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19/63

囲まれる前に、出ます

閻婆惜でございます。

本日は、囲まれる前の脱出について確認いたします。

疑われないために残るのではございません。

疑われても捕まらないために出ます。

戻った水は一つだけ――

その一つが清風山なら、そこへ向かうしかございません。

屋敷を守ることと、動ける形を守ることは別でございます。

なお、王英様は清風山に匿われても接触禁止でございます。

劉高様の使いが帰った後、屋敷の外はさらに重くなった。

人の数が増えている。

声も足音もまだ遠い。

だが、遠いのに、こちらへ寄ってくる音ではあった。

まだ踏み込まれてはいない。

まだ包囲とは言い切れない。

だが、屋敷の周りに目が置かれ始めている。

門と横道に裏手。

そして、通りへ出る角。

そういう場所に、人の気配が増えていた。

花栄様は、黙って外を見ている。

宋江様も、落ち着かない顔をしていた。

私は紙を見た。

一つ目の水および劉高様圧力確認。

一、清風山への使者が最初に戻る。

二、燕順様、鄭天寿様は加勢可。

三、王英様は加勢依頼対象であって、接触対象ではない。

四、劉高様は確認から圧力へ移る。

五、宋江様は自分から出ない。

六、花栄様も怒って出ない。

七、黄信様へ話が飛ぶ危険あり。

八、秦明様が動くと戦が大きくなる。

九、今は勝つより時間を稼ぐ。

十、相手に押し入る理由を追加で渡さない。

十一、顔は二名分継続管理。

ここまでは、まだよかった。

よくはない。

だが、まだ動ける。

問題は、ここからである。

「花栄様」

「はい」

「この屋敷を出ます」

花栄様の顔が、はっきり変わった。

「出る?」

「はい」

宋江様もこちらを見る。

「どこへ」

「清風山です」

部屋の中が静かになった。

花栄様の目が険しくなる。

無理もない。

自分の屋敷である。

そこを離れろと言われれば、当然そうなる。

「奥方」

「はい」

「ここは私の屋敷です」

「だからこそ、離れます」

「屋敷を捨てろと?」

「今、守るべきは屋敷ではございません。動ける形です」

花栄様は黙った。

怒りがある。

悔しさもある。

だが、それを飲み込もうとしている。

本当に理解が早い。

だから危ない。

理解したうえで、自分を押し殺せてしまう方は、宋江様のために深く考えすぎる。

宋江様が口を開いた。

「婆惜」

「はい」

「わしが出れば、花栄の屋敷までは」

「不可です」

「まだ全部言っておらぬ」

「全部言う前に不可です」

宋江様は止まった。

「わしが原因だ」

「はい」

「ならば、わしが」

「原因が出て行けば、相手に手柄を渡します」

宋江様の顔が沈む。

「手柄か」

「はい。梁山泊から逃げてきた宋江様を、劉高様側が押さえた形になります」

「わしは罪人ではない」

「罪人ではない方も、押さえられます」

このやり取りは、もう何度目か分からない。

だが、何度でも言う必要がある。

水滸伝の世界では、正しいかどうかより、誰の手に落ちるかが先に来る。

宋江様は黙った。

「では、逃げるのか」

「逃げます」

今度は、花栄様がこちらを見た。

私は続けた。

「逃げることと、負けることは違います」

外で、また人の動く音がした。

今はまだ、道が残っている。

だが、少しずつ狭くなっている。

時間を稼ぐだけでは足りない。

逃げ道があるうちに動かなければ、時間稼ぎは無意味である。

「清風山へ向かう理由を申し上げます」

私は紙を取った。

「一つ、清風山は近い」

宋江様が頷く。

「二つ、燕順様と鄭天寿様は加勢を承知されています」

花栄様が静かに聞いている。

「三つ、清風寨内に留まれば、劉高様側に押さえられる危険が高い」

私は一度、筆を止めた。

「四つ、黄信様と秦明様の名が出た以上、ここに留まると話が大きくなります」

花栄様の顔が少し動いた。

「秦明殿か」

「はい。清風寨の屋敷に残る理由は、もう薄うございます」

花栄様は、低い声で言った。

「私の家の者は?」

「先に逃がすよう、使者を派遣しています」

「まだ、無事かは」

「分かりません」

花栄様の顔が固くなる。

「ですが、ここに花栄様が残っても、御家族が安全になるわけではありません。むしろ花栄様が押さえられれば、御家族が困ります」

花栄様は何も言わなかった。

宋江様が小さく息を吐く。

「父上と宋清も、まだ分からぬな」

「はい」

「梁山泊からの護衛も」

「はい」

「それでも、出るのか」

「出ます」

「なぜだ」

「囲まれてからでは、出られないからです」

そのままの答えだった。

それ以上でも、それ以下でもない。

戻った水は一つだけ。

その一つが清風山なら、そこへ向かう。

全部そろうまで待てば、全員捕まる。

一つでも戻ったなら、その一つを使う。

それが今できる最善である。

「奥方」

花栄様が言った。

「出るなら、道を選びます」

「お願いします」

「正面は避けます。屋敷の裏から、古い水路沿いへ抜けられます」

「そこは、劉高様側に知られていますか」

「古くからいる者なら、知っているかもしれません」

「では、急ぎます」

花栄様はすぐに頷いた。

「人数は絞ります」

「はい」

「屋敷に残る者には、何と」

「休息中。用件確認中。返答待ち。そう伝えてください」

「時間稼ぎですね」

「はい」

「どの程度」

「できれば、清風山へ入るまで」

花栄様は短く息を吐いた。

「難しい」

「承知しております」

「それでも」

「やります」

花栄様は、深く頷いた。

宋江様がこちらを見た。

「婆惜」

「はい」

「疑われるぞ」

「もう疑われています」

「清風山へ行けば、もっと濃くなる」

「はい」

「逃げてきたという説明も、怪しくなる」

「はい」

「それでも行くのか」

「はい」

宋江様は黙った。

私は、少しだけ声を落とした。

「疑われないために残るのではありません。疑われても捕まらないために出ます」

宋江様の表情が変わった。

花栄様も、こちらを見る。

「疑いは後で整理できます。捕まれば、整理する場もなくなります」

言いながら、自分でも冷たいと思った。

だが、温かい言葉で捕まるわけにはいかない。

温かくするのは、生き延びた後でいい。

私は紙に新しく書いた。

脱出確認。

一、完全に囲まれる前に出る。

二、行き先は清風山。

三、宋江様は出頭しない。

四、花栄様は屋敷に残らない。

五、屋敷は守る対象から、離れる対象へ切り替える。

六、清風山は近く、加勢承知済み。

七、王英様は接触禁止継続。

八、黄信様・秦明様の名が出た以上、清風寨には留まらない。

九、梁山泊・宋家・花栄様の御家族の結果はまだ不明。

十、今は勝つより捕まらない。

外の音が、また少し近づいた。

花栄様が立ち上がる。

今度は止めなかった。

動くための立ち方だった。

「支度を」

短い指示が飛ぶ。

屋敷の者が動き出す。

足音が低く走る。

戸が開き、門が閉じる。

武具の音が抑えられる。

宋江様も立った。

私は見た。

「今の立ち方は可です」

宋江様が、少しだけ苦笑しかけた。

けど、すぐ止めた。

「だいぶ分かってきた」

「よろしいです」

「嬉しくはないが」

「私もです」

花栄様が戻ってきた。

「裏へ回ります。外へ出てからは、私が先導します」

「お願いします」

「奥方は中央に」

「私は歩けます」

「分かっております。ですが、今は守らせてください」

私は少しだけ黙った。

花栄様の言い方は、押しつけではなかった。

手順として必要だと言っている。

ならば、言葉に甘える方がいい。

「承知しました」

「宋江殿は私の後ろへ」

「うむ」

花栄様が戸へ向かう。

屋敷の奥へ進む。

表の方では、まだ劉高様の使いが待っているはずだ。

こちらが返答待ちである限り、少しは時間がある。

少しだけ――

それでも、今はその少しが命である。

廊下は静かだった。

人の気配はある。

だが、見えるところには出てこない。

花栄様の屋敷の者は、よく訓練されている。

角を曲がり、奥の扉へ向かう。

細い通路を抜け、荷を運ぶための裏口に向かう。

そこから外の冷たい空気が入ってきた。

花栄様が先に出る。

周囲を確認する。

合図が来る。

宋江様が出た後、私も続いた。

外は、夕方に近づいていた。

日が少し傾いている。

影が長い。

表の方から、低い声が流れてくる。

まだこちらには気づいていない。

行ける――

今なら、まだ行ける。

花栄様が小さく言った。

「こちらです」

私たちは、屋敷の裏手を抜けた。

足音を抑え、声も出さない。

背後で屋敷の戸が静かに閉まる。

その音が、思ったより胸に残った。

花栄様の屋敷。

花栄様の場所。

それを置いていく。

けれど、置いていかなければ、花栄様ごと押さえられる。

守るために離れる。

それも、たぶん戦である。

細い道へ入ると、木の影が濃くなった。

清風山へ向かう道は、すでに暗くなり始めている。

宋江様が、小さく言った。

「婆惜」

「はい」

「これで、花栄はますます疑われるな」

「はい」

「わしも」

「はい」

「そなたも」

「はい」

「それでも」

「捕まるよりはましです」

宋江様は何も言わなかった。

花栄様も、前を向いたまま黙っている。

たぶん、皆分かっている。

清風山へ向かえば、劉高様の疑いは濃くなる。

黄信様へ話が飛ぶ。

秦明様の名も、遠くなくなる。

原典の流れは、たぶん来る。

来てしまう……

燕順様、王英様、鄭天寿様。

花栄様、劉高様、黄信様。

そして、秦明様。

名前が揃ってきている。

順番も、形も、少し違う。

だが、火の流れる先は似ている。

逃げられないのかもしれない。

けれど、逃げられないことと、何もしないことは違う。

私は前を見た。

悪女になる暇がない。

疑われないために残るのではない。

疑われても捕まらないために出る。

戻った水は一つだけ――

その一つが清風山なら、そこへ向かう。

原典の流れから逃げきれないとしても、焼けるものを少しでも減らすために……

囲まれてから、脱出路を探しても遅いのである。

本件、閻婆惜よりご報告いたします。

本日の確認事項は、以下の通りでございます。

囲まれる前に出る。

戻った水を使う。

屋敷より、動ける形を優先する。

以上でございます。

清風山へ向かえば、疑いは濃くなります。

ですが、残れば身柄を押さえられます。

どちらも安全ではございません。

なお、王英様は私にとって、水ではなく油でございます。

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