黙るなら、黙り方がございます
閻婆惜でございます。
本日は、役所での受け答えについて確認いたします。
聞かれていないことは言わない。
知らないことは、知らないと言う。
分からないことは、確認すると言う。
そして、困って笑わない。
黙るだけなら簡単に見えます。
ですが、黙り方を間違えますと、かえって疑われます。
宋江様には、本日そこを重点的に覚えていただきます。
役所へ行くことになった。
正確には、張都監様の使いが帰った後、宋江様が後ほど役所へ参ると言ってしまったので、行かないわけにはいかなくなった。
行く前に、確認すべきことがある。
かなりある――
私は机の上の紙を片づけ、見られてもよい紙だけを表に残した。
見られて困る紙は別にした。
見られて困る上に、宋江様が顔に出しそうな紙は、さらに別にした。
ここまでしても不安は残る。
なぜなら、最大の危険物は紙ではなく、宋江様の口だからである。
「宋江様」
「今度は何だ」
宋江様は、すでに少し身構えていた。
よい傾向である。
身構える人間は、無防備な人間よりは少し安全だ。
ただし、身構えすぎると、それはそれで怪しい。
加減が難しい……
「役所へ行く前に、想定問答をいたします」
「そうてい」
「聞かれそうなことと、答えてよいことを先に分けます」
宋江様は眉を寄せた。
「わしは押司だぞ。役所の応対くらい分かっておる」
「だから危ないのです」
「なぜだ」
「分かっている方ほど、その場で上手く話そうとなさいます」
「上手く話してはいけないのか」
「今回は、上手く話すより余計なことを言わない方が大事です」
宋江様は黙った。
また黙った。
だが、今日の沈黙は少し短い。
学習の気配がある。
「つまり、わしは黙っておればよいのか」
「いいえ」
「違うのか」
「黙り方にも種類がございます」
宋江様は、本気で困った顔をした。
「黙るだけで種類があるのか」
「あります」
私は紙を引き寄せた。
黙り方――
そう書いた瞬間、宋江様が嫌そうな顔をした。
「その題はどうにかならぬか」
「では、発言管理」
「余計に重い」
「役所対応手順」
「ますます重い」
「では、黙り方で」
宋江様は諦めた。
私は筆を取った。
一、聞かれていないことは言わない。
二、知らないことは、知らないと言う。
三、分からないことは、確認すると言う。
四、友の人柄を語らない。
五、困って笑わない。
宋江様が、すぐ五を見た。
「また顔の話か」
「今回は口の話です」
「五は顔ではないか」
「口元です」
「同じだ」
「違います。顔全体よりは範囲が狭いです」
「そういう問題ではない」
宋江様は顔を押さえた。
私は真面目だった。
この人は困ると笑う。
笑うと何か隠しているように見える。
何か隠しているように見えると、実際に隠しているので非常にマズい。
「宋江様」
「うむ」
「まず練習します」
「練習」
「はい。私が役所の者として質問しますので、宋江様は答えてください」
「そこまでするのか」
「します」
「婆惜、そなた病み上がりではなかったか」
「病み上がりです。ですが、宋江様が不用意に話すと、私の病み上がりどころではなくなります」
「命か」
「はい」
宋江様は、もう驚かなかった。
よろしい。
死亡リスクへの理解が少し進んでいる。
私は咳払いをした。
「では始めます。宋押司」
「うむ」
「晁蓋一党について、何か聞き及んでおられますか」
宋江様は、少しだけ考えた。
「晁蓋殿は、昔から義に厚く」
「止めます」
「早くないか」
「早いです」
「まだ何も」
「言いました」
「何を」
「友の人柄です」
宋江様は黙った。
私は確認事項の四を指で押さえた。
「四、友の人柄を語らない」
「だが、晁蓋殿がどのような人物かを」
「聞かれていません」
「しかし」
「聞かれていない美談は、庇っているように見えます」
宋江様は、少し傷ついた顔をした。
申し訳ないとは思う。
ただ、今は傷ついている場合ではない。
「もう一度お願いします」
「うむ」
「晁蓋一党について、何か聞き及んでおられますか」
宋江様は、今度は慎重に答えた。
「詳しいことは知らぬ」
私は少し頷いた。
「よいです」
宋江様の顔が明るくなりかけた。
「ただし、その後に笑わないでください」
「笑っておらぬ」
「笑いそうでした」
「笑いそう、まで止めるのか」
「止めます」
「厳しい」
「命がかかっていますので」
便利な言葉である。
最近、宋江様もこの言葉を聞くと反論を諦めるようになってきた。
よい傾向である。
「次です」
私は少し声を変えた。
「では、晁蓋殿とは親しいのですか」
宋江様は答えた。
「友である」
「止めます」
「これもか」
「はい」
「友であることまで隠すのか」
「隠すのではなく、聞かれた範囲で答えます」
「聞かれておるではないか」
「親しいかどうかを聞かれています。友であると強く答えると、関係が深く見えます」
「実際、深い」
「だから危ないのです」
宋江様は、息を吐いた。
「では、どう言えばよい」
「存じ上げております、で止めてください」
「冷たいな」
「安全です」
「またそれか」
「はい」
私は紙に書いた。
晁蓋様について問われた場合――
存じ上げております。
それ以上は、聞かれた範囲で答える。
宋江様が横から見た。
「これでは、薄情に見えぬか」
「薄情に見える程度で済むなら安いです」
「安い」
「命よりは」
宋江様は黙った。
少し考えた顔だった。
「婆惜」
「はい」
「そなたは、わしに友を売れと言っているわけではないのだな」
「違います」
私ははっきり答えた。
「宋江様が余計なことを言って、友も自分も巻き込むのを止めたいだけです」
「……そうか」
「はい」
「なら、続けよう」
少しだけ、空気が変わった。
宋江様が抵抗しているのではなく、覚えようとしている顔になった。
よい。
非常によい。
「次です」
私はまた役所の者の声に戻した。
「昨夜、怪しい者がこのあたりを通ったと聞いております。宋押司は何か見ませんでしたか」
宋江様は眉を寄せた。
「昨夜は」
「止めます」
「まだ答えておらぬ」
「思い出そうとする顔が危険です」
「顔まで」
「はい」
私は紙に書いた。
思い出す時は、ゆっくりしすぎない。
「役所で聞かれて、長く考え込むと怪しまれます」
「では、早く答えればよいのか」
「早すぎても怪しいです」
宋江様は私を見た。
「難しすぎぬか」
「はい」
「はい、なのか」
「はい。だから練習しています」
宋江様は深く息を吐いた。
「では、どう答える」
「特に見ておりません。必要であれば、後ほど確認いたします」
「確認」
「はい。困ったら確認です」
「便利だな」
「便利です」
私は少しだけ胸を張った。
確認は逃げではない。
確認は安全確保である。
少なくとも、私はそう思っている。
ひと通りの想定問答を終えるころには、宋江様はかなり疲れていた。
私も疲れていた。
だが、成果はあった。
宋江様は、少なくとも三回に一回くらいは、余計なことを言わずに済むようになった。
不安である。
だが、練習前よりはましだ。
「では、行ってまいる」
宋江様が立ち上がった。
私は頷いた。
「最後に確認です」
「まだあるのか」
「あります」
私は指を折った。
「聞かれていないことは言わない。晁蓋様の美談を語らない。困って笑わない。知らないことは知らない。分からないことは確認する。戻ったら、聞かれた内容を報告する」
「覚えきれぬ」
「だから紙に書きました」
「紙は危険ではないのか」
「これは見られても問題ない形です」
私は、別紙に書いた短いメモを差し出した。
聞かれたことだけ答える。
知らないことは知らない。
公の話は公の場で。
宋江様は、それを受け取った。
「そなたの字だな」
「宋江様の字よりは目立ちません」
「まだ言うか」
「まだ必要です」
宋江様は苦笑し、今度はすぐ表情を引き締めた。
「笑わぬ方がよいのだったな」
「はい」
「難しいな」
「宋江様には、特に……」
「特に」
「はい」
宋江様は何か言いたげだったが、言わなかった。
よい。
大きな前進である。
宋江様が家を出た後、私は一人で部屋を見回した。
書状。
金。
紙片。
確認事項。
私が書いた伝言。
見られてよい紙。
見られてはいけない紙。
部屋が、だんだん役所の奥のようになっている気がする。
まだ梁山泊にも行っていないのに、すでに書類に囲まれている。
悪女になる暇がない。
私は少し横になった。
病み上がりという設定を便利に使っているが、体が本当に重い。
閻婆惜の体は、私が思うほど丈夫ではないらしい。
頭も少し痛い。
喉も乾く。
それでも眠れなかった。
宋江様が役所で余計なことを言っていないか。
困って笑っていないか。
晁蓋様の人柄を語り始めていないか。
誰かに「義」を語っていないか。
考えるだけで疲れる。
夫を信じる、という選択肢もあるのかもしれない。
ただ、信用と管理は別である。
私は目を閉じた。
しばらくして、戸の外で足音がした。
戻ってきた。
私は身を起こす。
宋江様が部屋へ入ってきた。 顔は疲れていた。
だが、ひどく慌てている様子はない。
まずは生きている。
次に捕まっていない。
ひとまず合格である。
「お戻りですね」
「うむ」
「座ってください。報告をお願いします」
「戻って早々か」
「忘れる前に」
宋江様は苦笑しかけ、途中で止めた。
「今、笑わぬようにしたぞ」
「分かりました。加点します」
「加点」
「はい」
「点数なのか」
「今回は七十点から始めます」
「低くないか」
「事前の危険度を考えれば高いです」
宋江様は諦めて座った。
「聞かれたのは、晁蓋殿の動きについてだ」
「どう答えましたか」
「詳しくは知らぬ、と」
「よろしいです」
「それから、近頃変わった者を見なかったかと」
「どう答えましたか」
「特には、と」
「よろしいです」
「ただ」
来た。
ただ。
危険な接続詞である。
私は姿勢を正した。
「何を言いましたか」
「張都監が、晁蓋殿は義に厚い男だと聞くが、と言ったので」
私は目を閉じた。
「宋江様」
「待て。言っておらぬ」
「本当ですか」
「言いかけたが、言わなかった」
「何を言いかけましたか」
「晁蓋殿は、たしかに義に厚く」
「減点です」
「言っておらぬ」
「顔には出ましたね」
宋江様は黙った。
分かりやすい。
「出ましたね」
「少し」
「減点です」
「厳しい」
「顔は口ほどにものを言います」
「顔も管理するのか」
「はい」
「わしの顔は忙しいな」
「私も忙しいです」
宋江様は、疲れたように笑った。
今度は家の中なので、少しだけ見逃す。
「それで、最終的には何と」
「人づてにそのように聞いたことはある、とだけ答えた」
私は少し考えた。
「ぎりぎりです」
「ぎりぎりか」
「はい。ですが、持ち直しました」
宋江様の顔に、少し安堵が浮かんだ。
「では、何点だ」
「七十二点です」
「二点しか上がらぬのか」
「途中で顔が出ました」
「顔でそこまで」
「顔で死ぬこともあります」
宋江様は押し黙った。
たぶん、本気で考えている。
良い傾向である。
「他には」
「晁蓋殿と最近会ったかと聞かれた」
「どう答えましたか」
「しばらく会っておらぬ、と」
「実際は」
「会っておらぬ」
「ならよろしいです」
「ただ、文は」
「言っていませんね」
「言っておらぬ」
「よろしいです」
私は小さく息を吐いた。
危なかった。
かなり危なかった。
だが、宋江様は耐えた。
少なくとも、致命的なことは言っていない。
「宋江様」
「なんだ」
「今回は合格です」
宋江様の顔が少し明るくなった。
「そうか」
「ただし、七十二点です」
「満点は遠いな」
「伸びしろです」
「便利な言葉だ」
「はい」
私は紙を引き寄せ、今日の項目を書いた。
十八、宋江様は聞かれていないことを言わなかった。
十九、ただし、顔に義侠心が出た。
二十、想定問答は有効。
二十一、次回は顔の練習も必要。
宋江様が覗き込む。
「二十一は何だ」
「次回課題です」
「顔の練習とは」
「困っても笑わない。友を思い出しても目を輝かせない。義侠心を頬に出さない」
「頬に出るのか」
「出ます」
「本当にか」
「かなり」
宋江様は、深く頭を抱えた。
私は筆を置いた。
黙るなら、黙り方がある。
答えるなら、答え方がある。
守るなら、守り方がある。
宋江様はまだ危ない。
だが、少しずつ止まれるようになっている。
悪い傾向ではない。
私は最後に、確認事項の下へ一文を書いた。
発言も危険物である。
少し迷って、横に添える。
特に宋江様の善意。
宋江様がそれを見た。
「婆惜」
「はい」
「それは、わしへの悪口ではないのか」
「確認事項です」
「毎回そう言うな」
「便利なので」
宋江様は、今度こそ家の中なので、小さく笑った。
私はそれを見て、紙の端にさらに書いた。
ただし、家の中では少し可。
宋江様が、不思議そうに私を見た。
「何が少し可なのだ」
「笑うことです」
宋江様は、少し驚いた顔をした。
私は視線をそらした。
「外では不可です」
「家では」
「少し可です」
宋江様は、また笑った。
今度は止めなかった。
外でなければ、今のところ危険物ではない。
たぶん……
本件、閻婆惜よりご報告いたします。
本日の確認事項は、以下の通りでございます。
聞かれていないことは、言わない。
友の美談は語らない。
困って笑わない。
分からない時は、確認すると答える。
以上でございます。
黙るだけなら簡単に見えます。
ですが、黙り方を間違えますと、沈黙まで疑われます。
なお、宋江様の笑顔は、家の中では少し可といたしました。




