第35話 深夜の荷造り
二十時。
プレハブ小屋に散乱した監視員たちの遺留品を片付けようと俺が這いずり回っていると、容赦のないノックの音が響いた。
「淳弥、いる?明日からの修学旅行の荷造り、監視がてら手伝いに来たわよ」
生真面目な幼馴染、栞の声だった。
「げっ……ちょっと待って!」
俺は手元にあった愛莉のリップコスメを慌ててズボンのポケットにねじ込み、ベッドの隙間から見えていた瑞希のアイマスクを足で奥へと蹴り飛ばした。
「開けるわよ」
ガチャリとドアが開き、栞が部屋に入ってきた。
「全く、淳弥は昔から準備が遅いんだから。旅のしおり通りに忘れ物がないか、私がチェックしてあげる」
「い、いや、自分でできるから大丈夫だって!」
俺の制止も聞かず、几帳面な彼女は俺の旅行用ボストンバッグを広げ始めた。
「まずは着替えね。クローゼットの奥に、気温が下がった時用のパーカーがなかったっけ……?」
栞がクローゼットの扉に手をかけた瞬間、俺の心臓が跳ね上がった。そこには凛香の黒いヘアゴムが隠してある。
「俺が出す!」
俺はスライディングするような勢いで栞の前に割り込み、強引にパーカーを引きずり出した。
これから限界の睡魔と戦おうとしていたはずの俺だが、不貞を疑われないための必死の言い訳と隠蔽工作に追われ、冷や汗で強制的に覚醒状態を保ち続ける羽目になった。
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深夜。
なんとか荷造りを終え、修学旅行に持っていくカメラを探す流れになった。
「昔使ってたデジカメ、この棚の奥にあったよな……」
俺が段ボール箱を引っ張り出すと、カメラと一緒に、小学生時代の古いアルバムが顔を出した。
「懐かしいわね。これ、小学校の林間学校の時の写真じゃない?」
栞がアルバムを手に取り、ページをめくる。深夜の静寂の中、二人で並んで思い出話に花が咲いた。
「ほら、淳弥、カレー作りの時に火起こしで顔を真っ黒にしてたわよね」
「お前だって、野菜切る時に玉ねぎで泣きっぱなしだったくせに」
穏やかで、懐かしい時間。
しかし、アルバムを閉じた後、栞はふと真剣な瞳で俺を見つめてきた。
「……ねえ、淳弥」
「なんだよ」
「私、淳弥のそういうところ、昔からずっと変わらなくて好きよ」
栞は愛おしそうにアルバムを撫でながら、静かに、けれど確かな重みを持って言葉を紡いだ。
「淳弥は昔から、見栄を張ったり絶対に嘘をついたりしないから。……あなたの言葉は、全部信じているから。今も」
ドクン、と心臓が重く鳴った。
無自覚な、極大のプレッシャー。俺の『ショートスリーパー』という大嘘を、彼女だけは欠片も疑わずに純粋に信じ切っている。
「……あ、ああ。嘘は心身に悪いからな」
口から出た言葉は、自分でも嫌になるほど空虚に響いた。
限界ギリギリの睡魔が、俺のまぶたを重く押し下げてくる。
だが、この純粋な信頼の瞳を前に、寝落ちできるはずがなかった。
俺は机の下で、自らの太ももを力一杯つねり上げた。鋭い痛みが脳を貫き、無理やりに意識を覚醒させる。
(栞の監視シフトの番だけは、絶対に寝るわけにはいかない……!)
他の監視員には「君だけに」と弱音を吐いて甘えられた。しかし、栞に対してだけは、彼女の『嘘をつかない淳弥』という理想を守るため、自らの体を痛めつけながら決死の相槌を打ち続ける悲壮な戦いを敢行し続けた。
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十月一日、水曜日。
朝の五時。窓の外が白み始め、小鳥のさえずりが聞こえてきた。
「……もうこんな時間。荷造りも完璧だし、私は帰るわね」
栞が立ち上がり、満足げに微笑んだ。
「ああ。朝まで手伝ってくれて、サンキュな」
「ううん。……それじゃあ、また後で。修学旅行、楽しもうね」
栞はひらひらと手を振り、プレハブ小屋を出て家へ帰っていった。
ドアが閉まった瞬間、俺の体の糸がプツンと切れ、ベッドに倒れ込みそうになった。
『ピコン』
スマホの通知音が鳴る。グループチャットを確認すると、栞からのメッセージが投下されていた。
『常盤栞:本日の監視報告。淳弥と一晩を共にし、淳弥は寝なかったことを確認しました』
「……終わった……。やり遂げたぞ……」
徹夜を完遂した安堵感と共に、俺の意識は急速に遠のいていった。
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「……お兄ちゃん、何その顔」
朝食のダイニングテーブル。
俺は極度の睡眠不足でフラフラになりながら、焦点の合わない目で味噌汁をすすっていた。たった一晩の徹夜で目の下には、もはや芸術的とも言えるどす黒いクマが刻み込まれた。
向かいの席に座る妹の莉央が、ジト目でドン引きしたように俺を見つめていた。
「遠足が楽しみすぎて一睡もできなかった小学生かよ。キモっ」
莉央の容赦のない毒舌が、弱り切った脳髄に突き刺さる。
「……男にはな、万感な思いで旅立つそのときを待つこともあるんだ……」
「は?意味わかんない。お母さーん、お兄ちゃんがまた中二病発症してるー!」
呆れ返る家族を前に、俺は味のしない白米を機械的に咀嚼した。
これから三日間、二十四時間二年生全員の視線が交錯する『修学旅行』という名の監視地獄へ放り込まれる。
脳の疲労がすでにピークに達している俺は、処刑台へ向かうような悲壮感を漂わせながら、重いバッグを手に鱈志野家を後にした。




