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別のものを授けねばならぬ

閻婆惜でございます。

本日は、雷横様へ事情を伺います。

白秀英様は、李応様に守られて梁山泊へ来られました。

ですが、攻略本にあった白秀英様死亡の筋書きは、消えたわけではございませんでした。

白秀英様の代わりに、別の娘がその名を着せられ、宴席へ立たされ、命を落としております。

逃げた方が悪いのではございません。

逃げた方の代わりに、別の誰かを危険な場所へ立たせた者が悪いのです。

助かった方がいる。

けれど、死んだ方もいる。

この事実を前に、私は自分が何を変えているのか、分からなくなりました。

そして、その夜――

私は、妙な夢を見ることになります。

盃の割れる音は、宴の終わりではありませんでした。

むしろ、始まりの合図でした。

床に転がった器を見つめたまま、雷横様は動きません。

白秀英様は李応様の袖を掴み、杜興様がその前へ少し身を入れました。

聚義庁の中で、誰も軽口を叩きません。

先ほどまで肉と酒の匂いに浮いていた空気が、一気に重くなっております。

私は雷横様を見ました。

「雷横様」

声をかけると、雷横様の肩がわずかに跳ねます。

「少し、お話を伺ってもよろしいでしょうか」

「……今か?」

「今でございます」

時間を置けば、誰かが間に入ります。

誰かが気を利かせます。

誰かが、都合のよい説明を作ります。

それでは遅いのです。

宋江様がこちらを見ました。

「婆惜」

「宋江様、白秀英様の件に関わる確認です。ここで曖昧にすれば、李応様にも、雷横様にも、白秀英様にも失礼になります」

宋江様は唇を引き結び、頷きました。

「分かった」

李応様は白秀英様の肩を支えるようにして立ち上がりました。

「秀英は俺が連れて戻る」

「お願いいたします。杜興様も御一緒に」

杜興様は短く頷きました。

白秀英様は一度だけ雷横様の方を見ました。

雷横様はその視線を受け止められず、顔を伏せます。

その沈黙だけで、十分でした。

何かがあります。

そして、その何かは、白秀英様が逃げ切ったことで消えたわけではありません。

別の部屋へ移ると、酒の匂いは薄くなりました。

卓と椅子だけの小部屋です。

雷横様には座っていただき、私は正面に座ります。

宋江様も同席しました。

本来なら晁蓋様にもお入りいただくべきところですが、今は聚義庁を抑える方が先です。

「雷横様」

「分かっている」

雷横様は、こちらが何を聞くか知っている顔をしていました。

「白秀英のことだろう」

「はい」

「死んだと聞いていた。いや、俺が死なせた」

声が擦れています。

私は手元の紙へ筆を置きました。

責めるためではありません。

残すためです。

「順に伺います。鄆城で、白秀英様と名乗る女性が亡くなったのですね」

雷横様は頷きました。

「俺は母を連れて見物に出た。舞台にいた女は、白秀英と呼ばれていた。名のある歌妓だと周りも言っていた。だが、今夜見た白秀英殿とは……違う」

「別人でしたか」

「似せてはいた。衣も、化粧も、名もだ。だが別人だ」

雷横様は両手を握りました。

「その女が、母を侮った」

宋江様の眉が動きます。

雷横様は苦しげに息を吐きました。

「俺も悪かった。怒りを抑えられなかった。言い争いになり、白玉喬も騒ぎを大きくした。あの男は、娘を庇うでも、客を宥めるでもなく、ただ俺を辱めた。母まで笑われた」

白玉喬――

白秀英様が逃げてきた先の父。

代わりの娘を出した男。

私は筆を止めませんでした。

「その場で、手を上げたのですね」

雷横様は、目を閉じました。

「殺すつもりはなかった」

よくある言葉です。

けれど、嘘には聞こえませんでした。

「突き飛ばした。倒れた。頭を打った。起きなかった」

部屋の中が静まり返りました。

攻略本では、雷横様が白秀英を殺す。

そういう流れだったはずです。

ですが、ここで死んだのは白秀英様ではありません。

白秀英様の名を着せられた、別の娘……

物語から外れた名もない人……

けれど、その人には人生があったはずです。

朝に髪を結い、声を出し、客の前で笑い、夜には疲れて眠る。

誰かに叱られ、誰かに心配され、もしかすると、逃げたいと思っていたかもしれない。

攻略本の一行には載らない。

でも、死んでよいわけではありません。

「白玉喬は、なぜその方を白秀英様として出したのでしょう」

「本物の白秀英が逃げたからだと、後から聞いた」

雷横様の声が小さくなります。

「騒ぎの後で知った。白玉喬は、逃げた娘の穴を埋めるために、別の娘を同じ名で舞台に立たせた。客を逃がさぬためだ」

宋江様が拳を握りました。

「なんということを……」

雷横様が顔を歪めます。

「俺が言えたことではない」

「雷横様の罪は消えません」

私は言いました。

雷横様が、こちらを見ます。

「ですが、白玉喬様の責任も消えません。名を偽らせ、危険な席へ立たせ、逃げた娘の代わりに使った。その事実は別に記録します」

「記録して、どうする」

「今はまだ、処理方法を決められません」

正直に言うしかありません。

「ただ、なかったことにはいたしません」

雷横様は何かを言いかけ、結局やめました。

宋江様が沈んだ声で言います。

「婆惜よ……これは、わしの身内のことでもある。雷横は昔からの縁だ。だが、白秀英殿の前で曖昧にはできぬ」

「はい」

「明日、李応殿にも話す」

宋江様は雷横様へ向き直りました。

「雷横、逃げるな」

「逃げぬ」

雷横様は、やっとはっきり答えました。

「俺は、あの娘を死なせた。白秀英殿を見て、死んだ女が戻ったのかと思った。違うと分かって、余計に……」

言葉が切れます。

私は紙を畳みました。

「本日のところは、ここまでにいたします。雷横様、今夜は白秀英様へ近づかないでください。謝罪も、明日以降、李応様を通して行います」

「分かった」

「宋江様……白玉喬様の件は、別途確認が必要です」

「承知した」

承知――

その言葉が増えていくたび、案件も増えております。

私の前世では、未処理案件はメールボックスに溜まりました。

今世では、人の命と恨みになって積み上がります。

比較対象が重すぎますね……

夜になっても、眠りは浅いままでした。

部屋へ戻り、紙を整理し、雷横様の供述を書き直します。

白秀英様は生きている……

しかし、別の娘が死んだ……

扈三娘様は王英様と結ばれずに済んだ……

けれど、祝家荘では多くの者が死んだ……

李応様は梁山泊へ来た……

その代わり、李家荘は焼かれた……

私は救っているのでしょうか……

それとも、帳尻の場所を変えているだけなのでしょうか……

答えの出ない考えは、紙の上をぐるぐる回り、やがて墨の染みのように滲みました。

気づけば、私は眠っていたようです。

目を開けると、そこは梁山泊ではありませんでした。

白い霧が、足元を流れています。

見上げても天井はなく、月もありません。

ただ、遠くに楼閣の影が浮かんでいました。

夢――

そう理解した瞬間、隣に人の気配がしました。

宋江様です。

「婆惜……?」

宋江様も、こちらを見て驚いています。

同じ夢……

最悪です……

夢の中まで同席会議とは、労務管理上どうなのでしょうか。

その時、霧が左右へ割れました。

香の匂いが流れ、光の中から一人の女神が現れます。

人の姿をしているのに、人ではない。

衣は霞のように重なり、目は夜空より深い。

私は息を呑みました。

攻略本にあった名が、頭の中で音を立てます。

九天玄女――

宋江様が膝をつきました。

私も慌てて頭を下げます。

女神は宋江様を見下ろしました。

「宋江」

「はっ」

「いつまで経っても来ぬゆえ、こちらから出向いてやった」

宋江様が硬直しました。

私は頭を下げたまま、思わず目だけを動かします。

神様に出張させる男……

さすが宋江様です。

いえ、感心している場合ではございません。

九天玄女様の視線が、私へ移りました。

「閻婆惜」

名を呼ばれた瞬間、背筋が凍りました。

「はい」

「お前のせいで、こちらから出向くことになった……」

初対面の神様から、いきなり苦情をいただきました。

クレーム対応開始でございます。

「恐れながら、どの件でございましょうか」

聞いた瞬間、九天玄女様の目が細くなりました。

「心当たりが多い顔をしておる」

否定できません……

宋江様がこちらを見ました。

見ないでくださいませ……

「本来ならば、宋江が定められた時に道を失い、天の書を受け取るはずであった」

九天玄女様の声が、霧の奥へ響きます。

「されど、道が変わった。人が死なず、人が死に、人が早く集まり、人が別の場所へ逃げた」

扈三娘様。

白秀英様。

潘巧雲様。

李応様。

雷横様。

名を言われなくても分かります。

私が、筋書きから外れたと確認した場所です。

「閻婆惜よ……お前は、死ぬはずであった」

宋江様が息を呑みました。

私は額を地につけたまま、動けません。

「されど生きている。ただ生きているだけならば、まだよい。お前は、人の行く末に手を入れすぎた」

「……申し訳ございません」

「謝れば流れが戻るものではない」

おっしゃる通りです……

稟議書でも戻りません……

「宋江」

「はっ」

「お前には、天魁星としての道がある。迷い、過ち、それでも人を集めねばならぬ」

宋江様は顔を上げました。

九天玄女様の袖が揺れます。

光の中から、巻物のようなものが現れました。

「宋江には、天書を授ける」

九天玄女様は、そう告げました。

そして、私を見ました。

「お前には、別のものを授けねばならぬ」

嫌な予感がしました。

神様……

その言い方は、だいたい面倒な案件でございます。

本件、閻婆惜よりご報告いたします。

本日の確認事項は、以下の通りでございます。

予定された面談に相手が来ない場合、まれに上位者の方から御出向なさることがございます。

神様をお待たせした場合、通常の督促よりも重い御指摘を受ける可能性がございます。

本来の流れから外れた案件は、関係者だけでなく、天上の担当部署にも影響するようです。

宋江様には天書が授けられました。

私には、別のものが授けられるそうです。

詳細を確認する前から嫌な予感がいたしますが、受領拒否できる空気ではございませんでした。

皆様も、上位者から「別のものを授ける」と言われた際は、まず追加業務の発生を疑ってくださいませ。

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