第24話 過剰な世話焼き
九月二十五日、木曜日。
朝からグループチャットを震撼させた、雨宮梢先生の『大人の秘密』報告。
「大人の女に奪われるかもしれない」という強烈な危機感が、他の監視員たちの闘争心に火をつけてしまったらしい。
そして迎えた昼休み。
俺の平穏な時間は、完全に剥奪された。
「鱈志野くん、ちょっと生徒会室まで来てくれるかしら?」
昼のチャイムが鳴るや否や、凛香が教室のドアに立ち、有無を言わさぬ笑顔で俺を連行した。
生徒会室の長机には、重箱のような豪華な三段弁当が広げられていた。
「保健室の先生なんかに頼らなくても、私が完璧な栄養管理をしてあげるわ。さあ、口を開けて」
「えっ、いや、自分で食うよ!」
「遠慮しないで。あーーーん」
有無を言わさぬ圧。完璧な学級委員長の手によって、卵焼きやタコさんウインナーが次々と俺の口に放り込まれる。美味しいのだが、緊張で味が全く分からない。
「ごちそうさま!もう腹いっぱいだ!」
逃げるように生徒会室を飛び出した俺だったが、今度は廊下の角で瑞希に捕まった。
「待ちなさい、鱈志野。風紀の抜き打ち点検よ」
「え?制服ならちゃんと着てるだろ?」
「爪よ。伸びていると不潔だわ。僕が切ってあげるから、手を出しなさい」
瑞希は懐から爪切りを取り出し、俺の手首をガシッと掴んだ。
「ちょ、不動さん!?近い、近いって!それに切りすぎだ!深爪すぎる!」
「動かないで。大人の真似事をして夜遊びなんてしないで、こうして学生らしく身だしなみを整える方が先決でしょう?」
完全に梢先生への対抗心だ。パチン、パチンと小気味良い音を立てて、俺の爪がギリギリのラインまで刈り込まれていく。
ヒリヒリする指先を抱え、命からがら教室に戻ると、今度は愛莉が待ち構えていた。
「あーっ、淳弥くん遅い!ほら、これ飲んで!」
愛莉は海外製の、蛍光イエローに発光しているような怪しげなエナジードリンクを俺の机にドンと置いた。
「な、なんだこれ……」
「最新の美容成分入りエナドリ!先生の乱暴な運転でドライブだなんて体力使うっしょ?アタシがエナジー注入してあげるから、ほら、一気飲み!」
「ぶふぉっ!?ま、まずい!なんだこの味!」
「えー?アタシへの愛があれば飲めるっしょ!」
ギャル特有の強引なノリで流し込まれ、俺の胃袋は完全に悲鳴を上げていた。
生徒会室、廊下、そして教室。
監視員たちによる「私の方があなたの体を管理できる」という、過剰なアピール合戦のタライ回し。
たっぷり睡眠をとったはずなのに、徹夜とは別の意味で、俺の体力と精神力はゴリゴリと削られていった。
ふと、教室の斜め前方に視線をやる。
そこには、自分のお弁当箱を前にして、所在なさげにうつむく栞の姿があった。
「……」
栞は、愛莉に絡まれている俺をちらりと見て、すぐに視線を逸らした。
その瞳には、明らかな嫉妬と、寂しさが入り混じっていた。
真面目で不器用な図書委員長である栞には、凛香のように権力を使って呼び出したり、瑞希のように風紀を理由に接触したり、愛莉のようにノリで強引に迫ったりすることはできない。
ただ遠くから、俺が他の女子たちに囲まれているのを見守ることしかできないのだろう。
(栞……)
俺は胸がチクリと痛むのを感じた。
助け舟を出したい。でも、両腕を愛莉にホールドされていて、身動きが取れない。
「ねえ淳弥くん聞いてる!?今週末はアタシと遊ぶんだよね!」
「あ、ああ、うん……どうかな」
俺の曖昧な返事を聞いて、栞は小さくため息をつき、静かに教室を出て行ってしまった。
その背中を見送りながら、俺は深い罪悪感に苛まれていた。
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十九時。
放課後の仕事を終えて帰宅した俺は、夕食と風呂を済ませ、裏庭のプレハブ小屋に逃げ込んだ。
「はぁ……疲れた……」
ベッドに倒れ込み、天井を見上げる。
昼間の彼女たちの暴走。そして、教室を出て行った栞の寂しそうな横顔が脳裏から離れない。
(このままでいいわけがない)
嘘の上に成り立ったハーレム状態。他の女子たちとは「共犯関係」のような形でなあなあになっているが、栞だけは違う。
彼女は、俺の「毎日三十分しか寝ていない」という見栄から出た大嘘を、誰よりも純粋に信じている。
『淳弥は嘘つかない』
あの日、大輔たちにバカにされていた俺を、栞は真っ直ぐな目で庇ってくれた。
今日の監視当番は、その栞だ。
(栞に嘘を打ち明けよう)
俺は身を起こし、コーヒー豆をミルにセットした。
深夜の通話の時に、すべてを話そう。「ごめん、ショートスリーパーなんて嘘なんだ」と。
きっと怒るだろう。幻滅されるかもしれない。
それでも、一番大切にしたい幼馴染を、これ以上騙し続けることはできない。
だが、豆を挽く手がピタリと止まる。
(……言えるのか?俺は)
栞が信じてくれているのは、「嘘をつかない淳弥」だ。
他の女子たちには「実は……」と情けなく白状して甘えることができた。それは、彼女たちが元から俺に完璧さを求めていなかったし、見栄を張る必要がない相手だったからだ。
しかし、栞は違う。
昔から俺を一番近くで見てきて、「淳弥は誠実だ」と信じ切っている。
その彼女の絶対的な信頼を、俺自身の口から粉々に打ち砕くこと。それがどれほど残酷なことか、想像するだけで胃が痛む。
「……くそっ」
ゴリゴリと、苛立ちをぶつけるようにミルを回す。
本当のことを言わなきゃいけない。
でも、栞にだけは、自分が情けない嘘つきだと知られたくない。
俺はぐるぐると堂々巡りの葛藤を繰り返しながら、時計の針が二十時を指すのを、ただ重い胃を抱えて待っていた。




