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30/64

その店、薬を盛りますよね

閻婆惜でございます。

本日は、揭陽鎮へ向かう途中の休憩についてご報告いたします。

一軒の店に入りました。

見た目は普通です。

ですが、攻略本知識が警告しております。

李立様、店、薬。

はい、危険物件でございます。

宋江様には飲ませません。

ですが、護衛の方々までは間に合いませんでした。

採用前確認の初手で、護衛三名が倒れます。

なお、李俊様も登場予定です。

長身、優男、独身、水軍の柱候補。

いえ、人材評価です。

婚活ではございません。

揭陽鎮へ向かう途中、私たちは一軒の店に入った。

道は悪くない。

人通りもある。

店構えも、ぱっと見は普通である。

だが、私は知っている。

この手の店は、普通の顔をして人を沈める。

攻略本知識が、頭の中で赤く点滅していた。

李立。

催命判官。

李俊様の手下。

店。

薬。

はい、危険物件でございます。

「婆惜、どうした」

宋江様が小声で尋ねた。

「少々、様子を見ております」

「怪しいのか」

「怪しくない店ほど、怪しいことがございます」

「分からぬ」

「私も、できれば分かりたくございません」

店の中は、思ったより静かだった。

奥には竈があり、湯気が上がっている。

壁には酒壺が並んでいた。

店の主らしい男が、こちらへ出てくる。

背は高くない。

目つきは鋭い。

愛想はある。

ただし、愛想があるから安全とは限らない。

「旅のお方か。さあ、こちらへ」

李立様である。

名乗られる前から分かっている。

だが、こちらから名前を呼ぶわけにはいかない。

攻略本で見ました、などと言えば、その場で私が一番怪しい。

私たちは席へ案内された。

護衛たちは、少し気を抜いている。

無理もない。

ここまで、特に大きな騒ぎはなかった。

宋江様も、道中の疲れが顔に出ている。

まずい――

こういう時に、人は油断する。

「酒を持ってまいれ。飯もすぐに出そう」

李立様が言う。

「ありがたい」

宋江様が頷いた。

私は、宋江様の袖をそっと引いた。

「まだでございます」

「何がだ」

「いただくのは、私が見てからにしてください」

「毒か?」

声が少し大きい。

やめてください。

直球で言わないでください。

「腹に合わぬものもございますので」

私は声を落とした。

宋江様は、私の顔を見て、そこで何かを察したらしい。

ありがたい。

こういう時だけは、察しがよい。

「分かった」

盃が運ばれてきた。

護衛の一人が、先に手を伸ばす。

「待ちなさい」

止めたつもりだった。

だが、間に合わなかった。

一口。

それだけで、護衛の目が揺れた。

「……ん?」

次の瞬間、膳に手をついたまま、ゆっくり倒れる。

もう一人も、盃を持ったまま傾いた。

三人目は立ち上がろうとして、膝から崩れ落ちた。

店の中が静まる。

はい、現行犯でございます。

私は、まだ手をつけていない盃を見た。

次に、李立様を見る。

「こちらのお酒は、ずいぶん効きが早いようでございますね」

李立様の目が、細くなった。

「旅の疲れが出たのであろう」

「三人同時に、でございますか」

「よほど疲れておったのだ」

「便利な疲れでございますね」

宋江様が、わずかに身を起こした。

「これは、どういうことだ」

その声には、まだ怒りより戸惑いがあった。

宋江様は、人を疑うのが遅い。

美点と言えば美点である。

だが、こういう場所では危ない。

李立様は笑った。

「大したことではござらぬ。奥で休ませましょう」

「結構です」

私は即答した。

「こちらで休ませます。触れないでください」

「奥方、ずいぶん疑い深い」

「仕事柄でございます」

「仕事?」

「人を見る仕事です」

言ってから、少し後悔した。

採用担当の癖が出た。

李立様は、私を見た。

次に宋江様を見る。

そして、倒れた護衛たちを見る。

空気が変わる。

店の奥から、男たちが数人、顔を出した。

手には刃物がある。

なるほど――

非常に分かりやすい。

「宋江様、離れる準備を」

「婆惜」

「このままでは囲まれます」

「そなたは」

「私は、まだ飲んでおりません」

問題はそこではない。

だが、今はそれでいい。

私は盃を膳の上に置いたまま、李立様へ向き直った。

「確認いたします」

「何をだ」

「この酒を飲ませ、眠らせ、荷を奪う。場合によっては人も売る。そういうお店でよろしいでしょうか」

「婆惜」

宋江様が不安そうに呼んだ。

分かっています。

言いすぎました。

だが、ここまで来たら、引いても遅い。

李立様の口元から、笑みが消えた。

「女の割に、口が立つ」

「女であることと、口が立つことは関係ございません」

「死に急ぐか」

「できれば遠慮いたします」

刃物を持った男が、一歩出た。

その時だった。

外から声がした。

「李立、何をしている」

店の空気が、また変わった。

入口に、男が立っていた。

背が高い。

物腰は荒くない。

だが、店の中へ入ってきただけで、李立様たちの動きが止まる。

私は一瞬、息を忘れた。

李俊様――

攻略本の文字が、現実の形を取って立っている。

長身、優男、独身、水軍の柱候補。

大変よろしい。

いや、今はそれどころではない。

人が三人倒れている。

採用前確認中に事故が起きている。

いや、まだ面接ではない。

たぶん――

李俊様の視線が、まず倒れた護衛へ向かう。

次に、宋江様へ。

最後に、私へ。

「これは、どういうことだ」

声は静かだった。

静かだからこそ、李立様が少しだけ身を引いた。

「兄貴、これは」

「答えろ」

李立様が口を閉じた。

宋江様が立ち上がろうとしたので、私は袖を掴んだ。

「まだです」

「しかし」

「倒れた方々を先に」

宋江様は、そこで頷いた。

李俊様がこちらを見た。

「この方は」

「宋江様でございます」

私は言った。

「鄆城の宋押司様です」

李俊様の目が変わった。

「宋公明殿か」

宋江様も驚いた顔をする。

「わしをご存じか」

「名は聞いております。義を重んじ、人を助ける方と」

宋江様は、少し困ったように頭を下げた。

こういう時、宋江様の名前は強い。

本当に強い。

名刺としては一級品である。

ただし、本人に危機管理能力があるかは別問題でございます。

李俊様は李立様へ向き直った。

「この方に薬を盛ったのか」

「宋公明殿には、まだ盛ってはいねえ」

「まだ?」

李俊様の声が低くなる。

李立様は視線を逸らした。

はい、自白でございます。

私は心の中で、赤い判を押した。

危険。

ただし、管理下なら使える。

薬を盛る店主など、普通なら論外である。

だが、梁山泊に普通だけを集めていたら、人が足りない。

要は、配置である。

使い方を間違えると事故る。

正しく囲えば、裏仕事の窓口になる。

採用判断としては、保留付き合格。

自分でも嫌な判断である。

「宋公明殿、申し訳ない」

李俊様が頭を下げた。

「こやつは、俺の身内のような者。こちらで詫びをさせていただきたい」

宋江様は、すぐに言った。

「いや、怪我人がなければよい」

甘い。

とても甘い。

だが、この甘さで助かる人もいるから、扱いに困る。

私は倒れた護衛の息を確かめた。

眠っているだけ。

呼吸はある。

「命に別状はなさそうです。しばらく寝かせれば戻るかと」

「よかった」

宋江様が息を吐いた。

李俊様が、私を見た。

「奥方は、なぜ酒を避けられた」

来た――

「勘でございます」

「勘?」

「店に入った時、少々、酒の出し方が早いと思いました」

半分は嘘です。

本当は攻略本である。

だが、出し方が早かったのも本当だ。

李俊様は少しだけ笑った。

「よく見ておられる」

「仕事柄でございます」

また言ってしまった。

李俊様は首を傾げた。

「仕事?」

「人を見る仕事です」

「なるほど」

納得された。

なぜか分からないが、納得された。

李立様は、気まずそうに立っている。

刃物を持っていた男たちも、もう動かない。

李俊様は言った。

「ここで話すのはよくない。今夜は穆弘の屋敷へお移りいただく。あそこなら人も場所もある」

穆弘様。

穆春様。

次の採用候補である。

頭の中の索引が、また勝手にめくれる。

揭陽鎮、李俊、李立、穆兄弟。

順番通りでございます。

本当にやめてほしい。

「ご迷惑では」

宋江様が言う。

「迷惑をかけたのはこちらです」

李俊様は静かに答えた。

その言い方で分かった。

この人は、人をまとめられる。

李立様の不始末を、自分のものとして受けている。

採用です。

いや、早い。

まだ早い。

だが、かなり有力である。

私は倒れた護衛を見て、李立様を見て、李俊様を見た。

薬を盛る店。

それを止める男。

名を聞いて態度を変える地元の顔役。

人が集まる気配。

水軍は、舟だけでは作れない。

水辺で人を動かす者が要る。

その意味で、この場所には人材がいる。

問題は、全員少しずつ危ないことである。

まあ、梁山泊向きとも言える。

「では、お言葉に甘えます」

宋江様が言った。

私は小さく頷いた。

採用試験は、まだ始まったばかりである。

すでに護衛が三人倒れている。

非常に前途多難でございます。

本件、閻婆惜よりご報告いたします。

本日の休憩は、休憩になりませんでした。

護衛三名が倒れ、宋江様はかろうじて無事。

私はなぜか、薬を盛られる店で採用判断をしております。

李立様については、要管理。

単独運用は危険です。

ただし、使い道がないとは申しません。

そして李俊様。

場を止める力。

身内の不始末を引き受ける姿勢。

水辺での人望。

……優良物件。

いえ、水軍人材として、でございます。

次回、穆弘様の屋敷にて顔合わせです。

採用試験は、初回から事故報告書付きでございます。

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