蛇矛と槍がぶつかりました
閻婆惜でございます。
本日は、祝家荘案件へ同行いたします。
止められました。
当然です。
私は戦えません。
馬にも乗れません。
夜道の行軍にも向いておりません。
ですが、今回の問題は武力だけでは片付きません。
楊雄様、石秀様、時遷様。
祝家荘。
扈家荘。
そして、女武者が二人。
攻略本と違う要素が増えております。
さらに、王英様も同行されます。
非常に困ります。
止めたい。
でも止めきれない。
見える。
けれど、遠い。
管理対象として、かなり厄介でございます。
本日は夜の独竜岡。
王英様が勝手に突っ込みます。
お願いです。
安全確認が終わるまで、前に出ないでください。
「この件、私も同行いたします」
そう申し上げた瞬間、部屋の空気が止まった。
宋江様が、まず私を見る。
次に晁蓋様を見る。
晁蓋様は腕を組み、呉用様は扇の向こうで目だけを細めていた。
反応は分かります。
私は戦えません。
馬にも乗れません。
祝家荘へ向かう人員としては、明らかに不向きです。
ですが、今回必要なのは武力だけではない。
むしろ、武力だけで進めば事故になります。
「婆惜」
宋江様が、静かに口を開いた。
「危ない。お前が行くところではない」
当然です。
私もできれば行きたくありません。
茶は冷めましたし、李逵様用の貼り紙も改訂中です。
北山酒店の監査予定も残っています。
けれど、ここで残れば、もっと大きな事故報告書を書くことになる。
「祝家荘には、こちらの非もございます」
私は膝の上で手をそろえた。
「楊雄様と石秀様の件。時遷様の件。まず、こちらがどう筋を立てるのかを整理する必要がございます。力で押すだけでは、話が悪い方へ転がります」
晁蓋様が、低く頷いた。
「それは道理だ」
「それに、扈家荘、李家荘が絡むなら、ただの救出では済みません。相手の土地、相手の面子、相手の身内。そこを誤ると、あとで戻せなくなります」
呉用様の扇が、ゆっくり動いた。
「奥方は、戦場にて交渉をなさるおつもりか」
「戦場にしないために、同行いたします」
言いながら、少し無理があると思った。
すでに祝家荘は時遷様を捕らえている。
楊雄様と石秀様を渡せとも言っている。
扈家荘からは、女武者二人を先頭にした一隊が動いている。
戦場にしないため、というより、燃え広がる前に火の向きを変えるためだ。
その時、横から声がした。
「女武者がいるなら、俺も行く」
王英様である。
やはり来ました。
来なくていいのに、来ました。
私は内心で頭を抱えた。
「王英殿もか」
宋江様が眉を寄せる。
「女武者と聞いて、黙っていられるか」
黙っていてください。
心から黙っていてください。
けれど、それをそのまま口にすれば場が荒れる。
私は、できるだけ穏やかに言った。
「王英様が同行されるのであれば、配置を決める必要がございます」
「配置など知るか。俺は前へ出る」
「その発言が、すでに危険です」
「何が危険だ」
全部です。
存在そのものではなく、進行方向が危険です。
李逵様は自走式火薬樽。
王英様は、目的地だけが最悪の暴走荷車。
音は李逵様ほど大きくない。
しかし、向かってはいけない場所へ妙に正確に向かう。
「李俊様」
私は李俊様を見た。
「現地で王英様が先走られた場合、お止めいただけますか」
王英様が不満そうにこちらを睨む。
「俺を止めるだと」
「止められたくなければ、順序を守ってください」
「戦に順序などあるか」
あります。
むしろ、なければ全員死にます。
李俊様は私の意図を察したのか、静かに頷いた。
「できる限り、お止めしましょう」
できる限り――
つまり、確実ではない。
まぁ、相手が王英様ですからね。
「林冲様にも使いを出します」
私が言うと、宋江様は少し考えた後、頷いた。
「分かった。林冲殿にも知らせよう。だが、婆惜、お前は前に出るな」
「はい」
「わしのそばにいろ」
その言葉に、私は少しだけ目を伏せた。
宋江様は、私を守るつもりで言ってくださっている。
ですが、むしろ私が見張るべきなのは、宋江様の善意と、王英様の進行方向です。
「承知いたしました」
そう答えるしかなかった。
出立は夕刻を過ぎてからになった。
祝家荘からの要求を放置するわけにはいかない。
だが、昼のうちに動けば目立つ。
独竜岡のあたりは道も入り組み、相手方の目も多い。
夜のうちに近づき、まず様子を見る。
その方針自体は、悪くなかった。
問題は、人員です。
松明の火が、夜道を赤く揺らしている。
馬の鼻息。
鎧の軋む音。
遠くの犬の声。
昼間なら見えるはずの道も、夜では輪郭だけになる。
田も、村も、木立も、闇の中でひとつながりに見えた。
土地そのものが、防壁のようである。
私は馬車に乗っていた。
正直、ありがたい。
夜道を馬上で移動しながら作戦を考えるなど、現代人の限界を超えております。
宋江様は近くにいる。
李俊様は、前方とこちらの間に目を配っている。
林冲様も合流し、隊列の脇に静かについた。
林冲様がいるだけで、場の空気が少し締まる。
武人としての圧がある。
そして、無駄に騒がない。
大変ありがたいです。
一方、王英様は前衛の中にいた。
近くに置けば騒ぐ。
遠くに置けば見えにくい。
管理対象として、非常に厄介でございます。
「前に出すぎぬように」
私は小声で言った。
李俊様が頷く。
「見ております」
それでも、嫌な予感は消えなかった。
見える。
だが、止めるには遠い。
この距離は、かなり悪い。
その時、物見が戻ってきた。
松明の光が、報告に来た男の顔を照らす。
「申し上げます。扈家荘の者と思われる一隊が、道の先に」
空気が変わった。
宋江様が身を乗り出す。
「数は」
「多くはありません。ただ、先頭に女武者が二人」
女武者が二人――
改めて聞いても、やはり引っかかる。
一人は扈三娘様。
もう一人は、攻略本にない女。
私の知らない安全装置か。
それとも、別の火種か。
前方で、王英様の馬が動いた。
「女武者が二人だと?」
聞こえましたね。
最悪です。
「王英様!」
私が声を上げるより早く、王英様は馬を進めた。
李俊様も動いたが、距離がある。
林冲様が目を細める。
間に合わない。
「まだ安全確認が終わっておりません!」
私の声など、届くはずもない。
王英様は、松明の火を揺らしながら、前方の女武者たちへ向かっていった。
「扈家荘の女武者とは、お前らか!」
駄目です。
それは最悪の第一声です。
闇の向こうに、二騎がいた。
一人は日月双刀を携えている。
松明の火を受けて、刃がわずかに光った。
たぶん、あの方が扈三娘様。
姿勢がいい。
無駄がない。
馬上のままでも、こちらを射抜くような目をしている。
けれど、その前にもう一人が動いた。
槍を持った女武者だった。
目つきが鋭い。
迷いもない。
王英様が次の言葉を発するより早く、槍の柄が横から払われた。
「ぐっ」
王英様の身体が傾く。
続けて、肩口にもう一撃。
踏ん張る暇もなく、王英様は馬上から崩れ、地面に転がった。
あっという間だった。
本当に、あっという間だった。
よわ――
王英様、制圧。
いえ、捕獲。
私の管理計画より、相手方の物理対応の方が早かった。
槍の女武者は、王英様の腕をねじり上げ、そのまま動けないよう押さえた。
「てめえ、何しやがる!」
「無礼者」
女武者の声は、それだけだった。
ありがとうございます。
どなたか存じませんが、ありがとうございます。
ただし、こちらの頭領が捕まると、それはそれで事故です。
宋江様が馬を止めた。
前の者たちもざわめく。
夜の中で、松明の火がいくつも揺れた。
その時、林冲様が静かに馬を進めた。
何も言わない。
怒鳴らない。
詰め寄らない。
ただ、蛇矛を手に取った。
夜の火に、蛇矛の刃が赤く照らされる。
槍の女武者は、林冲様を見た。
そして、王英様から手を離した。
王英様は地面に転がったまま、低く呻いている。
動けそうにない。
大丈夫です。
むしろ、そのまま動かないでください。
槍の女武者は、静かに立ち上がり、槍を構え直した。
その名乗りは短かった。
「扈家荘の玉楼よ」
玉楼――
攻略本にない名だった。
林冲様は何も言わなかった。
玉楼様も、それ以上は言わなかった。
二人の間に、言葉はなかった。
それで十分だった。
武人同士には、取次も稟議も要らないらしい。
困ります。
非常に困ります。
その背後で、日月双刀を携えた女武者が馬を止めている。
扈三娘様――
名乗らずとも分かる。
ついに、目の前に来た。
けれど、今、向かい合っているのは扈三娘様ではない。
林冲様と、攻略本にいない女武者。
玉楼様。
私は馬車の中で、膝の上の帳面を強く握った。
王英様は玉楼様に捕まり、林冲様が前に出た。
扈三娘様は、その後ろで日月双刀を携えたまま、こちらを見ている。
原典は、またズレている。
だが、まだ燃えてはいない。
ここで止められるかもしれない。
林冲様の蛇矛が、わずかに動いた。
玉楼様の槍先も、同じだけ動く。
二人の間の空気が、ぴんと張り詰めた。
私は息を呑んだ。
次の瞬間、蛇矛と槍が、夜の中でぶつかった。
閻婆惜でございます。
本件、夜の独竜岡での接触についてご報告いたします。
王英様が、勝手に前へ出ました。
止められませんでした。
距離がありました。
そして、予想通り危険でした。
ですが、問題はその後です。
王英様は、扈三娘様に近づく前に止められました。
槍を持った女武者――
玉楼様に、あっという間に制圧されました。
攻略本に、玉楼様の名前はございません。
少なくとも、私の知っている水滸伝には出てきません。
なのに、異様に強そうです。
林冲様の前に立っても、引かない気配がございます。
おかしいです。
原典にいない方が、なぜこんなに強そうなのでしょうか。
攻略本外の人材が、想定以上に厄介です。
扈三娘様だけでなく、玉楼様。
この二人を、王英様に近づけてはいけません。
次回、林冲様と玉楼様がぶつかります。
蛇矛と槍です。
事故報告書が、また厚くなります。




