第15話 覚醒した栞
『ねえ、淳弥』
「な、なんだよ」
栞は少しだけ息を吸い込み、そして、深夜の静寂を切り裂くような直球の質問を投げかけてきた。
『最近、毎晩違う女の子と話してて……楽しい?』
「えっ?」
『神薙さんや、不動さんや、蜂屋さん……。みんな可愛くて、淳弥のこと気にかけてくれて。毎晩とっかえひっかえお話しして、楽しい?ねぇそうなんでしょ?』
普段の生真面目な彼女からは想像もつかない、嫉妬心むき出しの言葉。
俺は完全に虚を突かれ、言葉を失った。
「い、いや、楽しいっていうか、あれは向こうが勝手に監視するって言い出しただけで……俺は別に……」
『淳弥は……好きな人とか、いるの?』
さらに踏み込んだ、逃げ場のない突然の問い。
頭が真っ白になった。
嘘をついて始まったこの異常な監視生活の中で、俺は確かに彼女たちの意外な素顔を知り、惹かれる部分もあった。完璧な委員長の不器用な一面、厳格な風紀委員長の優しさ、派手なギャルの隠れた努力。そして保健の先生の甘い誘惑。
だが、それでも。
「……特定の、誰が好きとか、そういうのはいないけど」
俺は一つだけ深呼吸をして、戸惑いながらも正直な気持ちを言葉にした。
「でも、昔からずっと一緒にいる、栞といる時が一番落ち着くよ」
嘘偽りのない本音だった。
どんな美女たちに囲まれても、俺という人間の根っこを一番よく知っていて、ダメなところも全部ひっくるめて味方でいてくれたのは、いつだって栞だった。
電話の向こうで、栞が息を呑む気配がした。
『……ほんとに?』
「本当だよ。今日の昼間だって、一緒に本屋に行ったりコーヒー飲んだりして、すげー楽しかったし」
しばらくの沈黙。
やがて、スピーカーの先から、ふにゃりとした、とても柔らかくて嬉しそうな声が聞こえてきた。
『……えへへっ』
それは、厳しい図書委員長でもなく、真面目な幼馴染でもない、ただの一人の女の子としての、心からの喜びを含んだ笑い声だった。
『淳弥のバカ……。そんなこと言われたら、私、もっと目が冴えちゃうじゃない……』
「お、おう……。まあ、ほどほどにな」
その後、俺たちは他愛のない昔話や学校の話をしながら、穏やかな夜を過ごした。
カフェインと俺の言葉で完全に精神が覚醒した栞の口数はずっと多く、俺は前夜の十分な睡眠のおかげで余裕を持って相槌を打ち続けることができた。
こうして、波乱のない、温かい夜が明けていった。
+++
朝。
窓から差し込む朝日を浴びながら、俺は大きく伸びをした。
昨夜は一睡もしていないはずだが、前日の十時間睡眠の貯金が効いているのか、体調はそれほど悪くはない。
『ピコン』
手元のスマホが鳴り、いつものようにグループチャットに監視の完了報告が投下された。
『常盤栞:本日の監視報告。鱈志野淳弥は昼夜一睡もせず、覚醒状態を維持していました。昨日は昼間から星鳴商店街を共に散策し、彼の家で手作りのコーヒーを振る舞ってもらいました。彼と【丸一日】を共にし、一切の睡眠行動がなかったことを報告します』
俺は画面を見て、思わず吹き出しそうになった。
今までの監視員たちは皆『一夜を共にした』という際どい定型文を使っていたが、今日の栞の報告は今までと違っていた。わざわざ【丸一日】という言葉を強調し、さらに昼間のデートや手作りコーヒーの件まで詳細に書き込んでいる。
それは明らかに、他の女子たちに対する「私の方が淳弥と一緒にいる時間が長い」「私の方が特別な関係だ」という、強烈なマウントだった。
その直後。
『ピコン!』『ピコン!』『ピコン!』
俺のスマホが、グループチャットとは別の、個人メッセージの通知で激しく鳴り始めた。
『神薙凛香:ちょっと常盤さん!幼馴染だからって休日に家に押しかけるなんて、監視の域を完全に超えていますわ!』
『不動瑞希:委員長に同意する。休日に被監視者の家へ上がり込み、丸一日独占するなど不公平極まりない!』
『蜂屋愛莉:えー!幼馴染特権で休日丸一日デートとかズルすぎ!アタシも淳弥くんのお家に行きたーい!』
次々と送られてくる、怒涛の野次メッセージ。
俺は目を白黒させながら、次々と届く通知をスクロールした。
「……みんな、本気なのか?」
画面に並ぶメッセージを見つめながら、俺は小さく呟いた。
すでに監視業務などどうでもいいといったような、強烈な矢印。
栞の報告に対する焦りと嫉妬心。
ただのいじられ役だった俺に向けられる、過分な好意。
これまでは必死に生き延びることしか考えていなかったが、冷静になった今、監視という建前が完全に崩壊していることに気がついた。
『これからどうするの?みんなに白状するの?』
昨夜の梢先生の言葉が、重く心にのしかかる。
見栄と嘘から始まった関係だ。俺は彼女たちを騙して、深夜の時間を奪っている。好意を向けられれば向けられるほど、俺が重ねている嘘の罪深さが浮き彫りになっていく。
いつか必ずボロが出る。
その時、彼女たちをどれだけ深く傷つけることになるのか。鈍感な俺でも、すでに火種が大きく燃え上がっていることには気づかざるを得ない。
迫り来る次なる徹夜の地獄を前に、俺は呑気に朝食の席へ向かっている場合ではないと悟り、この泥沼の嘘にどう決着をつけるべきか、本気で考え始めていた。




