングへ向かい、味が全くわからないまま、ただ機械的に白米を咀嚼して胃に流し込んだ。
「お兄ちゃん、なんか昨日より顔色ヤバいよ。死相出てる」
向かいの席で、妹の莉央がスマホをいじりながらドン引きしている。
「気にするな……。これは、男の矜持を守るための名誉の負傷だ……」
「意味わかんない。早くお風呂入ってよね、私次入るんだから」
夕食後、俺はフラフラと風呂場へ向かった。
湯船に浸かり、温かいお湯に包まれた瞬間、強烈な睡魔が俺を襲う。
(あ、これ……やばい……)
気づけば、コポコポと口から泡を出して湯船に沈みかけていた。
慌てて湯から飛び出し、むせ返りながら息を吸い込む。まさに命がけの綱渡りだ。
十九時五十分。
体を拭いてプレハブ小屋に戻った俺は、コーヒーの準備をしながらスマホを睨みつけていた。
まもなく二十時。冷酷無比な風紀委員長、不動瑞希による、地獄の監視シフトが始まろうとしていた。




