第12話 嘘の白状
九月二十日、土曜日。
朝の光がプレハブ小屋の窓から差し込み、俺の顔を暖かく照らしていた。
「……んぁ」
ゆっくりと目を開ける。
体が、羽のように軽い。ここ数日ずっと俺を苦しめていた頭痛や吐き気、視界を覆っていた靄のようなものが完全に消え去り、脳の隅々まで澄み渡っている。
(あぁ……最高だ。めちゃくちゃよく寝た……)
ふかふかのベッドに背中を預けたまま、思い切り伸びをする。やはり睡眠こそ至高、睡眠こそ正義だ。
そんな幸福感に浸っていた俺は、ふと枕元の時計に目をやった。
『6:00』
朝の六時だった。
俺は思考を巡らせる。昨日の夜、たしか俺はプレハブ小屋の机に座っていて、雨宮梢先生と電話をしていて。先生の甘い声と、マッサージの心地よさに包まれて……。
「——っっ!!??」
俺は弾かれたようにベッドから跳ね起きた。
やってしまった。とんでもないことをしてしまったと、心臓が早鐘を打ち始める。
(寝た!俺、昨日の夜八時過ぎから、十時間近く爆睡してしまった!?)
パニックになりながらスマホの画面を確認する。通話はとうの昔に切れている。
俺は震える指で、すぐに梢先生へと電話をかけた。
コール音が数回鳴り、ガチャリと通話が繋がる。
『おはよう、鱈志野くん。よく眠れた?』
電話の向こうから聞こえてきたのは、怒りや呆れなど微塵も感じさせない、大人の余裕たっぷりの穏やかな声だった。
「あ、あの、その、ごめんなさい。俺、寝てしまいました……!」
俺が平謝りすると、梢先生は電話越しに小さく笑った。
『うふふ。気持ちよさそうな寝息だったわよ』
咎めるどころか、まるで幼い子どもをあやすような優しいトーン。
その温かさに触れた瞬間、四日間の極限の徹夜生活で張り詰めていた俺の心の糸が、プツンと音を立てて切れた。
昼間の保健室で、脈や体温の異常を一発で見抜かれていたこと。そして昨夜、わざと俺をリラックスさせて眠りへと誘導してくれたこと。
この人には、最初からすべて見透かされていたようだ。
俺はスマホを握りしめ、ぽつりぽつりと、心の奥底に溜まっていた泥を吐き出すように口を開いた。
「大人の先生にしか、言えないんですけど……。俺、本当はショートスリーパーじゃなんかないんです。くだらない見栄を張って、嘘ついてごめんなさい!」
幼馴染の栞にも、クラスメイトにも絶対に言えなかった真実。
それを初めて口にした瞬間、胸につかえていた重たい石がボロボロと崩れ落ちていくのを感じた。
『……そんなの、最初から知ってたわ』
梢先生は、優しい声でそう告げた。
『昼間に脈を測った時、あなたの体が限界を超えているのは明白だったもの。あの子たちには内緒だけど、私が助け舟を出してあげたのよ』
「先生……なんだか、救われました。本当にありがとうございます」
俺は心からの感謝を込めて、深く頭を下げた。電話越しで見えないとわかっていても、そうせずにはいられなかった。
ずっと「いじられ役」として空気を読んでヘラヘラ笑っていた俺の影の部分を、梢先生は一瞬で見抜き、誰にも気づかれないようにそっと抱きとめてくれたのだ。
『それより、これからどうするの?』
ふと、梢先生の声が真面目なトーンに変わった。
『みんなに白状するの?それとも……』
嘘を告白し、この地獄の監視同盟を解散させるべきか。
俺の脳裏に、昨日の昼休みに見た栞の落ち込んだ横顔と、手帳に書かれていた『かわいいスタンプを使う』といういじらしいメモがよぎった。俺の嘘を誰よりも強く信じ、かばってくれた栞。
今ここで真実を打ち明ければ、彼女を深く傷つけることになるだろうか。
「……土日で考えます。先生には申し訳ないのですが、もう少しだけ……」
俺の未練たらしい返答に、梢先生はふうっと息を吐いて笑った。
『いいわ、それくらい。大人になるとね、嘘の一つや二つ簡単につけるようになるの。な〜んてね』
「先生……」
『とりあえず、ゆっくり休みなさい。今日の報告は私に任せておいて』
そう言って、梢先生は通話を切った。
+++
『ピコン』
数分後。俺のスマホにグループチャットの通知が届いた。
画面を開くと、そこには保健室の先生らしからぬ、とんでもない文面が踊っていた。
『雨宮梢:本日の監査報告。鱈志野淳弥くんは、夜間一睡もすることなく健康な覚醒状態を維持していました。昨夜は私が彼と一夜を共にし、彼が全く寝なかったことを保証します』
(だから!!全員『一夜を共にした』って定型文みたいに使うのやめてくれ!!)
案の定、チャットルームは直後から大荒れになった。
『蜂屋愛莉:えっ!?梢先生も一夜をずっと!?淳弥くん、大人の女に手出したの!?』
『不動瑞希:保健の先生が夜通し男子生徒と通話など、風紀上いかがなものでしょうか!』
『神薙凛香:……先生、医療目的以外の私的な接触はルール違反ですわよ?』
『常盤栞:淳弥……大人の魅力に絆されてないわよね?』
次々と投下される女子たちのスタンプと追及のメッセージ。
完全に恋人か浮気相手を問い詰める修羅場のような光景が、六インチの画面の中で繰り広げられていた。
俺は深くため息をつきながらも、どこか肩の力が抜けている自分に気がついた。
絶対にバレてはいけない孤独な戦いから、大人の女性との『甘い共犯関係』へ。
梢先生という最強の味方を得た俺は、この泥沼の嘘をどう終わらせるべきか、ぐっすりと眠って冴え渡った頭で考え始めていた。




