連環馬が崩れたそうでございます
閻婆惜でございます。
本日は、結果を知っている案件の結果待ちでございます。
少々おかしな話ですが、私には攻略本がございますので、徐寧様の鉤鎌鎗が呼延灼様の連環馬を破ることは知っております。
知っておりますが、だからといって帳面へ先に「勝利」と書くわけにはまいりません。
攻略本は未来の情報を教えてくれますが、現地確認の代わりにはならないからです。
そもそも今回は、攻略本と同じ順番で進んでおりません。
呼延灼様は梁山泊から青州へ退き、白虎山を落とし、桃花山へ攻めかかりました。
そこへ二龍山から救援要請が届き、こちらから宋江様たちを送り出しております。
知っている戦であっても、参加している方と立っている場所が変われば、私にとっては別案件でございます。
特に今回は、扈三娘様も玉楼様も林冲様も現地におります。
攻略本には「連環馬は破られる」と書いてあっても、その途中で誰が怪我をするかまでは保証してくれません。
ですので、私は勝つと知りながら、勝ったという文を待ちます。
未来を知っている転生者としては、たいへん非効率です。
事務担当としては、これ以外にございません。
なお、無事に連環馬を破った場合、その次に必要になるものは祝杯ではなく、捕らえた馬の飼葉と負傷者を運ぶ荷車だと思われます。
戦とは、勝っても仕事が減らないようにできております。
そして今回――
どうやら連環馬を破っても、案件そのものは終わらないようでございます。
戦場へ行かなくても、戦は向こうからやってまいります。
ただし、私のところへ来る頃には、槍も矢も飛んではまいりません。
泥の付いた文書になり、馬を乗り潰しかけた使者が抱えてきて、最後には帳場の机へ置かれます。
徐寧様の鉤鎌鎗隊を青州へ送り出してから、私は梁山泊で、その紙を待っておりました。
待つと言っても、椅子へ座って門を眺めているわけにはまいりません。
青州へ送る兵糧を確認し、追加で必要になりそうな米と塩を分け、負傷者が戻された場合に備えて薬と寝床を空けておきます。
今回は梁山泊だけで戦っているわけではございません。
桃花山の方々がおり、二龍山の方々がおり、すでに白虎山を失った方々まで加わっています。
それぞれ元の兵糧事情も違えば、連れている馬の数も違いますので、勝った場合にも負けた場合にも、人と馬を食べさせる準備だけはしておかなければなりません。
戦の結果は分かりませんが、食事が必要になることだけは、だいたい外れません。
午前の終わり頃、最初の早馬が入りました。
宋江様からの文でございます。
私は封を切り、まず日付を確認しました。
急報だからとそこを飛ばしますと、後になってどの報告が先だったのか分からなくなります。
『徐寧、鉤鎌鎗隊を率いて到着。先発隊と合流した。呼延灼は連環馬を山前に置き、こちらの動きをうかがっている』
そこまで読んで、ようやく息を吐きました。
間に合いました。
先日、私は書類より先に間に合うはずだと申しましたが、「はず」は実績ではございません。
道中で馬が倒れることもあれば、雨で足止めされることもありますし、青州へ着いた時には先発隊の位置が変わっている可能性もあります。
到着したという報告を受けて、初めて到着したことになるのです。
「徐寧様、先発隊との合流を確認いたしました。到着日時も記録してくださいませ」
帳場の者が筆を走らせます。
文には、もう一枚、小さく折られた紙が挟まっていました。
開いた瞬間、誰の字なのか分かりました。
『鉤鎌鎗隊、来た。徐寧もめちゃくちゃ機嫌悪いけど元気。あと連環馬、本当に馬をつないでる。アタシ、あれに正面から突っ込めって言われたら普通に断るからね』
扈三娘様でした。
ご判断は正しいと思います。
勇敢な方ほど、ときどき「逃げないこと」を立派だと思われますが、勝てない場所へ正面から突っ込んで死なれた場合、こちらとしては武勇を褒める前に補充人員の手配から始めなければなりません。
私は返書へ、
『正面から突っ込まないでくださいませ。お願いではなく業務命令としてお受け取りください』
と記しました。
扈三娘様なら、この程度では腹も立てないでしょう。
その文を出そうとしたところで、今度は二龍山から使者が入りました。
こちらの封は、開く前から中身の雰囲気まで想像できます。
潘巧雲様からでした。
二龍山から出している兵の数、現地へ運び込んだ食糧、桃花山側へ回している分、さらに戦が数日延びた場合に追加できる量まで整理されています。
徐寧様の鉤鎌鎗隊が到着した場合には、人足を回して荷の運搬を補助できることまで添えられていました。
先輩は、前世からこういう方でございます。
こちらが次に何を聞くかを考え、質問する前に答えを書いてくださいます。
前世でも上の方々からはよく「潘さんは気が利くね」と言われておりました。
少し違います。
先輩は気を利かせているというより、後で面倒になる場所を先に見つけて潰しているのです。
同じ仕事をしていた私には分かります。
私は二龍山からの文を梁山泊側の帳面と並べました。
「二龍山分の兵糧はこちらから重ねて送りません。桃花山側へ回した分だけ確認して、不足が出そうなら補ってくださいませ」
「二龍山へは確認を返しますか?」
「はい、こちらで用意している予備の量も書いてください。先輩でしたら、それを見れば次にどちらが出すべきか分かります」
同じ戦場へ複数の山寨が集まれば、兵が増えるだけではございません。
食事の出所まで増えます。
善意で二か所から同じ兵へ食糧を送ったところで、その方の胃袋が二つになるわけではありませんので、どこが何を出しているのかは把握しておかなければなりません。
こういう時、二龍山側を潘巧雲様が押さえてくださっているのは本当に助かります。
前世では同じ会社でした。
今世では別の山賊組織です。
人生とは、随分遠くまで来られるものでございます。
問題は、その後でした。
昼を過ぎても、次の戦況報告が届きません。
代わりに来るのは、荷車の車軸が一本折れたという報告や、干し肉をどこから追加するかという相談、青州へ送った飼葉が帳面と一束合わないという話ばかりでした。
どれも大切な仕事です。
普段でしたら、報告してくださったことに感謝すらいたします。
ところが今日に限っては、扉が開くたびに顔を上げ、その内容が青州でないと分かるたび、少しだけ残念になりました。
人間とは勝手なものです。
必要な報告を一つ待っているだけで、それ以外の必要な報告まで邪魔に見えてまいります。
攻略本では、徐寧様の鉤鎌鎗が連環馬を破ります。
それは知っております。
ですが、今回の青州戦は、攻略本に書かれていた順番からすでに外れていました。
呼延灼は梁山泊から退いた後に青州へ入り、白虎山を落とし、その後で桃花山へ攻めかかりました。
二龍山から救援要請が届き、こちらが兵を送り、さらに徐寧様の鉤鎌鎗隊が追いついております。
登場する方々は似ていても、立っている場所が違います。
攻略本には、今回の戦場に扈三娘様や玉楼様がいるとは書かれておりませんし、林冲様がどの位置で呼延灼を抑えるのかも違います。
何より、二龍山には潘巧雲様がおります。
本来なら、とっくに亡くなっているはずだった先輩が、今では二龍山の食糧を数え、桃花山へ回す米の量まで調整しております。
考えてみれば、私自身も本来なら梁山泊の帳場にいるはずがございません。
攻略本どおりの結果だけを期待するには、こちら側が変わりすぎているのかもしれません。
夕刻が近づいた頃、ようやく寨門の方が騒がしくなりました。
今度の使者は、馬から降りても休まず帳場まで文を持ってきました。
紙の端には泥が付き、封をした紐まで湿っています。
宋江様からでした。
私は封を開き、冒頭の一文で手を止めました。
『鉤鎌鎗、効あり。連環馬、崩れる』
そこで初めて、背もたれへ身体を預けました。
攻略本は、まだ捨てなくてもよさそうです。
続きを読めば、徐寧様の隊が連環馬の動きを崩し、先発隊がその機を逃さず押したことで、呼延灼軍は騎馬を連ねたまま戦うことができなくなったとございます。
こちらにも負傷者は出ていますが、宋江様、林冲様、扈三娘様、玉楼様を含め、主だった方々に大きな怪我はないとのことでした。
帳場にいた者たちの顔も、そこでようやく緩みます。
私も同じだったと思います。
しかし、戦が一つ片づくと、必ず別の仕事が増えます。
文の後半には、捕らえた馬と装備の扱いについて記されていました。
連環馬が崩れたため、つながれていた馬の一部を確保できたものの、数が多く、現地の人数だけでは管理が難しいそうです。
「馬を扱える方を追加で送ってください。飼葉も増やします」
「何頭でしょうか?」
「書いてございません」
「では、どれほど送りましょう?」
私はもう一度文を見ました。
『多数』
数字ではございません。
「多めにお願いいたします」
私まで数字を捨てました。
横には、潘巧雲様から届いた二龍山の報告があります。
あちらは兵も食糧も、きちんと数字です。
同じ戦について書かれた文書とは思えません。
戦場から「多数」と書いて寄越されれば、帳場にも「多め」という回答しか残されていない場合がございます。
勝利というものは、もう少し会計に優しいものだと思っておりました。
夜になって、もう一通届きました。
扈三娘様からです。
『連環馬、ほんとに崩れた。徐寧すごい。めちゃくちゃ怒ってるけど、仕事はする。あとアタシは正面から突っ込んでないからね。業務命令は守りました』
私は少し安心しました。
最後の一文がなければ、もっと安心できたと思います。
翌朝、詳しい戦況が届きました。
連環馬はもう以前の形では戦えず、桃花山への圧力も解けました。
二龍山や桃花山にも大きな被害は出ておらず、白虎山から加わった方々も含め、こちら側は戦線を維持しているとのことでした。
そこまでは、よい報告です。
問題は、その先にございます。
呼延灼は、残った兵をまとめて青州城へ退いた。
私はその一行で手を止めました。
終わっておりません。
連環馬を破ることが今回の難所ではありましたが、呼延灼様ご本人が消滅したわけではありません。
負けたからといって、きれいに東京へ帰って報告書を書いてくださる方でもないでしょう。
まして、青州城には慕容知府がおります。
私は攻略本の記憶を探りました。
ここから先も知っております。
だからこそ、少し嫌でした。
「桃花山が助かったのでしたら、皆様は戻られるのでしょうか?」
帳場の者が尋ねます。
「おそらく、戻られません」
「なぜです?」
「呼延灼様が青州城へ入られたからです」
呼延灼を青州城へ残したまま引き上げれば、桃花山や二龍山が再び狙われるだけです。
白虎山に至っては、戻る山そのものがございません。
宋江様も、そこを見逃す方ではないでしょう。
昼前には、扈三娘様からまた紙が届きました。
『連環馬は終わった。でも帰れないっぽい。呼延灼が城に入った。宋江たち、さっきから城見ながら話してる。嫌な予感しかしない』
私にも、同じ予感がいたします。
『勝手に城壁へ登らないでくださいませ』
そこまで書いて、私は一度筆を止めました。
さすがに扈三娘様でも、勝手には登らないでしょう。
ですが、念のためそのまま送りました。
最近、念のため書いたことほど必要になる傾向がございます。
その日の午後、宋江様から正式な文が届きました。
今度は戦況報告だけではありません。
兵糧をあと何日分用意できるのか、矢をどれほど追加できるのか、負傷者を後送する荷車を何台回せるのか……
そのうえ二龍山や桃花山、旧白虎山勢と共同で動く間の食糧負担についても確認したいと書かれております。
私は途中まで読み、机の上へ置きました。
これは撤収のための文ではありません。
居残るための文です。
しかも、かなり本気で居残るつもりの内容でございました。
帳場の者が私の顔を見ました。
「何かございましたか?」
「連環馬の件は終わりました」
「では――」
「次の件が始まったようでございます」
私は文をもう一度開きます。
最後には、宋江様自身の字で短く追記されておりました。
『青州城を囲む。補給の見込みを知らせよ』
攻略本を知らなくても、意味は分かります。
独龍岡の一件がようやく片づいたばかりですが、どうやら戦には、一つの案件が終わる前に次の案件が勝手に立ち上がる仕組みがあるようです。
私は新しい紙を一枚取り出しました。
救援費として始めた帳簿の表題を見ながら、しばらく考えます。
桃花山救援――
その文字では、もう足りません。
私は筆を取り、隣へ新しい項目を書き加えました。
青州城攻略――
まだ、城は落ちておりません。
ですが――
落とすための帳簿だけは、先に開くことになったのでございます。
本件、閻婆惜よりご報告いたします。
鉤鎌鎗は、無事に連環馬を崩しました。
徐寧様も現地へ間に合い、扈三娘様、玉楼様、林冲様にも大きなお怪我はないとのことで、まずはこちらを確認できたことに安堵しております。
ただし、勝利の報告と一緒に届いた捕獲馬の数は『多数』でございました。
多数――
帳場で最も困る数字の一つです。
仕方がございませんので、こちらも飼葉を『多め』に送りました。
戦場と帳場が、急に同じ精度で会話を始めております。
そして、連環馬を失った呼延灼様は、そのまま青州城へ退かれました。
桃花山が助かった以上、当初の救援目的は達成しております。
普通の案件でしたら、ここで費用を締め、残務処理へ移るところでしょう。
ですが宋江様から届いたのは、撤収予定ではございませんでした。
兵糧をどれだけ送り、矢をどれほど補充し、負傷者を運ぶ荷車をどう回すか、そのうえ三山の方々との食糧負担まで確認されております。
どう見ても、帰る方が書く内容ではありません。
最後には、はっきりとございました。
『青州城を囲む。補給の見込みを知らせよ』
そのため、桃花山救援として開いた帳簿には、新しい項目を追加いたしました。
青州城攻略――
まだ城門は閉じております。
次に届く文で、この項目がどれほど大きくなるのか――
できれば、帳簿一冊で収まっていただきたいところでございます。




