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第34話 遺留品

 九月三十日、火曜日。

 私立夢見学園高校の二年B組。朝のショートホームルームのチャイムが鳴り、担任の鈴木先生が教室に入ってきた瞬間、クラス中がざわついた。


「先生、大丈夫か……?」

 誰が見てもわかるほど顔色が悪く、激しく咳き込みながらフラフラと教壇に立っているのだ。鈴木先生は震える手で「明日からの修学旅行のしおり」を配り終えた直後、ついに耐えきれずその場で倒れそうになった。


「先生!しっかりしてください!」

 駆けつけてきたのは、養護教諭の雨宮《あまみや》梢《こずえ》先生だった。彼女に肩を貸され、鈴木先生はそのまま保健室へと運ばれていった。


 数分後、梢先生が一人で教室に戻り、教卓の前に立った。

「担任の鈴木先生は重度の風邪のため、明日からの沖縄修学旅行はお休みとなります。代わりに、私が代理で引率責任者として同行しますから、皆さんよろしくお願いしますね」


 その正式な発表に、渡《わたり》大輔《だいすけ》たち男子生徒が「うおおおっ!梢先生と旅行行けるとか最高じゃん!」と一斉に大盛り上がりした。

 しかし、俺だけは、一人で滝のような冷や汗を流していた。


 昨夜、プレハブ小屋で彼女から大人の色気たっぷりの医療マッサージを受けたばかりなのだ。しかも、彼女は「教師として越えてはならない一線」の狭間で激しく葛藤していた。


 歓声に沸く教室の後ろから、梢先生は俺にだけ、意味深で艶やかな視線を送ってきた。

(修学旅行、波乱が起きないはずがない……!)


 +++


 昼休み。

「おい淳弥、沖縄の自由行動はどこ行くのさ?」

 自分の席で弁当を食べていた俺に、渡が声をかけてきた。


「俺は特に決めてないけど……」

「ちょっと待って。鱈志野君は生徒会の雑用を手伝ってもらう予定だから、私に行動してもらうわ」

 不意に、学級委員長の神薙《かんなぎ》凛香《りんか》が会話に割り込んできた。完璧な笑顔だが、目は全く笑っていない。


「委員長、それは私的利用よ。鱈志野君には風紀委員の安全管理アシスタントとして、僕の隣にいてもらう」

 今度は、風紀委員長の不動《ふどう》瑞希《みずき》が腕を組んで立ちはだかった。


「えー、二人ともお堅すぎ!淳弥くんはアタシと一緒に、国際通りでスイーツ巡りするに決まってんじゃん!」

 カーストトップギャルの蜂屋《はちや》愛莉《あいり》までが参戦し、俺の机の周りは一瞬にしてバチバチとした火花が散る修羅場と化した。


「お、おい淳弥……お前、いつの間にこんな学園の主要人物たちと仲良くなったんだ……?」

 渡がドン引きしながら後ずさる。

 彼女たちは俺の「ショートスリーパー」という設定を支えてくれいて、それぞれが自分との秘密の時間を共有したという優越感を持っている。修学旅行の班決めや飛行機の座席を巡る、水面下の強烈なマウント合戦がすでに始まっているようだ。


「あー、えっと、俺は一人で適当に回るから!」

 俺は引きつった笑いを浮かべ、彼女たちの強すぎる好意から必死に目を逸らした。


 +++


 十九時。

 放課後のホームルームを終え、俺は逃げるように鱈志野家へと帰還した。

 夕食までの時間、裏庭のプレハブ小屋で一息つこうとドアを開けた瞬間、俺は絶望的な光景を目の当たりにした。


「……やばすぎる」

 ここ数日、各監視員の添い寝回や深夜の訪問が連続したため、プレハブの室内には彼女たちの遺留品が散乱していたのだ。

 机の上には凛香が忘れていった黒いヘアゴム。ベッドの隙間には瑞希の百草温灸アイマスク。棚の隅には愛莉の派手なリップコスメ。さらに、昨夜梢先生が焚いた星鳴《ほしなき》ハーブの残り香まで漂っている。

(俺の部屋、完全に女の影だらけじゃないか……!)


「お兄ちゃーん!お母さんがご飯だって……ん?」

 ガチャリとドアが開き、妹の莉央《りお》が顔を出した。

 俺は咄嗟にベッドの上に覆いかぶさり、瑞希のアイマスクを背中で隠した。


「なんだよ急に入ってくるな!」

「……お兄ちゃん、また違う匂いがする」

 莉央は犬のように鼻をヒクヒクとさせ、ジト目で俺を睨んだ。

「バニラみたいな匂いとか、ハーブっぽい匂いとか、なんか混ざってない?お兄ちゃん、ここで変な商売でもしてんの?」


「し、してない!最近アロマにハマってるだけだ!ほら、すぐ母屋に行くから先に行ってろ!」

 俺が必死に追い出すと、莉央は「絶対怪しい。栞《しおり》ちゃんに言いつけてやる」と母屋へ向かって呟きながら去っていった。

(栞にバレたら、俺の命はない……!)


 家族や、何より幼馴染の栞にバレる危機感を覚え、俺は大慌てでプレハブの掃除と隠蔽工作を開始した。

「とりあえず、このリップとヘアゴムを引き出しの奥に……!」


 ブブブブッ!

 その時、机の上のスマホが狂ったように振動し始めた。

 画面を見ると、彼女たちからのメッセージが立て続けにポップアップしている。


『神薙凛香:この前、私のヘアゴム忘れてないかしら?捨てないで取っておいてね』

『不動瑞希:アイマスクを回収しに行きたい。今夜は無理だが、絶対に他人に触らせるな』

『蜂屋愛莉:アタシのリップ、淳弥くんの部屋に落としたかも!見つけたら大事に保管しといて♡』


 物理的な遺留品だけでなく、デジタルな追撃まで重なる絶体絶命の状況。

 明日からの修学旅行の準備もしなければならないのに、俺は冷や汗を拭いながら、誰にも見つからない完璧な隠し場所を探して狭いプレハブ小屋の中を掃除をしながら這いずり回った。

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