義侠心にも手順がございます
閻婆惜でございます。
本日は、晁蓋殿への対応を確認いたします。
友を助けたい。
義を通したい。
急ぎで知らせたい。
お気持ちは分かります。
ですが、書状を家に置き、金を受け取り、差出人不明の包みに手を伸ばすのは別問題でございます。
義侠心にも、手順は必要です。
危険物管理表を書き終えたところで、宋江様は疲れた顔をしていた。
私も疲れていた。
目覚めたら閻婆惜。
夫は宋江様。
家には晁蓋殿からの書状と金。
張文遠様は訪ねてくる。
死亡リスクは高い。
朝から処理する案件としては、かなり重い。
だが、疲れたからといって、案件が消えるわけではない。
むしろ、放置した案件は熟成する。
嫌な香りを放ちながら、最悪のタイミングで開封される。
会社で何度も見た。
「宋江様」
「今度は何だ」
声に警戒心があった。
申し訳ないとは思う。
だが、警戒していただけるなら、むしろ話は早い。
「晁蓋殿への対応を確認いたします」
宋江様の目が細くなった。
「晁蓋殿のことは、そなたが関わる話ではない」
「そうであれば良かったのですが」
私は、先ほどの書状を指した。
「現物がこの家に入りました。金も入りました。私も見ました。つまり、すでに関係者です」
「そなたを巻き込むつもりはなかった」
「巻き込むつもりがなくても、巻き込まれた事実は残ります」
宋江様は黙った。
今日もよく黙る。
しかし、今日は少しだけ違う。
ただ困っているだけではなく、考えている顔だった。
良い傾向である。
考える夫は、黙る夫より少し安全だ。
「晁蓋殿は、わしの大事な友だ」
宋江様が、低く言った。
「見捨てることはできぬ」
「承知しております」
「本当に分かっておるのか」
「分かろうとしております」
私は正直に答えた。
晁蓋殿という人物について、私の知識は攻略本由来である。
父が遊んでいたゲームの横で見た名前。
人物紹介。
能力値。
イベント。
生辰綱。
梁山泊。
細かい事情までは分からない。
だが、宋江様がその名を口にする時の重さは分かる。
この人にとって、晁蓋殿はただの危険人物ではない。
恩義か友情か、あるいは義と呼ばれる何かで結ばれた相手なのだろう。
そこを無理に切れば、宋江様は別の形で危ないことをする。
ならば、止め方を間違えてはいけない。
「宋江様」
「うむ」
「私は、晁蓋殿を見捨てろとは申し上げません」
宋江様の表情が、少し変わった。
「ならば」
「ただし、助け方を変えてください」
「助け方」
「はい」
私は紙を引き寄せた。
危険物管理表の横に、新しい欄を作る。
晁蓋殿対応。
宋江様が渋い顔をした。
「その題も、どうにかならぬか」
「では、友人支援手順」
「支援」
「はい。少し柔らかくしました」
「手順が残っておる」
「そこは本体です」
宋江様は諦めたように息を吐いた。
私は筆を取った。
「まず、直接の書状受け渡しは禁止です」
「禁止」
「禁止です」
「急ぎの場合は」
「急ぎの時ほど、直接持ち込まないでください」
「なぜだ」
「慌てた人間は、隠し場所も言い訳も雑になります」
宋江様は、反論しようとしてやめた。
心当たりがあるのだろう。
私は続けた。
「次に、金品を受け取らない」
「礼を拒むのは」
「礼は心で受け取ってください。金は証拠になります」
「証拠ではない」
「役人にそう言えますか」
宋江様は黙った。
また黙ったが、今回は早かった。
学習している。
「三つ目。家を連絡場所にしない」
「では、どこで」
「人目が多く、かつ話が長くならない場所です」
「それは難しい」
「難しい方が良いのです。簡単に会える相手は、簡単に疑われます」
宋江様は眉を寄せた。
「そなたは、まるで役人のようなことを言う」
「元は会社員です」
「かいしゃいん?」
「いえ、今のは忘れてください」
危ない。
疲れてくると現代語が漏れる。
宋江様は少しだけ首を傾げたが、深く聞かなかった。
本当に追及が甘い。
助かるが、不安である。
「晁蓋殿へ知らせねばならぬことがある」
「何をですか」
「今、役所が動いている。捕縛の手が伸びるやもしれぬ」
やはり、そういう話だった。
私は紙に書きかけた筆を止めた。
ここで
「では通報しましょう」
と言えば、宋江様は私を信用しなくなる。
「勝手に助けてください」
と言えば、私はまた巻き込まれる。
「何もしないでください」
と言えば、たぶんこの人は何かする。
ならば、選択肢は一つしかない。
危ないことを、少しでも危なくなくする。
嫌な仕事だ。
だが、今の私はその仕事に対応している。
「宋江様」
「なんだ」
「晁蓋殿を助けたいのですね」
「うむ」
「宋江様ご自身も、捕まりたくはありませんね」
「当然だ」
「私も死にたくありません」
「それも当然だ」
「では、三者の目的は一致しています」
宋江様は不思議そうな顔をした。
「一致しているのか」
「はい。晁蓋殿は逃げる。宋江様は捕まらない。私は死なない」
「最後だけ、少し違わぬか」
「最重要です」
「そなたらしい」
「さっきからです」
宋江様は、少しだけ笑った。
ほんの少しだが、空気が緩んだ。
私はその隙に、紙へ書いた。
一、晁蓋殿への警告は必要。
二、ただし書状は禁止。
三、金品の授受は禁止。
四、家を連絡場所にしない。
五、宋江様本人が単独で動かない。
宋江様が五を見て顔をしかめた。
「わしが行かねば、誰が」
「使いを立てます」
「使いは危うい」
「宋江様が直接行く方が危ういです」
「だが、信用できぬ者には頼めぬ」
「では、信用できるが事情を知らない者に、用件を分けて頼みます」
宋江様が考え込んだ。
「どういうことだ」
「一人に全部を渡さないということです」
私は紙の端に簡単な図を書いた。
「たとえば、ある者には場所だけを伝える。別の者には時刻だけを伝える。本人には詳しい理由を言わない。万一捕まっても、全体が漏れないようにします」
宋江様は、図を見て眉を寄せた。
「そなた、本当に何者だ」
「病み上がりです」
「病み上がりの知恵ではない」
「では、病み上がりで冴えているということで」
「都合が良すぎる」
「都合が悪いことの方が多いので、少しくらい許されるべきです」
宋江様は、また黙った。
私は続けた。
「それから、晁蓋殿へ伝える内容も絞ります」
「何を伝える」
「役所が動いている。今いる場所を離れること。宋江様との接触を控えること。金品や書状を今後送らないこと」
「それでは、冷たい」
「冷たくありません。安全です」
「晁蓋殿は、わしが突き放したと思うやもしれぬ」
「宋江様が捕まれば、もっと困ります」
「……それは」
「義を尽くすなら、生きていてください」
宋江様が、私を見た。
私は、できるだけ穏やかに言った。
「死んだ義侠心では、後始末ができません」
「そなたは、後始末ばかり言うな」
「誰かが言わないと、皆様なさらないので」
これは本音だった。
水滸伝の男たちは、どうも走り出すのが早い。
義だ、友だ、忠だ、面子だ。
そういう言葉で前に出る。
その後ろで、誰が片づけるのか。
誰が残った者へ説明するのか。
誰が金を数えるのか。
誰が疑われるのか。
たぶん、考えていない。
そして今、その考えていない部分に私の命が乗っている。
非常に迷惑である。
宋江様は、しばらく私を見ていた。
「婆惜」
「はい」
「わしは、晁蓋殿を見捨てれば、わしでなくなる」
その声は、静かだった。
さっきまでの困惑とも、警戒とも違う。
この人の芯に近い声だと思った。
宋江様は、危ない。
隠す。
抱え込む。
情で動く。
家に危険物を持ち込む。
だが、友を見捨てる人ではない。
そこを折れば、この人は私を見なくなる。
それは困る。
私は少しだけ考え、答えた。
「では、宋江様のまま生き残れる方法を考えます」
宋江様は黙った。
今回は、嫌な沈黙ではなかった。
「そのようなことが、できるのか」
「分かりません」
「分からぬのか」
「分からないから、確認します」
「また確認か」
「はい。確認は、分からない時にするものです」
宋江様は、ふっと息を吐いた。
笑ったのかもしれない。
「そなたは、本当に変わった」
「さっきからです」
「それで通すのだな」
「しばらくは」
宋江様は困ったように笑った。
少しだけ、夫婦の会話らしかった。
たぶん……
私は気を抜かず、紙に新しい項目を書いた。
六、宋江様の義侠心は否定しない。
七、ただし実行前に手順を確認する。
八、危険な友人関係は、連絡経路を分ける。
九、私は死なない。
宋江様が覗き込んだ。
「婆惜」
「はい」
「九は関係あるのか」
「大いにあります」
「毎回、自分の命を入れるのだな」
「忘れられると困りますので」
「忘れぬ」
「信用と管理は別です」
宋江様は、額を押さえた。
「またそれか」
「便利な言葉です」
「便利すぎる」
「では、今後も使います」
「控えてくれ」
「検討します」
「それは控えぬ時の言い方ではないか」
私は少しだけ目を伏せた。
「よくご存じで」
宋江様は、今度こそ少し笑った。
その時、外から小さな物音がした。
私は顔を上げた。
「誰かいますか」
宋江様も戸口を見た。
「いや、今は誰も」
言い切る前に、また音がした。
人の気配。
足音ではない。
何かを置いたような、軽い音。
宋江様が立ち上がった。
私はすぐに言った。
「一人で出ないでください」
「この家の前だぞ」
「だからです」
「婆惜」
「確認してください。開ける前に、誰かを」
「誰かを?」
「いえ、使用人はいないのですか」
「今は下がらせておる」
「なぜですか」
「そなたが倒れていたので」
「お気遣いありがとうございます。次からは、危険物がある時に人払いしないでください」
宋江様は、疲れた目をした。
分かる。
私も疲れている。
だが、音は待ってくれない。
「では、私も見ます」
「病み上がりであろう」
「病み上がりなので、見ない方が不安です」
「理屈が強い」
「理屈しかありません」
宋江様は諦め、私が見える位置で戸を少し開けた。
外には誰もいなかった。
ただ、戸口の脇に、小さな包みが置かれていた。
私は、全身の力が抜けそうになった。
また包み。
この家は、包みが多すぎる。
宋江様が包みを拾おうとした。
「触らないでください」
反射で声が出た。
宋江様の手が止まる。
「まだ何もしておらぬ」
「今、しようとしました」
「包みだ」
「包みだからです」
宋江様は、包みと私を見比べた。
「どうすればよい」
「まず、誰が置いたか確認します」
「誰もおらぬ」
「では、置き逃げです」
「置き逃げ」
「危険度が上がりました」
私は布団の上で、こめかみを押さえた。
晁蓋殿への連絡方法を見直そうとしている最中に、また出所不明の包み。
これが偶然なら、水滸伝世界は業務改善の意思がない。
宋江様は、慎重に包みを見た。
「軽いな」
「触りましたね」
「少しだけだ」
「少しだけで事故は起きます」
「婆惜、そなたは何でも事故にするな」
「事故になりそうなことが多すぎるのです」
宋江様は言い返せなかった。
包みの中には、小さな紙片が入っていた。
宋江様はそれを開こうとした。
「宋江様」
「分かっておる。そなたにも見せる」
よろしい。
少しずつ学習している。
紙片には、短い文があった。
今夜、東の酒楼にて。
名はなかった。
私は深く息を吐いた。
「宋江様」
「うむ」
「これは、誰からだと思われますか」
「晁蓋殿の者かもしれぬ」
「かもしれぬ」
「断定はできぬ」
「では、行ってはいけません」
「しかし」
出た。
しかし。
危険な接続詞である。
「宋江様」
「なんだ」
「差出人不明、目的不明、場所指定のみ。これは会合ではなく罠の可能性があります」
「晁蓋殿が急ぎで」
「晁蓋殿本人とは限りません」
宋江様は黙った。
私は紙片を見た。
短い。
雑。
証拠としては残る。
情報としては足りない。
危険物としては十分。
最悪である。
「この連絡は破棄します」
「破棄?」
「いえ、証拠として保管します」
「どちらだ」
「感情としては破棄したい。実務としては保管です」
宋江様は何とも言えない顔をした。
私は、新しい項目を書き足した。
十、差出人不明の呼び出しには応じない。
十一、包みはすぐ拾わない。
十二、紙片は勝手に開けない。
十三、宋江様は特に拾わない。
宋江様が横から見た。
「十三は、名指しか」
「はい」
「なぜだ」
「拾いそうなので」
「……否定できぬ」
よし。
自覚が出てきた。
大きな進歩である。
私は筆を置いた。
「宋江様」
「なんだ」
「義侠心にも手順がございます」
宋江様は、紙片を見下ろした。
「手順を守れば、晁蓋を助けられるのか」
「助かる可能性は上がります」
「必ずではない」
「必ず、は危険な言葉です」
宋江様は静かに頷いた。
「分かった。今夜は行かぬ」
私は少し驚いた。
思ったより早く引いた。
「よろしいのですか」
「そなたが、ここまで言うのだ。何かあるのだろう」
「あります」
「何がある」
「死亡リスクです」
宋江様は、また額を押さえた。
「結局そこか」
「はい」
私は紙を見下ろした。
晁蓋殿を助ける。
宋江様を捕まえさせない。
私も死なない。
どれも簡単ではない。
だが、少なくとも今夜、宋江様が差出人不明の呼び出しに出向くことは避けられた。
小さな前進である。
梁山泊はまだ遠い。
晁蓋殿も遠い。
けれど、運命というものは、こういう小さな包みから転がり込んでくるらしい。
私は最後に、確認事項の下へ一文を書いた。
義侠心にも手順あり。
少し考えて、さらに書き足す。
夫の拾い癖に注意。
宋江様がそれを見た。
「婆惜」
「はい」
「拾い癖とは何だ」
「危険物を拾う癖です」
「犬や猫のように言うな」
「犬や猫はもう少し安全なものを拾います」
宋江様は、完全に言葉を失った。
私は紙を乾かしながら、静かに息を吐いた。
悪女になる暇がない。
この家は、燃えそうなものが次々に届きすぎる。
本件、閻婆惜よりご報告いたします。
本日の確認事項は、以下の通りでございます。
書状は直接受け取らない。
金品は証拠になる。
差出人不明の呼び出しには応じない。
宋江様は、包みをすぐ拾わない。
以上でございます。
友を助けるお気持ちは尊いものです。
ですが、尊いお気持ちほど、手順を間違えると炎上します。




