第37話 公式観察エリア
そのドタバタとした光景を、少し離れた土産物屋の陰から、静かに見つめている瞳があった。
幼馴染の常盤栞だ。
彼女は、フラフラと歩く俺の姿を見つけ、「淳弥、疲れてない?少し休んだら?」と声をかけてきたが、それはとても小さく聞き取るのがやっとだった。
俺の周りに次々と集まる凛香、瑞希、愛莉の姿を見て、ピタリと足を踏みとどまった栞。
「あの前のように……?」
「耳元での作業……?」
彼女たちの会話の断片が、栞の耳にも微かに届いたのだろうか。
俺と彼女たちの間には、言葉の裏に隠された『自分だけが知らない親密な空気』、あるいは『何かを共有している秘密』を察したかのようだった。
『淳弥は昔から絶対に嘘をつかないから、全部信じている』
昨夜、プレハブ小屋で俺に告げた栞の言葉に罪悪感を覚えた。
「……淳弥」
楽しげに、けれど必死に監視員たちの間で立ち回る俺の姿を見つめながら、栞はポツリと呟いたのが聞こえた。
その細縁の眼鏡の奥の瞳には、かつて小学生の時に孤立した時と同じような、深い『違和感』と『疎外感』が、少しずつ、しかし確実に黒い染みのように広がっているようだった。
それから栞は声をかけてくるのを辞め、静かにその場から立ち去っていった。
俺は、そんな幼馴染の背中に心苦しさを感じずにはいられなかった。
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夕方を迎え、俺たちは那覇市内にある大型リゾートホテルへとチェックインした。
豪華なエントランスとふかふかの絨毯。しかし、極度の睡眠不足でフラフラの俺にとっては、もはやすべてが霞んで見えた。
夕食のバイキングも味がわからないまま適当に胃に流し込み、今晩はどうやって寝てやろうかと考えていた矢先だった。
「鱈志野くん、少し来なさい」
引率責任者である雨宮梢先生に呼び出され、俺はホテルの二階にある小さな貸切会議室へと連行された。
部屋に入ると、そこにはすでに凛香、瑞希、愛莉、そして栞の四人が集められていた。
「先生、これは一体どういうことでしょうか?」
凛香が代表して尋ねると、梢先生は教卓のようなテーブルに手をつき、大人としての威厳を漂わせて口を開いた。
「あなたたち、夜間に鱈志野くんの監視シフトを組んでいるわね。でも、ここは旅行先よ。彼がショートスリーパーだということは、ほぼ確定している状況ではありますが、万が一に環境の変化で彼が極限状態に陥り、男子部屋で倒れるような事故が起きるリスクを、私は引率教員として最も恐れているの」
「それは……」
「だから、生徒を野放しにするのではなく、私の管理下に置くことに決めたわ。この貸切スペースの一角を『公式観察エリア』に設定します」
先生の言葉に、女子たちがざわめいた。
「そして、あなたたち四人と私とで『交代付き添い係(バイタル記録員)』に公式任命します。これは先生の監視業務のお手伝いよ。だから、夜間でも堂々とここで彼を観察しなさい」
俺は目を丸くした。
つまり、「風紀の乱れだ」と指導して部屋へ戻すのではなく、「先生の手伝い」という強固な大義名分を与えることで、深夜の交代制システムを公式に認めてしまったのだ。
(梢先生……すげえ。これで俺は、男子部屋の騒音から逃れて、ここで堂々と各監視員に甘えて眠ることができる!願っても無いチャンス到来!)
しかし、梢先生の狙いはそれだけではないはずだ。
彼女自身も「生徒を指導する立場」を崩さず、自分の当番のときには俺を独り占めしてケアできるという、完璧なシステム構築である。
俺は安堵と同時に、底知れぬ大人の策士っぷりに背筋が凍る思いだった。
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その日の深夜。
ホテルの他の生徒たちが寝静まった頃、公式観察エリアである会議室のソファで、俺の綱渡りの睡眠リレーが幕を開けた。
二十二時。最初の監視シフトは、学級委員長の凛香だ。
「淳弥くん、疲れたでしょう。ほら、ここへ」
静寂に包まれた部屋で、四人掛けソファに座る凛香は自らの膝をポンと叩いた。俺は遠慮なく彼女の柔らかな膝枕に頭を沈めた。
「ありがとう、凛香……安らげるのは、君だけだ」
「いいのよ。私だけはあなたの秘密を知っているのだから、ゆっくりおやすみなさい」
彼女の優しい声と、フローラルなシャンプーの香りに包まれ、俺は特技の『秒速入眠』で瞬く間に泥のような眠りへと落ちていった。
+++
――しかし。
「……神薙さん。なぜ、鱈志野を寝かせているの?監視はどうしたのよ!」
氷のように冷たく、鋭い声で俺は強制的に覚醒させられた。
時計の針は深夜の一時を指している。シフト交代の時間になり、風紀委員長の瑞希が急に部屋に入ってきたのだ。
俺は「やばい!」と飛び起きようとしたが、凛香が俺の頭をグッと押さえつけ、完璧な委員長の仮面を被って振り返った。
「勘違いしないで、不動さん。彼はショートスリーパーよ。私のタイムキーピングの計算通り、ちょうど今、一日三十分の睡眠を取っていたところだったわ」
あまりにも堂々としたハッタリ。
俺も咄嗟に空気を読み、バッと勢いよく起き上がった。
「あ、ああ!今起きた!いやあ、最高の三十分だった!完全に体力回復したぜ!こ、これで一日動ける~」
俺が必死に話を合わせると、瑞希は怪訝そうに目を細めたが、「……そう。なら、ここからは僕が彼を管理するわ」と納得してくれた。
凛香は俺に「後は任せたわよ」という目配せを残し、部屋を出て行った。




