入山手続きは、その後でございます
閻婆惜でございます。
本日は、梁山泊到着後の手続きについてご報告いたします。
秦明様と黄信様は客人。
花栄様の御家族は避難者。
清風山の皆様は受け入れ希望。
まとめて入山扱いにすると、あとで必ず揉めます。
まずは寝床と食事。
所属確認は、その後でございます。
なお、王英様の婚姻案件は、今回も発生しておりません。
廟へ向かった使いから合図が来たのは、昼を少し過ぎた頃だった。
細い一筋の煙が、東の木立の向こうに上がった。
少し間を置いて、もう一筋。
鄭天寿様が目を細める。
「合流できたようです」
花栄様の肩から、力が抜けた。
ほんの少しだけだった。
けれど、見ていれば分かる。
家族が無事かどうか……
その一点だけで、人の顔はここまで変わる。
「すぐ向かいます」
花栄様が言った。
「はい、ただし、列を崩さずに」
「分かっています」
本当に分かっている声だった。
よろしい。
清風山から出た一行は、役割を分けて進んでいた。
先触れと護衛は、燕順様と鄭天寿様が率いる。
その後を負傷者と荷物が続く。
秦明様と黄信様は中央。
宋江様と私はその近く。
清風山の残りの者たちは、左右に散って周囲を見ている。
王英様は、なぜか酒樽を諦めた顔ではなかった。
「一本くらい持ってきてもよかったんじゃねえか」
「まだおっしゃるのですか」
「景気づけだよ、景気づけ」
「避難中でございます」
「だからこそ酒だろ」
「違います」
「言い切るねえ」
「言い切ります」
燕順様が、前から叫ぶ。
「黙って歩け!」
王英様は口を尖らせたが、それ以上は言わなかった。
酒樽を説得するより、王英様を説得する方が面倒である。
いや、酒樽は説得しなくていい。
ただ転がせばよい。
そう考えたところで、私は少しだけ疲れているのだと気づいた。
廟は、林の奥にあった。
古びた屋根に傾いた柱。
香の匂いは、もうほとんど残っていない。
そこに、花栄様の家の者たちがいた。
年配の女性が一人。
若い女性が一人。
疲れてはいるが、目元の整った方だった。
ほかに従者が数名。
皆、顔色は悪いが、立っている。
花栄様が駆け出そうとして、途中で足を止めた。
そして、こちらを見た。
私が頷くと、ようやく近づいた。
「無事か」
「はい、兄上」
若い女性が答えた。
この方が妹君だろう。
疲れてはいるが、背筋が伸びている。
ただ守られて逃げてきた顔ではない。
逃げる間、自分も周囲を支えてきた顔だった。
秦明様は、その姿を見た。
一瞬だけ――
本当に一瞬だけである。
すぐに視線を外した。
ただ、耳のあたりが赤かった。
分かりやすい。
非常に分かりやすい。
だが、今婚姻の話をしたら、全員まとめて崖から転がす。
もちろん、実際にはしない。
だが、気持ちとしてはそれくらいである。
花栄様も何も言わなかった。
妹君も、秦明様へ不用意に近づかなかった。
大変よろしい。
この場の全員が、少しずつ学習している。
私は花栄様の家の者たちへ向き直った。
「ここから梁山泊へ向かいます」
年配の女性が目を伏せる。
「梁山泊へ、でございますか」
「はい、ただし、今すぐ梁山泊の者になるという意味ではございません。まずは避難です」
私は同じ説明を繰り返した。
同じことを何度も説明するのは好きではない。
だが、ここは仕方がない。
説明を省くと、あとで必ず揉める。
「所属は後日でございます」
妹君が、わずかに首を傾げた。
「所属、でございますか」
「はい」
変な言葉だと自分でも思う。
だが、今の状況に一番近い。
どこへ属するのか。
誰の下に入るのか。
何を名乗るのか。
それを決める前に、まず生きて到着しなければならない。
「道中は花栄様の御家族としてお守りします。梁山泊へ着いた後、晁蓋様たちとお話しください」
「兄上は」
「花栄様も同じです」
花栄様が頷く。
妹君は、それ以上聞かなかった。
そこへ、秦明様が低く言った。
「俺も同じか」
「はい」
「客人扱いか」
「少なくとも、話が決まるまでは」
「武器は返さぬのにか」
「客人扱いと、無警戒は別でございます」
秦明様は、少しだけ口元を歪めた。
笑ったわけではない。
だが、怒鳴りもしなかった。
「抜け目がない」
「仕事ですので」
「仕事か」
「はい」
こういうとき、現代の言葉は便利である。
仕事と言えば、少しだけ感情から距離を取れる。
秦明様は黙った。
黄信様も隣で静かに立っている。
廟で水を分け、少しだけ粟を食べた。
食べられない者もいた。
それでも、口に入れられる者には食べさせる。
空腹と疲労は、判断を雑にする。
これも会社で学んだ。
徹夜明けの会議は、だいたいろくでもない結論になる。
午後、私たちは梁山泊へ向かった。
道は長かった。
負傷者がいる分、進みは遅い。
それでも、列は崩れなかった。
日が傾き始めた頃、ようやく水辺が見えた。
梁山泊に着いた――
改めて見ると、湖は広い。
清風山とは違う。
迎えに出てきた者たちの中に、晁蓋様がいた。
その後ろに、呉用様。
公孫勝様の姿もある。
宋江様が前へ出ようとした。
私は袖を引いた。
「婆惜」
「説明の順番がございます」
「わしが話す」
「宋江様は当事者です」
「またか」
「またです」
晁蓋様が、そのやり取りを見て、少し笑った。
「宋江殿、まず奥方に話させた方が早そうだな」
宋江様は何か言いたそうだったが、黙った。
かなり進歩している。
私は前へ出た。
「閻婆惜、戻って参りました。本件、清風山および青州より避難者をお連れいたしました」
呉用様の目が細くなる。
「避難者?」
「はい、入山希望者、客人、保留案件が混在しております。まとめて扱うと後で揉めます」
呉用様が扇を止めた。
「保留案件とは」
「秦明様と黄信様です」
秦明様の名が出た瞬間、周囲の空気が変わった。
霹靂火――
その名は、梁山泊でも重いらしい。
呉用様の目に、計算が走ったのが分かった。
欲しいのだろう。
とても分かりやすい。
だが、今すぐ人材リストに載せられては困る。
「秦明様と黄信様は、現時点では客人です。梁山泊の者になるかどうかは、本人の意思確認が済んでおりません」
呉用様が言った。
「しかし、青州へ戻れぬのであろう」
「戻れません」
「ならば、ここへ入るしかあるまい」
「避難と所属は別です」
少しだけ沈黙が流れた後、私は続ける。
「青州は秦明様の弁明を待たず、敗戦の責任を御家族にまで及ぼしました。黄信様はその経緯を証言できる方です。まずは事実確認をお願いいたします」
晁蓋様が、ゆっくり頷いた。
「なるほど。話を聞かねばならぬな」
「お願いいたします」
「清風山の者たちは?」
「燕順様、鄭天寿様、王英様および配下の方々は、清風山が長く使えなくなったため、受け入れを希望されています」
王英様が後ろから言った。
「希望っていうか、山が焦げたんだよ」
「焦がした理由は秦明様を止めるためでございます」
「分かってるよ」
「では、余計な補足は不要です」
「俺にだけ厳しくねえか」
「気のせいです」
燕順様が小さく笑った。
「気のせいではねえな」
そこは否定しない。
私は花栄様へ視線を向けた。
「花栄様と御家族は、清風寨へ戻ることが困難なため、避難です。今後の扱いは御本人と御家族の意向を確認してください」
晁蓋様は全員を見渡した。
「つまり、決まっている者と、決まっていない者がいるのだな」
「はい」
「決まっていない者を、無理に決めぬ方がよいと」
「はい、今決めると、たぶん揉めます」
呉用様が、そこで少しだけ笑った。
「たぶん、か」
「かなりの確率で揉めます」
「率直だな」
「揉める前に分けたいだけでございます」
晁蓋様は大きく頷いた。
「よかろう。まずは客人として迎える。傷のある者を休ませよ。食事も出す」
助かった。
これで、新しく来た者たちの最低限の寝床と食事は確保できる。
秦明様は何も言わなかった。
黄信様も黙っている。
それでいい。
今は礼を言える状態ではない。
受け入れられる状態でもない。
それでも、生きてここまで来た。
呉用様が、秦明様をちらりと見た。
「後ほど、詳しく話を聞かせていただきたい」
秦明様は低く答えた。
「俺は、まだ梁山泊の者ではない」
「承知しております」
呉用様は笑った。
本当に承知しているかは、怪しい。
だが、今は言葉として出ただけでよい。
私は頭の中で確認する。
秦明様、黄信様は客人。
花栄様と御家族も避難者。
清風山組は受け入れ希望。
宋江様は当事者。
王英様の婚姻案件は、引き続き存在しない。
最後は重要である。
うっかり発生させてはいけない。
梁山泊へ着いた。
けれど、何も終わっていない。
所属も、婚姻も、怒りの行き先も、まだ決まっていない。
ただ、寝る場所がある。
食べる物がある。
話を聞く者がいる。
今日は、それで十分である。
人は、水に入っただけで居場所を得るわけではない。
誰が何者としてそこにいるのか。
それを決めるには、手順がいる。
まずは避難。
入山手続きは、その後でございます。
本件、閻婆惜よりご報告いたします。
本日の受け入れ処理は、ひとまず完了いたしました。
秦明様と黄信様は客人。
花栄様の御家族は避難者。
清風山の皆様は受け入れ希望でございます。
ここで、花栄様の妹君より一言お願いいたします。
「花栄が妹、花宝燕と申します。兄ともども、このたびの御恩に感謝申し上げます。秦明様のことは……今は、まだ申し上げることはございません」
大変よろしい。
今、言わなくてよいことを言わない。
とても大事です。
入山も婚姻も、勢いで決めてはいけません。
まずは寝床と食事。
正式な手続きは、後日でございます。
なお、王英様の婚姻案件は今回も対象外でございます。




