第2話 監視委員会の結成
昼休みのチャイムが鳴る頃には、事態は俺の想像を遥かに超える規模へと発展していた。
俺が『ショートスリーパー』だという噂は、たった数時間で二年B組の教室から学年全体、いや学校中に広まっていたのだ。
廊下を歩けば「あいつだろ、三十分しか寝ない奴」「マジで?絶対にフカシだって」というヒソヒソ声が聞こえてくる。
(やりすぎた……。完全に調子に乗ってしまった……)
自分の机で購買のパンをかじりながら、俺は内心で冷や汗を滝のように流していた。
ただ大輔たちを黙らせたかっただけなのに、まさかここまで大事になるとは。嘘は雪だるま式に膨れ上がり、もはや「冗談だった」と取り下げるタイミングを完全に失っていた。
「おい淳弥、お前マジで有名人じゃん!」
そこへ、弁当箱を持った大輔がニヤニヤと笑いながらやってきた。周りにはいつもの男子連中もくっついている。
「毎日三十分しか寝てないとか、淳弥は本当にスゲーよな。……本当ならな!ひゃははは!」
大輔は未だに俺の言葉を信じておらず、腹を抱えて笑っている。
当然だろう。俺もそんな高校生がいるだなんて信じられんのだから。
「どうせお前のことだから、適当なハッタリかまして引っ込みがつかなくなっただけだろ?三十分なんて絶対に無理だっての!」
「……お前が信じないなら、それでいいよ」
証明の方法なんて無いと開き直り、俺は平静を装ってパンを飲み込んだが、胃の奥がキリキリと痛んだ。図星を突かれて動揺しているのを悟られないよう、必死に無表情を作る。
「強がるねえ!じゃあ証拠見せろよ、証拠!」
大輔が俺の肩をバンバンと叩いて囃し立てた、その時だった。
「渡くん、いい加減にしなさいよ」
凛とした、しかし明確な怒気を孕んだ声が教室に響いた。
振り返ると、図書委員長を務める幼馴染の常盤栞が、細縁の眼鏡の奥から鋭い視線を大輔に向けていた。
「なんだよ常盤。俺はただ、こいつの嘘を暴いてやろうと……」
「淳弥は嘘つかないよ」
栞は大輔の言葉をピシャリと遮り、俺の前に庇うように立った。
「昔から淳弥は、見栄を張ったり適当な嘘をついたりするような人じゃないわ。彼がそう言ったのなら、それは事実よ」
(いや、思いっきり見栄を張って適当な嘘をついたんだよ!ごめん栞!)
嘘や曲がったことが大嫌いな生真面目な幼馴染からの、絶対的な信頼。
俺は罪悪感で胃に穴が開きそうだった。今すぐ土下座して「大嘘でした」と白状したい。
「でもよ、証明のしようがないだろ?夜中に起きてるかなんて、誰にもわかんねーじゃん」
引き下がらない大輔に対し、栞は眼鏡をくいっと押し上げ、とんでもないことを宣言した。
「証明すればいいんでしょ。だったら、私が監視して証明してあげるわ」
「はあ!?監視って、お前……一晩中起きてる気かよ?」
「ええ。淳弥の言葉が本当だってこと、私が絶対に証明してみせる」
毅然と言い放つ栞の横顔を見つめながら、俺の頭の中は真っ白になっていた。
(終わった……。嘘がバレるどころか、幼馴染を巻き込む最悪の事態になった……)
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「ちょっと待って。その話、私にも手伝わせてもらえないかしら」
絶望する俺の耳に、静まり返った教室の空気を切り裂くような、透き通った声が届いた。
声の主は、学級委員長であり生徒会書記でもある神薙凛香だった。艶やかなストレートロングヘアを揺らし、完璧な笑みを浮かべてこちらへ歩み寄ってくる。
「神薙さん?どうしてあなたが……」
驚く栞に、凛香は優雅に小首を傾げた。
「鱈志野くんが本当にショートスリーパーなら、それは学術的にも非常に興味深い事例よ。クラスメイトの生態記録として、公平な第三者の視点も必要でしょ?」
「それは……確かに一理あるわね」
栞が納得しかけた矢先、今度は厳しい足音が近づいてきた。
「僕も一枚噛ませてもらおう。これは風紀に関わる重大な問題だ」
現れたのは、漆黒の髪をきっちりと結び、腕に『風紀』の腕章をつけた風紀委員長の不動瑞希だ。
「不動さんまで……?」
「彼が夜間に不適切な行動をとっていないか、生活実態を厳格に監査する必要がある。常盤さんにだけに任せておくわけにはいかないからな」
瑞希は涼しげな顔立ちを引き締め、腕を組んで俺を見下ろした。
「ウケるー!なんか面白そうなことやってんじゃん!アタシも混ぜてよ!」
さらに空気をぶち壊すように乱入してきたのは、明るいハニーベージュのウェーブヘアを揺らす、読者モデルでカーストトップの蜂屋愛莉だった。
「蜂屋さん、これは遊びじゃ……」
「いいじゃんいいじゃん!夜中もずっと起きてるんでしょ?アタシ、夜は暇してること多いし、話し相手くらいなら余裕でできるって!」
愛莉は悪びれる様子もなく、俺の顔を覗き込んでウインクしてきた。
俺は完全にキャパシティを超え、ただただ呆然と彼女たちを見つめていた。
(どういうことだ……?なんでこんな濃いメンツが集まってくるんだ?)
俺は普段、幼馴染の栞以外の女子とはほとんど会話をしない。
凛香のような完璧な優等生、瑞希のような厳格なカタブツ、愛莉のような派手なギャル……彼女たちは皆、学園の中心人物であり、俺のような『透明な空気』が関わるような住む世界が違う女子たちだ。
美化委員の雑用や、委員会でのちょっとした手伝いをしたことはあるが、それだって個人的な関わりと呼べるようなものではない。
なのに、なぜ彼女たちがこぞって俺の『監視』に立候補してくるのか、全く意味がわからなかった。
「よし、決まりね」
俺が戸惑っている間に、凛香がスマホを取り出し、素早い手つきで画面をタップし始めた。
「今、私たちのグループチャットを作ったわ。名前は『【厳重監査】鱈志野淳弥・睡眠実態検証委員会』よ」
「……は?」
「一人で二十四時間監視し続けるのは現実的じゃないわ。だから、私たち四人でシフトを組んで、交代制で鱈志野くんの覚醒状態をチェックするの」
凛香の提案に、他の三人も次々と頷く。
「異論はない。規律あるシフト管理のもと、厳重に監査しよう」
「アタシすでに楽しみなんですけど!バンバンスタンプ送るから覚悟してよ、淳弥くん!」
「……わかったわ。みんなが協力してくれるなら、より確実な証明になるものね」
女子たちの間で、俺の意志とは無関係にどんどん話が進んでいく。
「あ、あのさ……別に監視なんてしなくても……」
蚊の鳴くような声で抵抗を試みる俺に、四人の美少女たちが一斉に鋭い視線を向けた。
「淳弥、まさか本当は嘘だったなんて言わないわよね?」
「鱈志野くん、私たちの好意を無下にするつもりかしら?」
「風紀を乱す虚偽の発言なら、厳しく処罰するぞ」
「逃げたらマジで許さないっしょ」
四者四様のプレッシャーを前に、俺は完全に逃げ道を塞がれていた。
ここで「嘘でした」と言えば、栞を失望させるだけでなく、学園の要人たちを敵に回すことになる。それこそ、今後の学園生活の死を意味していた。
「……いや、嘘じゃないです。よろしくお願いします……」
俺が力なく頷くと、大輔たち男子は「マジかよ、あの四人が淳弥のために……!?」と嫉妬と驚愕の入り混じった声を上げた。
(ただの気まぐれでこいつらを見下ろしてやりたかっただけなのに……!)
俺は絶望に包まれながら、鳴り響くスマホの通知音を聞いていた。
八時間睡眠をこよなく愛する俺が、絶対に寝てはいけない二十四時間シフト制のデスゲームに巻き込まれた瞬間だった。




