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18/70

戻った水は一つだけ

閻婆惜でございます。

本日は、戻った水について確認いたします。

四方へ出した使者のうち、最初に戻ったのは清風山でした。

近い水は早く戻ります。

ですが、戻った水は一つだけでございます。

梁山泊も、宋家も、花栄様の御家族も、まだ分かりません。

しかも、劉高様は確認から圧力へ移り始めております。

なお、王英様は水に混じっていても接触禁止でございます。

劉高様が帰った後も、屋敷の空気は戻らなかった。

食事の器は下げられ、湯の椀も替えられた。

灯りも整えられた。

だが、部屋の中に残ったものは消えない。

劉高様の声。

細い目。

「今日は確認だけ」

という言葉。

今日は――

あの一語が、まだ耳に残っている。

宋江様は、何度か口を開きかけては閉じた。

花栄様も、屋敷の外へ意識を向けている。

二人とも黙っているが、静かではない。

顔が忙しい。

身体も忙しい。

ただ、動いていないだけである。

私は紙を見た。

劉高様接触確認。

一、宋江様は罪人ではない。

二、梁山泊へ自ら身を寄せたとは言わない。

三、連れ去られた後、逃げてきた形にする。

四、花栄様は逃げてきた友を一時保護した立場。

五、梁山泊への使者は伏せる。

六、清風山への使者も伏せる。

七、宋江様は晁蓋殿との友情を語らない。

八、花栄様は庇いすぎない。

九、劉高様は納得しない前提で見る。

十、攻めてくる前に時間を稼ぐ。

十一、顔は二名分管理する。

十一が増えたのは、非常に面倒である。

宋江様だけでも手がかかるのに、花栄様まで加わった。

ただし、花栄様は理解が早い。

そこは助かる。

危険でもある。

「婆惜」

宋江様が言った。

「はい」

「劉高殿は、本当に来ると思うか」

「来ます」

「断言するのか」

「はい」

宋江様は黙った。

花栄様が、低い声で続ける。

「兵を動かす、と?」

「可能性は高いです」

「私の屋敷へ?」

「はい」

花栄様の目が、わずかに細くなった。

「ここは私の屋敷です」

「だからです」

「だから?」

「花栄様が宋江様を保護している場所です。劉高様が疑うなら、ここを押さえるのが一番早うございます」

花栄様は黙った。

怒っている。

だが、怒りを押さえている。

よろしい。

かなりよろしい。

「花栄様」

「はい」

「今、出て行かないでください」

「まだ何も」

「立ち方です」

花栄様は一瞬だけ目を伏せた。

「……承知しました」

宋江様が小さく言った。

「わしだけではなくなったな」

「はい」

「嬉しくないな」

「私もです」

その時、外で足音がした。

速い。

だが、乱れてはいない。

屋敷の者が声をかける。

短いやり取り。

それから、戸の向こうで声がした。

「花栄様。清風山へ向かった者が戻りました」

花栄様が顔を上げる。

清風山――

四方へ走らせた使者のうち、一番近い。

戻るなら、まずそこだと思っていた。

「入れ」

花栄様の声に応じて、若い男が入ってきた。

息は上がっている。

膝をつき、すぐ報告した。

「燕順殿へ文を届けました」

「返答は」

花栄様が聞く。

「加勢承知、とのことです。鄭天寿殿も兵を整えると」

よろしい。

一つ目の水は戻った。

私は息を吐きかけて、止めた。

まだ確認することがある。

「王英様は?」

使者の顔が少しだけ動いた。

やはり。

「王英殿も、来る気でおられました」

宋江様が何か言いかけた。

私は見た。

宋江様は止まった。

よろしい。

成長している。

使者は続けた。

「ですが、奥方様の文に、王英殿を女性へ近づけぬこと、とございましたので、燕順殿が押さえておられます」

部屋が一瞬、妙な静けさになった。

花栄様が口元を押さえかける。

止めた。

かなりよろしい。

宋江様は、困ったような顔をした。

「婆惜」

「はい」

「やはり最後の一文は必要だったのだな」

「はい」

「王英に失礼では?」

「宋江様」

「……言ってはならぬやつか」

「はい」

今度は完全に止まった。

かなり進歩である。

私は使者に向き直った。

「燕順様は、いつ頃こちらへ?」

「支度でき次第、動くとのことです。先に私を戻せと」

「よろしいです」

私は頷いた。

「清風山からの加勢は来ます。ただし、王英様は接触対象ではありません」

花栄様が静かに言った。

「加勢対象ではあっても、接触対象ではない」

「はい」

「……覚えました」

それは覚えておいていただきたい。

使者が下がると、部屋の雰囲気が少しだけ変わった。

完全に軽くなったわけではない。

だが、一本だけ支えが入った。

清風山は動く。

燕順様と鄭天寿様は使える。

王英様は、今のところ押さえられている。

近い水は、早く戻った。

ただし、混じり物がある。

そこは忘れてはいけない。

私は紙を引き寄せた。

一つ目の水確認。

一、清風山への使者が最初に戻る。

二、燕順様、鄭天寿様は加勢可。

三、王英様は女性へ近づけない。

四、清風山は近いため、即応に期待できる。

五、ただし安心はしない。

五を書いたところで、外がまた動いた。

今度は、先ほどより重い。

足音が一人ではない。

屋敷の外側を人が回る音。

声を抑えたやり取り。

武具の触れる音。

花栄様が立ち上がりかける。

私は見た。

「花栄様」

「……承知しています」

本当に止まった。

だが、顔は硬い。

宋江様も立とうとした。

「宋江様」

「分かっておる」

そう言いながら立とうとしている。

分かっていない。

「座ってください」

宋江様は、少しだけ驚いた顔をしてから座った。

そこへ屋敷の者が入ってきた。

顔色が悪い。

「劉高殿の使いが参りました」

来た――

今度は本人ではない。

使い――

つまり、劉高様は一段後ろに下がった。

「用件は」

花栄様が聞く。

「宋江殿の身柄について、改めて確認したいと。また、花栄様にも事情を伺いたいとのことです」

確認――

また確認である。

確認という言葉は、便利すぎる。

だが、便利な言葉ほど、疑いを包んでいる。

「誰が来ている」

「劉高殿の配下が数名。屋敷の前におります」

「数名か」

花栄様が低く言った。

屋敷の前に数名。

周囲にも人の気配。

完全な包囲ではない。

だが、形を作り始めている。

「宋江様」

「うむ」

「出てはいけません」

「しかし、わしの身柄を」

「出れば、劉高様の手柄になります」

宋江様の顔が止まった。

「手柄?」

「はい。梁山泊から逃げてきた宋江様を、劉高様側が押さえた形になります」

「わしは罪人ではない」

「罪人ではない方も、押さえられます」

宋江様は黙った。

花栄様が言う。

「では、私が」

「花栄様も不可です」

「私の屋敷です」

「だからこそです。今、花栄様が出れば、宋江様を庇って劉高様に反発した形になります」

「では、どうするのです」

「使いには、用件を書かせてください」

花栄様が止まった。

「書かせる?」

「はい。口頭の確認では困ります。宋江様の何を確認したいのか。花栄様に何を聞きたいのか。劉高様本人の用件なのか。清風寨としての用件なのか。紙に残していただきます」

宋江様が、少しだけ顔を上げた。

「時間を稼ぐのか」

「はい」

「紙で?」

「紙は時間を食います」

花栄様が、深く頷いた。

「承知しました」

屋敷の者へ指示が飛ぶ。

使いは門前で待たせる。

用件を書かせる。

屋敷内へは入れない。

よろしい。

まだ兵ではない。

まだ押し入りではない。

ならば、こちらもまだ門の内側で時間を稼げる。

しばらくして、使いの声が外から届いた。

少し荒い。

予想通り、不満そうである。

花栄様の眉が動く。

私は見た。

「花栄様」

「分かっております」

今度は早い。

よろしい。

やがて、屋敷の者が戻ってきた。

紙を持っている。

花栄様が受け取り、私にも見せた。

宋江殿の所在確認。

花栄殿への事情聴取。

必要あれば、黄信殿へ報告。

さらに事が大きくなれば、秦明殿にも出動を願う。

出た――

黄信と秦明……

名前には覚えがある。

攻略本で見た。

細部は曖昧だが、嫌な並びである。

黄信様へ飛べば、清風寨内の揉め事では済まなくなる。

秦明様が動けば、もう小火ではない。

火力そのものが来る。

花栄様が紙を見て、険しい顔をする。

「秦明殿まで……」

「劉高殿、本気か」

私は言った。

「本気かどうかより、名を出したことが問題です」

「黄信様と秦明様の名が出た以上、武力衝突を想定しなければなりません」

「まだ、そこまでは」

宋江様が言いかけた。

私は見た。

「そこまで行かないように、今、時間を稼いでいます」

宋江様は黙った。

私は紙を新しく取った。

一つ目の水および劉高様圧力確認。

一、清風山への使者が最初に戻る。

二、燕順様、鄭天寿様は加勢可。

三、王英様は加勢依頼対象であって、接触対象ではない。

四、劉高様は確認から圧力へ移る。

五、宋江様は自分から出ない。

六、花栄様も怒って出ない。

七、黄信様へ話が飛ぶ危険あり。

八、秦明様が動くと戦が大きくなる。

九、今は勝つより時間を稼ぐ。

十、相手に押し入る理由を追加で渡さない。

十一、顔は二名分継続管理。

宋江様が十一を見た。

「まだ二名分か」

「はい」

花栄様が静かに言った。

「私も、ですね」

「はい」

「承知しました」

今度の声は、完全に飲み込んでいた。

外では、まだ使いが待っている。

劉高様は来ない。

本人は後ろにいる。

こちらの反応を見ている。

ならば、こちらもすぐには出ない。

「返答は短くします」

私は言った。

「宋江様は現在休息中。花栄様は、用件確認後に返答する。事情聴取の場と時刻は、改めて調整する。屋敷内への立ち入りは認めない」

花栄様が頷いた。

「それで行きます」

「はい。押し返すのではなく、受け流します」

「押し返してはいけないのですか」

「押し返すと、押し入る理由になります」

花栄様は、わずかに目を閉じた。

「……面倒ですな」

「はい」

宋江様が小さく言った。

「面倒で済むうちは、まだいい、か」

私は少しだけ宋江様を見た。

その言葉は、どこかで聞いたような気がした。

だが、今は追わない。

「はい。面倒で済ませます」

返答が出された。

使いは不満を残して帰った。

だが、帰っただけである。

火が消えたわけではない。

外の空気は、さらに固くなっていた。

清風山からの加勢は来る。

だが、まだ来ていない。

梁山泊からの護衛も、宋家も、花栄様の御家族も、まだ結果は分からない。

戻った水は、一つだけ。

それでも、一つあるのと、何もないのとは違う。

悪女になる暇がない。

四方へ走らせた水のうち、最初に戻ったのは清風山だった。

近い水は早い。

ただし、その水には王英様という危険物が混じっている。

そして、火はそれを待ってはくれなかった。

劉高様は、確認から圧力へ移り始めている。

まだ燃えてはいない。

だからこそ、燃える理由をこちらから渡してはいけない。

本件、閻婆惜よりご報告いたします。

本日の確認事項は、以下の通りでございます。

四方へ出した使者は、同時には戻らない。

近い水ほど早く戻る。

戻った水が一つでも、何もないよりはよい。

ただし、王英様は油なので接触禁止。

以上でございます。

清風山からの加勢は得られそうです。

ですが、梁山泊、宋家、花栄様の御家族については、まだ分かりません。

なお、火はもう近づいております。

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