第13話 栞と休日デート
九月二十日、土曜日。
昨夜、保健の雨宮梢先生の粋な計らい——と、大人の色気にあてられた通話——によって十時間近く爆睡した俺、鱈志野淳弥は、心身ともに完全なる健康状態を取り戻していた。
四日間の地獄のような徹夜生活で体にこびりついていた疲労の泥は跡形もなく洗い流され、視界はクリアそのもの。俺は自室であるプレハブ小屋のベッドの上で、大きく伸びをした。
「やっぱり、睡眠は最高だ……」
時刻は朝の八時。休日を満喫しようと二度寝の態勢に入りかけたその時、コンコンと控えめにプレハブのドアを叩く音が響いた。
「淳弥、いる?」
聞き慣れた凛とした声。俺が慌てて起き上がり、扉を開けると、そこには秋らしいキャメル色のカーディガンを羽織った私服姿の常盤栞が立っていた。
「おっはよう淳弥。監視に来たよ」
「お、おはよう。……って、監視なら来なくてもスマホのチャットでいいだろ?」
突然の訪問に驚く俺に対し、栞は少しだけむくれたように唇を尖らせた。
「せっかくの休みなんだし、いいじゃない。それに、直接顔を見ないと本当に起きてるかわからないし」
そう言って俺の顔をじっと覗き込んだ栞は、ふと不思議そうに首を傾げた。
「あれ……?何だか今日の淳弥、顔色良いね。昨日まであんなにボロボロで、死にそうな顔してたのに」
ギクリ、と心臓が跳ねた。
生真面目で観察眼の鋭い図書委員長へのごまかしは効かない。昨夜、梢先生の当番だからと完全に気を抜いて十時間も爆睡したことがバレれば、俺の「毎日三十分睡眠のショートスリーパー」という設定が根底から覆ってしまう。
「そ、そうか?いやぁ、さっき一日三十分の睡眠を取ったばっかりだからかな!特技の秒速入眠で、質の高い仮眠ができたからさ!」
俺が滝のような冷や汗を流しながら必死に誤魔化すと、栞は眼鏡の奥の目を少しだけ細めたが、それ以上は追及してこなかった。
「……ふーん、そう。まあ、元気ならいいわ。ねえ淳弥、今日これから予定ある?」
「いや、特に何もないけど……」
「じゃあ、星鳴商店街に行きましょう。私、ちょっと見たい本があるの」
半ば強引な誘いだったが、昨日の昼休みに俺の当番がずれて落ち込んでいた彼女の顔を思い出すと、断る理由はなかった。
俺は「着替えるからちょっと待っててくれ」と返し、大急ぎで身支度を整えた。
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星鳴商店街は、海沿いのベッドタウンであるこの街の、どこか懐かしいレトロな空気を残したエリアだ。
休日の昼下がり、俺たちは連れ立って石畳の通りを歩いていた。
最初に訪れたのは、栞が昔から好んで通っている古書店だった。
インクと古紙の独特な香りが漂う薄暗い店内。他にお客さんはおらず、静寂だけが広がっている。
栞は文芸書のコーナーに立ち止まり、背表紙を真剣な目で見つめていた。
「あっ、これ……探してた絶版のやつ……」
栞が小さくつぶやき、木製の本棚の一番上の段へと手を伸ばす。
しかし、彼女の身長では微妙に届かず、つま先立ちになって背伸びを繰り返している。カーディガンの裾が上がり、無防備な背中が少しだけ見えた。
「貸してみろよ」
俺は栞の背後に立ち、彼女の頭越しにスッと手を伸ばして、その古びた文芸書を抜き取った。
その瞬間、俺の胸板と栞の背中がわずかに触れ合い、彼女の髪からラベンダーのようなシャンプーの香りがふわりと鼻をくすぐった。
学校では見せない私服姿での至近距離。
「はい、これだろ」
「あ……ありがとう……」
俺が本を渡すと、栞は振り返りざまに俺との距離の近さにハッとしたように息を呑み、耳の先まで真っ赤に染めた。彼女は本を胸に抱きしめるようにして、足早にレジへと向かっていった。
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古書店を出た後、今度は俺が栞を案内する番だった。
「最近、ちょっとハマってる店があるんだ」
そう言って連れて行ったのは、路地裏にひっそりと佇む焙煎珈琲店だ。
カランコロンとベルを鳴らして店内に入ると、カウンターの奥で作業をしていた白髪のマスターが顔を上げた。
「いらっしゃい。おっ、この前の徹夜の学生さんじゃないか」
「こんにちは、マスター。先日はありがとうございました。おかげで助かってます」
俺がぺこりと頭を下げてお礼を言うと、マスターは豪快に笑った。
「ははは!若いのに律儀だねぇ。おまけであげたドリップ器具、ちゃんと使えてるかい?」
「はい。毎日ガンガン使ってます」
俺とマスターのやり取りを見て、隣にいた栞が目を丸くしていた。
「淳弥……《《徹夜》》ってどういう事?それにコーヒーなんて淹れるの?」
「ああ。あれだよあれ、Aクラスの《《哲也》》君、彼に教えてもらってきたんだ。そんで最近、ちょっとハンドドリップにハマっててさ」
本当は、死に物狂いで徹夜するためのカフェイン摂取目的で始めたのだが、自分で丁寧に豆を挽いてお湯を注ぐ時間は、案外悪くない気分転換になっていたのだ。
マスターに「いつもの『星鳴ブレンド』の深煎りを」と頼み、豆を買って店を出た。
「淳弥がコーヒーねえ……。なんだか、意外な一面を見た気分だわ」
「そうか?まあ、家に着いたらお前にも一杯淹れてやるよ」
「本当?楽しみにしてる」




