死んでいるはずの窓口
閻婆惜でございます。
本日は、二龍山から届く返書のお話でございます。
こちらは先日、今後の連絡について、勝手な聞き込みや無断の接触を避け、文書による相互照会の筋を整えたいと申し入れました。
梁山泊側の窓口も決めました。
朱貴様が文を運び、私が受け取る。
ただし、内容の確認と返答は晁蓋様、宋江様、呉用様を通す。
初めての手順でございますので、間違いのないよう進めなければなりません。
ところが、その前に私自身が確認を受けることになりました。
原因は、会議中に口にした「請求書」でございます。
宋江様は、病に伏せる前の私が芸妓であったことをご存じです。
商家で帳面を扱っていたという説明を、忘れてくださるはずがございません。
人前では何もおっしゃいませんでした。
夫婦の部屋へ戻り、戸を閉めてから尋ねられました。
「商家に勤めていたとは、いつのことだ?」
たいへん正当な質問でございます。
そして私は、幼い頃に奉公へ出されていたと答えました。
事実ではございません。
前世で身につけた説明能力を、夫への虚偽申告に使用しております。
職務経験とは、使い方を誤ると自分の良心を正確に刺してくるもののようです。
宋江様は、すべてを信じたわけではないでしょう。
それでも、それ以上は追及なさいませんでした。
そのうえ、私を遠ざけることもなさいません。
疑われたまま求められる夜が、これほど後ろめたいものだとは存じませんでした。
なお、夫婦の夜まで議事録へ残す予定はございません。
記録管理にも、守るべき範囲がございます。
数日後、朱貴様が二龍山から戻られました。
往復の日数を考えれば、早すぎる帰還です。
先方は、こちらが連絡の筋を求めることを予想し、返す文まで用意していたようでございます。
そして、その末尾には、二龍山側の窓口を務める人物の名が記されておりました。
攻略本では、すでに亡くなっているはずの方です。
九天玄女様――
夫への説明だけでも手いっぱいですので、死者名簿から新しい担当者を採用するのは、お控えいただけませんでしょうか?
「商家に勤めていたとは、いつのことだ?」
夫婦の部屋へ戻り、戸を閉めたところで、宋江様が尋ねられました。
やはり、保留案件は消えておりませんでした。
会議中は二龍山への返書を優先し、晁蓋様や呉用様の前では黙っておられただけです。
人前で妻の経歴を問いたださなかったことには感謝いたします。
ただし、二人きりになれば話は別でした。
宋江様は卓の前に座り、私が灯りを整える様子をご覧になっています。
怒っているようには見えません。
だからこそ、困ります。
怒鳴られれば、こちらも身構えられます。
静かに答えを待たれる方が、秘書としても妻としても逃げ道を探しにくいのでございます。
「幼い頃でございます」
私は燭台から手を離しました。
「家が苦しかった時期に、しばらく商家へ奉公に出されておりました。帳面の置き場所や、文の扱い方は、その頃に覚えたのでございます」
口から出た言葉は、思ったより滑らかでした。
我ながら、たいへん嫌になります。
会社員だった頃、急な質問を受けても顔へ出さず、相手が理解しやすい形に整えて答えるのが仕事でした。
その技能を、夫への嘘に使っております。
前世の職務経験が、望ましくない方向で役立ってしまいました……
宋江様は、すぐには何もおっしゃいませんでした。
「どれほどの間だ?」
追加確認が入りました。
「長くはございません。奉公先の都合もあり、ほどなく家へ戻されました」
存在しない商家の都合まで作っております。
このまま質問が続けば、店主の名前、扱っていた品、奉公仲間の人数まで設定しなければなりません。
架空の職歴を完成させる前に、面談を終えていただきたいところです。
「わしと知り合ってから、その話をしたことはあったか?」
「ございません」
そこだけは、正直に答えました。
「幼い頃の短い奉公でございます。わざわざお話しするほどのことではないと思っておりました」
宋江様は、私から目を逸らされません。
信じてくださったのでしょうか?
おそらく、完全には信じておられません。
病に伏せる前の閻婆惜が何を知り、どのように振る舞っていたか、この方は覚えています。
歌や舞で客を喜ばせることはできても、頭領たちの前で文書の流れを整え、責任者と窓口を分けるような女ではなかったはずです。
幼い頃に少し奉公へ出た程度で、稟議書を持ち出す説明にはなりません。
私にも分かります。
分かっていて、嘘を重ねました。
本当のことを申し上げれば、今ここにいる私は、宋江様が知る閻婆惜ではないと認めることになります。
あなたの妻の身体を借りております。
病床から起き上がる日を、あなたが待っていた妻は、もうここにはおりません。
そんな話を、どう伝えればよいのでしょう。
宋江様――
申し訳ございません……
あなたを信じていないわけではないのです。
ただ、信じていただける形で説明する方法が、私には見つかりません。
「そうか……」
やがて、宋江様はそれだけおっしゃいました。
質問は終わりました。
疑いまで終わったとは思えません。
それでも、これ以上は聞かないと決めてくださったのでしょう。
私は息をつきかけ、慌てて堪えました。
安心した顔を見せるのは、たいへん怪しくございます。
寝台へ向かおうとすると、手首を取られました。
強くはありません。
振りほどこうと思えば、すぐに離れられる程度です。
「婆惜」
「はい」
「今夜は、こちらへ来い」
私は宋江様を見ました。
問いただされた後です。
今夜は別々に休むと言われても、不思議ではありませんでした。
けれど、この方は私を遠ざけず、妻として求めておられます。
普段の私なら、明日の予定や起床時刻を確認したかもしれません。
あるいは、閨の件まで稟議へ回すおつもりですかと、一言くらい申し上げたでしょう。
今夜は何も言えませんでした。
嘘をついた埋め合わせになるとは思っておりません。
身体を重ねれば、隠し事が許されるわけでもありません。
それでも、せめてこの方が求めてくださった時に、背を向けたくはありませんでした。
「……はい」
素直に答えると、宋江様がわずかに目を見開かれました。
やはり、何か言い返すと思われていたようです。
日頃の積み重ねが、望ましくない形で確認されました。
宋江様は私の手を引き、そばへ座らせます。
灯りを消す前に、もう一度だけお顔を見ました。
この方は、私の正体を知りません。
私は、この方の行く末を知っています。
少なくとも、攻略本に書かれていた未来については……
その知識を使って梁山泊を変えながら、自分が何者なのかだけは隠し続けております。
卑怯だと思います。
それでも、今夜はこの手を離せませんでした。
私は灯りを消しました。
翌朝、目を覚ました時には、宋江様はすでに身支度を整えておられました。
昨夜のことについて、特別な言葉はありません。
私も申し上げませんでした。
夫婦の夜を議事録へ残す必要はございません。
残してはならない案件も、世の中にはございます。
ただ、宋江様が部屋を出る前、こちらを振り返られました。
「無理をするな」
それだけでした。
何についてのお言葉か、確かめられませんでした。
昨夜のことか?
二龍山への返書か?
それとも、商家奉公の話を無理に作ったことまで気づかれているのか?
確認したところで、正直に答えられないのは私です。
「承知いたしました」
いつもの返事をして、見送りました。
数日後の昼過ぎ、朱貴様が二龍山から戻られました。
こちらの返書を届けてから、まだ数日しか経っておりません。
往復の日数を考えても、早すぎます。
「向こうで、すぐに文を渡された」
朱貴様は、封をした文を差し出しました。
「梁山泊から連絡の筋を決めたいと来るなら、返す文も用意しておくべきだろう、とよ」
待たれていたようです。
いえ、こちらが末尾へ何を書くかまで読まれていたのでしょうか?
それでは、文の往復というより、先方が議事進行を準備していたことになります。
たいへん優秀です。
敵でないことを願います。
私は一人で開封せず、晁蓋様、宋江様、呉用様のそろう場へ運びました。
窓口は受け取りますが、勝手に決裁はいたしません。
先日決めたばかりの手順を、初回から破るわけにはまいりません。
「もう返ってきたのか?」
晁蓋様も驚かれました。
「先方は、こちらの申し入れを予想していたようです」
「二通も照会を送る相手だ。次の文まで考えていても不思議ではあるまい」
呉用様は楽しそうでした。
軍師にとっては、手強い書き手との文の応酬も盤上の勝負なのでしょう。
私にとっては、処理期限の短い案件が増えただけでございます。
封を開き、文面を広げました。
先の回答を受領したこと。
梁山泊が王英様の発言を正式な意向ではないと明らかにし、内部の制限を改めたことについて、二龍山側も確認したこと。
女二名に対して、本人の意思を無視した引き渡しや接触を求めない方針を、今後も維持してほしいこと。
文章は短く、余計な感情が入っていません。
こちらの詫びを得意げに受け取る様子もなく、必要な確認だけを済ませています。
その後に、連絡経路についての回答が続きました。
梁山泊の申し入れを受け、今後は朱貴様を介した文書の往来に応じる。
二龍山側でも、受け取った内容を頭領方へ確認し、山寨として返答する。
私的な訪問や、当事者への直接の接触は控えてほしい。
こちらが求めた手順を、そのまま受けた形です。
「話が早い」
宋江様が文面をご覧になりました。
「早すぎるほどです」
私は末尾へ目を移しました。
細い文字が、最後に一行だけ添えられております。
今後、二龍山側の文書窓口は、下記の者が務める。
その下に、名がございました。
潘巧雲――
一瞬、文字の意味が頭へ入りませんでした。
読み間違いかと思い、もう一度見ます。
潘――
巧――
雲――
間違いございません。
「婆惜殿?」
呉用様に呼ばれましたが、返事が遅れました。
攻略本では、潘巧雲様はすでに亡くなっているはずです。
楊雄様に不義を疑われ、石秀様に追い詰められ、命を落とす。
その後、楊雄様と石秀様が梁山泊へ入る流れまで記されておりました。
ところが、潘巧雲様は生きています。
二龍山へ逃れ、保護されているだけではありません。
梁山泊へ二度の照会を送り、こちらの矛盾を指摘し、今度は正式な文書窓口として名を出しました。
攻略本に載っていない業務適性を、なぜここで発揮しているのでしょうか。
九天玄女様――
追加資料が足りません……
「この名を知っているのか?」
宋江様が尋ねられました。
「楊雄様の奥方であった方です」
それ以上は申せません。
死んでいるはずだった方です、とは説明できないからです。
呉用様は名を見つめ、扇を閉じました。
「なるほど……あの文を書いたのは、この方でしたか」
声には、明らかな興味が含まれております。
「勝手に会いに行ってはなりません」
「まだ何も申しておりませんぞ……」
「先日も同じお返事をいただきました」
晁蓋様が文を受け取りました。
「潘巧雲という女が、二龍山の文を取りまとめているのか?」
「少なくとも、窓口を任されるだけの信頼は得ております」
私は答えながら、頭の中で攻略本をめくっていました。
白秀英様は、原典ならすでに亡くなっています。
今は李応様の家を支える側へ回りました。
潘巧雲様も、本来の最期を越え、二龍山で新しい役目を持っています。
扈三娘様が亡くなる時期は、まだ先です。
ですが、王英様との婚姻を避け、林冲様の下で二振りの刀を振るっている時点で、原典とは異なる道へ入っております。
攻略本が間違っているのではございません。
そこに書かれた筋から、皆様が外れ始めているのです。
死ぬ場所を知っているだけでは、助けた後の人生までは分かりません。
誰と結び、何を学び、どのような役目を得るのか?
その先は、攻略本のどこにも載っておりません。
これからは、知っている未来だけで判断するのは危険です。
攻略本の知識は捨てません。
事件が起こる場所や、人物の傾向を知る資料としては役に立ちます。
ただし、答えではなくなりました。
古い地図を持ったまま、書き換わった道を歩くことになります。
なお、私自身も攻略本ではすでに亡くなっているはずですが、その件は今回の検討対象に含めません。
自分のことまで並べると、数日前についた嘘まで審査しなければならなくなります。
利益相反のおそれがございますので、棚の上へ置いておきましょう。
白い帳面が開きました。
現れた細い線の先に、小さな四角があります。
空白だったその中へ、墨がにじみました。
潘巧雲――
名が入ると同時に、四角の向こう側から、新しい線が伸び始めます。
梁山泊へ向かう線ではありません。
さらに別の場所へ続いていました。
どこへ向かうのかは、まだ見えません。
ただ、その線の先に、もう一つ空白の四角が浮かびました。
一人の窓口を定めただけで、次の相手が現れようとしております。
九天玄女様――
連絡網を作れとは申し上げましたが、案件を数珠つなぎにしてほしいとは申しておりません……
本件、閻婆惜よりご報告いたします。
二龍山側の文書窓口が判明いたしました。
潘巧雲様でございます。
楊雄様の妻であった方であり、攻略本ではすでに亡くなっているはずの女性です。
ですが、現実の潘巧雲様は二龍山で生きておられました。
そればかりか、梁山泊へ二度の照会文を送り、こちらの回答に残った矛盾を見つけ、正式な連絡担当として名を出しております。
攻略本に記されていた潘巧雲様と、現在の潘巧雲様が、同じ人物とは思えません。
もちろん、同じ方なのでしょう。
死ぬはずだった場所から逃げ、生きるために必要なことを覚えた結果、攻略本にはなかった一面が現れたのでございます。
白秀英様も、原典では得られなかった役目を持ちました。
扈三娘様も、原典で命を落とす時はまだ先ですが、すでに王英様の妻となる道から外れております。
どうやら、人は原典から離れた途端、攻略本の説明どおりには動かなくなるようです。
たいへん当然の話でございます。
人間を攻略本の記載だけで判断し続けようとしていた私の方に、問題がございました。
今後も攻略本は使います。
事件が起きる時期や、危険な土地を知る資料としては、まだ有用です。
ただし、助かった方々の将来まで載っているとは考えません。
古い地図として参照し、現在の道は自分の目で確かめる必要がございます。
なお、私自身も攻略本の記載から大きく外れております。
その点については、客観的な検討が難しいため、今回も審査対象から除外いたしました。
自分を棚へ上げる作業だけは、たいへん迅速に完了しております。
さて、白い帳面では、空白だった四角に潘巧雲様の名が入りました。
これで二龍山との道はつながったはずです。
ところが、その四角の向こうから、さらに別の線が伸び始めました。
線の先には、もう一つの空欄がございます。
二龍山との案件を処理した結果、新しい相手が受付待ちとなりました。
九天玄女様――
白い帳面に、受付終了時刻を設定していただけませんでしょうか?




