第4話 徹夜明けの絶望
窓の外が白み始め、ちゅんちゅんと雀の鳴き声が聞こえてきた頃。
俺と栞の通話は、ついに朝の六時を迎えようとしていた。
『……ふぁ。ごめん、ちょっとあくび出ちゃった』
「栞、お疲れ。もう六時だぞ。監視任務、終了の時間じゃないか?」
俺がそう告げると、電話の向こうで栞が弾かれたように息を呑む気配がした。
『あ、本当だ。……なんだか、あっという間だったわね』
「俺もだよ。まさか一晩中、昔話で盛り上がるとは思わなかった」
『そうね……。夜中にこうして話すのも、悪くないかも。それじゃあ、私はグループチャットに報告を入れておくわ。淳弥、ちゃんと起きてたって』
栞の声は、どこか名残惜しそうに聞こえた。
俺も「ああ、頼む」と返し、通話を切断する。
(終わった……!なんとか一晩、起きてやり過ごせたぞ……!)
スマホを机に放り投げ、俺は両手を高く突き上げてガッツポーズをした。
だが、その達成感は、数秒後に鳴り響いた連続通知音によって無残にも打ち砕かれることとなる。
『ピコン、ピコン、ピコン!』
恐る恐るスマホの画面を覗き込むと、『【厳重監査】鱈志野淳弥・睡眠実態検証委員会』のグループチャットが激しく動いていた。
『常盤栞:本日の監視報告。被験者・鱈志野淳弥は、夜間一睡もすることなく覚醒状態を維持していました。昨夜は通話にて一夜を共にし、健康状態に異常がないことも確認済みです』
『神薙凛香:了解したわ。常盤さん、長時間の監視お疲れ様。鱈志野くんが本当にショートスリーパーだったなんて、驚きね』
『不動瑞希:見事な忍耐力だ。しかし、通話で一夜を共にしただと?……常盤、私的な越権行為はなかっただろうな?』
『蜂屋愛莉:えー!通話とかズルい!アタシの当番の時も絶対電話しよーっと!淳弥くん、マジで寝てないとか超人でウケる!』
早朝の六時だというのに、彼女たちは全員起きていて、栞の報告に即座に反応していた。
画面に次々と流れていくメッセージを見つめながら、俺は血の気が引いていくのを感じた。
(嘘だろ……。こいつら、本気でこの監視シフトを回していく気なのか……?)
昨夜は栞だった。今日の夜は、明日の夜は、明後日の夜は……?
学級委員長、風紀委員長、カーストトップギャル。一癖も二癖もある彼女たちが、毎晩交代で俺の睡眠を削りに来るってか。
「俺は……とんでもない地獄の扉を開けちまったのかも……?」
絶望のあまり、俺は膝から崩れ落ちた。
+++
時刻は朝の六時五分。
絶望している暇はない。学校へ行くために家を出る時間まで、あと一時間弱ある。
(急いで準備をすれば、四十五分は寝られる……!)
俺の特技は『秒速入眠』だ。四十五分あれば、深い眠りに落ちて体力をある程度回復させることができる。
監視の目が完全に離れた今こそが、唯一のチャンスだ。
俺は這うようにして、プレハブ小屋のふかふかなベッドに倒れ込んだ。
「あぁ……天国だ……」
目を閉じる。ワン、ツー、
意識が心地よい暗闇へと沈み込んでいく。このまま、甘い眠りの底へ——。
ス
『バンバンバンバンッ!!』
「——っ!?」
突然、プレハブ小屋のドアがぶち破られんばかりの勢いで叩かれた。
跳ね起きた俺の耳に、聞き慣れた、そして絶対に逆らえない声が飛び込んでくる。
「淳弥!朝ごはんよ!いつまで寝てるの!」
母、晴江だった。
鱈志野家を実質的に支配している肝っ玉母ちゃんが、容赦なくドアノブをガチャガチャと回している。
「ま、待ってくれ母さん!俺、今日は朝ごはんいらないから!もう少しだけ寝かせて……」
「何を寝ぼけたこと言ってるの!うちは家族全員揃ってご飯を食べるのが絶対のルールでしょ!早く母屋に来なさい!」
言い訳など一切通用しない、鉄の掟が発動した。
「で、でも俺、宿題で疲れたから……」
「はあ?寝言は寝て言いなさい!五分以内に来なかったら、おじいちゃんにプレハブの鍵を壊させて突入するわよ!」
足音が母屋へと遠ざかっていく。
残された俺は、虚無の表情でベッドを見つめていた。
(終わった……。俺の、四十五分の睡眠が……)
結局、俺は本当に一睡もすることなく、サンダルを引きずって母屋へ向かうハメになった。
+++
「お兄ちゃん、なんか顔ヤバくない?目の下にすっごいクマできてるし、動きがゾンビみたい」
朝食の席で、妹の莉央が納豆を混ぜながらドン引きしたような声を上げた。
俺は焦点の合わない目で、味噌汁をすすった。
「気にするな……。これは、嘘を現実にする戦士の証だ……」
「意味わかんない。ていうかキモい」
辛辣な言葉を浴びせられながらも、俺はただ機械的に白米を咀嚼することしかできなかった。
七時半。重すぎる体を引きずって、俺は私立夢見学園高校へと続く坂道を登っていた。
足取りはフラフラで、今にもその場に倒れ込みそうだ。すれ違う生徒たちが、俺の血走った目を見てギョッと道を空けていく。
(眠い……。死ぬほど眠い……)
これから学校で、一時間目から六時間目まで授業を受けなければならない。しかも、休み時間には大輔たち男友達のいじりが待っているし、何よりあの監視同盟のメンバーたちが俺の一挙手一投足に目を光らせているのだ。
授業中にうたた寝でもしようものなら、「三十分しか寝ていない」という嘘がその瞬間にバレてしまう。
くだらない見栄を張った代償は、あまりにも大きすぎた。
俺は半泣きになりながら、朝日が眩しい校門を、まるで処刑台へ向かう罪人のような足取りでくぐり抜けていった。




