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承知の印

閻婆惜でございます。


本日は、二龍山への正式回答を整える予定でございます。


ただし、その前に大変重要な確認がございます。

楊雄様が、まだ「承知した」とおっしゃっておりません。

聞いていることと、承知したことは別でございます。

この差を曖昧にしたまま会議を終えますと、後日たいへん面倒なことになります。


前世の職場にもおりました。

会議中は黙っていたのに、あとから「自分は承知していない」とおっしゃる方です。

そういう方に限って、書類が炎上したあとで涼しい顔をなさいます。

梁山泊で書類が燃える場合、だいたい本当に何かが燃えますので、今回は先に止めます。


楊雄様と石秀様には、二龍山および十字坡方面への私的行動を禁じます。

さらに、一刻ごとに晁蓋様の下へ出頭していただき、所在を確認いたします。

出勤管理ではございません。

……ほぼ出勤管理でございます。


ただし、遅刻理由が「妻を追いに行っておりました」では済みません。

そのような申告を前世で出せば、上司が黙り、法務部が立ち上がり、警備員が呼ばれます。

この世界には警察がございません。

代わりに、晁蓋様が立ち上がります。

それはそれで十分に怖うございます。


一方で、二龍山から届いた照会文は、ただの苦情ではございませんでした。

名を伏せ、事実を置き、梁山泊に正式な答えを求める文です。

文でこちらの足を止める方が、あちらにはおります。


攻略本では、潘巧雲様は命を落とすはずの方でした。

知略ある女傑として紹介されていたわけでもございません。

それなのに今、その方は生きております。

しかも、文で梁山泊を止めております。


九天玄女様――

説明不足にもほどがございます……


本日は、承知の印を取り、返答文も整えます。

ですが、こちらが足を止めたつもりでも、向こうはこちらの足跡を先に読んでいるようでございます。

楊雄様は、まだ答えませんでした。

部屋の中に、嫌な沈黙が漂っています。

返事をしない――

それだけなら、ただ黙っているように見えます。

けれど、こういう沈黙を前世の職場で何度も見てまいりました。

聞いていないふりをして、納得もしていないのにその場だけやり過ごし、会議が終わったあとで別の行動を始める方です。

厄介なのは、そういう方ほど、後から必ず言うのです。

「承知したとは言っていない」と……

ええ――

本当におります。

梁山泊にも、今、目の前に……

「楊雄様」

私は筆を置きました。

「お返事がございませんが?」

楊雄様の目が、わずかに動きました。

「……聞いている」

「聞いていることと、承知したことは別でございます」

石秀様が、こちらを見ました。

王英様は目を伏せています。

晁蓋様は腕を組んだまま、楊雄様を睨んでおられました。

その視線だけで、たぶん小悪党なら白状します。

「承知いただけないのであれば、そのように記録いたします」

「記録だと?」

「はい、二龍山および十字坡周辺への私的接触を禁じる件について、楊雄様は承知されなかった、と」

楊雄様の顔が険しくなりました。

「俺を罪人のように扱うのか?」

「罪人とは申し上げておりません。ですが、監督対象ではございます」

部屋の温度が、少し下がったような気がいたしました。

監督対象――

たいへん便利な言葉です。

前世なら、人事部、総務部、法務部の三者が同時に真顔になる言葉でございます。

梁山泊でそれに相当するのは、晁蓋様の睨みと、宋江様の苦い顔と、呉用様の閉じた扇です。

とても物騒です。

「楊雄、石秀」

晁蓋様が言いました。

「そなたらは、当面わしの下へ入れ」

楊雄様が眉を寄せます。

「どういう意味ですか?」

「一刻ごとに、わしの前へ来い」

その場にいた全員が、一瞬止まりました。

王英様など、自分にも言われたのかと顔を上げかけました。

ご安心ください。

王英様は別枠で、常に監視対象です。

安心する内容ではございませんが……

「一刻ごと……」

石秀様が呟きました。

晁蓋様は頷かれます。

「鐘が鳴るたび、わしの前へ来て所在を示せ。来ぬ時は、勝手に動いたものと見る」

「それでは、まるで囚人ではないか」

楊雄様が言いました。

私はすぐに答えました。

「囚人ではございません。ですが、自由行動を認められる状態でもございません」

楊雄様の視線が、鋭くこちらへ刺さります。

刺さっても構いません。

ここで刺されて困るのは私の胃であり、潘巧雲様の命ではございません。

優先順位は明確です。

「晁蓋殿」

宋江様が口を開かれました。

「お怒りはもっともだ。だが、一刻ごととなれば、二人の面目もあろう」

晁蓋様は宋江様へ顔を向けました。

「面目のために足を緩めれば、二龍山まで走るかもしれぬ」

宋江様は、そこで言葉を止めました。

止まってしまうのも無理はございません。

楊雄様は、まだ「承知した」と言っていないのです。

本人の意思を確認したいと言いながら、こちらの禁止には返事をしない。

たいへん分かりやすい危険信号でございます。

呉用様が、そこで扇を手にしました。

開きません。

閉じたまま、卓の上の二龍山の照会文を見ています。

「晁蓋殿の措置は厳しい。ですが、この局面では有効でしょう」

楊雄様が呉用様を見ました。

「軍師殿まで俺を縛るのか?」

「縛るのではありません。山を守るのです」

呉用様の声は穏やかでした。

だからこそ、逃げ道がありません。

「今、二龍山へ勝手に動かれれば、梁山泊は正式な照会を受けたにもかかわらず、私的事情を止められぬ山になります。それは、今後の交渉にも差し障ります」

「交渉?」

晁蓋様が問いました。

呉用様は、二龍山の文を指先で押さえました。

「この文を書いた者は、ただ助けを求めているのではありません。名を伏せ、事実を置き、こちらに正式な回答を求めている。責め切らず、逃がし切らず、こちらが踏み込めばこちらの非になるよう線を引いている」

呉用様の目に、わずかな光が宿りました。

「二龍山側にも、なかなか面白い方がおられるようですな」

晁蓋様の眉が動きます。

「褒めておる場合か?」

「褒めているからこそ、侮れぬと申しております」

呉用様は、そこで少しだけ笑いました。

「できることなら、一度会ってみたいものですな」

私は、二龍山の文へ目を落としました。

潘巧雲様――

攻略本の中では、楊雄様と石秀様によって命を落とすはずだった方です。

知略ある女傑として記されていたわけではありません。

文で山を動かす方として紹介されていたわけでもありません。

本来なら死んでいるはずの方が、今は生きている。

しかも、梁山泊の足を文で止めている。

九天玄女様――

また説明不足です。

攻略本の範囲外にもほどがございます。

ですが、呉用様の言葉には、私も少しだけ同意いたしました。

私も、一度お会いしてみたい。

潘巧雲様がどのような目で、どのような手で、この文を整えたのか?

死ぬはずだった方が、どうやって生きる側へ回ったのか?

それを確かめたいと思ったのです。

もちろん、今すぐ楊雄様を連れて行くという意味ではございません。

絶対に違います。

そこを間違えると、全部燃えます。

「では、条件を文にいたします」

私は返答文の横に、別の紙を置きました。

これは二龍山へ送る文ではございません。

梁山泊の内部で縛るための文です。

「楊雄様、石秀様は、二龍山および十字坡に関する私的行動を禁ずる。無断での聞き込み、接触、周辺への移動を禁ずる。案件が収まるまで、一刻ごとに晁蓋様の下へ出頭し、所在を確認する。報告を怠った場合は、禁止事項に反したものとして扱う」

書きながら、私は自分でも思いました。

完全に出勤管理です。

しかも、かなり厳しめの勤怠管理です。

ただし、遅刻理由が「妻を追いに行っておりました」では済みません。

前世なら、上司が黙り、法務部が立ち上がり、警備員が呼ばれます。

この世界では、晁蓋様が立ち上がります。

それはそれで怖い。

「署名を」

私は紙を楊雄様の前へ押し出しました。

楊雄様は紙を見ました。

筆を取ろうとしません。

晁蓋様の目が、さらに鋭くなります。

「楊雄」

その一言だけで、楊雄様の指が動きました。

彼は筆を取り、しばらく紙の上で止めたあと、ようやく名を書きました。

墨が、わずかに滲みます。

続いて石秀様が筆を取りました。

石秀様は、迷いませんでした。

名を書き終えると、楊雄様の横顔を見ます。

義兄弟として心配しているのか?

それとも、これ以上動くなと目で止めているのか?

どちらにも見えました。

「王英様もです」

「俺もで?」

「もちろんでございます」

王英様は情けない顔になりました。

「俺は行かねえって」

「その『言っただけ』で今回の火種が増えました」

王英様は口を閉じました。

大変よろしい。

彼にも、二龍山および十字坡の件を口外しない旨を書かせました。

手つきは雑でしたが、書かせた事実が大事です。

口は軽くても、紙は残ります。

私は、署名済みの紙を晁蓋様へ渡しました。

晁蓋様はそれを見て、ようやく短く息を吐かれました。

「よし」

それで終わりではございません。

次は、二龍山への正式回答です。

私は筆を取り直しました。

梁山泊として、二龍山周辺の詮索を命じた事実はございません。

関係者による私的な聞き込みがあった可能性については確認し、今後、当山の許可なく二龍山および十字坡周辺へ接触させぬよう監督いたします。

女二名について、本人の意思なき引き渡しを求めるものではございません。

必要があれば、貴山の保護下において、当人らの意思確認をお願い申し上げます。

潘巧雲様の名は書きません。

迎児様の名も書きません。

名を伏せた文には、名を伏せたまま返す。

それが最低限の礼です。

書き終えたところで、戸の外に足音が近づきました。

慌ただしい足音ではありません。

けれど、軽い。

時遷様です。

「入れ」

晁蓋様が命じると、時遷様が静かに入ってきました。

服には、道の土埃がついております。

顔には笑みがありましたが、目は笑っておりませんでした。

「戻りました」

「報告せよ」

晁蓋様の声に、時遷様は頷きました。

「楊雄殿、石秀殿は十字坡までは入っておりません。途中で聞き込みをしただけです」

楊雄様の肩が、ほんの少し緩みました。

しかし、時遷様の報告はそこで終わりませんでした。

「ただし、二龍山の周辺には、こちらを見ている目がありました」

石秀様の顔が変わりました。

「見ている目?」

「ええ……あちらは、こちらが思うより先に見ています」

私は、白い帳面を押さえました。

火の影が、また揺れた気がします。

時遷様は、さらに続けました。

「それと、もう一つ」

部屋の空気が止まりました。

「楊雄殿たちが話を聞いた道筋ですが、聞かれた者たちは、すでに警戒しておりました。女二人のことも、孫二娘殿と張青殿のことも、余計な名を出せば二龍山へ届くと分かっていたようです」

石秀様の顔が、はっきり変わりました。

探っていたつもりだった。

けれど、探られていた。

それは、楊雄様と石秀様だけの問題ではありません。

梁山泊の足が、外から見えているということです。

白い帳面の火は、まだ消えません。

承知の印は押されました。

返答文も整いました。

それでも、こちらが足を止める前から、向こうは足跡を読んでいたのです。

本件、閻婆惜よりご報告いたします。


本日の確認事項は、以下の通りでございます。

書かせたから安心、という考えは捨てましょう。

署名は終わりではなく、後で逃げ道を塞ぐための杭でございます。

杭を打ったからといって、そこに縛られた方が大人しく座っているとは限りません。

特に、心がまだ二龍山方面へ向いている方の場合、足ではなく目が先に動きます。


今回、楊雄様と石秀様には、勝手に動かないための文を書いていただきました。

王英様にも、余計な話を広げないための文を書いていただきました。

ここまでしてようやく、梁山泊として「止める努力はいたしました」と言える状態でございます。


ええ――

努力でございます。

成功とはまだ申し上げておりません。


そして問題は、こちらがようやく内側を締めた時には、外側からすでに見られていたという点でございます。

時遷様の報告によれば、二龍山周辺では、こちらの聞き込みに対する警戒が先に立っておりました。 こちらが探っているつもりでも、相手には探り方、歩く筋、口に出した名前まで見えていた可能性がございます。

これはたいへん困ります。

梁山泊は人数も武力もございます。

声の大きい方も多うございます。

ですが、声が大きいことと、足音を消せることは別でございます。

文で止められ、道で見られる。

この状況でなお「気づかれていない」と思うのは、書類を燃やしたあとで「少し焦げただけ」と申すくらい危険です。


また、呉用様が二龍山の文の書き手に興味を持たれました。

これは評価としては正しいのですが、現場としては少々怖うございます。

呉用様が「会ってみたい」とおっしゃる相手は、だいたい味方にしたい相手か、策に巻き込みたい相手です。

そして今回は、おそらく両方でございます。


ただし、その方は攻略本では命を落とすはずだった女性です。

死ぬはずだった方が生きており、しかも文で山の動きを止めている。

この時点で、通常業務ではございません。


九天玄女様――

追加業務の発生条件につきまして、そろそろ明文化していただけませんでしょうか?


皆様も、署名を取ったからといって議事録を閉じないでくださいませ。

相手の足を止めたつもりでも、こちらの足跡はもう読まれているかもしれません。


――ちなみに白い帳面の火は、まだ消えておりません。

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