父はゲーム、娘は経営
閻婆惜でございます。
本日は、柴進様を救うため、梁山泊が高唐州へ兵を出すお話でございます。
原因については、先に申し上げておきます。
李逵様です……
詳しい説明を省いても、多くの方が納得なさったのではないでしょうか。
殷天錫を殴り殺した李逵様は梁山泊へ戻り、柴進様だけが捕らえられました。
反省のために預けた方が、新たな事件を起こして帰ってくる。
柴進様の屋敷は、問題のある頭領を置いておく施設ではございません。
ひとまず李逵様の処分は後に回し、救出軍を送ることになりました。
ただし、兵は気合だけで高唐州まで歩けません。
食べます。
負傷すれば薬も使います。
帰りには、行きより荷が増えることもございます。
父が遊んでいた水滸伝のゲームでは、食糧の数字を増やし、施設を建て、頭領を配置すれば要塞が育ちました。
娘の私は現在、本物の梁山泊と独龍岡を経営しております。
親子で同じことをしているように見えますが、こちらにはリセットがございません。
独龍岡は、梁山泊が一度壊した土地です。
今は農地と水路を直し、倉と寨門を整え、周辺の方々が逃げ込める要塞として再建しております。
李応様が監督し、杜興様が人と荷を動かし、白秀英様が暮らす方々の側から配分を見ておられます。
高唐州へ兵糧を送るために、独龍岡を空にするわけにはまいりません。
救出へ向かう方にも食事が必要ですが、残る方にも明日がございます。
林冲様は先陣を望み、李俊様は帰還時の舟まで考え、呉用様からは戦術上の助言をいただきます。
会長にあたる晁蓋様が承認し、社長にあたる宋江様が出陣し、専務にあたる呉用様が策を立てる。
では、その内容を一枚の稟議書へまとめるのは誰でしょうか?
私でございます。
ようやく救出計画が形になりかけた時、軍議へ持ち込まれた干し肉と塩漬けの魚が、思いがけない反応を引き起こしました。
高唐州へ向かう案件は一件です。
ところが、稟議を完成させるまでに、もう一件増えたようでございます。
柴進様が捕らえられました。
原因は、李逵様です……
この二行だけで事情の大半が説明できてしまうことに、私は深い疲労を覚えております。
子供を殺すなと命じられ、その子供を殺そうとして戴宗様に止められた方が、反省のため柴進様の屋敷へ預けられました。
そして今度は、殷天錫という成人男性を殴り殺した……
対象年齢を上げたことを、反省とは申しません。
しかも、捕らえられたのは李逵様ではなく柴進様です。
ご本人は、先に梁山泊へ逃げ戻っております。
反省期間どころか、損害だけを他人へ引き渡してきたように見えるのは、私の気のせいでしょうか……?
急報を受けた晁蓋様は、その場で救出を決められました。
宋江様も異を唱えず、林冲様は知らせを最後まで聞く前に立ち上がっております。
「柴大官人には、私も命を救われました。どうか先陣をお命じください」
声を荒らげてはいません。
それでも、今すぐ馬へ飛び乗りかねないことは、誰の目にも分かりました。
「待たれよ、林冲」
晁蓋様が止めます。
「救う……必ず救う。だが、兵を出せば済む話ではない」
そのとおりです。
柴進様を牢から連れ出しても、こちらの兵が高唐州で飢えれば、救出軍ごと捕らえられます。
勇気は必要ですが、糧食の代わりにはなりません。
同盟を結んだばかりの二龍山へも、捕縛の知らせを送ることになりました。
初めての緊急連絡です。
もう少し、両山の将来に希望を持てる内容を送りたかったものです。
時遷様に文を預けると、返書は予想より早く届きました。
封を開く前から、誰が書いたものか分かります。
潘巧雲様の筆でした。
冒頭には、柴進様を案じる言葉がありました。
続いて、ご自分と迎児様がかつて柴進様の屋敷で守られたこと、その恩を返すため、二龍山からも薬と兵糧を出したいので、必要な量と届け先を知らせてほしいと記されております。
文字は整っていました。
けれど、柴進様の名を書く筆だけが、わずかに強く紙へ入っています。
この文で、初めて捕縛を知ったのでしょう。
宴の席で、盟約とは関係のないことを一つ書きたいとおっしゃっていた件も、末尾に添えられていました。
「独龍岡の再建について、機会があれば詳しくお聞かせください。焼けた土地をどのように立て直し、誰が暮らしを支えているのか、今後の二龍山にも必要な知識になると思われます」
先輩――
九百年を超えても、仕事の話を見つけるのが早すぎませんか?
もっとも、独龍岡について話すなら、李応様だけを呼ぶわけにはまいりません。
現在、独龍岡一帯は、梁山泊の荘園であると同時に、後方を守る要塞でもあります。
祝家荘、扈家荘、李家荘があった土地を放置せず、農地と水路を直し、倉を建て直しました。
見張り台と寨門も整え、官軍が迫れば周辺の者を逃がせるよう、道を残しております。
李応様が監督官として全体を見て、杜興様が人足や荷の手配を動かす。
白秀英様は、帳面だけでは分からない暮らしの不具合を拾い、物資の配分や避難時の扱いを補佐しておられます。
私は梁山泊と独龍岡の帳面をつなぎ、旧李家荘に由来する土地と財は、ほかの収益と混ぜないよう記録しております。
いつか李応様が官を捨て、李家荘へ戻る日が来ても、焼け跡から始めさせないためです。
奪った年月は返せません。
失われた方々も戻りません。
それでも、帰る土地まで荒らしたままにしておくよりはましでしょう。
罪滅ぼしと呼べるほど軽い話ではございませんが、何もしない理由にはなりません。
父は、パソコンの中で梁山泊を経営しておりました。
田畑を増やし、倉を建て、頭領を配置して、数字が上がれば喜んでいたものです。
娘の私は、本物の梁山泊と独龍岡を経営しております。
親子二代で、何をしているのでしょうか?
しかも、父の要塞にはリセットがありましたが、こちらにはございません。
私は李応様、杜興様、白秀英様をお呼びしました。
柴進様と縁の深い林冲様、水軍頭領を代表する李俊様にも軍議へ加わっていただきます。
晁蓋様と宋江様、呉用様が席へ着いたところで、潘巧雲様の返書を読み上げました。
「二龍山から薬と兵糧を出せるそうです。必要量と届け先を、こちらから返します」
「ありがたい」
林冲様がすぐに答えました。
李応様は独龍岡の帳面を開き、杜興様と短く言葉を交わします。
白秀英様も横から数字を確かめておりました。
「中央の倉からなら、最初の分は出せます」
白秀英様が言います。
「東の倉は残してください。あそこは周辺の人たちが逃げ込んだ時に使う分です。高唐州へ送った後に独龍岡が空になったら、要塞にした意味がありません」
金を惜しんでいるのではございません。
救出軍へ送る一袋と、独龍岡に残す一袋の後ろに、それぞれ人がいることを知っているのです。
李応様も反対なさいませんでした。
「中央倉から出す。次の荷は収穫の見込みを見て決めよう」
「荷車はすぐに組めます」
杜興様が続けます。
「ただし、陸路だけでは遅れます。水路へ移せる場所まで運び、そこで積み替える方がよいでしょう」
李俊様が地図へ手を置きました。
「舟を出す。兵と荷を同じ速さで歩かせるな。帰りは負傷者が増える。空いた舟を、そのまま戻すと思わぬ方がよい」
前へ進む話をしている時に、帰還する者のことまで考えている。
やはり李俊様は、たいへんよくできた方です。
林冲様は一刻も早い出陣を求め、呉用様は高唐州へ入る前に斥候を出すべきだと応じました。
「柴大官人がどこへ入れられたかを確かめず、城へ押しかければ、向こうの思うままです。城外の兵を動かし、牢の位置を探らせましょう」
私は戦術について口を挟まず、呉用様の案を文へ落とすため、必要となる兵数と日数を確かめます。
晁蓋様が会長で、宋江様が社長、呉用様が専務にあたるとしても、三名が揃っただけで稟議書が完成するわけではございません。
私の仕事です。
李応様は出陣せず、独龍岡と梁山泊の後方支援を統括する。
杜興様は荷と人足を動かし、李俊様は宋江様の護衛を兼ねて、水路と退路を確保する。
林冲様の隊には扈三娘様と玉楼様を置きます。
戴宗様には最初の出陣へ加わらず、前線との連絡役として梁山泊へ残っていただきます。
「俺が山に残るのか?」
「最も速く走れる方に、最も急ぐ連絡をお願いいたします」
「物は言いようだな」
不満そうではありましたが、断られませんでした。
時遷様には、二龍山との往復を続けていただきます。
「文だけ運べばよいのか?」
「道中で官軍の動きを見かけた場合は、その報告もお願いいたします。ただし、調べるために近づきすぎないように」
「見つからずに戻れ、ということだな」
「時遷様へお願いする理由を、ご理解いただけて何よりです」
その時、杜興様が乾飯のほかに干し肉を積む話を始めました。
「すみません……今、干し肉の話はやめてください……」
白秀英様が口元を押さえました。
杜興様が言葉を止めます。
「では、塩漬けの魚を――」
「それも無理です……」
「秀英?」
李応様が横を向きました。
先ほどまで帳面を確かめていた白秀英様の顔から、血の気が引いております。
「どうした?」
「大丈夫です。ちょっと、気持ち悪くなっただけで……」
「それを大丈夫とは申さぬ」
「李応様の方が、顔色悪いですけど」
そう言った直後、白秀英様はもう一度口元を押さえました。
杜興様が女中を呼び、李応様はすぐに白秀英様の背へ手を添えます。
柴進様が捕らえられております。
救出軍の糧食を決めております。
二龍山との連絡も始まったばかりです。
それなのに現在、李応様の世界で最も重大な案件は、白秀英様の胃となりました。
「軍議は続けてください」
白秀英様が息を整えながら言います。
「ですが、秀英」
「柴進様を助ける話でしょう? 私が気持ち悪いくらいで止めないでください」
「くらいではない」
「では、東の倉を開けないことだけ、忘れないでください。あそこは籠城用です」
「分かっておる」
「本当に?」
「出さぬ!」
本日、最も力強い返答でした。
白秀英様は女中に付き添われ、李応様も部屋まで送るため席を外されました。
杜興様は一度だけその背を見送り、すぐ帳面へ戻ります。
「李応様が戻られるまで、私が詰めます」
頼もしい方です。
私は軍議の内容をまとめ、呉用様から戦術案を聞き直しました。
宋江様を総大将とし、林冲様を先陣へ置きます。
私は梁山泊に残り、戴宗様から前線の報告を受け、時遷様を通じて二龍山との連絡を続けます。
補給に変更が出れば、独龍岡へ回す。
救出軍が山を離れた後こそ、誰かが二つの拠点をつながなければなりません。
書き終えた稟議を持ち、私は晁蓋様の前へ進みました。
「晁蓋様、柴進様救出のための出陣について、承認をお願いいたします」
晁蓋様は文へ目を通し、最後に私を見ました。
「独龍岡の備えは崩さぬのだな?」
「はい、救出軍を送った後も、要塞として機能する分は残します」
「よし」
印が押されました。
これで救出軍は動けます。
その時、白秀英様に付き添っていた女中が戻り、入口で足を止めました。
「どうなさいました?」
女中は李応様のいない席を見てから、言いにくそうに声を落とします。
「奥方様にお尋ねしたところ……月のものが、しばらく来ておられないそうです」
軍議の空気が止まりました。
林冲様が目を伏せ、宋江様が咳払いをし、杜興様だけが天井を仰ぎます。
私は、押されたばかりの稟議書を見ました。
柴進様救出の案件は、ようやく承認されました。
その直後です。
李家の方では、承認も稟議もないまま、新しい案件が始まっていたようでございます。
本件、閻婆惜よりご報告いたします。
柴進様救出の稟議は、晁蓋様の承認を得ました。
出陣する方だけを決めても、軍は動きません。
独龍岡の倉から出せる量を確かめ、二龍山から届く薬と兵糧が重ならないよう届け先を分け、舟へ積み替える場所を決める。
前線との連絡は戴宗様、二龍山との往復は時遷様にお願いいたしました。
私は梁山泊へ残ります。
戦場へ行かない者が安全とは限りません。
前線から「足りない」と文が届けば、存在しない物資まで帳面から出てくるわけではございませんので……
今回、独龍岡を再建しておいたことが、初めて大きな形で役に立ちました。
梁山泊が滅ぼした三つの荘を、そのまま食糧庫として使い潰すつもりはございません。
農地を戻し、倉を建て、防備を整えたのは、梁山泊を養うためだけではないのです。
官軍が来れば、周辺の方々が逃げ込める。
李応様がいつか戻るなら、李家荘を焼け跡から作り直さずに済む。
どちらも必要でした。
もちろん、土地を直したからといって、梁山泊が行ったことが消えるわけではございません。
壊した側が再建を始めただけで褒められるなら、世の中の罪滅ぼしはずいぶん簡単です。
ですから、これは善行ではなく返済です。
しかも、まだ元金にも届いておりません。
白秀英様が東の倉を残すよう求めたのも、そのためです。
救出軍へすべて渡せば、目の前の柴進様は助けられるかもしれません。
その代わり、独龍岡へ逃げてきた方々が飢える。
一方を救うため、別の方へ請求書を回すわけにはまいりません。
もっとも、白秀英様ご本人には、別の意味で食べられない物が増えているようです。
干し肉も駄目。
塩漬けの魚も駄目。
月のものもしばらく来ていない。
まだ医師の診立ては受けておりませんので、妊娠と確定したわけではございません。
ただし、李応様はすでに、柴進様救出より深刻な顔をしておられます。
救出軍の兵糧については杜興様へ任せられますが、白秀英様の体調については、誰にも任せる気がないようです。
李家の新しい案件には、稟議も承認もございませんでした。
ですが、本来、命が始まるために梁山泊の許可など必要ありません。
必要ないのですが――
せめて担当者への事前連絡は欲しかったところです。
高唐州へ向かう準備は整いました。
兵もおります。
糧もございます。
退路も、連絡手段も確保しました。
稟議書に不足はありません。
不足していたのは、私の記憶でした。
攻略本で何度も見たはずの高唐州の一件から、ひとつだけ重大な要素が、きれいに抜け落ちていたのです。
この時の私は、まだそれに気づいておりませんでした。




