第16話 凛香への嘘の告白
朝八時。プレハブ小屋のベッドで微睡んでいた俺のスマホが、ピコンと短い通知音を鳴らした。
『おはよう。休日の朝だけど、ちゃんと起きてるかしら?』
画面には、神薙凛香からのメッセージと、コーヒーカップを持った可愛らしいウサギのスタンプが表示されていた。
『おはよう。もちろん起きてるよ。監視シフトよろしく』
俺が返信すると、すぐに既読がつき、そのまま通話に切り替わった。
「おはよう、鱈志野くん」
スピーカーから、いつもより少しだけリラックスした凛香の声が聞こえる。
「おはよう、神薙さん。朝からご苦労さま」
「ふふっ、監視員の務めだからね。……ところで、気になってたんだけど。他の人たちの監視の時って、どんなお話ししてるの?」
何気ない風を装っているが、明らかに探りを入れるようなトーンだった。
「えっと、蜂屋さんとはネットの動画を一緒に見たりかな。栞とは昔話をしたりとか」
「そう……。私と話しているのは、真面目なことばかりで退屈じゃないかしら?」
「退屈なわけないだろ。神薙さんと話せるなんて、クラスの男子が知ったら羨ましがるよ」
「お世辞でも嬉しいわ」
電話の向こうで、凛香が小さく息をつく気配がした。
「……一年生の時、私が生徒会の仕事で遅くまで一人で残ってた時。鱈志野くんがゴミ捨てのついでに、資料の整理を手伝ってくれたことあったわよね」
「あー、うん。あった、ね」
実は全く覚えていなかった。俺は波風を立てず適当に雑用をこなすのが日常だったからだ。だが、ここは話を合わせるしかない。
「あの時、誰も私のことなんて気にかけてくれないって落ち込んでたから……すごく救われたのよ。ずっとお礼が言いたかったの。ありがとう」
「いや、俺は大したことしてないよ。神薙さんが頑張ってたからさ」
「もう、謙遜しなくてもいいわ。あの時から、私にとってあなたは……ううん、なんでもないわ」
+++
午後になり、俺の頭は再び鈍い痛みを訴え始めた。
限界が近い。
プレハブ小屋のベッドを見つめながら、俺は深い溜息をついた。
昨日の栞とのデート。昨夜の栞の電話。そして今朝の凛香の言葉。
ここでようやく理解してしまった。
(あれ……?こいつら、もしかして監視にかこつけて俺とイチャつきたいだけなんじゃないか……?)
最初はただの興味本位や風紀上の理由だと思っていた。しかし、会話の端々に滲む彼女たちの感情は、単なる監視員のそれを超えている。
俺はプレハブ小屋の天井を仰ぎ見た。
(このまま正直に『嘘でした』って白状したら、彼女たちの好意も、この関係も確実にぶっ壊れる……)
だが、徹夜はもう限界だ。だったら、逆手にとるしかない。
一か八か、彼女たちの好意と独占欲を刺激して、俺の嘘の『共犯者』に仕立て上げる。そうすれば、少なくとも睡眠時間は確保できる。
俺は生き残るための、起死回生の悪だくみを思いついてしまった。
罪悪感に苛まれながらも、やむを得ずこの泥沼に足を踏み入れる決意をした俺は、震える指でスマホを操作した。
『神薙さん。今から、星鳴ベイエリアの展望デッキで会えないかな?』
メッセージを送ると、数秒で既読がつき、返信が来た。
『ええ、いいわ。すぐに向かうわね』
+++
海風が心地よく吹き抜ける星鳴ベイエリアの展望デッキ。
待ち合わせ場所に現れた凛香を見て、俺は思わず息を呑んだ。
「ごめんなさい、待たせたかしら!」
学校で見せる完璧で隙のない制服姿とはまるで違う。少し背伸びしたような淡いピンクのフェミニンなワンピースに、白いカーディガンを羽織っていた。明らかに、デートを意識した気合いの入った私服だ。
小走りで駆け寄ってきた彼女の肩は上下に揺れ、少し息を切らしている。その頬はほんのりと赤く、俺からの「会いたい」という急な呼び出しに舞い上がっている様子が隠しきれていなかった。
「いや、俺も今来たところだよ。……すごく似合ってる。いつもと雰囲気が違って、びっくりした」
「そ、そう?急だったから、適当に選んできただけなんだけど……」
凛香は恥ずかしそうに視線を逸らしながらも、嬉しそうに髪を耳にかけた。
「それで、わざわざ呼び出すなんて、どうしたの?」
「……凛香さんと話をしていたら、どうしても顔を見て会いたくなって」
あえて下の名前で呼んで甘い言葉をかけると、凛香の瞳が大きく見開かれた。
「う、うれしいわ……。私も、鱈志野くんと直接話したいって思ってたから」
そう言って、凛香は展望デッキの手すりに駆け寄り、キラキラと輝く海を見渡した。
「見て、海がすごく綺麗……!学校にいると、毎日書類や委員会のことばかりで、こういう景色をゆっくり見る余裕もなかったわ」
「そうだな。……こうして学校の外で会うと、なんだか新鮮だね。いつも気を張ってる神薙さんとは違うっていうか、乙女っていうか」
「もう、からかわないで。……でも、そうね。鱈志野くんの前だと、なんだか不思議と素の自分でいられる気がするの。……ねえ、あっちの方に停まってる船、見える?」
凛香がはしゃいだように指を差す。俺たちは手すりに並んで寄りかかり、しばらくの間、学校の噂話や海を行き交う船の話で、他愛のない時間を楽しんだ。
彼女の飾らない笑い声を聞きながら、俺の胸にチクリと罪悪感が刺さる。
だが、ここからが本番だ。
俺は一歩近づき、真剣な表情を作った。
「実は、君にだけ伝えておきたい真実があるんだ」
「真実……?」
「今までだましてて本当に悪かった。ごめん!」
俺は深く頭を下げた。
「俺……本当は一日八時間、きっちり寝ないと駄目な人間なんだ。ショートスリーパーなんて嘘だった」
凛香は言葉を失い、ポカンと俺を見つめた。
「こんな弱音は、何でも完璧にこなす凛香さんには恥ずかしいけど、君しか頼れなくて……。今まで無理して頑張って来たけど、もう、限界なんだ」
情けない声で懺悔する。最低な手段だ。でも、こうして特別感をアピールして彼女を虜にするしか道はなかった。
軽蔑されるかもしれない。そう覚悟して目を閉じると、不意に柔らかな手が俺の腕に触れた。
「……ばかな人」
目を開けると、凛香は怒るどころか、どこか安堵したような、優越感に満ちた笑みを浮かべていた。
「……本当ばかな人。なんでも一人で抱え込んじゃって……あの時、一人で残って委員会の仕事をしていた私と同じじゃない。あの時はあなたが私を助けてくれたけど、今度は私があなたを助ける番ね。……誰にも言えない秘密を、私にだけ預けてくれたこと、すごくうれしいわ。あなたのその嘘、私が一緒に背負ってあげる」
「凛香さん……」
「今夜は監視しないで、起きていたってことにするから。だから今日はもう帰って、ゆっくり休んで」
一か八かの作戦が成功した瞬間だった。
完璧な学級委員長が自らルールの破棄を宣言し、俺たちは甘い『共犯関係』を結んだのだった。




