第10話 愛莉の爆笑動画
「もしもし……蜂屋さん?」
『あ、淳弥くん?やほー!お疲れ!』
電話越しに聞こえてきたのは、深夜の入り口とは思えないほど明るくテンションの高い声だった。
『アタシさ、さっきまでファミレスのバイトだったんだけど、今日マジでヤバい客がいてさー!』
そのまま息つく暇もなく、愛莉のマシンガントークが始まった。
どんな理不尽なクレームを言われたか、新しく入ったバイトの後輩がどれだけ愛らしいか、そして今日から始まった秋の新作マロンパフェがいかに美味しいか。
話題は尽きることなく次々と切り替わり、俺はひたすら「へえ」「すごいな」と相槌を打ちながら完全に聞き手に回っていた。
カーストトップの勢いは凄まじい。彼女のコミュニケーション能力の高さに圧倒されつつも、三夜連続の徹夜明けで重くなった脳みそでは、その回転速度についていくのがやっとだった。
「……うん、それは大変だったな」
『でしょー!そんで店長がさ……って、あれ?』
不意に、愛莉の声がピタリと止まった。
『……もしかして淳弥くん、アタシの話つまんない?それとも、疲れてる?』
「えっ?いや、つまんなくはないよ!ただ、その……」
図星を突かれてしどろもどろになる俺に、愛莉は『あー、なるほどね』と明るく笑った。
『アタシばっか喋っててごめん!淳弥君ってギャルに興味無さそうだもんね、わりぃ。よし、じゃあ作戦変更!今、チャットにリンク送るから見て!』
言われるがままにスマホの画面を見ると、SNSで話題になっているという動画や写真のリンクがいくつか送られてきていた。
タップすると、猫が絶妙なタイミングでずっこける動画や、海外のドッキリ番組の切り抜き動画が再生された。
『それマジでウケるっしょ!さっきバイトの休憩中に見て、一人で腹筋崩壊してたんだから!』
「ぶっ……ははは!何これ、猫の顔ヤバすぎだろ!」
『でしょでしょ!次のやつも見て!』
愛莉は俺の疲労を察し、頭を使わなくても視覚だけで楽しめるコンテンツに切り替えてくれたのだ。
同じ動画をリアルタイムで見ながら、電話越しに二人でゲラゲラと笑い合う。気づけば、あれほど俺を支配していた泥のような睡魔は、心地よい疲労感と笑いに上書きされていた。
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九月十九日、金曜日。
日付が変わり、深夜の静かな時間帯。動画をひとしきり見終えて、通話には穏やかな沈黙が流れていた。
『……ふぁあ』
電話の向こうで、愛莉が小さくあくびを漏らす音が聞こえた。
「蜂屋さん、もしかして眠いのか?」
『んー、ちょっとね。昨日も撮影で朝早かったし』
「読モの撮影か。そういえば、この前の雑誌、コンビニで見かけたよ」
『えっ、マジ!?見られたの超恥ずかしいんだけど!』
電話越しでもわかるくらい、愛莉が照れてバタバタと身をよじっている気配がした。
「恥ずかしがることないだろ。学校にいる時とは全然違う雰囲気で、あれ、プロのメイクさんがやってるんだろ?すごく似合ってたよ」
俺が素直に感想を伝えると、愛莉は少しだけ得意げな声を出した。
『ふふん、残念でした!あのメイク、実は全部アタシが自分で研究してやってるんだから!』
「えっ、マジで!?あの完成度で自前なのか?」
『そーだよ。流行りのコスメ買って、夜な夜な自分の顔で研究してんの。プロに任せるのもいいけど、アタシの顔を一番可愛く見せられるのはアタシだからね!』
明るく言い放つ愛莉の言葉に、俺は心底驚かされた。
派手な外見や軽口の裏で、彼女は誰も見ていないところで地道な努力を重ねているのだ。
「……すごいな、蜂屋さんは。モデルにバイトに、見えないところでめちゃくちゃ頑張ってるんだな。でも、無理すんなよ」
『……っ』
俺が自然と労いの言葉をかけると、電話越しに彼女が息を呑む気配がした。
「……蜂屋さん?」
『……あー、もう。淳弥くんって、昔からそういうとこあるよね』
愛莉の声は、いつものギャルらしい軽さが抜け、どこかくすぐったそうな、柔らかい響きを帯びていた。
『アタシが裏でこっそり頑張ってるの、淳弥くんだけはいつも普通に認めてくれるっていうか……。そういうフラットなとこ、嫌いじゃないよ』
少しの照れ隠しを含んだ本音。
俺は急に気恥ずかしくなり、話題を変えるように尋ねた。
「そういえば、蜂屋さんはなんで俺の監視員なんて名乗り出たんだ?そんなに毎日忙しいのに」
すると愛莉は『んー?』と少し間を置いてから、再びいつもの明るいトーンに戻った。
『アタシさ、とにかく忙しくしていたい性格なんだよね!暇なのが無理っていうか。だから、なんか楽しそうなお祭り騒ぎには、とりあえず乗っかってみただけ!』
「なんだそれ。お祭りって……俺の名誉がかかってるんだぞ」
『あはは!ま、アタシの監視で寝落ちしたら、それはそれで、笑い話にしてあげるから安心しなって』
ケラケラと笑う愛莉の声を聞きながら、俺は彼女の建前の裏にある優しさに気付き、一緒に笑い合った。
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朝の六時。
プレハブ小屋の窓から朝日が差し込む中、俺のスマホにグループチャットの通知が届いた。
『蜂屋愛莉:おっはよー!本日の監視報告!淳弥くん、夜間一睡もせず完全覚醒してました!昨夜は通話にて一夜を共にし、いっぱい笑って楽しかったでーす!以上!』
『神薙凛香:蜂屋さん、報告はもっと客観的な事実のみにしてください。『いっぱい笑って楽しかった』などという個人的な感想は不要ですわ』
『不動瑞希:その通りだ。深夜に大声で笑い合うなど、著しい風紀の乱れと言わざるを得ない。鱈志野、あとで詳しく事情聴取する!』
『常盤栞:……淳弥、蜂屋さんとそんなに楽しくお話してたの?私との時より……?』
(また『一夜を共にした』って書いてる……!しかも『いっぱい笑って楽しかった』って、完全に恋人同士の通話履歴みたいになってるだろ!それに他の三人の食いつきも早すぎる!)
俺は心の中で激しくツッコミを入れつつ、重い体を起こして母屋へと向かった。
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「……ふふっ、あひゃひゃっ」
朝食のダイニングテーブル。
味噌汁をすすっていた俺は、昨夜愛莉と一緒に見た『ずっこける猫の動画』を思い出し、不意に笑いがこみ上げてきて肩を震わせていた。
極度の睡眠不足で脳のタガが外れているせいか、一度ツボに入ると笑いが止まらない。
目の焦点が合わない虚ろな顔で、味噌汁のお椀を持ったまま「ふふふ……」と一人で笑い続けてしまう。
向かいの席に座っていた妹の莉央が、心底嫌そうな顔で箸を置いた。
「……お兄ちゃん、その変な笑い方やめてくれる?超怖いんですけど」
「いや、ちが……あの動画が……ふひっ」
「キモい。マジでキモい。お母さーん!お兄ちゃんの頭が本格的におかしくなったー!」
莉央の冷ややかな視線と容赦のない暴言を浴びながらも、俺は疲労困憊の脳に焼き付いた深夜の楽しかった通話を思い返し、ただだらしなく笑い続けることしかできなかった。
愛莉の気配りのおかげで、三夜目の地獄は、思いのほか鮮やかな思い出に変わっていた。




