婚姻事故に備えます
閻婆惜でございます。
本日は、梁山泊へ戻った翌朝のご報告です。
江州出張は終わりました。
水軍衆も増えました。
李逵様という自走式火薬樽も回収しました。
本来なら、三日は寝込みたいところでございます。
ですが、休めません。
犯人は、呉用様です。
私の留守中に、秦明様と花宝燕様の婚姻案件が処理されておりました。
当人同士に無理がないなら、そこは否定いたしません。
ただし――
攻略本知識が、赤く点滅しております。
扈三娘様、王英様、婚姻。
この三つは、絶対に並べてはいけません。
呉用様が人を結びつけるなら、私はほどける逃げ道を用意します。
再発防止策でございます。
本日は、未来の婚姻事故に備えます。
梁山泊へ戻った翌朝、私は休めなかった。
休みたい。
本当に休みたい。
江州へ行き、薬を盛る店に入り、潯陽楼で壁の文字を見て、李逵様という自走式火薬樽を回収し、黄文炳様が死に、穆弘様の屋敷が燃え、薛永様まで増えた。
普通なら、三日は寝込みたい案件である。
だが、寝ている暇はなかった。
理由は一つ。
呉用様である。
あの方は、私が江州に出張している間に、秦明様と花宝燕様の婚姻を整えていた。
結果だけ見れば、悪くない。
花宝燕様は無理をしている様子ではない。
秦明様も、以前よりずっと落ち着いている。
そこはよい。
そこは、本当によい。
問題は、呉用様がそれを「できる」方だという点である。
人を見て、利を見て、組み合わせる。
本人の気持ちを確認したうえで、梁山泊にとっても良い形へ持っていく。
有能。
非常に有能。
だからこそ、危険です。
有能な方が、婚姻案件を人事配置の延長で扱い始めると、後で燃える。
屋敷より燃える。
消火が難しい。
そして攻略本知識は、頭の奥で赤く点滅していた。
扈三娘様、王英様、婚姻。
この三つは並べてはいけない。
絶対に並べてはいけない。
危険物倉庫に、火種と油と爆薬を同じ棚に置くようなものである。
私は、朝のうちに李俊様を呼んだ。
李俊様は、驚いた様子もなく来てくださった。
本当に話が早い。
「奥方、何か急ぎの用ですか」
「急ぎです。ただし、今すぐではありません」
李俊様は少し首を傾げた。
「今すぐではない急ぎ、ですか」
「はい。未来の事故防止でございます」
説明が難しい。
しかし、言わなければならない。
私は周囲に人がいないことを確認した。
「李俊様、今から申し上げることは、まだ起きておりません」
「はあ」
「ですが、起きた場合、非常に厄介です」
「江州以上に?」
「種類が違います」
李俊様の顔が少し真面目になった。
ありがたい。
この方は、こちらが真面目な話をすると、ちゃんと受け止めてくださる。
「いずれ、扈三娘様という女性が梁山泊へ関わる可能性がございます」
「扈三娘」
「扈家荘の女傑です。武芸に優れ、戦場に出る方です」
「なるほど」
「その方を、王英様と婚姻させる流れだけは、断固として阻止します」
言い切った。
李俊様は、少しだけ目を細めた。
「王英殿と、ですか」
「はい」
「その扈三娘殿は、それを望むのですか」
「望みません」
即答した。
攻略本知識では、本人の望みなど関係なく決まってしまう。
いや、あれを婚姻と言ってよいのかも怪しい。
少なくとも、私の感覚では事故である。
人身事故。
婚姻事故。
重大案件でございます。
「望まぬ婚姻なら、止めるべきでしょう」
李俊様は静かに言った。
はい――
今、採用通知をもう一枚出したくなりました。
「もし、その場で私が止めきれなかった場合、李俊様にも動いていただきたいのです」
「私に、ですか」
「はい。王英様の近くへ扈三娘様を置かない。婚姻の話が出たら、すぐ私へ知らせる。必要なら、別の預かり先を用意する」
李俊様は少し考えた。
「奥方は、そこまで先を読んでいるのですな」
読んでいるというか、攻略本が脳内で警報を鳴らしております……
とは言えない。
「嫌な予感です」
私は言った。
「李俊様が潯陽楼へ来てくださった時と同じです」
李俊様は少し笑った。
「それを言われると、断れませんな」
「ありがとうございます」
「分かりました。扈三娘殿、覚えておきます。王英殿との婚姻話が出たら、まず奥方へ」
「必ずです」
「必ず」
よし――
安全装置、一つ設置。
ただし、これだけでは足りない。
呉用様が動くなら、空気も場も使う。
宋江様がうっかり頷けば、話は一気に進む。
王英様が喜べば、面倒になる。
周囲が笑って済ませようとすれば、最悪である。
だから、もう一つ必要だった。
林冲様である。
私は次に、林冲様を訪ねた。
林冲様は、朝の稽古を終えたところだった。
槍を持つ姿が、相変わらず絵になる。
こちらが場違いに見えるくらい、武人である。
「奥方」
林冲様は丁寧に礼をした。
「朝から失礼いたします」
「何かありましたか」
「まだ、ありません」
「まだ?」
今日は、この説明ばかりである。
私は少し息を整えた。
「林冲様。いずれ、祝家荘という場所で、扈三娘様という女性と戦う可能性がございます」
林冲様の眉が、わずかに動いた。
「女武将と、ですか」
「はい。相当に強い方です」
「ならば、戦場で会うこともありましょう」
さすがです。
話が早い。
武人の理解は、こういう時に助かる。
「もし、その方を梁山泊へ連れてくることになった場合、林冲様の麾下で預かっていただけませんか」
「私のところへ?」
「はい」
「理由を聞いても?」
「王英様の近くへ置きたくありません」
林冲様は黙った。
空気が少し冷えた。
私は続けた。
「捕らえた女性を、戦の褒美のように扱う流れだけは避けたいのです」
林冲様の目が細くなる。
その反応で、言葉は通じたと分かった。
「そのような話が出るのですか」
「出る可能性がございます」
「……なるほど」
林冲様は槍を横に置いた。
「戦って捕らえた相手を辱めるような扱いは、武人として好みません」
ありがとうございます。
本当にありがとうございます。
「でしたら、もしその場になりましたら、林冲様から預かると申し出てください」
「奥方が止めればよいのでは」
「止めます」
私は即答した。
「全力で止めます。必要なら宋江様を裏へ呼び出して叱ります」
言ってから、少し後悔した。
林冲様の前で、宋江様を叱る宣言をしてしまった。
だが、林冲様はほんの少し笑った。
「宋江殿を叱れるのは、奥方くらいでしょう」
「叱らずに済むなら、それが一番です」
「済まぬと思っている顔ではありませんな」
ばれました――
「事故防止でございます」
「便利な言葉ですな」
はい、かなり便利です。
林冲様は真面目な顔に戻った。
「分かりました。扈三娘という名、覚えておきます。もし梁山泊へ来たなら、私が預かりましょう」
「お願いします」
「ただし、本人が拒むなら、その意思も聞くべきです」
「もちろんです」
ここは大事である。
私が勝手に守ったつもりになって、本人の意思を無視しては意味がない。
それでは、形を変えた差配でしかない。
扈三娘様は、おそらく強い。
攻略本知識にある扈三娘様も強い。
けれど、私の知らない何かがあるかもしれない。
実際、私の知識はすでに何度も外れている。
秦明様と花宝燕様は、攻略本通りではない。
李俊様は思った以上に有能だった。
李逵様は知識通り危険だったが、宋江様のそばでは少し落ち着く。
薛永様は予定外のところで増えた。
そして、これから出会う扈三娘様にも、攻略本にない何かがあるはずだ。
だから、準備はする。
だが、本人の代わりに決めない。
これが、今回の婚姻案件管理方針である。
呉用様が人を結びつけるなら、私はほどける逃げ道を用意する。
それが、今回の再発防止策でございます。
私は林冲様の前を辞した。
その途中で、遠くから王英様の声が聞こえた。
何か笑っている。
何か騒いでいる。
私は足を止めた。
攻略本知識が、また赤く点滅する。
王英様、婚姻、扈三娘様。
やめてください。
今からでも表示を消したい。
「奥方?」
近くにいた小者が声をかけてきた。
「いえ、何でもありません」
何でもあります。
大いにあります。
だが、今ここで王英様を殴るわけにはいかない。
まだ何も起きていない。
未遂ですらない。
未来の婚姻事故を理由に、現在の王英様を処分することはできません。
法務的に無理です。
倫理的にも問題です。
感情的には分かりません。
私は深呼吸した。
安全装置は二つ置いた。
李俊様と林冲様。
あとは、その時が来たら、私が宋江様を止める。
必要なら、裏へ呼び出す。
人前で面子を潰すのは避ける。
だが、止める。
宋江様は優しい。
人望もある。
名もある。
しかし、たまに、とんでもない判断を善意で通そうとする。
そこが怖い。
呉用様は有能すぎて怖い。
宋江様は善意で怖い。
王英様は存在が怖い。
怖いものが多すぎます。
私は自室に戻り、簡単な覚書を作った。
一、扈三娘様の名を李俊様へ共有済み。
二、王英様との婚姻案件は断固阻止。
三、林冲様に預かり先として事前調整済み。
四、本人の意思確認を最優先。
五、宋江様が変なことを言った場合、即時回収。
回収――
そう、回収です。
宋江様には悪いが、場合によっては裏へ連れていき、発言を回収していただく。
婚姻事故は、初動が大事である。
初動を誤ると、後処理が地獄になる。
私は筆を置いた。
水軍衆の配置整理。
危険人物の管理。
婚姻案件の監視。
梁山泊に戻った途端、業務が増え続けている。
本当に悪女になる暇がない。
私はもう一度、覚書の最後に線を引いた。
扈三娘様を、王英様へ渡さない。
この一点だけは、絶対に譲らない。
まだ会ったこともない女傑のために、私は先に逃げ道を作る。
攻略本知識が正しければ、いずれ彼女はここへ来る。
その時、彼女が自分で道を選べるように。
こちらの準備は、今日から始めます。
閻婆惜でございます。
本件、未来の婚姻事故防止についてご報告いたします。
江州出張から戻った翌朝、私は休めませんでした。
原因は、呉用様です。
秦明様と花宝燕様の婚姻については、当人同士に無理がないようなので、そこは否定いたしません。
ですが、攻略本知識が警告しております。
扈三娘様、王英様、婚姻。
この三つは、同じ場所に置いてはいけません。
本日は、李俊様に事前共有。
林冲様には、預かり先として調整。
宋江様が妙なことを言い出した場合は、即時回収予定です。
呉用様が人を結びつけるなら、私は逃げ道を用意します。
婚姻は、戦力配置ではございません。
女の人生を、梁山泊の都合で処理してはいけません。
まだ扈三娘様には会っておりません。
ですが、逃げ道は先に作れます。
水軍管理。
危険人物管理。
婚姻案件管理。
業務が増えました。
本当に、悪女になる暇がありません。




