水の中では張順様の担当です
閻婆惜でございます。
本日は、潯陽楼の続きです。
宋江様が壁に文字を書きました。
黄文炳様に見られました。
そこへ戴宗様が、李逵様を連れてきました。
攻略本知識が告げております。
これは危険です。
かなり危険です。
さらに張順様も合流予定です。
陸上危険物。
水中危険物。
同じ場所に置いてはいけません。
本日の業務は、水軍採用のはずでした。
ですが、どう見ても危険物管理です。
階段を上がってきた戴宗様は、思ったより明るい顔をしていた。
その後ろに、明るいだけでは済まないものがいた。
黒い。
大きい。
声が太い。
目がぎらぎらしている。
攻略本知識が、頭の中で警鐘を鳴らした。
李逵様――
自走式火薬樽、到着でございます。
「宋公明殿はどちらだ!」
戴宗様の後ろから、その男が大声を上げた。
「こちらだ」
宋江様が、少し驚いた顔で答える。
そうです。
宋江様は、この方をまだ知りません。
知っているのは、私だけです。
正確には、私の中の攻略本知識だけでございます。
戴宗様が慌てて男を押さえた。
「宋公明殿、こちらは李逵。私の知り合いです。少々気性は荒いが、根は悪くありません」
少々――
戴宗様……
その表現は、かなり控えめでございます。
李逵様は、宋江様を見るなり目を輝かせた。
「この方が宋公明殿か!」
「宋江と申す」
宋江様が礼を返す。
李逵様は、その手を両手でつかんだ。
「俺は李逵だ! 宋公明殿の名は聞いている! 会いたかった!」
声が大きい。
距離が近い。
腕力がセーブしきれていない。
宋江様の腕が、上下に揺れている。
初対面でございます。
ですが、李逵様の中では、すでに懐く準備が始まっているようでした。
危険です。
非常に危険です。
「李逵様」
私は、できるだけ落ち着いた声を出した。
「おう?」
李逵様がこちらを見る。
目が合った瞬間、分かった。
悪人ではない。
ただし、危ない。
火薬樽が意思を持って歩いているようなものだ。
しかも、本人に火薬樽の自覚がない。
「こちらでは、どうかお静かに」
「静かに?」
「はい。少々、壁に問題がございます」
「壁?」
李逵様は壁を見た。
宋江様の文字を見る。
宋江様を見る。
「宋公明殿が書いたのか?」
「少しな」
「立派な字じゃねえか!」
やめてください。
そこを褒めないでください。
問題は筆跡ではございません。
戴宗様は、ようやく壁の内容に気づいた。
顔から、すっと血の気が引く。
「宋公明殿、これは……」
「酔って、少し書いてしまった」
「少しで済めばよいのですが」
私は言った――
戴宗様は私を見た。
そして、壁を見る。
話が通じる方は、こういう時に助かる。
ただし、来るのが遅いです。
「誰かに見られましたか」
「黄文炳様に……」
戴宗様が目を閉じた。
その反応で十分でございます。
「まずい……」
「存じております」
李逵様だけが、まだ納得していない。
「その黄なんとかが何だ。宋公明殿の字に文句を言うなら、俺がぶん殴ってくる」
「駄目です!」
即答した。
「なぜだ」
「今ここで暴れると、こちらが悪くなります」
「悪い奴を先に殴ればいい」
「その理屈が一番危険です」
李逵様は不満そうに鼻を鳴らした。
陸上危険物。
管理難度、極めて高い。
私は心の中で評価欄を閉じた。
今は採用試験ではない。
事故対応である。
その時、階段から別の足音がした。
軽い。
速い。
だが、騒がしくはない。
張順様だった。
「遅くなりました。少し水辺の者へ話を通しておりまして」
そこで張順様は、広間の空気を読んだ。
李逵様を見る。
壁を見る。
戴宗様を見る。
宋江様を見る。
最後に、私を見た。
「……何がありました?」
「説明すると長くなります」
本当に長くなります。
そして、できれば記録に残したくありません。
李逵様が張順様をじろりと見た。
「誰だ、お前」
「張順と申します」
「水に潜る奴か」
「水辺で暮らしております」
「細いな」
やめてください。
初対面で相手の体格に絡まないでください。
張順様は笑った。
ただし、その笑い方が少し変わった。
人当たりのよい男の笑みから、水辺の男の笑みに変わる。
「陸では、そう見えるかもしれませんな」
「何だと?」
「水の中なら、また違います」
嫌な予感がした。
陸上危険物と水中危険物が、同じ場所に置かれている。
保管方法が間違っています。
危険物管理の基本でございます。
「李逵様、張順様」
私は二人の間に入った。
「ここは潯陽楼です。店内での武力行使はお控えください」
「ぶりょく?」
李逵様が首を傾げる。
「殴らないでください、という意味です」
「最初からそう言え」
申し訳ございません。
この方には、仕様書より貼り紙の方が向いている。
張順様が笑いをこらえた。
それが、よくなかった。
「おい、笑ったな」
「少しだけ」
「表に出ろ!」
着火が早い。
早すぎます。
「李逵様、やめてください」
「奥方、止めねえでくれ。こいつ、俺を笑いやがった」
「笑われたくらいで揉めないでください」
「俺は笑われるのが嫌いだ」
「でしょうね」
言ってから、しまったと思った。
張順様が今度こそ声を出して笑った。
李逵様が立ち上がる。
机が鳴り、店の者が悲鳴を上げる。
宋江様が慌てて声を上げた。
「李逵殿、待たれよ」
「宋公明殿、すぐ済む!」
今日、私は「すぐ」と「少し」が嫌いになりそうです。
宋江様の少しで壁に文字ができた。
李逵様のすぐで店が壊れる。
張順様は、すっと身を引いた。
「店内では迷惑です。外へ」
「上等だ!」
「ただし、川辺で」
その一言で、私は理解した。
誘導している。
張順様は、陸で李逵様とまともにぶつかる気がない。
自分の領域へ連れていくつもりだ。
判断は冷静。
行動は危険。
大変よろしい。
いえ、よろしくありません。
止める側としては、頭が痛いです。
結局、私たちは潯陽楼の外へ出ることになった。
なぜですか。
私は手紙を渡しに来ただけです。
紹介状も渡しただけです。
それなのに、なぜ川辺で危険人物二名の適性確認をすることになっているのですか。
潯陽江の水面は、夕風を受けて揺れていた。
張順様は草履を脱いだ。
李逵様は腕を鳴らした。
「逃げるなよ」
「逃げません。水へ入るだけです」
「水だろうが陸だろうが同じだ!」
違います。
そこが一番違います。
李逵様が踏み込んだ。
速くて重そうだった。
当たれば、ただでは済まない。
だが、張順様は正面から受けなかった。
半歩下がり、体をひねる。
そして、水際へ誘う。
李逵様がさらに前へ出た瞬間、張順様の足が動いた。
次に見えたのは、水しぶきだった。
李逵様が、潯陽江に落ちた。
「落ちた!」
戴宗様が叫んだ。
叫ぶ前に助けてください。
いや、助けに入ると巻き込まれます。
これは専門職に任せるべき案件です。
張順様も水に入った。
そこから先は、別人だった。
陸では人当たりのよい男。
水では、魚である。
李逵様が暴れ、張順様は潜る。
水面から手が出る。
足を取る。
李逵様が沈み、浮いた時に怒鳴る。
そして、また沈む。
「張順様!」
私は思わず声を上げた。
「殺さない程度でお願いいたします!」
水面から張順様の声が返った。
「承知!」
承知で済むのが恐ろしい。
李逵様は陸では手がつけられない。
だが、水の中では完全に張順様の担当だった。
配置――
本当に大事。
宋江様も、さすがに青ざめていた。
「李逵殿! 張順殿! もうよい!」
宋江様が川へ向かって声を張る。
「どちらも、これ以上はならぬ!」
その声に、張順様が李逵様の襟首を引いて水面へ出た。
李逵様は、怒るより先に咳き込んでいた。
「この……水の中で……」
「水の中では、少し慣れております」
張順様は平然としている。
少し――
この方の少しも、信用してはいけない。
李逵様がまた立ち上がろうとしたので、私は前に出た。
「李逵様」
「何だ」
「陸では李逵様。水では張順様。これでよろしいではありませんか」
「何がだ」
「担当区域でございます」
「たんとう?」
「得意な場所のことです」
李逵様は、濡れた髭から水を垂らしながら黙った。
張順様が少し笑う。
「奥方は面白いことを言う」
「面白くはございません。切実です」
宋江様が、二人の前に立った。
「李逵殿、張順殿。どちらも頼もしい方だ。ここで争うのはやめていただきたい」
李逵様は、じっと宋江様を見た。
先ほどまでの怒りが、少しずつ引いていく。
「宋公明殿がそう言うなら、やめる」
早い――
切り替えが早い。
制御棒は宋江様でございますか。
張順様も頭を下げた。
「こちらも、やりすぎました」
やりすぎました、で済ませるには水量が多かったです。
李逵様は、濡れたまま宋江様を見ていた。
「宋公明殿、あんたは本当に止めるのがうまいな」
「止めるようなことを、あまり起こさぬようにな」
宋江様が苦笑する。
李逵様は、なぜか嬉しそうに笑った。
私は、その顔を見て理解した。
ああ……
懐きましたね……
初対面から兄貴認定までが早い。
非常に早い。
「では、仲直りということで」
戴宗様が無理に明るく言った。
「一献、やり直しましょう」
やり直さなくていいです。
しかし、宋江様が頷いた。
李逵様も頷いた。
張順様も笑った。
私は空を見上げた。
どうして問題が解決した後に、また酒へ戻るのですか。
世の中には、帰るという選択肢がございます。
それでも、潯陽楼へ戻ることになった。
濡れた李逵様は、少しだけ静かだった。
張順様は何事もなかった顔で席につく。
戴宗様は店の者へ迷惑料のようなものを渡している。
まともです。
戴宗様、比較的まともです。
連れてくる人選だけが悪い。
宋江様は、壁を見ないようにしていた。
見ないで済むなら、私もそうしたい。
一応、宴席は形を取り戻した。
李逵様は張順様をちらりと見た。
「お前、水の中では強いな」
「李逵殿は陸で強い」
「なら、陸では俺が先だ」
「水では俺が」
「よし」
何が、よし、なのでしょうか。
だが、喧嘩は収まった。
非常に雑だが、収まった。
私は心の中で、張順様の評価欄に丸をつけ直した。
水中戦力、極めて有用。
性格、人当たり良好。
ただし、李逵様と並べる時は水際注意。
李逵様については、評価欄を開きかけて閉じた。
強い――
忠義はある。
宋江様には従う。
だが、管理対象として危険すぎる。
採用通知を出す前に、取扱説明書が必要でございます。
その時、外が騒がしくなった。
店の者の声と足音。
硬いものがぶつかる音。
私は盃を置いた。
嫌な予感がする。
階下から、低い声が聞こえた。
「宋江はここか」
黄文炳様の声ではない。
だが、役所の匂いがした。
取り手である。
黄文炳様が、動いたのだ。
私は宋江様を見た。
戴宗様を見た。
張順様を見た。
李逵様を見た。
李逵様は、もう立ち上がっていた。
だめです。
早いです。
今度は本当にまずいです。
「皆様」
私は抑えた声で言った。
「採用試験は中止です」
宋江様が息を呑む。
階段の下で、さらに足音が増えた。
「ここから先は、緊急避難でございます」
本件、閻婆惜よりご報告いたします。
潯陽楼の炎上は、順調に拡大しております。
戴宗様は、比較的まともな方でした。
ただし、連れてくる人選が危険です。
李逵様――
陸上危険物。
宋江様には初対面で懐きました。
張順様――
水中戦力、極めて有用。
ただし、李逵様と並べる場合は水際注意でございます。
結果、潯陽江に一名落下。
殺さない程度に、張順様が対応してくださいました。
採用試験のはずでしたが、途中から危険物管理になりました。
そして、最後に取り手が来ました。
黄文炳様、動きが早すぎます。
次回、採用試験は完全に中止。
緊急避難でございます。




