第19話 瑞希への嘘の告白
「合気道か……すごいな。映画とかでしか見たことないけど、相手の力を利用して投げるんだっけ?」
俺が興味を持って尋ねると、瑞希は少し嬉しそうに頷いた。
「ええ。言葉で話すより、実践を見せた方が早いわ」
そう言って彼女はベンチから立ち上がり、俺に向かって手招きをした。
「立って、僕の後ろから襲いかかってきてちょうだい」
「えっ?いや、いくらなんでも女の子を後ろから襲うなんて……」
「遠慮はいらないわ。思いっきり抱きついてきなさい。一瞬で鮮やかにひっくり返してみせるから。もちろん手は抜くつもりよ」
自信満々に言い放つ彼女の言葉に押され、俺は恐る恐る瑞希の背後に回った。
「じゃあ、いくよ……?」
「ええ、いつでも!」
俺は意を決して、瑞希の華奢な背中に腕を回し、後ろからギュッと抱きついた。
しかし、次の瞬間。
宙を舞う覚悟を決めていた俺の予想に反して、瑞希の体はピタリと固まった。
投げ飛ばされるどころか、彼女の体温が服越しにじんわりと伝わってくるだけで、瑞希は微動だにしない。
「……不動さん?」
「あ……う、ぁ……」
瑞希の顔を覗き込むと、彼女は顔を真っ赤にして、完全に動揺してフリーズしていた。いつも凛としている彼女からは想像もつかないほど、その瞳は潤み、結んだ髪の毛先を指で震えながらいじっている。
「ど、どうしたの?俺、やり方間違えた?」
俺が慌てて腕を離そうとすると、瑞希は細い手で俺の腕をキュッと押さえた。
「ち、違うの……。その、鱈志野君になら、このまま襲われてもいいって……そう思ってしまって……っ」
消え入りそうな声で漏らしたその言葉に、俺の心臓がドクンと大きく跳ねた。
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俺が瑞希の背中に覆いかぶさるように密着したままの状態で、彼女はぽつりぽつりと過去の出来事を語り始めた。
「……一年生の頃、僕が風紀委員として不良グループを注意して、理不尽に囲まれて孤立したことがあったでしょう」
「ああ……そんなこともあったね」
「あの時、鱈志野君は僕を助けてくれた」
「いや、俺は別に、飛び出して行って不良を追い払ったわけじゃ……」
「それが嬉しかった」
瑞希は俺の腕にそっと自分の手を重ねた。
「君は目立つようなヒーローごっこはしなかった。ただ静かに、教師を呼んで事態を収拾してくれた。僕のプライドを傷つけることもなく、安全を確保してくれたわ。……ルールを重んじる僕にとって、君のあの誠実で冷静な行動が、どれほど頼もしかったか」
夜の公園に、瑞希の静かな声が響く。
「そんな誠実な鱈志野君だから……僕は君の力になりたい」
彼女の真っ直ぐな好意と信頼。
それを背中で受け止めながら、俺の胸に強烈な罪悪感が突き刺さった。
(だめだ……。俺は、そんなに立派な人間じゃないのに)
不良から助けたのは事実だ。でも、今の俺は、ただのくだらない見栄のために彼女を騙し、深夜の時間を奪っているだけの最低な奴だ。
俺はゆっくりと腕を解き、瑞希から一歩距離を置いた。
「……俺は、そんなによくできた人間じゃないんだ瑞希さん」
「鱈志野君?」
俺の卑下した発言と同時に、下の名前で呼んだことで、彼女はこちらを振り向き目を潤ませた。
「実は……俺、毎日三十分しか寝てないなんて、全部嘘なんだ。本当は毎日八時間寝ないとダメな、ただの高校生なんだよ」
瑞希はさらに目を見開き、言葉を失った。
「見栄を張って嘘をついて、引っ込みがつかなくなっただけなんだ。ごめん……もう、徹夜は限界なんだ」
俺は深く頭を下げた。軽蔑されても仕方がない。
「瑞希さんは腕っぷしだけじゃなくて、精神力も強いから、その芯の強さに……つい甘えてしまった。本当にごめんよ」
静寂が降りた。
怒りの声が飛んでくるかと思ったが、聞こえてきたのは、ふっと息を吐くような柔らかい声だった。
「……君は、本当に不器用ね」
顔を上げると、瑞希は怒るどころか、どこか嬉しそうな微笑みを浮かべていた。
「自分の弱さを隠すために嘘をついた。でも、こうして己の弱さに真っ直ぐ向き合い、僕にだけ本音を言ってくれた。……その勇気は、褒めてあげる」
瑞希は一歩近づき、俺の頬にそっと手を伸ばした。
「君が僕に甘えてくれたこと、素直に嬉しい。……今日の監視は、僕が君と一緒に起きていたことにしておく。だから、今日はもう帰って、ゆっくり寝てちょうだい」
厳格な風紀委員長が、自ら風紀を乱す共犯者になってくれた瞬間だった。
俺は彼女の優しさに深く感謝し、その言葉に従って家へと帰路についた。
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九月二十三日、火曜日。
朝の光で目を覚ました俺は、ベッドの上で大きく伸びをした。
「あぁ……よく寝た!」
昨日から二日連続で八時間たっぷりと睡眠をとったおかげで、目覚めは最高だった。徹夜のダメージは完全に抜け落ちている。
俺はすぐにスマホを手に取り、瑞希へのメッセージを打ち込んだ。
『おはよう。昨日は本当にありがとう。瑞希さんのおかげですごく助かったよ』
すぐに既読がつき、返信が来る。
『おはよう。気にするな。今日の学校でも、ボロを出さないように気をつけることね』
彼女らしい生真面目な返信に苦笑していると、直後、グループチャット『【厳重監査】鱈志野淳弥・睡眠実態検証委員会』の通知が鳴り響いた。
『不動瑞希:本日の監視報告。被験者・鱈志野淳弥は夜間一睡もすることなく、健康状態を維持していた。昨夜は星鳴パークにて彼と【親密な会話】をし、その後【一晩を共にし】、淳弥は寝なかったことを報告する』
俺は画面を凝視し、盛大にむせた。
「げほっ!またこのパターンかよ!」
風紀委員長である瑞希までが、昨日の凛香のマウントに対抗するように『一晩を共にした』という際どい表現を使い、グループチャットに爆弾を投下したのだ。
『神薙凛香:ちょっと不動さん!?星鳴パークで一晩って、どういう風紀の乱れよ!』
『蜂屋愛莉:ヤバ!瑞希ちゃんも抜け駆けしてるじゃん!もう、何でもアリって事?!』
『常盤栞:淳弥……』
『雨宮梢:もちろん二十三時までには帰ったわよね』
案の定、朝からチャットルームは修羅場と化し、女子たちの激しい追及のメッセージが滝のように流れ始めた。
「……まあ、なんとかなるか」
俺はスマホの画面をそっと閉じ、余裕の笑みを浮かべた。
体調が完全に戻った今の俺なら、どんな修羅場でも乗り切れる気がしていた。俺は軽快な足取りで、制服のボタンを留めた。




