平静の文字が滲みました
閻婆惜でございます。
本日は、二龍山から届いた返書のお話でございます。
文を書かれた潘巧雲様は、たいへん平静だったそうです。
少なくとも、文面では……
一方、その隣におられた迎児様は、泣いておられました。
返書の一部が涙で滲んでいたため、確認するまでもございません。
警報装置は、今回も正常に作動しております。
柴進様の捕縛を知り、潘巧雲様の感情が危険域へ達したようです。
ただし、暴発中でも仕事は止まりません。
二龍山からは、魯智深様と武松様が援軍として高唐州へ向かいます。
薬と兵糧の用意も済んでおりました。
ご本人は平静ではないのに、返書だけは完璧です。
たいへん仕事のできる暴発でございます。
梁山泊側でも、援軍の受け入れと補給の調整を進めました。
白秀英様は休んでおられます。
横になったまま、独龍岡の倉を守る指示を出しておられますので、仕事を休んでいるかどうかについては判断を保留いたします。
高唐州へは戴宗様も到着しました。
私の文を宋江様と呉用様へ渡したあと、公孫勝様を迎えるため薊州へ向かう予定です。
お迎えする方は一名。
出発する方も、当初は一名でした。
ところが、高唐州には李逵様がおります。
そして攻略本の記憶が正しければ、帰り道ではさらに別の方が加わります。
私は公孫勝様の召還をお願いしたのであって、採用活動を始めた覚えはございません。
それでも、人が増えるだけなら、まだよかったのでしょう。
こちらが必要な方々を集めている間に、高唐州の城門が開きました。
公孫勝様は、まだ到着しておりません。
二龍山の援軍も、前線へ入る前です。
その時、高廉の陣から、黒い風が上がったとの報せが届きました。
二龍山からの返書は、時遷様が届けてくださいましたが、受け取った時から、少し気になることがございました。
紙の端が、わずかに波打っているのです。
道中で雨に濡れたのでしょうか?
「時遷様……こちらの文は、濡らされましたか?」
「いや……二龍山を出てから、雨には降られていない」
では、何の水でしょう。
封は乱れておらず、外側にも濡れた跡はありません。
中の文だけに、何かが落ちたようです。
私は封を開きました。
潘巧雲様の文字は、今回も整っております。
柴進様が高唐州で捕らえられたことについて、二龍山でも正式に対応を協議したと記されていました。
救出のため、魯智深様と武松様を援軍として派遣する。
二人には兵をつけ、薬と兵糧も運ばせる。
梁山泊側の軍と合流する場所を指定してほしい。
必要なことだけを過不足なく書き、こちらが返すべき事項も分かるようにまとめてあります。
柴進様が捕らえられたと知った直後に書いたとは思えません。
文面だけを見れば、普段どおりです。
けれど、末尾に添えられた別の文字を見つけました。
潘巧雲様より、少し小さく、線の細い筆です。
『迎児より申し上げます。巧雲様は平静でございますので、ご心配には及びません』
平静――
その二文字だけが、涙で滲んでおりました……
私は、しばらく文を見つめました。
迎児様が柴進様の捕縛を悲しみ、泣いた可能性もございます。
お二人は柴進様の屋敷で守られました。
あの時に助けてもらえなければ、今ごろ二龍山で文を書いてはいなかったでしょう。
けれど、それだけではありません。
宴の席で、迎児様ははっきりとおっしゃいました。
潘巧雲様が普段どおりでない時には、自分が泣くのだと……
つまり、警報装置が発動しております。
しかも、潘巧雲様が平静であると伝える文字の上で作動しております。
「時遷様」
「何だ?」
「二龍山で、潘巧雲様のご様子はいかがでしたか?」
時遷様は、少し考えました。
「俺は屋敷の奥までは入っていない。迎児殿から文を受け取っただけだ」
「迎児様は?」
「目が赤かったな。文を渡す時も、何度か袖で顔を押さえていた」
間違いございません。
フェロモンの警報装置は、今回も正常です。
柴進様の捕縛を知った潘巧雲様は、現在、かなり危険な状態にあるようでした。
ご本人が泣き崩れたわけではありません。
取り乱して文を書けなくなったわけでもない。
援軍を決め、物資を揃え、合流地点まで確認している。
その間、周囲だけが被害を受けております。
たいへん仕事のできる暴発です。
文の最後には、さらに一行ございました。
『柴進様を、生きてお連れ戻しください。これは二龍山からの要請ではなく、私と迎児からのお願いです』
そこだけは、盟約や援軍の話ではありません。
私はその一行を指でなぞり、すぐに返書へ取りかかりました。
魯智深様と武松様の参陣を受けること。
高唐州へ入る手前の渡しで、梁山泊側の案内役と合流していただくこと。
二龍山から運ぶ兵糧は予備とし、前線で使用する分は独龍岡と梁山泊から出すこと。
薬は負傷者の帰路を考え、李俊様が確保する舟の近くへ置くこと。
文を書き終える前に、李応様と杜興様もお呼びしました。
白秀英様は休ませております。
少なくとも、李応様の認識ではそうなっているはずでした。
「二龍山から魯智深殿と武松殿が出るのか」
「はい、兵と物資も同行します」
李応様は地図を見ながら、中央倉から追加で出せる量を確かめました。
「援軍の分までこちらで賄うなら、次の荷を早めに動かす必要がある」
「荷車は増やせます」
杜興様が応じます。
「ただ、渡しへ集めすぎると目立ちます。二手に分けて運び、最後にまとめましょう」
お二人の話がまとまりかけたところで、杜興様が懐から小さな紙を出しました。
「奥方様からです」
李応様のお顔が変わりました。
「秀英が書いたのか?」
「横になったまま書かれました」
休んではおります。
仕事をしていないとは、誰も申し上げておりません。
紙には、白秀英様の文字でこう書かれていました。
『二龍山の援軍分を追加しても、東の倉は開けないでください。あそこは避難用です。ほんとにお願いします』
最後の一文に、たいへん強い圧がございます。
「東の倉は開けぬ」
李応様がすぐに答えました。
ご本人はここにおられませんが、念押しは届いております。
私は返書へ、独龍岡の東倉を使わずに補給を組むことも加えました。
潘巧雲様には必要のない情報かもしれません。
ですが、援軍を受け入れた結果として周辺の者を危険にさらさないことは、二龍山にも伝えておくべきです。
同盟とは、困った時に相手の物を遠慮なく使う約束ではございません。
どこまでなら動かせるのかを互いに知らせ、無理を押しつけないための道でもあります。
返書を時遷様へ渡した翌日、高唐州の救出軍から早馬が戻りました。
宋江様と呉用様からの文です。
戴宗様は無事に前線へ到着し、私の警告を伝えた。
高廉が妖術を使う可能性については、まだ確証がないものの、公孫勝様の名まで挙げてある以上、無視はしない。
斥候を増やし、こちらからの攻撃は控える。
そこまでは、予定どおりでした。
問題は、その次です。
『戴宗が薊州へ向かうと知り、李逵が同行を願い出た』
願い出た――
そのように書けば、聞き分けよく許可を待ったように見えます。
実際には、文の余白へ呉用様が小さく事情を加えておられました。
『止めても行くと言い張るため、戴宗の監督下へ置いた』
監督する側が、最も苦労する配置です。
さらに、李逵様の発言まで記されていました。
『柴大官人を助けるためなら、俺も戴宗殿と行く。今度こそ役に立つ』
お気持ちは分かります。
今回は子供を殺しに行くのでも、殷天錫を殴りに行くのでもありません。
公孫勝様を迎えるだけです。
それでも、李逵様が「今度こそ」とおっしゃると、不安が増すのはなぜでしょう。
攻略本の記憶では、戴宗様と李逵様は公孫勝様を迎えた帰路で、金銭豹子・湯隆様と出会います。
鉄を打ち、武具に通じた方です。
後には、連環馬を破るために必要な人物へつながる。
梁山泊にとって、大切な加入であることは分かっております。
ただし、私は今回、人材募集を始めた覚えがございません。
公孫勝様を一人お迎えするため、戴宗様を派遣しました。
前線で李逵様が増えました。
帰路では、さらに湯隆様が増える予定です。
出張の目的と帰還人数が一致しないことを、私の前世では予定外採用と呼んでおりました。
とはいえ、公孫勝様さえ来てくだされば、高廉の妖術には備えられます。
魯智深様と武松様も、まもなく前線へ入る。
補給の手配も済みました。
今度こそ、先回りできたはずです。
そう考えた日の夕刻、もう一通の急報が届きました。
高唐州の城門が開いたそうです。
梁山泊が攻める前に、高廉の軍が出てきました。
宋江様たちは警告を受けて陣を固めております。
しかし、公孫勝様はまだ到着しておりません。
文の最後には、呉用様の筆で短く書かれていました。
『敵陣より、黒い風が上がった』
白い帳面の「妖」は、警告ではなくなりました。
すでに、前線で始まっております。
本件、閻婆惜よりご報告いたします。
二龍山との盟約が、初めて実際の出兵へつながりました。
印を押した文が、兵と薬と糧へ変わる。
同盟とは、仲良くすると約束することではございません。
相手が困った時、どこまで動けるのかを事前に決めておくことです。
今回は、二龍山から差し出された援軍を受け入れ、梁山泊と独龍岡が補給を支える形となりました。
二つの山が、初めて同じ戦場へ人を送ります。
その一方で、文書というものの扱いについて、新たな問題も見つかりました。
李逵様は、公孫勝様を迎える任務への同行を「願い出た」と記されております。
たいへん穏やかな表現です。
呉用様が余白へ事情を書き添えてくださらなければ、正式な許可を待ち、静かに返答を受けたように見えたことでしょう。
実際には、止めても行くと主張したため、戴宗様の監督下へ置かれました。
書類は、嘘を書かなくても印象を変えられます。
今後は、本人が希望したのか、周囲が止められなかったのかを、別の欄へ記録する必要がありそうです。
攻略本どおりなら、今回の道中では金銭豹子・湯隆様との出会いもございます。
梁山泊に必要な方です。
のちの連環馬対策にもつながります。
しかし、李逵様を自由に動かした結果、偶然必要な人材が見つかるという方法は、今後の採用手順にはできません。
成功しても、再現できなければ制度とは呼べないのです。
もっとも、梁山泊には再現できない方が多すぎる気もいたします。
九天玄女様――
人材登用まで偶然へ任せるのは、おやめいただけませんでしょうか?
さて、白い帳面のおかげで、高廉の妖術には早く気づけました。
警告を送り、公孫勝様を迎える手も打っております。
ですが、帳面は未来を止めてはくれません。
危険を一文字だけ示し、あとは人間に任せます。
間に合う保証もございません。
高唐州から届く次の文には、黒い風の中で何が起きたのかが記されているはずです。
問題は、その文を運ぶ方が、無事に陣を出られるかどうかでございます。




