第38話 膝枕リレー
一時から四時までの間は、瑞希の当番だ。
「さあ、鱈志野くん。僕の膝を使いなさい。ほとんど寝てないんでしょ」
「ありがとう、瑞希さん……全てを預けられるのは、君だけだ」
瑞希の膝枕に頭を乗せ、百草の温灸アイマスクを目元に乗せられる。ツボを的確に押さえる彼女の指圧に、俺は再び抗いがたい睡魔へと引きずり込まれた。
「僕にだけは、こうして無防備な顔を見せてくれてうれしいよ……。愛しい人よ」
瑞希の熱っぽい囁きを子守唄に、俺は深い眠りへと落ちた。
+++
――しかし。
「あれー?瑞希ちゃん、淳弥くん、思いっきり爆睡してない?」
朝の四時。能天気で明るい声が部屋に響き、俺の心臓は再び跳ね上がった。
次のシフト担当、愛莉がやってきたのだ。
「か、勘違いしないでちょうだい、蜂屋さん!」
いつもは冷静な瑞希の声が、明らかに上ずっている。
「彼はちょうど今、一日三十分の睡眠を取っていただけだ!僕の完璧な風紀管理とタイムキーピングによってね!」
どこかで聞いたことのあるセリフだ。
俺はアイマスクをむしり取り、再び勢いよく飛び起きた。
「あ、ああ!今起きた!奇跡の三十分睡眠!おかげで目がパッチリだ!スッキリ快調~」
俺と瑞希が滝のような冷や汗を流しながら並んで立っていると、愛莉はジト目で俺たちを交互に見比べた。
「えー?なんか怪しーい。淳弥くん、本当?」
愛莉が唇を尖らせ、疑心暗鬼の目を向けてくる。
「ほ、本当だよ!さーこれから一日が始まるぞー!」
俺が必死にごまかすと、愛莉は「まあ、いっか!」とあっさり引き下がり、瑞希と交代した。
監視員たちがそれぞれ「自分だけが共犯者で、特別な秘密を共有している」と思い込んでいるからこそ成立する、スリリングで脆い綱渡りの言い訳リレー。
俺は寿命が削られるようなドキドキを味わいながらも、眠気には勝てず四時から七時までの間、愛莉の膝枕とホワイトノイズの環境音で、最後の睡眠を貪った。
「本当に感謝しているよ、愛莉……何でも言えるのは、君だけだ」
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十月二日、木曜日。朝の七時。
「おっはよー、淳弥くん!朝だよ!」
愛莉の声で目覚めた俺は、ホテルの一角で大きく伸びをした。
前夜の命がけの徹夜によるダメージは、三人の監視員たちの膝枕リレーによる細切れの睡眠(合計すればほぼ十分な睡眠時間)のおかげで、完全に回復していた。
「あぁ……よく寝た。愛莉、ありがとうな」
「えへへ、どういたしまして。じゃ、みんなが朝食に来る前に解散しよっか!」
俺はスッキリとした頭で、自分の部屋へと戻るべく廊下を歩いていた。
(ヒヤヒヤしたけど、梢先生のシステムのおかげでなんとか生き延びたぞ……)
安堵の息を吐き出した、その時だった。
『ピコン』『ピコン』『ピコン』
ズボンのポケットで、スマホが連続して激しく振動した。
嫌な予感がして画面を開くと、『【厳重監査】鱈志野淳弥・睡眠実態検証委員会』のグループチャットが、早朝から恐ろしいことになっていた。
『神薙凛香:本日の監視報告。夜間、淳弥くんと一晩を共にし、淳弥くんは寝なかったことを報告しますわ。私の膝枕で安らぎを与え、お互いの将来について深く語り合い、精神的な絆を確固たるものにしました。これほど有意義な時間は他にないでしょうね』
『不動瑞希:異議あり。彼を真に支えたのは、風紀委員長である私の厳格かつ献身的なケアだ。温灸と膝枕の温もりを通じ、魂の次元で深く絆を深めたのだから。委員長の表面的な会話とは有意義さの次元が違う』
『蜂屋愛莉:えー?アタシなんて耳かき付きの膝枕だし!淳弥くん、アタシの匂いに包まれて、完全に身を委ねてめちゃくちゃ甘えてきたよ?絆っていうか、もう完全にアタシの虜だったっしょ♡アタシとの時間が一番濃密で有意義だったに決まってるじゃん!』
『神薙凛香:虜ですって!?品がないわよ蜂屋さん!そもそも彼が一番心を開いていたのは私の時間帯です!』
『不動瑞希:いいや、僕の膝の上でこそ、彼は最も無防備な顔を見せてくれた!』
俺は廊下のど真ん中で、天を仰いで立ち尽くした。
深夜のシフトを回した三人が三人とも、「自分だけが彼と秘密の時間を過ごし、最も深く絆を結んだ」という強烈なマウントを、よりにもよって全員が見ているグループチャットでバチバチに競い合っていたのだ。
『常盤栞:…………ちょっと待って。膝枕だの耳かきだの、三人ともどういうこと?みんな淳弥に甘えられてたって……?』
『雨宮梢:煽り合いはそこまでにしなさい。楽しい修学旅行なんだから、仲良くいきましょう』
「終わる……完全に終わる……!」
俺は頭を抱え、その場にうずくまった。
彼女たちが自分との「有意義な時間」と「絆」を誇示してマウント合戦を繰り広げた結果、俺が全員に「君だけに」といい顔をして甘えていたことがバレる寸前まできた。
まだ残り二日もある修学旅行。
澄み渡る沖縄の青空とは裏腹に、俺の未来には、血で血を洗うような恐ろしい修羅場しか見えていなかった。




