照会の件
閻婆惜でございます。
本日は、二龍山より届いた書状を確認いたします。
朱仝様入山の稟議書が山を出たばかりでございますが、今度は二龍山からの対外案件です。
封の表書きには、こうございました。
梁山泊御中。
照会の件。
山寨からの書状に、件名がついております。
それだけで、少々厄介な気配がいたしました。
中身は、十字坡にいた女二名の行方、孫二娘様と張青様の所在、そして楊雄様と石秀様の名に関する問い合わせでございました。
二龍山は、梁山泊と争う意はないと書いております。
しかし同時に、逃げ込んだ者を本人の意思なく外へ渡すこともない、と明確に線を引いております。
これは苦情文ではございません。
脅し文でもございません。
探られた事実を記録し、梁山泊の正式な意向を確認するための照会文です。
本日は、その文を読み解きます。
表書きが少し変わっている。
使いは、そう申しました。
封を切る前に分かることなど、多くはございません。
差出人。
宛名。
せいぜい、件名。
ですが、その三つだけで十分な時もあります。
二龍山留守居役。
梁山泊御中。
照会の件。
山寨から届いた書状に、件名がついております。
しかも、用件が一目で分かる。
これは、ただの挨拶文ではありません。
苦情でもありません。
助けを求める文でもない。
こちらに、答えを求める文です。
「婆惜」
宋江様が、私の手元を見ました。
「何か妙なのか」
「はい」
私は封を見つめたまま答えました。
「開ける前から、すでに少々厄介でございます」
「表だけで分かるのか」
「分かります。少なくとも、この文を書いた方は、用件を曖昧にしておりません」
晁蓋様が眉を寄せました。
「二龍山からであろう。魯智深殿の文か」
「魯智深様が悪いという意味ではございませんが、この表書きは魯智深様のものではありません」
「では楊志殿か」
呉用様が言いました。
「可能性はございます。ただ……」
私は封の端を指で押さえました。
「武人の文にしては、少し整いすぎております」
「整いすぎて困る文もあるのか」
晁蓋様が不思議そうにおっしゃいます。
ございます。
整っている文ほど、逃げ道が少ないことがあるのです。
封を切ると、中の紙はきちんと折られていました。
墨の濃さは一定。
字の大きさも揃っています。
山の荒々しさはありません。
役所の冷たさとも違います。
必要なことだけを並べ、相手に選ばせる文です。
「読み上げます」
私は紙を開きました。
「梁山泊御中。二龍山留守居役より、当山周辺における詮索の件につき、照会申し上げます」
詮索――
最初から、言葉を選んできました。
探りでも、間者でもない。
まだ敵意とは断じない。
けれど、見過ごすつもりもない。
「近頃、麓の茶屋、荷を受け取る場所、十字坡へ通じる道筋において、十字坡にいた女二名の行方を問う者が複数確認されております」
宋江様の目が細くなりました。
呉用様は扇を開きかけ、止めます。
私は続けました。
「問われた内容は、女二名がどこへ向かったか、片方は帳面をつけていたか、もう片方は下女であったか、孫二娘および張青の所在、ならびに十字坡との関わりに及びます」
帳面をつけていた女。
下女。
潘巧雲様。
迎児様。
名は書かれていません。
あえてでしょう。
文の上では、本人たちを晒していない。
けれど、こちらには分かるようにしている。
嫌な文です。
いい文でもあります。
「なお、これらの問いの中に、貴山に身を寄せる楊雄殿、石秀殿の名が関わるようにも聞こえるとの報告がございます」
楊雄様。
石秀様。
部屋の空気が重くなりました。
晁蓋様が低く言います。
「二人が動いておるのか」
「二龍山側は、断定しておりません」
私は紙の行を示しました。
「名が関わるようにも聞こえる、という書き方です。証拠が揃っていないため、断じていないのでしょう」
呉用様が小さく息を吐きました。
「だが、こちらへ届く時点で十分に刺している」
「はい」
これは、よく刺さります。
断定しないことで、逃げ道を残しているように見せる。
その実、こちらに確認義務を生じさせています。
「これは、貴山の御意向によるものか。あるいは、両名または関係者の私事によるものか、御確認の上、御回答を願います」
宋江様が、はっきり眉を寄せました。
「わしは命じておらぬ」
晁蓋様も首を振ります。
「わしも知らぬ」
呉用様は静かに答えました。
「私も、二龍山周辺を探れとは命じておりません」
三人とも、即答でした。
少なくとも、この場では梁山泊の正式な指示ではありません。
ならば、私事です。
ですが、梁山泊にいる者が山の名を背負って外で動けば、相手には私事で済みません。
「さらに続きがございます」
私は紙を持ち直しました。
「もし私事であるならば、二龍山周辺における詮索は控えられたく存じます。当山は、梁山泊と事を構える意はございません」
ここまでは丁寧です。
とても丁寧。
そして、次が本題でした。
「されど、当山へ逃げ込んだ者を、本人の意思なく外へ渡すこともございません」
誰も声を出しませんでした。
この一文が、この照会文の芯です。
逃げ込んだ者。
本人の意思。
渡すことはない。
夫だから。
義兄弟だから。
元の家の者だから。
そういう理由で、人を物のように引き渡す気はないと書いています。
しかも、梁山泊と争う意はない、と先に置いている。
喧嘩は売っていない。
しかし、線は引いている。
「……これは、見事だな」
呉用様が呟きました。
珍しく、感心が混じっています。
私は頷きませんでした。
「見事ですが、こちらにとっては厄介です」
「なぜです?」
「梁山泊として、無視できないからです」
私は紙を卓に置きました。
「この文は、ただ助けを求めているのではございません。こちらの責任範囲を確認しています」
「責任範囲……」
宋江様が繰り返しました。
「はい、楊雄様と石秀様、またはその名に連なる者が動いている。その行動は梁山泊の命か、私事か……命ならば、梁山泊として二龍山に干渉していることになります。私事ならば、梁山泊として止める責任が発生します」
晁蓋様が腕を組みました。
「どちらにしても、こちらが答えねばならぬのか」
「はい」
「上手いな」
晁蓋様が苦い顔で言いました。
本当に上手いのです。
殴り込む前に、上へ問い合わせる。
探られた言葉を記録し、場所を記録し、聞かれた内容を並べる。
そして、相手の組織へ返す。
これは、泣きつく文ではありません。
文で、探りを表へ引きずり出す反撃です。
「この文を書いた者は、何者だ」
宋江様が尋ねました。
「分かりません」
私は正直に答えました。
「ですが、ただ逃げている方の文ではございません」
「二龍山の留守居役ではないのか」
「名義はそうです。ただ、文案を作った方は別にいるかもしれません」
「なぜそう思う」
私は、もう一度文面を見ました。
女二名。
帳面。
下女。
孫二娘様。
張青様。
楊雄様。
石秀様。
聞かれた言葉を拾い、そこから線を見ている。
十字坡と二龍山のつながりを探られていると見抜き、個人の逃亡を山同士の照会へ引き上げている。
これは、武力の強い方の考え方ではありません。
現場の者が拾った小さな違和感を、書類にして積み上げられる方です。
「記録の取り方が、実務の分かる方のものです」
私は言いました。
「実務?」
呉用様が問い返します。
また現代寄りの言葉です。
ですが、ここは押し通します。
「人を動かすための細かな手順を知っている、という意味です。何を聞かれたか、どこで聞かれたか、誰の名が出たか。それを並べ、断定せず、しかし相手に回答を求める。これは感情だけでは書けません」
宋江様は黙って聞いていました。
晁蓋様は、どこか感心したように紙を見ています。
呉用様だけが、私を見ていました。
「婆惜殿は、この文の書き手に心当たりが?」
「ございません」
答えは早く出しました。
正確には、心当たりはあります。
ですが、まだ口に出せません。
潘巧雲様――
攻略本の中で、死へ追い込まれるはずだった方。
この梁山泊では、すでに筋書きから外れている可能性がある方。
けれど、文面に名はありません。
名がない以上、推測は推測です。
推測を事実にしてしまえば、こちらも呉用様の策と同じ穴に落ちます。
「ただ、二龍山に文書を整えられる方がいることは確かです」
私はそう言い換えました。
宋江様が頷きます。
「ならば、どうする?」
「まず、梁山泊として、この詮索が正式な命ではないことを確認する必要がございます」
「命じておらぬ」
「口頭ではなく、回答文にいたします」
宋江様は、もはや驚きませんでした。
晁蓋様も、仕方なさそうに頷きます。
「そうであろうな。文で問われたなら、文で返すべきだ」
「はい」
「楊雄と石秀は呼ぶのか?」
私は少し考えました。
呼ぶ必要はあります。
けれど、今すぐ呼んで怒鳴れば、私事がさらにこじれます。
それに、本人たちが本当にどこまで動いているのか、まだ分かりません。
「呼ぶ前に、所在を確認してください」
「所在?」
「はい。山にいるのか、山を下りているのか。誰と会い、誰へ使いを出したのか。まず事実を揃えます」
呉用様が、薄く笑いました。
「尋問ではなく、事実確認ですか?」
「はい、言い方で結果が変わります」
尋問と呼べば、相手は身構えます。
事実確認と呼べば、逃げ道が少し残ります。
逃げ道を残すことは、甘さではありません。
白状させるための隙でもあります。
「二龍山との同盟については?」
呉用様がさらに尋ねました。
「今は同盟の話ではございません」
私はきっぱり答えました。
「これは、照会です」
「しかし、二龍山は往来や物資にも触れている」
「だからこそ、先にこの件の責任範囲を整理します。保護下の者をどう扱うかが曖昧なまま同盟の話へ進めば、最初から足元が腐ります」
呉用様は黙りました。
宋江様が静かに言います。
「婆惜の言う通りだ。まず照会に答える」
晁蓋様も頷きました。
「楊雄と石秀の所在を調べよ。二龍山へ返す文は、婆惜が下書きを作れ」
「承知いたしました」
承知しました――
そう答えながら、私は心の中で頭を抱えました。
朱仝様の稟議書が山を出たばかりです。
小衙内様の保険も、まだ結果が分かりません。
そこへ二龍山から、照会の件。
内部案件。
対外案件。
本人意思。
責任範囲。
私事と組織の切り分け。
前世なら、これだけで会議室が三つ埋まります。
今世では、私の胃だけが埋まっていきます。
使いが走っていきました。
楊雄様と石秀様の所在を確認するためです。
私は二龍山の文を、もう一度開きました。
最後の一文が、目に残ります。
逃げ込んだ者を、本人の意思なく渡すこともございません。
この一文だけは、ただの山賊の文ではありません。
逃げた者の側に立つ文です。
書いた方は、隠れるだけでは足りないと知っている。
見られた跡を記録し、相手の上へ問い合わせる。
文で反撃する方。
私は、指先で紙の端を押さえました。
その時、廊下の向こうから足音が戻ってきました。
早い。
早すぎます。
使いが戸の外で膝をつきました。
「申し上げます」
嫌な予感は、こういう時だけ外れません。
「楊雄様、石秀様のお二方、今朝より寨内にお姿がございません」
部屋の空気が止まりました。
私は、二龍山の照会文を握りしめました。
文で表に出された探りは、まだ終わっていなかったのです。
本件、閻婆惜よりご報告いたします。
本日の確認事項は、以下の通りでございます。
外部から正式な確認を求められた場合、まず自山の指示によるものか、個人の私事であるかを切り分けましょう。
名が出ているだけで断定するのは危険ですが、名が出た時点で放置もできません。
相手が断定を避けている文ほど、こちらの確認義務は重くなる場合がございます。
口頭で「命じていない」と答えるだけでは、外部への回答にはなりません。
文で問われた案件には、文で返すのが基本でございます。
また、関係者を呼び出す前には、まず所在を確認してください。
呼ぶつもりの方がすでに寨内にいない場合、会議はただちに緊急対応へ変わります。
皆様も、書類を読んでから人を呼ぶ際は、相手がまだ席にいるかどうかを先にご確認くださいませ。




