返書の末尾
閻婆惜でございます。
本日は、二龍山への返書の末尾を決めるお話でございます。
王英様の発言は、梁山泊の正式な意向ではない。
女二名について、本人の意思なき引き渡しは求めない。
今後は無断の接触だけでなく、面目や恥を持ち出して他人を動かすことも禁じる。
そこまでは書けました。
照会された内容へ答え、こちらの不手際を詫びれば、返書としては整います。
ですが、それだけで封を閉じても、二龍山との間には正式な連絡の筋がございません。
道がなければ、人は勝手な場所を歩きます。
その結果、畑を踏み荒らし、垣根を壊し、こちらへ請求書が届くのでございます。
なお、この「請求書」という言葉を口にしたところ、晁蓋様から以前の勤め先について質問されました。
二龍山への返書を決める会議が、私の経歴確認へ変わりかけております。
宋江様も、病に伏せる前の私が芸妓であったことをご存じです。
商家で帳面を扱っていたなど、聞いた覚えはないはずです。
何かおっしゃりたそうなお顔をなさいましたが、問いただせば話を返されると察したのでしょう。
賢明にも黙っておられました。
疑われていないとは申しません。
ただ、処理の順番が後ろへ回っただけです。
未処理案件は、忘れた頃に戻ってまいります。
たいへん困ります……
それでも今は、私の前世より二龍山への返書が先でございます。
謝罪だけで終えるのか?
それとも、今後は勝手な聞き込みを避け、文書によって互いに照会する道を作るのか?
返書の末尾へ加える、たった一行の話です。
ところが、白い帳面はその一行を待っていたかのように、火の影を細い線の上へ進ませました。
そして、線の先には小さな四角が現れます。
印を押す場所でしょうか?
それとも、誰かの名が入る欄でしょうか?
こちらの窓口は決められます。
問題は、その道の向こうで、誰が文を受け取るのかでございます。
火が、細い線の上を進みました。
白い帳面の中でございます。
本物の火ではありません。
紙は焦げず、熱も伝わってこない。
それなのに、返書の末尾から伸びた線を火の影がたどっていく様子は、たいへん不吉でした。
道を作れば、火まで通る。
そういう意味でしょうか?
九天玄女様――
説明書のない予知機能は、業務で最も困る種類の機能でございます。
「婆惜?」
宋江様に呼ばれ、私は顔を上げました。
筆は返書の上で止まったままです。
二龍山から届いた照会への回答は、ほとんど書き終えておりました。
王英様の発言は事実だが、梁山泊の正式な意向ではない。
女二名について本人の意思なき引き渡しを求めず、今後は無断の接触だけでなく、面目や恥を使って人を動かす言動も禁じる。
先の返書を疑わせた以上、詫びるべきところは詫びなければなりません。
そこまでは書けます。
問題は、その先でした。
「末尾が空いておるな」
晁蓋様が文面をご覧になりました。
「はい」
「まだ何か加えるのか?」
「加えるべきか、迷っております……」
王英様たちには、承知の印を押させた後、退出していただきました。
これ以上残すと、返書より先に、王英様が何度目を逸らしたかを記録したくなりそうだったからです。
部屋にいるのは、晁蓋様、宋江様、呉用様、そして私だけでした。
私は、白紙の一行を示しました。
「今回の照会には答えられます。ですが、二龍山との間に文の通る筋がなければ、また誰かが勝手に聞き込み、余計な話をして、問題を増やします」
「今回は向こうから文が来た」
晁蓋様が腕を組まれます。
「次も来るとは限らぬ、ということか?」
「はい、届いた文を誰が受け取り、誰が内容を確かめ、どの名で返すのか。それが何も決まっておりません」
呉用様が扇を開きました。
「道がないから、皆が好きな場所を歩く」
「その結果、畑を踏み荒らし、垣根を壊し、先方から請求書が届きます」
「請求書?」
晁蓋様が眉を寄せられました。
やってしまいました……
以前の勤め先では、ごく普通に使っていた言葉です。
口から出た後で、この時代には通じないと気づきました……
「損をさせた相手から、埋め合わせを求められる文でございます。以前の勤め先では、そう呼んでおりました」
「そなたは商家に勤めていたのか?」
聞き流してはくださいませんでした。
晁蓋様は、こういうところを曖昧になさいません。
頭領としては正しいのでしょう。
私としては、たいへん困ります。
「はい、帳面と文書を扱う仕事をしておりました」
嘘ではありません。
会社を商家、役員秘書を帳面と文書を扱う仕事と言い換えただけです。
大きな括りで包みましたが、中身までは捨てておりません。
その時、宋江様がこちらをご覧になりました。
何かをおっしゃりかけて、やめられます。
分かっております。
宋江様が知る、病に伏せる前の閻婆惜は、商家で帳面を扱う女ではございません。
歌や舞を覚え、客の前へ出ていた芸妓です。
――商家に勤めていたとは、いつの話だ?
そう思われたのでしょう。
ですが、口にはなさいませんでした。以前にも私を問いただそうとして、途中からご自分が説明する側へ回ったことがございます。
同じ議題で二度負ける必要はありません。
ただし、疑いが消えたわけではございません。
病に伏せる前の私は、稟議書などという言葉も知らず、梁山泊の行く末にも興味を示しませんでした。
それが起き上がった途端、まだ起きてもいない騒動を恐れ、頭領方へ承知の印を求め始めたのです。
宋江様から見れば、病が私を変えたように映ったはずです。
実際には、その病床で中身が入れ替わっております。
もちろん、申し上げるわけにはまいりません。
転生者用の申告書など、さすがの私も用意しておりません。
宋江様は返書へ視線を戻されました。
疑問を捨てたのではなく、今は問わないと決めただけです。
未処理案件が、音もなく一件増えました。
「どこの商家だ?」
晁蓋様から、追加の照会が来ました。
二龍山より早いです……
「遠い土地でございます」
「名は?」
「今は、もう戻れぬ場所でございますので……」
晁蓋様は納得しきれないお顔をなさいました。
その横で、呉用様が面白そうに扇を揺らしています。
「婆惜殿の以前の勤め先というものにも、興味が湧きますな」
湧かなくて結構でございます。
「本日の議題には含まれておりません」
「ならば、別に席を設ければよい」
「目的、議題、出席者を記した文を、先にご提出くださいませ」
「そなた自身について尋ねるにも、稟議が要るのですか?」
「特に必要でございます」
呉用様の好奇心は、王英様の酒癖とは違う方向で危険です。
どちらも、放置すると勝手に動きます。
晁蓋様が息を吐かれました。
「今は二龍山への返書が先だ」
「ありがとうございます」
許されたわけではありません。
処理の順番が後ろへ移っただけです。
以前の勤め先でも、保留になった案件は消えませんでした。
梁山泊でも同じようでございます。
宋江様が返書を手に取り、最初から読み直されました。
「ならば、こちらから文の通る道を決めたいと申し入れてはどうだ」
私は宋江様を見ました。
同じことを考えておりました。
ですが、それを書く意味は小さくありません。
二龍山は梁山泊より規模の小さい山寨です。
それでも正式な連絡経路を求めれば、女二名を庇っている場所ではなく、今後も話を交わす一つの勢力として扱うことになります。
「宋江」
晁蓋様が問いかけられました。
「二龍山と結ぶつもりか?」
「今すぐ同盟を結ぶという話ではない、晁蓋殿」
宋江様は返書を置きました。
「こちらの者が二龍山や十字坡へ勝手に動いては困る。向こうも梁山泊へ尋ねるたび、誰へ届ければよいか分からぬのでは話がこじれる。まず連絡の筋だけでも定めた方がよい」
「筋を定めれば、その先の話も出てくるぞ」
「その時は、改めて決めればよい」
宋江様が、ずいぶん手順を重んじておられます。
攻略本では、人を集める時になると順序より情を先に出しがちな方です。
それが今は、正式な連絡経路を作ってから次へ進もうとしております。
稟議書には、人を育てる力まであるのでしょうか?
九天玄女様へ成果報告を提出したいところですが、提出先は分かりません。
「私は賛成です」
呉用様が返書へ目を落としました。
「二龍山の文を書いた者は、こちらの回答をよく読み、矛盾を見逃さなかった。連絡の筋を定めれば、話も早くなりましょう」
「会ってみたい、ではございませんね?」
私が確かめると、呉用様の扇が止まりました。
「まだ申しておりませんが?」
「お顔に書いてございます」
「顔も記録対象になりますかな?」
「必要があれば」
晁蓋様が額へ手を当てられました。
「軍師まで縛る文を作るつもりか?」
「目的の定まらない接触を止めるだけでございます。会見を求める場合は、目的、議題、同行者、先方の同意を明らかにしていただきます」
「やはり作るのだな?」
「問題が起きるたび、決まりは増えてまいります」
呉用様は笑っておりましたが、私は本気です。
二龍山の文を書いた方が誰なのか、私も気になっています。
名を伏せ、感情を抑え、事実だけで梁山泊の足を止める文でした。
攻略本に載る二龍山の顔ぶれを思い返しても、すぐには該当する人物が浮かびません。
魯智深様は筋の通らないことを嫌う方ですが、あのような照会文を二通続けて書く姿は想像しにくい。
楊志様なら事実を確かめるでしょうが、女二名の意思を先に置く書き方には別の知性を感じます。
武松様なら、文より先に事情を知る者を連れてきそうです。
では、誰でしょう?
攻略本では死んでいるはずの誰かが、生き延びたことで別の役目を得ている可能性もございます。
扈三娘様と白秀英様の件で、私はすでに学びました。
死ぬはずだった場所を越えれば、その先で新しい役目を持ちます。
扈三娘様は林冲様の下で二振りの刀を振るい、白秀英様は李応様の家を支える側へ回りました。
たいへん喜ばしいことです。
同時に、攻略本が役に立たなくなるという意味でもございます。
「婆惜」
晁蓋様の声で、考えを戻しました。
「そなたは、何と書く?」
私は筆先を見ました。
連絡の筋を整えたい。
言葉にすれば、それだけです。
しかし、二龍山へ指図しているように読まれても困ります。
反対に、相手の求めに何でも従うような書き方も避けなければなりません。
必要なのは命令でも押しつけでもなく、互いに勝手な足を出さないための同じ手順です。
私は末尾へ筆を置きました。
「今後、両山の間において疑義または確認すべき事柄が生じた折には、私的な聞き込みおよび無断の接触を避け、文書をもって相互に照会する筋を整えたく存じます」
書き終えると、呉用様が覗き込みました。
「相互に、ですか?」
「梁山泊だけが照会するのでも、二龍山だけが問い続けるのでもございません。双方が同じ手順を使います」
「誰を窓口とする?」
宋江様が尋ねられました。
「梁山泊側は朱貴様を文の運び手とし、受け取りは私が行います。ただし、内容の確認と返答は、晁蓋様、宋江様、呉用様を通します」
「そなた一人に集めるのか?」
晁蓋様のお顔が曇りました。
「最初に受け取るだけです。私の判断だけで返答は出しません」
窓口と、決める者は分けなければなりません。
以前の勤め先でも、受け取った者がその場で組織の総意を答え始めると、後で大きな問題になりました。
梁山泊の場合、その大きな問題が武器を持って歩いてまいります。
「二龍山側の窓口は、向こうに決めてもらうのだな?」
「はい、こちらから名を指定することはできません」
そもそも、名前を知りません。
分かっているのは、こちらの胃を正確に狙う文を書く方がいるということだけです。
呉用様が返書を読み返し、やがて頷きました。
「よいでしょう。詫びて終えるのではなく、次に同じことが起きた時の道を作る。向こうも返しやすい」
「同盟を求めているようには見えぬか?」
晁蓋様は慎重でした。
「話を照会の手順に限ります。物資や軍勢の話は入れません。二龍山の内情も尋ねません」
「女二名の名も書かぬのだな?」
「二龍山が伏せております。こちらから晒す理由はございません」
内部では、楊雄様の口から潘巧雲様と迎児様の名が出ています。
ですが、知っているからといって外へ出してよい情報ではありません。
名を書けば、梁山泊が今も当人たちを追っているように見えます。
それでは、本人の意思を尊重するという回答と食い違います。
呉用様が末尾を指で追いました。
「向こうが窓口を出してくれば、書き手の名も分かるかもしれませんな」
やはり、そこですか……
「分かった後も、勝手に会いに行かないでくださいませ」
「分かっております」
「今の返答も記録してよろしいですか?」
「婆惜殿は、私を王英殿と同じ扱いにしておりませんか?」
「二回目になる前に止めております」
宋江様が顔を背けました。
笑っておられます。
晁蓋様まで口元を押さえております。
私は真面目に申し上げているのですが。
返書を最初から読み直しました。
こちらの非を認め、正式な意向を明らかにし、内部の制限を改めたことを伝える。
そのうえで、文書による相互照会の筋を整えたいと申し入れる。
これ以上は書きません。
同盟も、会見も、物資の融通も、まだ先です。
まずは文が迷わず届く道を作る。
足より先に、文を通すのでございます。
「これで出せ」
晁蓋様が決められました。
「二龍山が受けるかどうかは、向こうに任せる」
「承知いたしました」
私は返書を乾かし、折り目を整えました。
封をする直前、白い帳面へ目を向けます。
細い線は、先ほどより濃くなっておりました。
その上を進んでいた火の影は、消えています。
これでよいのでしょうか?
そう思った瞬間、線の先に小さな四角が浮かびました。
印を押す場所にも見えます。
文を受け取る者の名を書く欄にも見えました。
その中は、まだ白いままです。
私は封を閉じました。
こちらの窓口は決まりました。
次に必要なのは、二龍山側の窓口です。
そして、おそらく――
白い帳面が示しているのは、道ではございません。
その道の向こうで、返書を受け取る誰かでございます。
本件、閻婆惜よりご報告いたします。
二龍山への返書は、無事に完成いたしました。
王英様の酒席での発言は、梁山泊の正式な意向ではないこと。
女二名について、本人の意思なき引き渡しを求めないこと。
無断の接触に加え、面目や恥を持ち出して第三者を動かす言動も禁じたこと。
以上を明記し、こちらの不手際についても正式にお詫びしております。
ここまでであれば、二通目の照会に対する回答としては十分です。
ですが、返書の末尾には、もう一行を加えました。
今後、両山の間で確認すべき事柄が生じた場合、勝手な聞き込みや接触を避け、文書によって互いに照会する筋を整えたい。
つまり、足より先に文を通すことにいたしました。
梁山泊の方々は、道が見えると歩きたくなります。
道がなければ、自分で作ります。
止められると、別の入口を探します。
たいへん行動力にあふれた職場でございます。
その行動力を正しい方向へ向けるためにも、誰が文を受け取り、誰が確認し、誰の名で返すのかを決めておかなければなりません。
梁山泊側では、朱貴様に文を運んでいただき、私が最初の窓口となります。
ただし、私一人の判断で返答は出しません。
窓口と決裁者を同じにすると、後から「そのような話は聞いていない」とおっしゃる方が現れます。
山賊の山で責任の所在が曖昧になりますと、会議ではなく武器による確認が始まりかねません。
それだけは避けたいところでございます。
なお、今回の話し合いでは、私の以前の勤め先についても質問されました。
請求書という言葉を使っただけなのですが、晁蓋様は聞き逃してくださいませんでした。
宋江様も、病に伏せる前の私が芸妓だったことをご存じです。
商家で帳面を扱っていたという説明に、明らかな疑問を持っておられました。
それでも何もおっしゃらなかったのは、追及すれば私に話を返されると分かっているからでしょう。
夫婦の間には、言葉にしない思いやりもございます。
今回は、疑問を口にしないという形で発揮されました。
たいへん助かります。
ただし、忘れてくださったわけではなさそうです。
私の前世に関する事情聴取は、保留案件として残りました。
二龍山への返書を処理した結果、私自身への照会が発生しております。
九天玄女様――
案件を一つ片づけた時は、新しい案件を増やさない仕様にしていただけませんでしょうか?
さて、返書へ連絡の筋を書き加えると、白い帳面から火の影が消えました。
代わりに、細い線の先へ小さな四角が現れております。
印を押す場所にも見えます。
誰かの名を記す欄にも見えます。
こちらの窓口は決まりました。
返書も、まもなく二龍山へ届きます。
次に明らかになるのは、向こう側で文を受け取る方です。
問題は、その方が誰なのかでございます。
攻略本では、すでに亡くなっているはずの方でなければよいのですが……




