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9/12

お誘いは、受ける前に条件を見る

閻婆惜でございます。

本日は、晁蓋様からのお誘いについて確認いたします。

友を案じるお気持ちは、ありがたいものです。

ですが、身を移す話となれば、情だけでは決められません。

住まい、食事、警護、妻の扱い、戻る道。

どれも分からないまま頷くのは危険でございます。

お誘いは、受ける前に条件を確認いたしましょう。

張文遠様が帰った後、家の中は少し静かになった。

静かになっただけで、安全になったわけではない。

それはもう、よく分かっている。

机の上には、距離感管理の紙が残っていた。

近づきすぎない。

避けすぎない。

褒め言葉は用件とは分ける。

何もないからこそ、形を整える。

我ながら、妙なことを書いていると思う。

だが、妙なことを書かなければ生き残れない状況の方が、もっと妙だった。

宋江様は、先ほどから少し考え込んでいる。

困っている沈黙。

反省している沈黙。

顔に出さないよう努力している沈黙。

今は、だいたい見分けられるようになってきた。

今回は、そのどれとも少し違う。

「宋江様」

「うむ」

「何か、まだ報告していないことがありますね」

宋江様は、びくりとした。

分かりやすい。

本当に分かりやすい。

「なぜ分かる」

「顔です」

「また顔か」

「はい」

宋江様は、もう否定しなかった。

大きな進歩である。

「婆惜」

「はい」

「大したことでは」

「止めます」

「まだ言い終えておらぬ」

「その前置きは、昨日の確認事項により危険です」

宋江様は口を閉じた。

よろしい。

私は紙を引き寄せた。

「報告してください」

宋江様は少し迷った後、袖の内側から小さな紙を出した。

私は、無言でそれを見た。

紙――

また紙である。

この家は、紙で燃えるのではないか。

「これは」

「晁蓋殿からだ」

私は目を閉じた。

やはり来た。

来るとは思っていた。

思ってはいたが、来てほしくはなかった。

「いつ受け取られましたか」

「役所から戻る途中だ」

「誰から」

「名乗らぬ男からだ」

「なぜ、それを今まで」

宋江様は、気まずそうに目を伏せた。

「張文遠が来たので」

「それは理由としては弱いです」

「すまぬ」

「謝罪は受け取ります。次からは先に出してください」

「うむ」

私は紙を受け取った。

文字を見る。

短い文章だった。

宋江よ……

身の危うき時は、ためらわず来られよ。

我らはいつでも温かく迎える。

私は、しばらく黙った。

宋江様も黙った。

晁蓋様らしい、と言えばらしいのかもしれない。

友を案じている。

助けたいのだろう。

宋江様が危ういと思い、こちらへ来いと言っている。

善意である。

友情である。

義である。

だからこそ危ない。

「婆惜」

「はい」

「晁蓋殿は、わしを案じてくれておる」

「そうですね」

「友として、ありがたいことだ」

「はい」

「だが、そなたの顔が怖い」

「怖くもなります」

私は紙を机に置いた。

「宋江様」

「なんだ」

「これは友情ではなく、転職のお誘いです」

宋江様は固まった。

「てんしょく……」

「いえ、今の言葉は忘れてください」

危ない。

また現代語が漏れた。

私は咳払いした。

「つまり、役所を離れ、晁蓋様のもとへ身を寄せる提案です」

「そういうことになるな」

「でしたら、条件確認が必要です」

宋江様は目を瞬かせた。

「条件?」

「はい」

「友の誘いに、条件がいるのか」

「友の誘いだからこそ必要です」

宋江様は、意味が分からない顔をした。

この方は、こういうところが危ない。

友、義、恩、信頼。

その言葉が出ると、急に手順が疎かになる。

私は筆を取った。

お誘い確認事項。

宋江様が、その見出しを見て眉を寄せた。

「もう少し、情のある言い方はないのか」

「では、晁蓋様のご厚意確認事項」

「それも妙だ」

「内容は同じです」

宋江様は諦めた。

私は書き始めた。

一、宋江様が行く場合、役所をどうするのか。

二、罪人として追われる可能性。

三、妻である婆惜の扱い。

四、住まい。

五、食事。

六、警護。

七、金。

八、戻る道があるのか。

宋江様が、三で止まった。

「婆惜も行くのか」

「そこが分からないのです」

「わしが行くなら」

「私はどうなるのですか」

宋江様は黙った。

私はその沈黙を見た。

責めるつもりはなかった。

ただ、ここで考えてもらわなければ困る。

「宋江様。晁蓋様の文には、宋江様を迎えるとしか書かれておりません」

「うむ」

「妻の扱いが書かれておりません」

「……そうだな」

「私が同行するのか。残るのか。残る場合、役所からどう見られるのか。同行する場合、道中の安全はどうするのか。着いた後、どこに住むのか。誰が責任を持つのか」

宋江様の顔が、だんだん曇っていった。

よろしい。

曇るべきところで曇っている。

「そこまで考えるのか」

「考えずに梁山泊へ行く方が怖いです」

「梁山泊……」

「違いますか」

「違わぬが」

私は紙にさらに書いた。

九、妻帯者としての受け入れ条件不明。

宋江様は、しばらくその文字を見ていた。

「晁蓋殿は、そこまで考えておらぬかもしれぬ」

「でしょうね」

「はっきり言うな」

「その方が危険だからです」

「危険」

「はい。悪意があるなら警戒できます。けれど、善意で大事なことが抜けている場合、こちらが補わないといけません」

宋江様は、静かに息を吐いた。

「晁蓋殿を悪く言うのか」

「言いません」

私は即答した。

「晁蓋様が、宋江様を助けたいのは本当だと思います」

「ならば」

「助けたいことと、受け入れ条件が整っていることは別です」

宋江様は黙った。

この沈黙は考えている沈黙だった。

よい。

かなりよい傾向だ。

「宋江様」

「うむ」

「義侠心だけで引っ越しはできません」

宋江様は目を上げた。

「ひっこし」

「身を移すことです」

「なるほど」

「なるほどではありません」

私は筆を置いた。

「住まい、食事、金、警護、役目、責任者。どれも不明です」

「友のところへ行くのに、そこまで」

「宋江様お一人なら、まだよいかもしれません」

「婆惜」

「ですが、私は妻です」

その言葉を口にした瞬間、少しだけ変な感じがした。

妻――

宋江様の妻である閻婆惜。

最初は、危険な肩書きでしかなかった。

今も危険ではある。

けれど、ただの肩書きではなくなってきている。

少なくとも、宋江様の行き先によって、私の命も変わる。

ならば、確認する権利はある。

「私が巻き込まれる以上、条件を確認します」

宋江様は、静かに私を見た。

「そなたは、わしと行くつもりなのか」

今度は、私が黙った。

行くつもり……

残るつもり……

どちらも、まだ決められない。

宋江様について行けば、梁山泊に近づく。

危険である。

残れば、宋江様の妻として役所に見られる。

それも危険である。

どちらも危険。

選べるほど安全な道がない。

「今は、どちらとも申し上げられません」

私は正直に答えた。

「ですが、決めるなら情報が必要です」

「情報」

「はい。条件です」

宋江様は、少しだけ笑いそうになった。

私は見た。

「今は笑うところではありません」

「分かっておる」

本当に少しずつ学習している。

その時、外で小さな足音がした。

私はすぐに紙を伏せた。

宋江様も戸口を見る。

「誰だ」

「宋押司」

若い男の声だった。

先ほどとは違う。

張文遠様でもない。

宋江様が戸を少し開ける。

外には、見知らぬ若い男が立っていた。

身なりは粗末ではない。

だが、役所の者のようでもない。

旅の者というほどでもない。

使いである。

そう見えた。

男は低く頭を下げた。

「晁保正より、返事があれば承るようにと」

早い――

早すぎる。

私は、思わず目を細めた。

返事を待っている。

つまり、誘いの文はただの気遣いではない。

回答を求めている。

完全に案件である。

宋江様が口を開こうとした。

「晁蓋殿に」

「宋江様」

私は止めた。

男の目がこちらへ向いた。

私は、病み上がりでも、気弱な妻でもない顔をしていたと思う。

少なくとも、そのつもりだった。

「返事は、すぐにはできません」

宋江様が私を見る。

男も私を見る。

私は続けた。

「宋江様は、役所に勤める身でございます。身の振り方を即答できる立場ではありません」

男は少しだけ戸惑った。

「これは、急ぎの」

「急ぎであれば、なおさら条件を確認いたします」

「条件?」

「はい」

私は机の紙を取らず、頭の中で項目を並べた。

「宋江様を迎えるというのは、一時避難の意味でしょうか。それとも、今後の身の置き場を含むのでしょうか。妻である私の扱いはどうなりますか。道中の警護はどなたが担いますか。役所から追手が来た場合、晁蓋様はどこまで責任を負われますか」

男は、完全に黙った。

宋江様も黙った。

よろしい。

黙るべきところで黙っている。

「そのようなことは」

男が困ったように言った。

「私には」

「でしたら、持ち帰ってください」

私は言った。

「晁蓋様へお伝えください。お心遣いには感謝いたします。ただし、宋江様は妻帯者であり、役所に勤める身です。動くなら、条件と手順が必要です」

男は、明らかに困っていた。

少し可哀想だとは思う。

だが、可哀想だからといって、こちらの命を預けるわけにはいかない。

宋江様が、静かに口を開いた。

「晁蓋殿には、わしも感謝していると伝えてくれ」

私は宋江様を見た。

余計なことを言うかと思った。

だが、続きはなかった。

宋江様は、少しだけ息を吸ってから言った。

「ただ、今は軽々には動けぬ。改めて返す」

よろしい。

かなりよろしい。

男は頭を下げた。

「承知いたしました」

帰ろうとする男に、私は一つだけ付け加えた。

「それから、今後この家へ文や金品を直接お持ちになることはお控えください」

男がぎょっとした顔をした。

「金品」

「今後の話です」

私は表情を変えずに言った。

「誤解が生まれますので」

男は、深く頭を下げて去った。

戸が閉まり、足音が遠ざかる。

私は、完全に聞こえなくなるまで黙っていた。

宋江様も黙っていた。

やがて、宋江様が小さく息を吐く。

「婆惜」

「はい」

「今のは、驚いた」

「私もです」

「晁蓋殿の使いが、返事を待っておるとは」

「はい」

「そなたがいなければ、わしは何か返していた」

「でしょうね」

「否定しないのか」

「できません」

宋江様は顔を覆った。

「わしは、また顔に出ていたか」

「はい」

「何回だ」

「今回は二回です」

「減った」

「よい傾向です」

宋江様は少しだけ顔を上げた。

「本当にか」

「はい。ただし、内容は重くなっています」

「だめではないか」

「改善中です」

私は紙を引き寄せた。

晁蓋様お誘い対応。

一、即答しない。

二、友情と身の振り方を分ける。

三、妻の扱いを確認する。

四、役所を離れる手順を確認する。

五、金品・書状は直接受け取らない。

六、使いの者に全情報を渡さない。

七、宋江様は顔に出す前に息を吸う。

宋江様が七を見た。

「また顔だ」

「今回は対策も書きました」

「息を吸えばよいのか」

「何か言う前に一呼吸置いてください」

「それで顔は隠せるのか」

「隠せませんが、口は少し止まります」

「顔は」

「今後の課題です」

宋江様は、深くうなだれた。

私は少しだけ笑いそうになった。

家の中なので少し可かもしれない。

だが、今はやめておく。

「婆惜」

「はい」

「そなたは、晁蓋殿の誘いをどう見る」

「ありがたい火種です」

「ありがたい火種」

「はい。善意ではあります。ですが、火種です」

宋江様は、少し考えた。

「わしは、晁蓋殿を友と思っている」

「存じております」

「友の手を、払いたくはない」

「払う必要はありません」

私は紙を指で押さえた。

「ただし、握る前に、足元を見てください」

宋江様は黙った。

今日の沈黙は、かなり静かだった。

「足元か」

「はい」

「わしは、見ておらなんだな」

「少なくとも、今朝までは」

「今は?」

「見ようとはしています」

宋江様は、少しだけ笑った。

家の中なので、少し可である。

私は最後に、一文を書いた。

お誘いは、受ける前に条件を見る。

少し考えて、横に添える。

友情でも、行き先不明では困る。

宋江様がそれを見た。

「婆惜」

「はい」

「晁蓋殿が見たら、怒るだろうか」

「怒る前に、条件を書いていただきたいです」

宋江様は、今度こそ笑った。

私は止めなかった。

悪女になる暇がない。

今度は、夫の友人から届いた善意の誘いまで、条件確認することになった。

水滸伝の世界は、敵意より善意の方が危ない時がある。

しかも、その善意はだいたい、返事を急がせてくる……

本件、閻婆惜よりご報告いたします。

本日の確認事項は、以下の通りでございます。

善意は、ありがたく受け取る。

ただし、即答はしない。

宋江様お一人の話に見えても、妻も巻き込まれる。

返事を急がされる時ほど、一度止まる。

以上でございます。

晁蓋様のお心遣いは、ありがたいものでした。

ですが、ありがたい話ほど、その場で頷くと後が重くなります。

なお、義侠心だけで引っ越しはできません。

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