第22話 過熱するマウント
九月二十五日、木曜日。
私立夢見学園高校。二年B組の教室のドアを開けた瞬間、俺は肌を突き刺すような強烈な殺気を感じ取った。
「あ、淳弥くんおはよー!」
明るく華やかな声が響いた。カーストトップギャルの蜂屋愛莉が、自分の席から満面の笑みで手を振っていた。
「お、おはよう……」
「昨日の夜のコーヒー、すっごく美味しかったね♡またアタシのバイト先までお迎えに来てよね!」
あえて他の女子たちにも聞こえるようなトーンで、彼女は昨夜のダイナーでの密会を匂わせた。自分だけが俺の弱みを知る『共犯者』になったという余裕からくる、強烈なマウントだ。
パキッ。
斜め前の席で、幼馴染の常盤栞がノートに押し当てていたシャープペンの芯が無惨に折れる音がした。
ギリィッ。
教室の入り口近くで、風紀委員長の不動瑞希が自らの腕章を強く握りしめ、布が軋む音が聞こえた。
さらに、学級委員長の神薙凛香に至っては、口元に完璧な微笑みを浮かべたまま、目の奥に一切の光を宿さずに俺と愛莉を交互に睨みつけている。
(こ、こええ……!)
抜け駆けは絶対に許さないという、監視員たちのバチバチとした空気感。
俺は引きつった愛想笑いを浮かべながら、逃げるように自分の席へと潜り込んだ。
+++
一時間目の休み時間。
俺の机を、渡大輔を中心とした男子グループが取り囲んだ。
「おい淳弥!マジで頼む、俺をお前の弟子にしてくれ!」
大輔が、まるで教祖を崇める信者のような真剣な眼差しで身を乗り出してきた。
これまで俺を「どうせハッタリだ」とからかっていた彼らだが、数日連続で徹夜をしているはずの俺が、肌ツヤも良く平然と登校してくる姿を見て、その態度は完全に『リスペクト』へと反転していたのだ。
「弟子って……俺は別に、何も教えてやれないぞ」
「頼むよ!俺、毎晩ゲームで夜更かしして、次の日ボロボロになるのが悩みなんだよ。どうやったらそんなに起きていられるんだ?集中力を保つためのヤバいサプリとか飲んでるのか?」
必死に教えを乞う彼らを見て、俺は少しだけ得意げに聞きかじったネットの情報を教えてやった。
「サプリなんかに頼っちゃ駄目だ。大切なのは、ストレスを溜めないことと、睡眠の質を極限まで高めることだ」
「す、睡眠の質……!わずか三十分の睡眠にすべてを懸けるってことか!」
「そうだ。寝る前の環境を整えるのも重要だな。寝る一時間前からはスマホのブルーライトを避け、カフェインの摂取も控えて、副交感神経を優位にするんだ」
俺が偉そうに説いたそれは、完全に『良質な八時間睡眠をとるための正論』だった。ショートスリーパーの設定とは盛大に矛盾しているのだが、俺を『不眠の達人』だと妄信している大輔たちは気づかない。
「なるほど……!徹夜するために、あえて脳を休める準備をするのか!深い、深すぎるぜ淳弥……!」
「お前らも、しっかり自律神経を整えろよ」
「一生ついていきます、師匠!」
完全に信じた大輔たちはありがたそうに俺の言葉をメモし始めた。俺はクラス内で『真のショートスリーパー』としての確固たる地位を築いてしまったらしい。
+++
十六時。放課後。
帰宅しようとしていた俺のスマホに、一件のメッセージが届いた。
『学校の裏手で待っていなさい』
送り主は、保健室の雨宮梢先生だった。
指定された人通りの少ない裏門へ向かうと、黒いコンパクトカーがアイドリング状態で停まっていた。助手席の窓がスィーッと開き、サングラスを頭に乗せた梢先生が顔を覗かせる。
「乗って。今日は私の監視シフトよ」
促されるまま助手席に乗り込むと、車は静かに発進した。
車内という狭い密室空間。いつも保健室で嗅いでいるアロマとは違う、先生のプライベートな香水の、少し甘くてスパイシーな大人の匂いが鼻をくすぐる。
ハンドルを握る彼女の横顔は、学校で見せる保健の先生としての顔ではなく、一人の『大人の女性』の隙のない美しさがあった。
「せ、先生……どこへ行くんですか?」
「ふふっ、誘拐はしないから安心して。あなたのそのボロボロになった体を癒やしに行くの」
車は市街地を抜け、高校生が自転車で向かうには少し遠い、郊外のエリアへと入っていく。
三十分ほど走って到着したのは、『星鳴温泉郷』だった。
川沿いには、二十四時間誰でも無料で利用できる、屋根付きの足湯スポットが整備されている。平日の夕方ということもあり、観光客の姿はなく、川のせせらぎだけが静かに響いていた。
「さあ、靴を脱いで」
先生に言われるがまま、俺はズボンの裾を捲り上げ、彼女と並んでベンチに腰を下ろした。
少し熱めのお湯に足を浸すと、ジンジンと芯から温まる感覚が全身を駆け巡る。
「あぁ……気持ちいい……」
「でしょう?バイタル回復には、血行促進が一番なんだから」
隣に座る梢先生は、タイトスカートの裾を少しだけ引き上げ、白く滑らかなふくらはぎを出してお湯に浸していた。湯気越しに見えるその無防備な姿に、俺は目のやり場に困って、慌てて川の水面へと視線を逃がした。




